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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
幕間 魔法使いの日常編
23/132

入学式①

 開け放した窓から入ってきた穏やかな風が白いレースのカーテンを揺らしていた。

 まだ朝早い時間帯なので少々肌寒くはあったが、一月前と比べると随分と温かくなっている。日中はちょうど良い気温になりそうだった。

 エレミア国首都エルシオンは短い春を迎えていたのだった。

 ソラ・エーデルベルグがこの世界に転生してから迎える八度目の春である。

 ソラは風に乗って届く、春に咲く花の香りを堪能しながら感慨にふけっていた。

 己が転生してから約八年。思い返してみればあっという間だった気がする。

 突然の事故からはじまり、その後異世界へと転生した。それからは四苦八苦の人生であった。まったく知識のない世界で生きるというのは思った以上に苦労するものだ。しかも、性別までもが変われば尚更である。

 ただ、前世で男として生きた十六年間の半分近くがすでに経過していると考えれば、それなりの時間をこの世界で過ごしているのだと改めて気づかされるのだった。

 短いようで長い。そんな不思議な感覚に捉われるのであった。

 ソラがなんともなしに窓から見える風景を眺めていると、背後から語りかけてくる声があった。


「ソラお嬢様。寒くはありませんか?」


 その声にソラは現実に引き戻される。どうやら自分でも気づかないうちにぼんやりと考え事をしていたようだ。


「うん。大丈夫だよ、ミア」


 ソラは目の前にある鏡に映った、メイド服を着た少女と目を合わせながら答えた。

 そこに映っていた少女は目を細めて微笑すると、作業に戻った。

 現在、ソラは鏡台の前に座ってメイドのひとりに髪を梳いてもらっているのである。

 他人から髪の毛をいじられると心地よく感じる。そのせいで意識が飛んでいたのかもしれないな、とソラは思った。

 ソラはそっと鏡の中の少女を見る。

 ソラの背後に立って髪を梳いている少女は、どこか愉しそうに見えた。

 少女の名前はミア・ハミルトン。ソラ専属のメイドのひとりであった。年齢は十六、七ほどで、綺麗な黒髪を背中に流している。どこかしっとりとした雰囲気をしており、まさに、和風美人という言葉が似合う少女であった。 

 ミアは優しく丁寧にソラの白い髪に櫛を通していたが、ふとこんなことを漏らした。


「それにしても、お嬢様の髪は本当にお綺麗ですよね」


「そ、そうかな?」


「はい。最高級の絹糸でさえこうはいきません。一本一本がきめ細く滑らかで、まるで雪の結晶が髪の形をとっているかのようです」

 

 ミアが櫛を操りながら言う。

 ソラはその大げさな褒め言葉に照れてしまうのだった。


「……ミアの黒い髪もすごく綺麗だと思うけど」


 照れ隠しに思わずそんなことを口走るソラ。

 鏡の中のミアが嬉しそうに微笑んだ。


「……ありがとうございます、お嬢様」


 その笑顔があまりに綺麗だったため、ソラは顔を赤くして固まる。

 ただでさえ、ミアほどの美少女に髪を梳いてもらうという状況だけで気恥ずかしいのだ。なのに、そのような無防備な笑顔まで見せられては、ソラの心の余裕もあっさりと尽きてしまうのであった。

 女の子に生まれ変わって早八年。元男だったソラはいまだに女性とのスキンシップにはなかなか慣れないのであった。

 しばしソラが顔を赤くしていると、ミアの手が止まった。


「――お嬢様、綺麗に整いましたよ」


 どうやら終了したらしい。ソラにとっては安堵するやらがっかりするやらである。


「ありがとう、ミア」


 ソラが礼を言うと、ミアは再び微笑んでから鏡台の引き出しに櫛をしまい、脇に置いてあったきれいにたたまれていた数枚の衣服を抱える。


「では、私は今からお洗濯に行ってきますね。もう少ししたら、使用人がお嬢様を呼びに来るはずですから」


 うなずくソラを見て、ミアが付け加えた。


「今日はソラお嬢様にとって、一生に一度の晴れ舞台です。お嬢様にとって良き一日であることを願っていますね」


 その言葉にソラも自然と笑みを浮かべた。なんだかんだでミアとも長い付き合いだ。緊張も長続きはしない。


「うん。――あ、扉は開けたままでいいから」


 ミアはゆったりと一礼すると、洗濯物を持って部屋を出ていったのだった。

 しばらくミアを見送っていたソラだったが、おもむろに椅子から立ち上がる。

 そして、広大な自分の部屋を見回した。

 部屋には天蓋付きの大きなベッドに、一組の机と椅子。あとはチェストと鏡台が置いてあった。だが、最も目に引くのは部屋の半分近くを占領している本棚であろう。棚の中にはいかにも難解そうな分厚い本から、文庫本程度のサイズの本まであり、ジャンルにしてもありとあらゆる種類の本が揃っているようだった。本好きのソラがあちこちから集めた本たちである。

 初めて見た人間からすれば、とても今年で八歳になる女の子の部屋とは思えないような光景である。

 とはいえ、使われている調度品は派手ではないものの、すべてが超一級の品ばかりで、さすがは名門・エーデルベルグ家の令嬢の部屋といえた。

 チェストの上には唯一女の子らしいものが置いてあった。

 ぬいぐるみである。

 もっとも、ソラが自分で手に入れたものではない。女の子っぽい趣味をほとんど持たないソラのために両親が買い与えてくれたものであった。

 この世界の動物の姿を模したまるっこいぬいぐるみたちが、つぶらなガラスの目でソラを見返していた。

 ソラもはじめはこの広い部屋には落ち着かなかったが、今では慣れてしまった。なんだかんだで、人間とは環境に適応する生き物なのだろう。

 ソラは扉の近くにあった姿見の前へと移動する。少女の全身をいれても、なお相当な余裕がある大きな姿見だった。

 ソラは姿身に映った自分を見つめる。

 そこには、肩ほどまでに切り揃えられた白い髪の少女が映っていた。かなりの美少女だといえるだろう。透き通るような蒼い瞳といい、その顔の造形といい、神秘的な雰囲気さえ漂わせていたのだった。

 次にソラは己が纏っている服を見てみた。

 ベストとスカートの上下、その上から黒いローブを羽織っており、胸元には赤いリボンタイがあった。これで頭にとんがり帽子でもかぶっていれば、立派な魔法少女と呼べるだろう。

 これは魔導学校の制服なのだった。

 そう、今日はソラの魔導学校の入学式なのである。

 ミアが言ったとおり、ソラにとっての晴れ舞台には違いない。前世で何度か経験していてもだ。

 だから、感傷的なことを考えていたのかもしれないと、ソラは心の中で苦笑した。

 ソラは鏡の中から見つめ返している少女の蒼い瞳を見ながら、ぼんやりと考えていた。

 なぜ自分がこのソラという少女に転生したかである。これまで何度も何度も繰り返し考えてきたことだ。

 事故で一度死んだにも関わらず、新たに生を得たことについては運が良かったのだと思う。

 だが、性別が変わったり、ワケの分からない体質のおまけ付きだったりと、何か転生する前より気苦労が増えているのは気のせいではないと思う。

 もしかしたら、自分はそういう星の下に生まれてきているのかもしれない。かなりイヤすぎる星だが。

 まあ、深く考えても詮ないことなのだが。いずれにせよ、自分はソラ・エーデルベルグとしてこの世界で生きていかなくてはならないのだから。


(それにしても……)


 ソラは改めてまじまじと鏡の中に映る少女を見つめた。

 自分で言うのもなんだが、信じられないほど美形な少女である。精巧な人形でさえこうはいくまい。

 これが本当に今の自分なのかと、たまに狐につままれた感覚を覚えるのだ。

 ソラは己の頬を軽くつねってみる。目の前の少女が痛みにすこしだけ顔をしかめる。それでも少女は愛らしかった。

 次にそっと笑みを浮かべてみた。目の前の少女が優しく微笑した。その浮世離れした美しい笑みに思わず見とれてしまう。

 ここでソラははっと我に返った。


(……何をしてるんだ、僕は。これじゃあ、重度のナルシストだろう)


 ソラは羞恥心で顔を赤くして、「ああああ!」と頭を抱える。

 本当に何で自分は女の子に生まれ変わったのだろうか。

 結局はまたもこの命題にぶちあたるソラなのだった。




 ソラが姿見の前で悶絶する少し前、長い廊下を軽やかなステップを刻みながら歩を進める少女がいた。

 名をマリナ・エーデルベルグという。

 リズムカルに揺れるウェーブのかかった金髪に、きらきらした深い色合いをした大きな蒼い瞳から、いかにも活動的な少女だと見てとれた。 

 マリナはよそ行きの可愛らしい服を着ていた。無論、彼女も姉であるソラの入学式に出席するためである。

 本来は使用人のひとりがソラを呼びに行く予定だったが、マリナが立候補して代わりに行くことにしたのだった。


(お姉ちゃんの制服姿か~。楽しみだよね、ホント)


 マリナは、それだけで一般人が一生遊んで暮らせるような豪華なカーペットを踏みしめながら、むふふと笑った。

 ソラが街にある仕立て屋で制服を試着するときには、マリナは運悪く立ち会うことができなかったのである。

 今の時点でソラの制服姿を拝めることができたのは、母のマリアにミアをはじめとしたメイド数人だけだろう。

 なので、マリナは早く姉の制服姿を見るために、自ら呼びに行く役目を買って出たのである。

 ソラは普段から女の子っぽい服装はもちろん、スカートを履くことも滅多にない。ともかく、恥ずかしがって着ようとしないのだ。娘にかわいい服を着せたくて仕方がないマリアとソラとの間に、これまでどれほどの攻防が繰り広げられたことか。

 とはいえ、これからはほとんど毎日のように姉の制服姿を見られるだろう。まことに楽しみで仕方がないマリナであった。

 マリナが姉の部屋の近くまで来ると、扉が半開きになっているのが見えた。

 それを見たマリナはいたずらっぽい顔をすると、極力気配を消して近づき、そっと姉の部屋の中を覗き込んだ。

 まず部屋の奥に鎮座している本棚たちが見えた。相変わらずぎっしりと本が詰まっている。そこまで本を読む趣味を持たないマリナからすれば理解しがたいほどの量であった。

 やはり何度も見ても殺風景な部屋だね、とマリナは思った。基本的にソラは派手な装飾などは好まない。

 小さな女の子の部屋というよりも、まるでどこかの学者の部屋のようであった。

 視線を下げたマリナは扉の近くにお目当ての人物の姿を発見した。

 なにやら姿見の前に立って、ぼんやりと考え込んでいるようだった。

 姉はたまにこのような姿を見せるのだ。

 性別が変わることなく転生したマリナには想像することしかできないが、やはりそう簡単に割り切れることではないのだろうと思う。もう八年近く経ったとしてもだ。

 当初、ソラは風呂やトイレに行くだけでけっこうな精神力を消耗していたらしい。母やメイドたちと入浴した後などは、真っ赤になってふらふらと出てきていたほどだった。

 ただ、これからどんどん女の子らしい身体へと成長していくだろうし、超えなければならない壁がいくつも出てくるだろう。姉の苦悩が尽きることはなさそうだった。

 姉もいつかははっきりと己の進む道を決めなければならない時が確実に来るのだ。


(まあ、私はお姉ちゃんがどんな人生を歩むにしても、応援していくだけだけどね)


 マリナとて姉には幸せになって欲しいと思っているのだから。

 しばらくマリナがソラの横顔を見つめていると、唐突に姉は自分の頬をつねりはじめた。そして、そのままじっと鏡の中の自分に見入っていた。

 マリナは思わず噴き出しそうになるのをなんとかこらえる。姉のこのようなコミカルな姿はそうそう見られるものではない。

 次に、姉は唇の端を上げて微笑んで見せた。力の抜けたその無邪気な笑顔はたいへん可愛らしかった。これもまたマリナの脳のメモリーに生涯刻みつけられることは間違いないであろう光景だった。 

 すると、突然姉は顔を赤くして、頭を抱えはじめたのだった。

 姉の悶絶する声が聞こえてくる。

 なんとなく、姉の心の内が想像できるマリナであった。


(さて……そろそろ、頃合かな)


 見ている分には飽きないソラのひとり芝居であるが、残念なことに時間がないのだ。せっかくの晴れ舞台に遅刻させるわけにはいかない。

 扉の脇に潜んでいたマリナは、そっと姉の部屋へと踏み込んだ。


「なに、鏡の前で面白いことしてるの、お姉ちゃん?」


「わあっ!?」


 いきなり妹が姿を見せたことで、思いっきり驚くソラ。

 姿見の前で硬直して、茫然とマリナの方を見ていた。


「い、いつから、そこに……?」


「ん~と。お姉ちゃんが百面相をしだす少し前くらいから」


「ちょっと!? 何ですぐに声をかけないんだよっ!!」


 ソラが顔を真っ赤にして、マリナに詰め寄る。

 マリナは「にゃはは」と笑いながら、


「いや、だって、すごく面白かったんだもん」


 その返答にソラはがくっと肩を落としたのだった。


「……まさか、今のを誰かに見られてたなんて……」


 どうやら、姉の黒歴史のひとつになったようだった。


「まあ、ある意味、見られたのが私で良かったじゃない。それより……」


 マリナは姉が着ていた制服に視線を向ける。

 赤いリボンがついたブラウスの上に灰色のベストを着込んでおり、紺色のチェック柄のスカートをはいていた。足元には艶のある黒のローファー。一見してどこかの女子高生のごとき姿であったが、魔導学校の紋章が入った黒いローブが、ただの学校でないことを主張していた。


「へえ、けっこう可愛い制服だね。私も来年には着ることになるから、今から楽しみかも」


 マリナが無造作にソラのスカートの端を持ち上げる。

 ハイソックスに包まれたソラの足の付け根付近までスカートがめくれ、真っ白な太ももがあらわになった。


「……ちょっ!! マリナっ!?」


 ソラが頬を染めて、慌ててスカートの前を押さえた。

 期待通りのリアクションが見ることができて、マリナは大いに満足するのであった。

 転生する前にはいまいち分からなかった『萌え』という概念を理解できる気がした。


「もう、お姉ちゃんったら。可愛いんだから~」


「こ、こいつは……」


 いたずら好きな猫のように笑うマリナを見て、ソラは妹の意図に気付いたようだった。右手を握り締め、ぷるぷると身体を震わせている。

 すると、ソラは急ににこっと不自然な笑みを見せた。

 マリナが「やばっ」と呟くのと同時に、ソラは眉を吊り上げたのだった。


「――マリナ~!!」


 ソラがマリナにとびかかる。

 マリナはひょいっと間一髪で姉の突進を避けた。


「待ちなさいっ!!」


「待つわけないでしょ!!」


 マリナは広い部屋の中を走って姉から逃げる。それを怖い顔をして追いかけるソラ。

 もし、姉に捕まれば、必殺のデコピンを喰らうことは必至である。マリナは列になって並んでいる本棚などを活用して巧みに逃げ回るのだった。

 朝の爽やかな空気を撹拌するように、金髪と白髪の少女が騒々しく駆け回っていた。傍から見ればじゃれ合っているようにしか見えないだろう。部屋の外からトンビに似た鳥の声が聞こえてきていた。なんとも平和な光景ではあった。

 しばらく追いかけっこをしていた二人であったが、先にソラが音を上げたのだった。


「……はあはあ。本当に逃げ足だけは速いんだから」


 ソラは息を弾ませながら、机に手を置いて動きを止めていた。

 マリナも本棚を盾にした状態で、上がった息を整える。


「……ふう。お姉ちゃんこそ、少し足が速くなったんじゃない? この前から始めた武術の修行のおかげかもね」


 姉は数カ月前から、東方発祥の武術の修行を開始していたのであった。

 ソラは少しの間、窓から入ってくる涼しい風でうっすらと搔いた汗を乾かしていたようだったが、うんざりとした声で訊いてきた。


「……それで、結局何しに来たわけ?」


 その台詞に、「あ」と思わずマリナは声をあげた。

 姉をからかうのに夢中になり、本来の目的をすっかり忘れてしまっていたのだった。


「そういえば、馬車の準備ができたからって、正面玄関でお父さんたちがお姉ちゃんを呼んでるんだった。早く行かないと」


 それを聞いたソラが大袈裟なため息をついた。


「本当、何しに来たんだよ……お前は……」


 マリナは「てへへ」と笑って誤魔化した。確かにこれでは姉のスカートをめくって怒らせただけである。


「それはともかく、早く行こうよお姉ちゃん。時間がないし。ああ、ほら制服が少し乱れてるよ」


 マリナは素早く姉へと近寄り、制服を整えてあげた。

 エーデルベルグ家の家族の部屋は屋敷で最も奥の区画にある。正面玄関まで普通に歩けば少女たちの足では十分近くかかる。それほどこの屋敷は広いのである。急がなければならない。


「あ、あのなあ。誰のせいだよ、誰の」


 ぶつぶつと文句を言う姉の手を引っ張って、マリナは部屋の外へと歩き出したのだった。

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