入学式③
ソラを乗せた馬車はようやく魔導学校の校門前へと到着していた。
馬車が停止した振動を感じ取って、ソラは閉じていた目をゆっくりと開く。
朝から妹を追い回したり、キザな騎士が来訪したりと、エネルギーを無駄に消耗していたので、ソラは学校へ到着するまで、少しの間仮眠していたのであった。
馬車の窓からソラが外を覗いてみると、多くの花びらが優美に舞っており、その向こうに灰色の校舎が見えた。まさに、入学式にふさわしい光景である。
校舎の隣には縦長の細い時計台が突き出ている赤レンガの大きな建物があった。上部の壁に取り付けられた大きな時計がゆったりと時を刻んでいて、ここからでは見えないが頂上には大きな鐘が設置されているはずであった。高さや規模などはシヴァ教の大鐘楼には及ばないが、古色蒼然とした佇まいは歴史を感じさせた。
その赤レンガの建物は学校の講堂であり、数十分後に始まる入学式もそこで執り行われるのだ。
ソラがしばらく講堂を眺めていると、ふと自分に集まっている視線を感じた。
広々として豪奢な内装をした馬車の内部に座っているほかの者たち――両親にマリナ、そしてアイリーンが微笑ましい顔でソラを見つめていた。執事長のバートンは自らが御者を務めているので、御者台にいる。
母のマリアがにっこりと笑いながら話しかけてきた。
「ここが、今日からソラちゃんが通う学校よ。私やお父様も通ったの。久しぶりに見たけど、懐かしいわねえ。――そういえば、ここは私がトーマスと出会った場所でもあるのだけど……トーマス、覚えてるかしら?」
「もちろんだよ。ひょんなことから初めて会話した瞬間は今でも忘れらないよ。目の前にいる君を見て、こんな綺麗な女の子がいるものなのかと、茫然と見惚れていたのを覚えてるよ」
「うふふ。トーマスったら」
人目もはばからずにイチャつきだす両親。
仲がよろしいのはたいへん結構なことなのだが、こんな場面でイチャつくんじゃない、とソラは呆れた心持ちで両親を眺める。もっとも、こんなことは日常茶飯事なので、ある意味慣れているのだが。
当然、こういうときに両親を諌めるのは、よくできたメイド長であるアイリーンであった。
「おふたりとも、時と場所をわきまえてください。ソラお嬢様の記念すべき日なのですから」
アイリーンの言葉に、なにやら見詰め合っていた両親が照れ笑いを浮かべながら距離を取った。
この両親は娘たちの前でも平気で口付けを交わすのである。結婚して十年近く経っているが、いまだに新婚夫婦さながらのアツアツぶりであった。倦怠期などとは全く無縁そうだった。
「それでは、お嬢様、行きましょうか」
アイリーンが促す。一番手に降りるのは、今回の主役であるソラからということなのだろう。
ソラは頷いて、外へ出ようとドアの取っ手をつかもうとすると、一瞬早く外から開かれたのだった。
そこには、礼儀正しくかしこまっているキースがいた。
どうやら、護衛用に乗っていた馬を素早く繋いで、馬車の扉の前まで馳せ参じたらしい。
それにしても絶妙なタイミングであった。おそらく馬車の中の気配を読んでいたのだろうと思われる。魔導騎士なら造作もないことだろうが。
「どうぞ、姫様」
優雅な仕草で手の平を差し出してくるキース。
これが普通の女の子なら、頬を染めておずおずと手を取るところなのだろうが、あいにくとソラは元男である。また、現在も男としての尊厳をこれっぽっちも捨て去っているつもりはないので、とくに何かしらの感慨もなくキースの手を取った。
「ありがとう」
ソラは、姫様と呼ぶのはやめてくれないかなあ、と内心で思いつつも礼を言う。
思ったよりもごつごつとしているキースの手を借りながら、安全に降りられるように設置されているタラップに足を乗せてから、地面へと降り立った。
本来その役目を担うはずだったバートンが苦笑した様子で、馬車の脇に控えていた。
馬車の後方では、真面目なスベンが辺りを警戒しており、護衛としての任務を全うしていた。キースにも見習ってほしいくらいである。
ソラは校門辺りを見渡してみた。入学式の開始までは時間がまだあるので、ほかの生徒や保護者の姿はちらほらとしか見受けられなった。
母親たちもソラの後からぞろぞろと降りてきた。
「お友達が百人できるといいわね~」
と、マリアがソラの肩に手を置きながら言う。
そんな小学生みたいな目標を言われても、とソラは思う。
魔導の学校に通うこと自体は楽しみではある。だが、年齢が一桁の子供たちとどんな会話をすればいいのやら……と、多少の不安もあるのだった。
今までソラが接してきた、屋敷にいる家族や使用人などは、ほとんどが十代半ば以上の人間である。妹のマリナは精神的にはとっくに成人しており、唯一の例外は弟のトリスだけであった。これまで、同世代の人間と会話したことはほとんどないのである。
そもそもソラは屋敷から出ることはあまりなかったのだ。というよりも、出る必要がなかったというべきか。ほとんどの物は屋敷の中で手に入り、また、エーデルベルグ家の敷地はとかく広大で、本格的な散歩もできるうえ、大きな池に小川なども流れており、閉塞感は微塵も感じないのだから。
家を出るとしても、たまに家族と劇の鑑賞や外食に出るくらいで、あとは国立図書館に本や資料を借りに行く程度であった。
とはいえ、ソラはこのまま深窓の令嬢のごとき生活を続けるつもりはない。まだ、マリナにしか打ち明けていないが、いずれは冒険者資格を取得して、世界へと打って(?)出るのだ。今はそのための準備期間なのである。
せっかくファンタジーな世界へと転生したのだから、あちこちへと赴いて、あれこれと堪能しなければ損というものだろう、とソラは密かな野望を持っているのだった。今から家族を説得することを考えると、正直頭が痛いが。
「ソラはこれから職員室に行って、打ち合わせするんだっけ?」
懐かしそうに学校の敷地を覗き込んでいたトーマスが、ソラに話しかけてきた。
「はい。新入生代表挨拶の文章を覚えなければなりませんから」
ソラが頷きながら答える。
エーデルベルグ家の面々が早めに登校したのはこれが理由であった。エルシオン魔導学校の新入生代表にソラが選ばれたからである。
「さすがは、ソラお嬢様ですな」
バートンが感心したように目を細め、その隣ではアイリーンも、「お嬢様なら当然でしょう」と頷いていた。
新入生代表は主席で入学した生徒が行うことになっているので、二人はそのことを言っているのであろう。
ソラからすれば大人気ないことをした心持ちなので、素直には喜べないのだが。
「私たちもソラちゃんについていって、先生方にご挨拶した方がいいかしら?」
「入学式が終了した後に、保護者と教員の方々による懇談会が行われますから、その場でご挨拶なさればよいかと」
「それもそうね」
マリアとアイリーンが会話をしていると、マリナが手をあげた。
「まだ時間があるなら、学校の敷地を見てみたいかも」
「そうだね。来年はマリナもここに通うことになるからね。今のうちに少し見て回ろうか」
トーマスがマリナの意見に賛成した。
ここで、ソラは職員室へと行き、両親とマリナは学校を見学したのちに講堂に向かうこととなった。バートンとアイリーンは、学校の近くに併設されている馬車を停めるための専用スペースにて待機する。
「それでは、私は講堂でソラお嬢様のご勇姿を堪能させてもらいましょう」
と、キースがさりげなく講堂へと歩き出したが、スベンががしっとその肩を掴んだ。
「お前は俺と一緒に馬車で待機だ」
「やれやれ、相変わらず真面目なやつだな。将来、素敵なレディになるかもしれない逸材がたくさんいるかもしれないんだぞ。彼女らを観察しようという雅な考えはないのか?」
「お前が幼女趣味だったとはな」
「何度言えば分かるんだ。女性の美しさに年齢は――」
「いいから、つべこべ言わずに来いっ」
移動を開始した馬車を追うようにして歩き出したスベンがキースを引きずっていったのだった。
漫才のごときのやり取りをしながら去っていく二人を生暖かく見送ってから、ソラたちは校門近くに設置されていた受付でチェックを済ませた。
ソラが胸に付けられた白いバラを模したコサージュを見下ろしていると、
「じゃあ、お姉ちゃん。また後でね!」
両親と連れ立って歩き出したマリナがソラに向かって手を振っていた。
ソラは妹に手を振り返して、受付にいた職員に職員室への道筋を聞き、こちらもさっそく向かうことにした。
校舎の一階にある通用口をくぐり、建物の中へと入る。
ソラはきょろきょろともの珍しそうに校舎の中を見渡した。想像していたよりも普通の内装だった。雰囲気といい、前世の学校とそう大差ない。懐かしい気さえするくらいだ。
しばらく廊下を進むと、右手に職員室と書かれているプレートが見えた。
ソラは扉の前まで来ると、一呼吸おいてからノックした。職員室に入るときは微妙に緊張するのであった。
室内から「入りなさい」という声が聞こえてきたので、ソラは扉をノックして入室しようとしたが、
「……?」
すぐ近くに気配を感じたので、ソラは部屋に入るなり横を向いた。
すると、目の前に大きな壁のようなものがあり、ソラはもう少しでぶつかりそうになる。
(何でこんなところに壁が……)
と、急停止したソラが見上げると。
「ようこそ、エルシオン魔導学校へ。ソラ・エーデルベルグ君」
壁の上に生えていた顔が、深いバリトンボイスで喋りかけてきたのだった。
「!」
ソラはぎょっとして、思わず後退りした。
壁だと思っていたのは、人間だったのである。
一歩退いても、見上げるほど長身な男性だった。二メートル近くありそうである。年齢はそろそろ還暦を迎えるかどうかといったところか。がっしりとした立派な体躯に落ち着いた色合いのスーツを着込んでいた。
その老人は年齢のわりには若々しく力強い目でソラを見ていた。これだけ強烈な存在感を放っているのにもかかわらず、不思議と威圧感は感じなかった。
(……さっき感じた妙な気配はこのおじいさんだったのか。これだけ大きな身体をしているのに、わずかな気配しか感じなかったけど、一体何者なんだろうか……)
ソラはやや唖然としたまま老人を見上げていると、巨躯の老人が話しかけてきた。
「すまない。どうやら、驚かせてしまったようだね。私は校長のダグラス・グリフィスという。よろしく」
目の前の老人が魔導学校の校長だと知りソラは目を丸くした。プロレスラー顔負けの体格からして、正直にいって魔導士にはかけらも見えない。歴戦の軍人あがりだとか言われた方が納得できそうである。
咄嗟のことだったとはいえ、失礼な態度をとってしまったので、ソラは少々慌てて礼を返した。
「はじめまして、グリフィス校長。ソラ・エーデルベルグと申します。その、先ほどは大変失礼いたしました」
良家の子女として幼少から叩き込まれた通りに、スカートの裾をつまんで挨拶する。
しかし、グリフィス校長はとくに気にしてはいないようだった。
「いや、構わんよ。私にも非があるからね。それに、そこまで堅苦しい礼をする必要はない。ここは社交場ではなく、たんなる学び舎なのだから」
グリフィス校長は思ったよりも気さくなご老人のようであった。
ソラが再度軽く頭を下げていると、二人の横から新たに誰かが話しかけてきた。
「――お待ちしていましたよ。エーデルベルグさん」
ソラが目を向けると、そこには三十代前半ほどの眼鏡をかけた男性がいた。
柔和な目をしていて、いかにも優しそうな男性であったが、よく見ると髪がやや乱れていた。身だしなみなどにあまり頓着しないタイプなのかもしれない、とソラは思った。
グリフィス校長もその寝癖と思われる乱れを見つけたらしく、コホンと一度咳払いしてから注意した。
「あー、レヴィン君。また、髪が変な方向に逆立っとるよ。とりわけ君は入学式で司会を務める身なんだから。保護者の方々に笑われないように、早急に直すことをお勧めするね」
「ああ! 申し訳ありません、すぐに直します! ――はは。格好悪いところを見せちゃったね。僕は寝癖がつきやすい体質なんですよ」
慌てて、手櫛で髪を整えるレヴィンと呼ばれた男性。
後半の微妙な言い訳のようなものはソラに向かっての説明だったらしく、ソラは「はあ」と生返事を返した。
(――あれ? そういえば、この人……)
よく見ると、ソラはその男性に見覚えがあった。確か入学試験時に面接官のひとりとして座っていたはずだ。
髪を整え終えた男性が手を差し出して、改めて自己紹介した。
「どうも。面接の時に一度会ったのだけど覚えてるかな? 改めて紹介しますね。僕は新一年生の学年主任を務めるレヴィンです。気軽にレヴィン先生と呼んでくださいね」
「よろしくお願いします」
ソラはまだ少し残っているレヴィンの寝癖を視界の端に捉えながら、手を握り返して挨拶した。
「じゃあ、新入生代表挨拶の文章を渡しますから、覚えてくださいね。そんなに長くはないですから、楽勝ですよ」
そう言って、レヴィンは懐をまさぐる。
しかし。
「あ、あれ?」
いくら懐を探しても、ポケットというポケットに手を突っ込んでも、見つからないようであった。
「お、おかしいな。僕が一月もかけて完成させた、渾身の文章が書かれた用紙を確かに今朝入れておいたはずなのに。つ、机かなっ?」
レヴィンは急いで自分の机へと駆け寄った。
机の上に乱雑に置かれていた書類や小物を掻き分けるレヴィン。慌てているため、それらがばらばらと床に落下し、隣の席に座っていた女性教師が眉をひそめていた。
机の上を探しつくし、引き出しを全て開けても、件の用紙は出てこないようだった。
「…………」
茫然と立ち尽くすレヴィン。
さすがのグリフィス校長も呆れたように頭を振った。
「君のことだから、結局家に置き忘れてきたんじゃないのかね? 君は去年もダントツで忘れ物が多かった教師で、これは歴代でも最多記録だったからね」
彼はすでに不名誉でしょうもない記録を樹立しているようであった。
グリフィス校長がやや難しい表情をする。
「――ふう。今から考えるとなると、時間的に少し厳しいが……。さて、どうするか」
「い、急いで考えます! いや、脳みそを限界にまで絞り込んで、なんとか思い出せれば……!」
おもいきり慌てるレヴィンの姿があまりにも憐れだったので、ソラは慰めるように声をかけた。
「あの……。私だったら文章がなくても大丈夫ですから」
「え?」
ぴたりと動きを止めて、呆けたようにソラを見つめるレヴィン。
グリフィス校長が面白そうに目を細めて、ソラに問う。
「今から、君がアドリブで考えるということかね? ただでさえ代表挨拶は緊張するのに」
「はい。……私に任せてもらえるのならば、ですけど」
グリフィス校長はソラの目をじっと見つめて、しばし考え込んでいるようだった。
「校長……」
時間を気にしている様子のレヴィンが校長の判断を尋ねようとすると、グリフィス校長は笑みを浮かべて頷いたのだった。
「分かった。君に全て任せるとしようじゃないか。なに、そこまで難しく考えることはないとも。――よろしく頼む、ソラ君」
「はい。お任せください」
承諾をもらったソラは、こちらも微笑みながら頷いた。
それからソラは、グリフィス校長としきりに謝罪するレヴィンに会釈して職員室を退出した。
廊下をゆっくりと歩きながら、ソラは窓から外の景色を眺めた。何人もの新入生やその保護者の姿らしきものが見える。入学式の開始が近づいているので、徐々に増えてきているようだ。
(さて、どうするかな……)
ソラは挨拶の文言をあれこれ考えながら、新入生の集合場所である中庭に向かうのだった。
白髪の少女が礼儀正しく扉を閉めて退出していく姿を見送るとグリフィスは腕を組んだ。
「……ふむ。入学前の試験の成績から分かっていたことだが……たいした少女だな」
「そうですねえ。筆記、面接はともにパーフェクト。そして、実技においては噂どおり……いえ、それ以上でしたからねえ。加えて、先ほどの突然のハプニングにも全く動じずに対処してみせましたし。いやはや、末恐ろしいとはあの子のことですね」
横に立っていたレヴィンが顎に手をやりながら感心していた。
グリフィスはソラ・エーデルベルグについて知っていることを脳裏に浮かべる。
エレミアでも最高の魔導の名家に生まれついた娘。そして、非の打ち所のない容姿に珍しい無垢な雪のような髪。これだけでも噂を掻き立てるには十分だろう。
まだ幼いということもあるが、彼女は社交界など公の場所にほとんど姿を現さないので、よけい噂になるのである。エーデルベルグ家の人間は口が堅いことでも知られているが、人の口に戸は立てられない。
伝え聞く話によると、才能の方も申し分がなく、わずか三歳で魔導を操ったらしい。真偽のほどは分からないが、試験時の成績を見るにあながち嘘でもなさそうである。ほかにも、物心つくとすぐに読み書きをマスターしただの、難解な学術書を読み漁ったりと、その噂には枚挙にいとまがない。
いずれにしろ、神童と呼ばれるにふさわしい、ずば抜けた才能の持ち主のようであった。
「……しかし、彼女は生まれてから一年ほどは原因不明の病に冒されていたらしいですね」
レヴィンの言葉にグリフィスはわずかに眉をひそめた。
「そうなのかね? 少なくとも今は元気そうだが」
「彼女の父親とは既知の間柄でしてね、数年前に少し話を聞いたことがあるんです。なにやら、突然苦しみだしたり、高熱を発したりしたそうですね。医者に診せても原因が分からず、周りの人間はかなり心配したのだと言っていましたよ。現在は見ての通り何の問題もないそうですけど」
「そうだったのか……」
原因不明の病というのは気になるところではある。因果関係はともかく、真の天才と呼ばれる人間が幼少時に重い病気にかかっていたりする話はたまに聞くが。
「まあ、なんにせよ、ソラ君が一種の傑物なのは間違いないでしょうね。彼女の妹もなかなかの才能の持ち主らしいですし。さすがは<至高の五家>の御令嬢というところですかね」
「……うむ。少し話しただけだが、底の知れん少女だと感じたよ」
ソラ・エーデルベルグという少女はまだ本気を見せていない気がする。それほどの天才なのか、あるいはほかに理由があるのか。
ここで、グリフィスは鼻から息を吐いて、一度身体を弛緩させた。
(いかんな。これも職業病というものか。彼女のような人間に会うと、どうも気になってしまう)
天才だろう何だろうが、己が預かる大事な生徒のひとりには違いない。彼らが悔いのない学校生活を送るためのサポートをするのが、校長たる自分の役目だ。
グリフィスの様子を見ていたらしいレヴィンがにやりと笑みを浮かべた。
「校長が気になるのも無理はないと思いますけどね。先ほどソラ君が入室する際にまた試しましたね?」
「ああ、見ていたのかね? 年寄りのお茶目なイタズラだよ」
グリフィスは毎年、職員室に来る主席の生徒に対して、ちょっとした試しというかイタズラを敢行するのである。
扉の脇に気配を断った状態で待機した後に、突然横合いから声をかけるという、生徒からすればなんとも迷惑なイタズラである。
これまでグリフィスに気づいた生徒は皆無であった。
しかし……。
「ソラ君は部屋に入る前から気づいていみたいですね。無駄に大きな校長の身体には驚いていたみたいですけど」
その失敬なレヴィンの言い方はともかく、あの少女は確かにグリフィスの気配を察知していたのだ。
グリフィスは自然と笑みを浮かべた。
(ふむ。今年はなんとも楽しくなりそうだな)
そんな確信が胸のうちに湧いて出てくる。なんといっても、今年度の新入生の中には、ほかにも、<至高の五家>の子息が入学してくるのだから。
そこで、グリフィスはふと気づいてレヴィンに尋ねてみた。
「そういえば、君が例の文章を忘れたのというのも、案外、ソラ君を試そうと思ったからじゃないのかね?」
すると、レヴィンは頭の後ろに手をやり、困ったように笑った。
「それがさっき思い出したんですが、例の用紙は、前日に用意していた上着のポケットの中にちゃんと入れておいたんです。ただ、今朝遅刻しそうになって慌てていたもので。その上着ではなく、別のものを手にとってしまったみたいなんです。いやあ、うかつでした」
「…………」
能天気に笑うレヴィンを見て、グリフィスは無言でこめかみを押さえるのだった。




