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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
幕間 魔法使いの日常編
27/132

入学式⑤

「申し訳ありません、お姉さま。恥ずかしいところを見せてしまって」


 笑顔でソラに謝るマーガレット。

 しばらく、男に対してのありとあらゆる罵詈雑言を呟いていたが、軽く一分以上早口で喋り通していたところ、ようやく満足したらしい。今では、けろっと元の明るい少女へと戻っていた。

 よくもあんなにいろんな悪口が出てくるもんだとソラが感心したくらいであった。

 何か、男に対して嫌な思い出でもあるのかもしれない。まだ初対面なので、事情など知るよしもないが。

 極度の男嫌いのようだが、それをのぞけば、おそらく悪い子ではないだろう、とソラは退散しかけていた身体を戻した。


(とりあえず、僕が男だったということは、命に代えても隠し通そう……)


 と、ソラは密かに心の中で誓っていたが。

 ソラは話を変える意味も兼ねて、マーガレットに質問した。


「メグのところも代々魔導士の家柄だったりするの?」


「いえ。実家は商家です。私のお父様が一代で興した、言ってみれば、成り上がりの家です」


「成り上がりって……。商売を成功させて、店を持てているのは、凄いと思うけど」


「そうかもしれません。お父様のことを尊敬もしています。……しかし、お父様はすっかり変わってしまって」


 そこで、マーガレットは自嘲するように唇を歪めた。


「それこそ、成金のごとくに、上流階級の方々の真似事などをするようになりまして。以前のお父様は質素で素朴な人だったんでけど」


 ソラは黙って、じっとマーガレットを見つめる。

 マーガレットはソラの視線に気付いたようで、少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「身内の恥をさらすようなことを言ってしまいましたね。とはいえ、家族が不自由することなく暮らしていけることには感謝しているんです」


「そう……」


 ソラは自然に微笑んだ。

 子供にしては、どこか大人びていて、やや屈折したところが見受けられるものの、やはり、中身はごく当たり前の女の子なのだ。

 マーガレットはまだ少々気恥ずかしい面持ちをしていたが、


「こんな愚痴っぽいことを話すつもりはなかったんですけど。お姉さまは、なんというか、聞き上手ですね。こんな話でも、真剣に聞いてくれますし」


「そうかな?」


 ソラは首を傾げた。そういえば、以前にも同じようなことを言われた気もするが。

 今度はマーガレットが雰囲気を変えるように、急にいたずらっぽい顔をした。


「やはり、私は魔導学校へ通うことにして正解でした」


「……どういうこと?」


 意味が分からずに、聞き返すソラ。


「実はというと、はじめは魔導学校に通うつもりはなかったんです。自分の娘が魔導士だと自慢したいばかりに、お父様が無理矢理に勧めてきたんです」


「そうだったんだ」


 意外そうにソラは目を瞠る。


「私がここに来ようと思ったのは、お姉さまが理由なんです」


「えっ」


 ソラはすっとんきょうな声をあげた。自分が理由というのは、一体どういうことなのか。


「お姉さまは覚えていないかもしれませんけど、以前に一度会ったことがあるんですよ?」


「そ、そうなの?」


 思わず、マーガレットを見つめるソラ。しかし、どうしても思い出せない。


「もう三ヵ月近く前になりますけど、私が街へと買い物に行った帰りのことです。私は家路を急いでいて、時間短縮のために裏道を使ったんですけど、そこで悪漢たちに取り囲まれてしまったんです。そのときに、偶然お姉さまが通りかかって助けてくれたんです」


 そういえば、そんなこともあったような……とソラは記憶の淵を探る。

 それにしても、なんともベタな出会いではあった。


「あのときお姉さまは、灰色の髪をした初老の男性を連れていました」


 そのマーガレットの台詞に、ソラの記憶は完全に甦った。

 あのときは、とある事情で街なかを疾走していたのである。

 というのも、ソラが心待ちにしていたとある本が書店に並ぶ日だったのだ。それで、急いで目的の店へと向かっていたのである。裏道を走っていたのも、マーガレットと同じく近道をするためであった。

 しかし、ソラがわざわざ走っていたのには理由がある。

 本来は、お嬢様らしく優雅に馬車にでも乗って出向くのであろうが、東方武術の師であるクオンが、これも鍛錬だと走っていくことを推奨したのである。

 普段は体力づくりの一環として、広大な屋敷の庭で走り込みをしているのだが、慣れているところを走っているだけでは、筋肉への刺激が薄れてしまうからだという理由らしい。

 師匠がクールな顔で言ったときには、『そんな悠長なことをしている暇はないんですけど!』とソラは内心で文句を垂れていたのだが、自分から修練をお願いしている身でもあるので、渋々走ることにしたのである。

 東方武術の達人、クオン・タイガには筋トレ馬鹿な一面があるのだった。

 ソラの目の前ではマーガレットが手を合わせて、瞳をきらきらと輝かせていた。


「お姉さまは、なにかの体術のようなもので、悪漢どもをあっさりと打ち倒してしまいました。そして、お礼を言おうとする私に向けて、『そんなものはいらない』とばかりに微笑んでみせると、白い髪をなびかせながら、あっという間に去ってしまわれました。颯爽とした姿に加えて、潔いお姉さまの態度には本当に感動しました」


 ソラの記憶によれば、数人いた悪漢たちのほとんどを倒したのは師匠だったはずだが、マーガレットは己に都合の良い部分しか覚えていないようであった。

 それに、お礼を受け取らずにさっさと立ち去ったのは、言うまでもなくかなり急いでいたからであって、別に格好をつけていたわけではない。どうも、かなり美化されている気がする。

 ちなみに、本くらい屋敷の人間に購入させて届けさせればいいのでは、という説もあるが、ソラは書店で平積みされている本を直に手に取ることに悦びを感じるのであって、使用人に『はい。買ってきましたよ』と渡されても意味がないのである。ここらへんは、ソラ特有のこだわりがあるのだった。

 夢見心地といった感じのマーガレットが続ける。


「それ以来、お姉さまのことが気になって仕方がなかった私は、実家の情報網を使い、お姉さまのことを調べさせてもらいました。それからです。乗り気でなかった魔導学校への入学を決めたのは。また、一組になるのが確実なお姉さまと同じクラスになるために、お父様が雇っていた魔導士の先生にも積極的に授業を受けるようになって、必死に勉強したんです」


 わざわざ自分の素性を調べたうえに、同じクラスに入るために勉強していたとは……とソラは微妙に冷や汗をかいた。 

 一年一組というのは、つまり、魔導紋を視認できるレベルにまで世界と同調できる生徒の集まりを指す。

 実家が魔導の名門、あるいはお金持ちであれば、事前に魔導士の家庭教師を雇い、入学前から同調訓練や魔導の基礎を学んでいる生徒は多い。なかには、初歩ながら、すでに魔導を行使することができる生徒さえいる。

 ほんの三カ月前から本格的に修練をはじめて、一組に入れるレベルにまで到達したというのは、もの凄いことなのではないかとソラは思った。マーガレットにもともと素質があったとしてもだ。

 なんにせよ、たいした行動力と執念の持ち主であった。


「改めて、あのときのお礼を言わせてください。本当にありがとうございました」


 マーガレットはソラの手をギュッと両手で握ると、潤んだ瞳で見つめてくる。

 ソラはやや顔を引きながら、「う、うん。その……ど、どうしたしまして?」としどろもどろに返答した。


(まさかとは思うけど……。この、男嫌いが高じて、百合に目覚めたんじゃないだろうな……)


 ソラは、やたらと熱い眼差しでこちらを見つめてくる少女を見ながら、背中を流れる冷や汗の量を増加させていた。

 とはいえ、ソラの中身は男であるので、ある意味ではノーマルと言えなくもない。しかし、今はれっきとした女の子なわけであって、何かややこしい矛盾を抱えているのだった。年齢が一桁の少女とどうにかなるなど、前提からしてあり得ないが。

 ソラが、「あ、あはは」と愛想笑いを浮かべながら、マーガレットと見詰め合っていると、


「――すこし、よろしくて?」


 横合いから、高く澄んだ少女の声が聞こえてきたのだった。


「は、はい!?」


 ともかく、このワケの分からない雰囲気から抜け出せるのなら何でもいいよっ、とばかりにソラは猛然と声がしてきた方へと振り向いた。

 すると、そこには三人の少女が立っていた。

 どうやら、先頭に立っている女の子が話しかけてきたらしい。その背後に二人の少女がまるで付き従うかのごとく控えていた。


(……! この子……!?)


 ソラは先頭にいた女の子の顔を確認すると、内心で驚きの声をあげた。

 彼女は、入学式でソラに向かって魔導を仕掛けてきた少女だったのだ。

 よく手入れされていると分かる色素の薄い金髪を背中に流し、きれいな水色の瞳がソラを冷ややかに見ている。かなり整った容姿をした美少女であるが、どこか体温が低そうな印象を受けるのだった。

 腕を組み、傲然とソラを見下ろすその姿は、あのときに抱いた印象そのままに、いかにもプライドが高そうである。これぞ、まさに『お嬢様』といった女の子であった。


「キミは……」


 ソラは、不意打ちをくらったような気分で呟く。

 しかし、女の子は顔色ひとつ変えることなく、わずかに眉を動かしただけだった。


「……何か?」


「……いや、なんでもないよ。それで私に何か用でも?」


 当然のことながら、女の子はしらを切るつもりらしい。ソラも追求するつもりはないので、普通に用件を尋ねるだけだ。

 女の子は組んでいた腕を解くと、優雅にスカートをつまんで、軽く膝を曲げた。薄い金髪がさらさらと音もなく肩をまたいで胸の前に流れた。


「一度挨拶しておこうと思いまして。わたくしの名はグレイシア・ローゼンハイムと申します。よろしくお願いしますわ」


 丁寧に挨拶してくるグレイシアと名乗る女の子。

 ソラは、『ますわ』なんて語尾につける人を初めて見たかもと思いつつ、立ち上がってこちらも挨拶を返した。

 そにれしても、同じクラスだったとは……と、ソラは挨拶をしながらも内心で苦笑する。

 だが、グレイシアはじっとソラを見つめたままであった。気のせいか、瞳の温度が下がった気がする。

 何か非礼なことをしたかなと、ソラがわずかに困惑していると。


「……それだけですか?」


 と、グレイシアがぽつりと訊いてきたのだった。


「えっと、あの……」


 やはり、失礼なことをしてしまったのだろうか、とソラは焦る。家で教わったとおりにしたはずだが。あるいは、この子は有名人か何かだったのだろうか。

 すると、隣から一連の様子を静かに見守っていたマーガレットがそっとソラの耳に舌打ちした。


「……お姉さま。彼女は、お姉さまと同じく、<至高の五家>の一角であるローゼンハイム家のご令嬢です」


「え」


 ソラは思わず目の前の少女をまじまじと見つめた。

 かつて世界を救い、エレミアを建国した、五人の偉大な魔導士たちが興した五つの家の総称が<至高の五家>である。

 つまり、<至高の五家>とは、英雄の末裔であり、隔絶した魔導の才を連綿と受け継ぎ、国内でも最大の権勢を有しているという、とんでもない家であった。更には、世に出ている魔導産業の大半を牛耳っている関係で、超がつく資産家でもあるのだ。『至高』などという大袈裟な呼び名も伊達ではないのである。

 エレミアは一部民主化されていて、基本的には身分の上下などはない。だが、実質的にはこの五つの家が国家の首長的な立場にあり、他国の王族にも引けを取らない『格』と『歴史』を備えているのだった。

 ソラもはじめはエーデルベルグ家の規模や金持ち度にびっくりしていたものだ。しかし、家風なのか、想像していたような貴族然とした雰囲気などはなく、そんなに凄い家なのかという実感が薄かったのである。もちろん最低限の礼儀作法やしきたりなどは存在するのだが。

 エレミア中の名士の子供たちが集まるサロンなどもあるらしいが、ソラが出席したことは一回もない。はっきり言って興味がなく、家族もとくに出席を促すことはなかった。

 なので、ソラには同じ<至高の五家>の知り合いはほとんどおらず、家同士の関係にも疎い部分があった。

 ソラの戸惑っている姿を見て、グレイシアは目を冷たく細めた。


「……なるほど、主席で入学した神童からすれば、私などは眼中にないというわけですわね」


「べ、別にそういうわけでは」


 ソラは背中にじっとりとした汗を浮かべた。このような絡まれ方をするのは人生でも初である。いわゆる、上流階級の人間同士によるプライドのぶつかり合いというやつだろうか。突然仕掛けてきた魔導もそれが理由なのかもしれない。まさか、自分が経験することになるとは。

 焦ったソラは、反射的に言い訳のようなものを口にした。


「いや、その……。たんに、知らなかっただけで、キミを侮辱するつもりはなかったというか……」


「お姉さま……。その言い方は、よけい角を立てるだけだと思いますけど」


「あ」


 マーガレットのツッコミにソラは間抜けな声をあげた。

 ソラがおそるおそるグレイシアの顔色を窺うと、少女は端整な顔を真っ赤に染め、ぷるぷると体を震わせて、ソラを睨みつけていたのだった。

 グレイシアの背後にいた二人の少女たちが、「シア様に向かって、なんて暴言を!」「信じられませんわ!」と憤慨している。

 ソラは咄嗟に、フォローの言葉を脳裏にいくつも並べてみたが、今更何を言っても火に油を注ぐだけのような気がして口をつぐむのであった。 


(ま、まいったなあ……)


 ソラは心底参っていた。

 先ほどから嫌な汗をかきっぱなしである。

 入学式の直後から、なぜこんな目に合わなければならないのか。はっきり言って想定外にも程がある。

 男が相手ならまだいい。問題なく対処できるだろう。ただ、女の子の場合だとそうはいかない。もし、泣かれでもしていたら、いっそう焦っていたに違いない。


(でも……)


 ここで、ソラは自分を睨んでいる少女を見た。

 少女の水色の瞳からは敵意がびしびしと放射されている。しかし、陰湿な悪意のようなものは感じられなかった。むしろ、真摯な光を宿している瞳をきれいだとさえ思ったくらいである。

 なので、半ば理不尽ともいえる怒りを向けられているのにもかかわらず、この少女に対して悪感情を持てないのだ。

 自分でも意識しないまま、思わずソラが顔をやわらげていると、グレイシアはぴくりと眉を動かした。


「……何を笑っていらっしゃるの? そんなに私のことが可笑しいですか? ……言っておきますけど、主席だからといって調子に乗らないでくださいね」


「うん。分かったよ」


 いつのまにか緊張がほぐれてきていたソラが笑顔で応じる。グレイシアの不遜な態度もどこか可愛らしく感じていた。


「あなたは――」


 余裕が見えはじめたソラの態度が気にくわなかったのか、グレイシアがむっとした表情で口を開きかけたときだった。


「――痛てえな、コラ!!」


 と、廊下から男子の野太い怒鳴り声が響いたのだった。

 教室にいた生徒たちの視線が一斉に声の聞こえてきた方へと集まる。ソラたちも、何事かと会話を中断して、そちらを見やった。

 生徒たちが見つめる先には、一組の少年少女がいた。どうやら同じ新入生らしい。

 まず目についたのは、ふんぞり返るようにして立っている浅黒い肌をした少年だった。

 五分刈りにした頭といい、骨太そうな身体といい、いかにも昭和のガキ大将といった風体の少年である。


(いったい、何を食べたら、あんなに大きくなるんだろうか)


 と、ソラが思うほどに体格がよい。隣にいる少女よりも頭二つ分は大きい。とても同じ新入生とは思えない。

 どうも、五分刈りの少年は一組の生徒ではないようだ。さすがに、あそこまで立派な体格をした少年が同じクラスにいれば見覚えがあるはずである。

 五分刈りの少年はなにやら怒っており、その前にはぺこぺこと頭を下げている少女の姿が見えた。

 恐縮したように平謝りしているその少女は、黒髪をおかっぱ頭にしており、まるでお人形のように愛らしい女の子だった。どこか、小動物っぽい印象を受ける。

 どうも様子を見ている限り、廊下で少女が五分刈りの少年にぶつかってしまったらしい。


「ご、ごめんなさい! わざとじゃないんです!」


 おかっぱの少女が何度も頭を下げていたが、五分刈りの少年はいまだに怒りが収まらないようだった。


「わざともくそもあるかよ! 舐めてんのか!」


 周囲の視線を全く意に介した様子もなく、わめき散らす五分刈りの少年。

 その迫力に、廊下にいた生徒たちが怯えたように身体をすくめていた。

 五分刈りの少年は苛立たしげに少女を睨みつける。


「俺を誰だと思ってんだ!」


 思い切り威圧する五分刈りの少年。


(いや。誰だよ、あんた)


 と、ソラは胸の内でツッコんだ。もしかして、あの少年も由緒ある家柄の出か何かだろうか。


「――彼は、ゴルモアからの留学生ですわね。確か王族の一員に名を連ねていたはずですわ」


 一連の騒ぎを冷たい瞳で眺めながら、絶妙なタイミングでグレイシアが呟いた。


「ゴルモア……。南にある大国の?」


 ソラは問い返す。

 グレイシアはちらっとソラへと視線を向けたが、すぐに戻した後に答えてくれた。


「ええ。魔導学校があちこちから留学生を受け入れているのはご存知でしょう? 彼もそのひとりです。……もっとも、ゴルモア王国は最近まで魔導に関して否定的な立場をとってきましたから、ここ数十年で大きく飛躍した魔導技術開発の流れに取り残されのです。今頃になって、慌てて人材を育成しようとしているのでしょう。時代の先が読めないうえに、古くさい慣習に囚われるから、そんな愚かなことになるんですわ」


 ふんっ、と小馬鹿にするかのように鼻を鳴らすグレイシア。なかなかに辛らつな意見である。

 ソラもゴルモア王国のことは知識として頭の中に入っていた。

 エレミアがある中央大陸の南部、そこに広がるゴルモア高原一帯を中心として治めている大国がゴルモア王国である。

 ゴルモアは土地柄なのか、馬を運用することに長けていて、一部の都市部を除けば、人々はいまだに牧畜を生業とした遊牧民のような暮らしをしているらしい。もう、百年以上も前の話になるが、当時彼らの騎馬軍団は大陸でも最強を誇り、一時は南部の大半を版図におさめるほど強大な国家だったのである。

 だが、魔導がインフラから戦争に至るまで整備された現代では、もはやその栄光も遠い過去のものとなっていた。どんな精強な兵士と軍馬も、遠くから魔導を放つだけで容易に蹴散らすことができるのだから。それに、魔導技術なしでは国力を維持するのは不可能な時代なのだ。


「ゴルモアの男は誇り高き戦士の一族だとかで、無駄に態度が大きいらしいです。男尊女卑な国なんですよ」


 と、マーガレットが親のかたきのごとく、五分刈りの少年を睨んでいた。やはり、大の男嫌いらしい。

 それにしても、新入生なのに、よく男尊女卑なんて難しい言葉を知っているなあ、とソラは妙な感心を覚えながら、ふらっと席を離れた。


「……エーデルベルグさん?」


「お、お姉さま? どちらに行かれるのですか?」


 ソラの突然の行動に、面食らった様子のグレイシアとマーガレット。

 ソラは振り向いて言った。


「そろそろ、あの子を助けてあげようと思ってね。可愛そうに、もう泣きそうになってるよ。誰も止めに入る気配はないし」


 教室や廊下を見回してみても、誰もが関わるのをためらうかのように、遠巻きに見ているだけであった。大人顔負けの威圧感を醸し出している少年が相手では仕方がないのだろうが。

 マーガレットが赤みがかった茶色のポニーテールを揺らして、悲鳴じみた声をあげた。


「お姉さま、やめた方がいいですよ! あんな無骨で無頼な者に関わったら、どんなひどい目に遭うか! 何か凶悪な病原菌でもうつされるかもしれません!」


 そのあまりの言い様に、ソラは苦笑したが、すぐにきっぱりと言い返した。


「あの女の子を放ってはおけないよ。せっかくの入学式なのに、このままじゃ彼女は嫌な気分のまま終わることになるよ」


「そ、それは、そうかもしれませんけど……」


 ソラの意見に気圧されたように頷くマーガレット。

 グレイシアはソラのことを呆れたように見つめていたが、ふいっと横を向いた。


「……変な人ですわね。自分から厄介ごとの種を拾いにいくなんて。格好つけるのは結構ですけど、せいぜい、恥をかかないように気をつけるんですわね」


「そうだね。肝に命じるよ」


 彼女なりの忠告だと思うことにして、ソラは再び歩き始めた。






(ああっ。無茶です、お姉さま!)


 マーガレットは心中でははらはらしながら、ソラの背中を見送っていた。

 誰もが凍りついている中、ソラは教室の真ん中にある通路を通り、廊下へと歩を進めている。

 怖い顔をしている五分刈りの少年と、顔面が蒼白となって固まっているおかっぱ頭の少女の側へとソラが近寄ったときだった。少年がおもむろに少女へと手を伸ばそうとするのが見えて、マーガレットは『あっ』と声をあげそうになった。しかし、それよりも先にソラが横から少年の太い腕を掴んだのだった。

 ソラは毅然とした態度で、少年を見上げて言った。


「その辺にしときなよ。とくに怪我をしたわけでもないんだし、そこまで怒ることはないと思うけど」


 白い髪の華奢な少女が突然割り込んできたのを見て、五分刈りの少年は一瞬ぽかんとしたが、すぐに浅黒い顔を憤怒の色へと染める。


「なんなんだよ、お前はっ! 関係ないヤツはすっこんでろ!」


「関係なくはないよ。同じ学校の生徒で同学年なわけだし」


 五分刈りの少年は強引に腕を外して、ソラへと向き直った。大柄な身体を目一杯に誇示して、ソラのことを見下ろしてくる。


「いい度胸してんじゃねえか。俺が誰だか……」


「さっき聞いたよ。ゴルモアの王族だってね。それこそ、ここでは関係ないよ。入学式のときにグリフィス校長も言ってたけど、この学校では身分や家柄、国籍などには関係なく、全ての生徒が平等に扱われる権利がある。つまり、学校内ではキミも一生徒にすぎないんだよ」


 五分刈りの少年の言葉を遮るように言い返すソラ。

 マーガレットは、ソラの全く怖れていないかのような態度に、『さすが、お姉さま』と感じ入っていたが、少年のこめかみがひくりと痙攣したのを見てとり、危険な兆候を察する。


(お姉さま! それ以上、挑発してはいけません!)


 思わず、手を白くなるほど握りしめるマーガレット。

 その横でグレイシアが、「あなた、大丈夫?」と話しかけてきていたが、マーガレットの耳には届いていなかった。

 今や、クラス中の生徒が固唾を呑んで、事の推移を見守っていた。

 その中心にいるのは、相対するように向かい合っている白髪の少女と五分刈りの少年。その近くで、おかっぱ頭の少女がおろおろとしていた。


「おい、調子に乗るなよ。女が横から口を挟んでんじゃねえ」


 額に青筋をうっすらと浮かび上がらせている五分刈りの少年が太い腕でソラの胸倉をつかもうと手を伸ばした。

 白髪の少女が悲惨な目に遭う光景を想像したかのように、見ていた生徒たちの中から、押し殺した悲鳴が出る。

 マーガレットも手元に両手を当てて、息を飲んだ。

 しかし、ソラは五分刈りの少年の大きな手が自らの胸元へと到達する瞬間に、体格差を利用するように少年の死角へと踏み出して、流れるように避けたのだった。


「な……!?」


 突然目標を見失い、伸ばした手が何もない宙を掴み、五分刈りの少年はバランスを崩した。


(あれは……。あのときの?)


 少年をかわしたソラの動きにマーガレットは見覚えがあった。数ヵ月前に自分を助けてくれたときに、悪漢たちをいなしていた動きとよく似ていた。

 いつのまにか、対立していた二人は当初の位置と入れ替わるように移動していた。

 ソラは背後にいるおかっぱ頭の少女をかばうかのように立っていた。その蒼い瞳が五分刈りの少年を鋭く見据えていた。


「キミは誇り高き戦士の一族なんだろう。なのに、無抵抗な女の子を怯えさせるのが戦士のすることなのか? 恥を知れ」


 静かに語りかけるように言うその姿は、とても八歳の少女とは思えない迫力があった。マーガレットには、ソラが少年よりも大きく見えた。

 同じことを感じたらしい五分刈りの少年がたじろいでいたが、そんな自分を恥じたかのように、さっと顔を赤くすると、再び怒りの表情を浮かべた。

 どうやら、もともと低かった沸点を完全に超えたらしい。目が完全に据わっている。

 あまり役には立てないだろうが、自分もソラのもとへと駆けつけようと、マーガレットが足を踏み出しかけたときだった。


「――そこまでにしとけ。みっともない」


 と、ある男子生徒が制止の声をあげたのだった。






 五分刈りの少年と睨みあっていたソラは、突然聞こえてきた声の方へと視線を向けた。

 その声の主は、ソラと同じようにクラスから浮いていた緋色の髪の少年であった。

 これまで、我関せずと窓際の席で身じろぎもせず座っていたはずの少年が、いつのまにか、教室の扉にもたれるようにして、こちらを静かに見ていた。

 正面から改めてその顔を眺めてみると、やはり、なかなかの美少年である。ただ、たいていの子供にある可愛げのようなものは微塵もなく、どこか大人びた表情をしていた。

 緋色の髪の少年は、ソラに一瞬だけ目を向けたが、すぐに五分刈りの少年へと移し、うっとうしいとでも言わんばかりに形のいい眉根を寄せた。


「さっきからギャンギャンうるせえんだよ。でかい図体しておいて、女みたいに騒いでんじゃねえ」


 先ほどの五分刈りの少年の言葉を当てこすったような台詞であった。

 それに気づいたのか、五分刈りの少年が今度は緋色の髪の少年を睨む。

 周囲の緊迫度がさらに上がった気がした。

 このままでは確実にケンカへと発展してしまう、とソラが思ったときであった。


「――いや~、すいませんねえ。昨日から腹を下していまして、ちょっとトイレが長引いちゃいました。やっぱり、入学式の司会を任せられたことによるプレッシャーが原因なんですかねえ」


 と、別に聞きたくもないことをぺらぺらと喋りながら、ようやく担任のレヴィンが戻ってきたのだった。

 レヴィンは廊下を見ると、首を傾げた。


「あれ、どうかしましたか? とりあえず、これからホームルーム始めるんで、みんな教室に戻ってくださいね」


 微妙な雰囲気をまるで気にした様子もなく、レヴィンが促してくる。

 これまで動けないでいた生徒たちが、ホッとした表情で、それぞれ席へと座り始める。

 五分刈りの少年は、溜め込んでいた怒りのやり場を失って、顔を茹でダコのようにして震えていたが、ずかずかと大股で廊下を踏みしめながら、自分のクラスへと戻って行った。

 ソラも、あたふたとお礼を述べるおかっぱの少女に軽く手を振りながら、教室へ入り、元いた席へと戻った。

 隣に座っているマーガレットが小声で聞いてくる。


「お姉さま! お怪我はありませんか!」


「うん。見てたとおりだよ。触れられてもいないから」


 ソラは安心させるように、マーガレットへと笑みを見せた。

 すると、マーガレットは潤んだ目でソラを見つめていたのだった。


「先ほどのお姉さまは、いつか私を助けてくださったときのように、凛々しくて素敵でした。もう、お姉さまの虜になりそうです」


 いや、別に虜にならなくてもいいからっ、とソラは身を引く。

 そこに、レヴィンの声が聞こえてきた。


「では、まず自己紹介してもらいますね。それから、今後の連絡事項を確認してから、今日は解散です。――じゃあ、廊下側の人からお願いしようかな」


 レヴィンに従って、生徒たちが順々に自己紹介し始める。

 ソラはマーガレットの攻勢を凌ぐことができて、ホッとしながらも、ふと視線を感じた。

 生徒たちが名前や出身地などを紹介しているのを聞きながら、教室内を窺ってみた。

 最前列に座っているグレイシアが冷ややかにソラを見ていて、取り巻きの少女たちがひそひそとなにやら話している。

 ほかにも、自己紹介している生徒そっちのけで、ソラのことをちらちらと見ている生徒が何人かいるようだ。

 隣には、いまだに熱い眼差しをソラに注いでいる少女。

 ソラは今日何度目かのため息をつきたい気分になる。

 しょっぱなから目立ってしまったらしい上に、朝から騒々しいというか、とにかく内容の濃い日であったからだ。


(……ああ。早く家に帰って、トリスの笑顔を見て癒されたい!)


 と、ソラは可愛い弟の笑顔を想像しながら、現実逃避したくなるのだった。

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