入学式④
エルシオン魔導学校の講堂では、新一年生の学年主任であるレヴィンの司会で粛々と入学式が進められていた。
先ほど職員室で会ったときとは違い、落ち着きはらった態度で滑らかに仕事をこなす姿を見て、ソラは密かに感心していた。とても大事な挨拶の文章を忘れてきて、大慌てしていた人間と同一人物とは思えない。
ソラは、新入生たちがクラスごとに整然と並んでいる列の中間ほどに座っていた。
首をわずかに動かして講堂の中を観察してみる。
ソラがイメージしていたよりも、壮麗なつくりとなっていた。まるでコンサートホールのようである。実際にそういう用途もあるのかもしれない。
広大な講堂の前方に新入生たちが、後方に保護者たちがそれぞれ椅子に腰掛けているという、おなじみの配置であった。壁際には十数人の教師一同が並んで座っていて、総勢で千人以上は軽くいそうである。生徒だけでも五百人近くいるので当然だろうが。
ソラたち新入生の前には一段高くなっている舞台があり、その端に巨漢のグリフィス校長が静かに座っていた。
ふと、ソラは隣に視線を向けた。
そこには、両手を膝の上に置いて、緊張したように舞台を見つめている男の子が座っていた。
男の子の姿を見てソラは思わず微笑む。
前世での小学生の入学式のとき、自分がどんな気持ちだったのかはもう思い出せないが、こんな風に緊張していたのかもしれない。
レヴィン教師の声を聞きながら、ソラは思わず出そうになったあくびをこらえた。
時間が経つにつれて、少々肌寒かった気温が上がってきており、春らしく過ごしやすい陽気となりつつある。窓から差し込む穏やかな光といい、眠気を刺激されるのであった。
ソラがうとうととまどろみ始めていると。
「――では、続きまして、新入生代表挨拶。ソラ・エーデルベルグさん」
レヴィンが自分を呼ぶ声が聞こえてきて、ソラははっと覚醒した。
今まで眠そうに座っていたが、なにくわぬ顔で一礼して立ち上がる。
講堂中の視線が集まるのを感じながらも、ソラは生徒たちが座る列から抜け出し、ローブの裾をはためかせながら、舞台まで歩いていった。
レヴィンは、列の真ん中に空けられている通路を、ゆったりと舞台へ向かって歩いている白髪の少女を見ながら、内心で感嘆の吐息を漏らしていた。
(単純に歩くという行為が、あそこまできれいだと感じたのは初めてかもしれませんねえ)
ソラは何気なく歩いているように見えるが、どこか美しさを感じさせるのであった。
そう見える理由は、正しい姿勢と歩き方がきちんとできているからだろう。意外とこれらができている人間は少ない。
ソラの歩く姿を、横から見れば一目瞭然である。
少女の頭から腰、そして踵までが見事なくらいに一直線であった。ゆえに、頭や身体が全くぶれない。おそらく、頭の上に本をのせてみても、揺れることさえないだろう。
そして、歩き方においては独特な技法を使用しているように見えた。ほとんど膝を曲げていない静かな歩行にもかかわらず、踵を高く上げて力強く床を蹴っている。だから、前への体重移動を滑らかに行うことができ、肩によけいな力を入れずとも、自然と腕を振ることもできるのだ。
正しい姿勢と歩き方ができるというのは、つまり、無駄なエネルギーを消費しないということだ。筋肉や骨への負担も少なくてすむだろう。
(そういえば、ソラ君が東方武術の修練をしているという話を聞いたような)
ならば、あの姿勢の良さも納得である。
東方武術に限った話ではないが、武術の基本は、いかに己の身体を効率よく動かすことからはじまるのだから。
いつのまにか、講堂のあちこちから、かすかにレヴィンと同じ種類の吐息をはく音が聞こえていた。
それも無理のないことだろうとレヴィンは思った。
優雅で美しい歩行に加えて、その妖精のような容姿は、まるでいっぷくの絵画のごとくさまになっている。
(それにしても、今年は人が多いですねえ。やっぱりソラ君を見に来たんでしょうね)
レヴィンは講堂の最後方に設置されている一般観客席を眺める。
学校の許可を取れば、一般の人間でも入学式を観覧することが許されるのだ。ほとんどが魔導関係の人間だが。
今年はあきらかに例年以上の人数だ。レヴィンはここまでぎっしりと席が埋まっている光景を、かつて見たことがなかった。
公の場所にほとんど姿を表すことはなく、しかし、その容姿端麗さと神童ぶりが漏れ聞こえてくるエーデルベルグ家の姫。神秘のベールに包まれた姿を一目見ようと、学校の事務には入学式観覧の応募が殺到したらしい。
(まあ、それだけではないのでしょうが……)
なんといっても、今年度の新入生の中には、ソラ以外にも、<至高の五家>の子息が二人も入ってくるのだ。同時に三人も入学するというのは、ここ数十年にはなかったことだ。
レヴィンが視線を戻すと、ソラは周囲のざわめきなど意に介した様子もなく、舞台への短い階段を登っている最中だった。
グリフィス校長が待つ壇上まで辿り着いたソラは、ゆっくりと礼をしてから、挨拶を口にする。
「新入生を代表して、一言、ご挨拶を申し上げます。本日は、私たち新入生のために、このような立派な入学式を行っていただき、ありがとうございます。伝統あるエルシオン魔導学校へと入学することに喜びと誇りを感じると同時に、魔導学校の一員としてけして恥じることのないよう――」
滔々と口上を述べるソラ。
これもまた東方武術の恩恵なのか、そんなに大きな声ではないのに、講堂中によく響いた。特殊な呼吸法でも使用しているのかもしれない。
耳に心地よく響く透き通った声音はいつまでも聞いていたいくらいである。
それにしても、アドリブで考えたとは思えない口上であった。はっきり言って自分が考えた挨拶よりもいい。
ある意味、忘れてきて正解だったかもしれませんねえ、とレヴィンが思っていると。
「先生方はじめ保護者の皆様、来賓の皆様、これからお世話になることと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。――新入生代表、ソラ・エーデルベルグ」
ソラの挨拶が終了した。
(おっと、聞き惚れている場合ではありませんね。仕事をしないと)
レヴィンは、最後の一礼をしているソラを見ながら、頭に叩き込んだ司会進行の予定表を脳裏に思い浮かべるのだった。
ソラは挨拶を終えて、心の中でひとつ息を吐いた。
これで、とりあえずは自分の役目は終了である。
最後にグリフィス校長に向かって一礼して顔をあげると、校長はほんの一瞬だけぱちりと片目を閉じて、目配せをした。
まるで、『よくやった』とでも言っているかのように。
ソラは校長に向かってかすかに微笑んでみせてから、くるりと身体の向きを変えて、壇上から降りはじめた。
どうやら、校長は満足してくれたらしいので、ソラは安堵した。
とはいえ、ソラからしてみればたいしたことをしたつもりはない。
校長やレヴィンなど事情を知る人間からすれば、短時間のうちに自分で文章を考えたと思っているのだろうが、これにはちょっとしたカラクリがあるのだった。
ソラの頭の中には、ちょうど都合のいい挨拶の原案がすでに入っていたのだから。
実は、ソラは前世の高校入学のときにも、同じように新入生代表を務めたことがあるのである。そのときの挨拶の文言を流用しただけなのだった。
なので、ソラは焦りを見せることもなく、泰然自若としていたのだ。元々知っていた文章に多少のアレンジを加えるくらいでよかったのだから。
何事も経験というものは身を助けるもんだ、と思いながらソラが階段を降り、前方に視線を向ける。すると、保護者席の最前列に座っている家族たちが見えた。
両親に妹のマリナ、そして、いつの間に到着していたのか、祖父のウィリアムが座っていた。
家族たちは、ソラの視線が自分たちに向いていることが分かったらしく、それぞれの反応を見せた。
母のマリアは両手を合わせて、小さく拍手しているようなポーズを取っていた。『さすがは、ソラちゃんだわ!』という声でも聞こえてきそうであった。
隣に座っている父のトーマスは、安堵のあまり力が抜けたらしく、やや椅子にもたれるように座っていて、それどころではないようだった。ある意味父らしい反応である。
マリナがにこにこと手を振っている横で、祖父は腕を組んで、重々しく頷いていた。
家族たちも、ソラが無事に大任を果たせて喜んでいるようである。
ソラが中央通路を歩きながら、かすかに笑みをつくって家族の反応を眺めていると、
(……ん?)
ほんのわずかな魔力の波を、ソラの感覚が感知したのだった。
ソラは平常通りに歩きながらも、魔力を感じ取った方向に目だけを向ける。
ソラから見て、左斜め前方。新入生たちが並んで座っているあたりからであった。
そのとき、ひとりの女の子の姿がソラの目にとまった。
(あの子、か……?)
おそらく間違いない。あの女の子から魔力の波が発せられている。
ソラと同じく、真新しい制服とローブを着た女の子は、何事もないように壇上を見ている。
だが。
(…………!)
女の子の足元から、突然魔導が放たれたのを、ソラは確かに感じ取った。
その魔導は、緊張して座っている新入生たちの足元を目立たないように、しかし、高速で中央通路――ソラが歩いている方へと突き進んできた。
このままでは、ソラに衝突することは間違いない。
「…………」
ソラは慌てることなく、若干歩くペースを速めた。
同時に、ソラはローブの腰のあたりを後ろ手に押さえた。
すると、ソラの背後の床で、タイミングを外された魔導が弾け、微風とも呼べないようほどかすかな風が発生した。
ソラのセミショートの髪とローブの裾が少しだけ揺れる。
近くに座っていた新入生の数名が不思議そうに通路を眺めていた。講堂のど真ん中で、突然風が発生したのだから。もっとも、勘違いかもしれないと思えるほどの、小風であったが。
あの女の子が発動した時点で、ソラには魔導の正体が分かっていた。
女の子が使用したのは、<風衝弾>と呼ばれる魔導である。
<風>属性の初級魔導で、風で構成された球体を発射する。そのまま弾丸のごとく目標にぶつけてもよし、または制御を手放すことで、周辺に烈風を弾けさせたりすることもできる。
女の子の<風衝弾>はソラの足元で弾けるように制御されていた。
当初は、弾けた風によって、ローブとスカートがおもいきりなびくことになるのだろうと予想していたのだ。そんなことになれば、かなり恥ずかしい思いをすることは必至である。
なので、念のために、ソラは通り過ぎた後も、ローブを後ろからスカートごと手で押さえていたのだが……。
(けっこう、危なかったかも……)
ソラは惨事を未然に防げたのでほっとした。
女の子が発した魔導は、殺傷力こそ皆無だったものの、思っていた以上に凶悪なものだったのだ。
本来は、弾けて周囲に風を撒き散らすところを、巧妙なアレンジが施されていたのだ。
弾けた後に、上方に巻き上がるようになっていたのである。
つまり、あのままソラの足元で魔導が弾けていれば、巻き上げられた風によって、スカートが派手にまくれ上がり、多くの人間の前でパンツを丸出しにするという醜態をさらすことになっていたのである。スカートがなびくとかいったレベルではない。
ソラはそっと講堂の様子を窺ってみるが、誰も気づいた様子はなかった。
おそらくソラ以外に魔導が行使されたことに気づいた人間はいないだろう。それほど、極小かつ、魔力の波動を最小限に抑えていた魔導だったのだ。あの年にしてはたいした技量といえる。
近くにいた、まだ未熟な新入生たちはもちろん、距離があった大人の魔導士たちも感知できなかったろう。その手の気配に敏感なソラだからこそ、事前に察知して対処することができたのだ。
ソラはそのまま何事もなかったかのように、自分の椅子へと戻った。レヴィンが式を進める声が聞こえてくる。
ソラが前へ目を向けると、例の少女の後ろ頭が、新入生たちの間からわずかに見えていた。
先ほどの魔導は、とてもイタズラではすまない悪質な行為と言ってもいいものなのだが、なぜかソラは腹が立たなかった。
ひとつには、己の三分の一ほどしか生きていない少女だということもある。本気で怒るのも大人気ない気がする。
(それに……)
ソラは、少女の脇を通り過ぎるときに見えた横顔を思い出した。
いかにも気位の高そうな、つんとすましていた横顔。そして、どこか必死さを宿している真摯な瞳が目に焼きついていた。
だからか、どういった意図で少女があんなことをしたのかは知る由もないが、ソラには怒りの感情がどうしても湧いてこないのであった。
ソラが少女の後ろ頭を見つめている間にも、式はつつがなく進められていた。
髪を後ろに流した、貴族のように高慢そうな中年男性が保護者代表挨拶をしている。
ソラが再び眠気を催したきた頃に、ようやく終わりが見えてきた。
(……やっと終わりか。二時間もの間、ずっと座っているのも退屈でしょうがないよ、ホント)
ソラは立ち上がって、腕と背筋をおもいきり伸ばしたいのをこらえるのだった。
※※※
その後、入学式は無事に終了した。
ソラたち新入生は担任の誘導で教室へと移動を開始していた。これから、教室でホ-ムル-ムである。保護者たちは、講堂に残って懇談会を兼ねた保護者会らしい。
ソラはしばらく校舎の中を歩いた後、プレートに一年一組と書かれている部屋へと入った。ここが今日から自分が通うことになる教室である。
教室は想像していたよりも広く、天井も高かった。テレビでしか見たことはないが、大学の講義室に似ているのかもしれない。長方形をした教室の前方に教壇と黒板があり、三列に並べられた三人掛けの長机が、階段状に教室の後方へと向かって連なっていた。
「じゃあ、これからしばし休憩にしますね~。トイレなども今のうちに行っておいてくださいね。休憩の後にホームルームを始めますから。それから、席は好きなところに座っていいですからね」
レヴィンがのんきな口調で言った。
そう、彼がソラたち一組の担任なのである。学年主任と兼任しているらしい。
レヴィンは教室内をぐるりと見回して、生徒たちが今の台詞を聞いていたことを確認すると、自分もトイレか何かの用だかで教室を出ていった。
生徒たちは、それぞれ自分が座る席を見繕ったり、顔見知りらしい数人が集まって談笑したり、教室を出て行ったりと、めいめいの行動をとる。
とはいえ、まだ初対面の人間が多いので、教室内はわりかし静かなものである。お互いを意識しているのが見え見えだが、すぐに話しかけるような勇気はまだ出てこないだろう。初めはこんなものである。
ソラも教室内をあれこれと観察してから、ちょうど真ん中ほどの席に座った。ソラは映画館など、決まって真ん中に座るのである。
ソラは筆記用具が入った薄い鞄を足元に置いた。今日は入学式なので手持ちの道具といえばこれくらいである。今日、帰るときに配布される教科書などは、キースやスベンが馬車に積み込んでくれることになっているので、この鞄でも問題はない。
ソラはなんともなしに黒板を眺めていたが、ふと教室内の視線が自分に注がれているのに気づいた。
ソラが視線を感じる方へと顔を向けるが、自分を見ていたらしい生徒は、さっと顔を逸らしてしまう。その後もあちこち見てみるが、同じように皆顔を逸らしてしまう。
(なんなんだ……。やっぱり、この白い髪が目立つんだろうか)
ソラは訝しげに、頬にかかっていた己の髪をつまんでみる。
この世界でも、純粋な白髪は珍しいのだと聞いたことはあるので、それなら仕方がないと思わないでもない。
子供というのは、とくに無遠慮なところがあるのだから。
とはいえ、教室内をよくよく見てみると、自分がかなり浮いているらしいことに気づくのであった。ソラが座っている真ん中付近は、ぽっかりと穴が開いているかのごとく人がいない。
やっぱり、近寄りがたいのかなあ、とソラは息をひとつ吐いた。
母親が言うような友達百人はともかくとしても、気軽に話せる人間が何人かは欲しいところである。でないと、いくらなんでも学校生活が寂しすぎる。
と、そこで、ソラはもうひとり明らかに浮いている生徒を見つけた。
その生徒は窓際に座っていて、腕を組んで静かに目を閉じていた。オレンジに近い赤――緋色の短髪を逆立たせた少年で、その整った横顔を見るに、かなりの美少年のようである。だが、同時に子供とは思えない貫禄を備えていて、近寄りがたい雰囲気を発散していたのだった。
こういった孤高を気取る生徒というのは、どのクラスにもひとりはいるものである。
ソラはその少年を見ながら、お互いに頑張ろうじゃないか、と心の中でエールを送った。彼とてまだ一年生なのだ。内心では友人が欲しいはずである。
さて、人間関係は最初が肝要である。何か共通の話題でもあればいいのだが、とソラが考え込んでいると、すぐ近くに誰かの気配を感じたのだった。
ソラが顔をあげて、そちらを見ると、ひとりの少女が立っていた。
少女はソラのことをじっと見ながら話しかけてくる。
「隣の席に座ってもいいですか?」
「どうぞ」
ソラが応じると、少女はにこりと笑って、ソラの隣へとスカートを押さえながら丁寧に座った。
少女はソラへと向き直ると、自己紹介してきた。
「私の名前は、マーガレット・サーディンといいます。よろしくお願いしますね、ソラ・エーデルベルグさん」
「……え。どうして、私の名前を……」
少女は口を手で押さえて、おかしそうに笑った。
「どうしてもなにも、先ほど新入生代表で名前を呼ばれていたじゃありませんか」
「あ」
なんとも間抜けな質問をしてしまったと、ソラは頬を赤く染めた。
こほん、とソラはわざとらしく咳払いをしてから、改めてマーガレットと名乗った少女を見た。
広めの額が実にチャーミングな、可愛らしい顔立ちをした少女である。ポニーテール状にした赤茶の豊かな髪を背中へと垂らしており、頭頂部にはヘアバンドをつけていた。大きな目をくりくりと動してソラを見つめている様は、いかにも好奇心旺盛な性格を現していた。
マ-ガレットがソラを見つめる。
「ふふ。それにソラさんは有名人ですからね。少なくとも、魔導に関わる人間なら知っていますよ」
「え……」
なんだ、それは……と、ソラは若干動揺した。こちらの世界ではまだ目立つようなことはしていないはずである。
「ソラさんはかのエーデルベルグ家のご令嬢ですし、注目されて当然ですよ。……それに、幼い頃から天才ぶりを発揮していらしたと有名でしたからね」
「そ、そうなんだ」
はっきり言って、ソラには初耳である。これまで、屋敷の中だけの狭い世界でしか生きていなかったので、自分が周りからどういう風に見られているのかなど考えもしなかったのだ。
(……むう。三歳くらいから、本を読み漁ったり、魔導を発動してみたりと調子に乗ったのが悪かったのかもしれないな)
今更悔やんでも、致し方のないことなのだが。
生徒たちが盗み見ていたのも、それが原因だったのかもしれない、とソラは思った。
あれこれ多くの本を読んで、知識を溜め込んではいたものの、どうやら自分はかなり世間ずれしていたらしいと反省する。
ここで、マーガレットはなにやら熱い目でソラを見つめてきた。
「それに、天使のごとく可憐な方だとも評判でしたから。皆、一目見ようと待ちわびていたんです。もちろん、私もそのひとりです。実際に間近で見てみると、噂以上に可愛らしい方だったので感動しています」
「は、はあ」
ソラは曖昧に返答する。そんなことを言われても、どう反応していいのか困るのである。少々、大袈裟な気もする。
マーガレットはソラの腰の辺りに視線を向けた。
「……ところで、ソラさん。一度、立ってもらえませんか?」
「あ、うん」
ソラは言われたとおりに腰を浮かす。
すると、マーガレットは「失礼します」と言って、ソラのスカートに手を添えた。
「きちんとスカートをたたんでから座らないと、しわになってしまいますよ?」
マ-ガレットがしわを丁寧に伸ばしながら、忠告してくれた。
ソラはその作業を見ながら、母やメイドたちが注意しなさいと言っていたのを、今更ながらに思い出した。
普段からスカートをはいて行動する習慣がないので、すっかり忘れていたのである。
「はい。これで綺麗になりました」
「ありがとう。マーガレット」
ソラは素直に礼を言う。
それに対して、マーガレットはなぜかぷるぷると身体を震わせたかと思うと、突然ソラの手を握りしめた。
「ソラさん。私の事はメグとお呼びください。親しい者は、皆そう呼ぶんです。それと、これからソラさんのことをお姉さまと呼んでもいいですか?」
「お、お姉さま? ま、まあ、別にいいけど……」
同級生なのに、なぜにお姉さま? とソラは疑問に思いつつも、積極的に迫ってくるマーガレットにあらがえずに、首を縦にふるのだった。
するとマーガレットは、隣の長机から顔を赤くしてソラたちを見ていた男子生徒に気づくと、瞬時に怖い顔になり、きっと鋭い瞳で睨みつけたのだった。
男子生徒は慌てて視線を逸らす。
「……まったく、男子なんかに見られたら、お姉さまが汚れます」
「…………」
ソラは一瞬沈黙したのちに話しかけた。
「あの、メグ……」
「何ですか? お姉さま」
マーガレットは男子生徒に見せた恐ろしい顔とは打って変わって、慈愛の表情でソラを見つめた。
ソラはおそるおそる尋ねた。
「もしかして……メグって、男子が嫌いなの?」
「嫌いもなにも、この世から消えていなくなればと思っているほどです」
マーガレットは真面目な顔で即答した。
「ど、どうして、また……」
マーガレットはまるでソラに言い聞かせるかのように、説明をはじめる。
「理由なら、無数にあります。いいですか? ――男なんていうのは、馬鹿で、臭くて、小汚くて、野蛮でいい加減で雑でスケベで虫けらで……」
途中から、ぶつぶつと無表情で呟き続けるマーガレット。
どうでもいいが、目の前で呪詛のごとく呟くのはやめてもらいたい、とソラは腰が引けそうになる。はっきり言って、滅茶苦茶怖い。
先ほど睨まれた男子生徒が、マーガレットの異様な雰囲気に怯え、そそくさと席を立った。できるならば、ソラもそれに続きたいくらいである。
孤立気味だったソラに話しかけてきてくれて感謝していたのが遠い過去のようであった。
初めは礼儀正しく、明るい少女だと思っていたが、一癖も二癖もありそうな人物だったのである。
(もし、万が一、中身が男だと知られれば、殺されるんじゃないだろうか……)
と、ソラは顔を引きつらせながら、半ば本気でそう思うのだった。