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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
一章 魔法使いと温泉の町
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第18話

 マリナは、<飛翔ソアー>の魔導を行使しているソラの右手に掴まりながら、眼下の光景を眺めていた。

 火口に近づくにつれて、降り積もった火山灰の量が多くなっている。まるで黒い雪のようであった。

 もっとも、妖魔を倒さなければこの程度ではすまない。周辺一帯に甚大な被害を及ぼすことになるだろう。

 しばらく無言で眺めていたマリナだったが、ふと笑みを含んだ声で姉に話しかけた。


「お姉ちゃん。さっきのラルフさんとのやり取りのときの、最後の笑みは反則じゃない?」


 ソラがちらりとマリナの方を振り向いた。


「? 何の話?」


「……やっぱり、自覚してなかったか……。あ、何でもないから気にしないで」


 ぱたぱたと右手を振るマリナ。

 そんなことを言われれば普通は気になるだろうが、今はそれどころではない。姉は少々訝しんだ顔をしただけで、前方へとすぐに向き直る。

 姉にも困ったものだ、とマリナは心の中で密かに苦笑した。

 先ほどのソラとラルフのやり取りの中で姉が見せた笑顔を思い出す。

 今までのシリアスで凛々しい表情から一転して、いきなりあんな無防備な笑顔を見せられたら異性に限らず見惚れてしまうだろう。若い男性なら尚更だ。

 転生する前から、一度信用した相手をとことん信じるようなところが姉にはあるのだ。

 男だったときならまだいいが、現在の姉は見目麗しい美少女だ。妹としては少々心配である。

 とはいえ、姉に警戒心がないわけではないし、それなりに人を見る目もある。

 おそらくは男のときの感覚が抜け切ってないのだろうとマリナは思った。

 ラルフに対しても、気の許せる男友達として見ている可能性が高い。

 しかも、姉に対して好意を持っているのが丸分かりなラルフの態度にもまったく気づいていない。恋愛絡みに関しては、ラルフ並の朴念仁なのである。

 人の視線を気にしているわりには、肝心な部分で鈍感なのだ。

 なんとも罪作りな姉であった。

 ただ、これまで男として十数年生きてきて、いきなり女になれと言われても酷な話だろう。外見や仕草などはすっかり令嬢らしくなったが。

 いずれにしろ、そんな姉をフォローし、ときには盾となる。それこそが、マリナが強引に旅についてきた理由のひとつなのである。残念ながらこの分野では、アイラはあまり役に立たない。


(ホント、世話の焼けるお姉ちゃん)


 姉の横顔を見ながら、そう思うマリナであった。




 しばらくして到着したボルツ山の山頂は、木や植物などが生えていない岩だらけの殺風景なところだった。

 頂上にはすり鉢状の火口があり、現在はひと段落したのか、噴煙が一時的に止まっているようであった。しかし、代わりにそこからマグマで構成されたプリンの形をした妖魔が湧いて出ていた。

 最下級とはいえ妖魔には違いない。これだけの数がホスリングの町に到達したら、一時間ともたずに町は壊滅するだろう。


「マリナ、アイラ。あのワニ型の妖魔は私が仕留めるから、二人はこいつらの相手を頼むよ。――けして無茶はしないようにね」 


 ソラが飛翔の速度を徐々に緩め、高度を下げながら二人に言った。


「お姉ちゃんも気をつけてよね! これが終わったら、また一緒に温泉入ろうね!」


「お嬢様こそ、無理をなさらないでください。――御武運を」


 マリナとアイラもそれぞれ力強く応える。

 ソラは頷いて、握っていた二人の手を離した。

 マリナとアイラは抜群の身体能力で、危なげなく山肌へと降り立つ。

 ソラはそれを見届けると、そのまま火口へと飛んだ。

 眼下には妖魔たちがぞろぞろ歩いているのが見える。

 ソラはその妖魔たちを無視して、火口の上空にまで辿りついた。

 火口を見下ろすと、巨大で深い穴が開いており、その奥にオレンジ色の光が蠢いているのが見えた。

 活性化した火山から噴き出しはじめたマグマだ。それが、少しずつ火口の縁にまで迫っているのだ。本格的に噴火するまであまり時間は残されていないようだった。

 ソラはゆっくりと火口の中を降りていった。  

 穴の中間ぐらいで、ソラは停止し、そのまま空中に浮かぶ。

 周りを見ると、マグマの中から湧いている妖魔たちがぞくぞくと火口を登っていたが、ソラには見向きもしなかった。

 攻撃してこないなら都合がよいと、ソラは目を閉じて精神集中を開始した。

 これからソラは、このマグマの中に身を投じて、奥深くにいるであろう妖魔の本体を叩かねばならない。

 マグマの温度は約千二百度にも達する超高温で、しかもその中は嵐のような魔力が渦巻いているのだ。魔導でつくる通常の結界ではどれだけ魔力を込めようとも保たないだろう。

 なので、ソラは滅多に使うことのない奥の手を使う覚悟を決めた。

 ソラは集中力を高めながら、世界との同調を進めた。

 同調率が徐々に高められていく。

 魔導紋を視認できる段階を通り越す。それでもソラの感覚からすれば些細なことだ。

 そのうち、人が辿りつく限界とされるレベルにまで到達した。本来なら数十年という修行を経て、なお一部の人間しか辿りつけない領域だ。

 しかし、ソラは更に同調率を上げていく。この領域でも、ソラが最終的に目指すところからすれば、道のりの半分にすら来ていないのだ。

 ソラの同調率はその後も際限なく高まっていった。ここまでの同調を果たした人間が歴史上にもどれくらいいるだろうか。

 そして。

 同調を開始して一分ほど経ったとき、ソラはそっと目を見開いた。

 このとき、ソラは世界との完全な同調を果たしていたのだった。

 ソラの意識が爆発的に広がっていた。火口近くで戦いを開始したマリナたちや、ホスリングの町の様子さえ鮮明に理解できる。

 圧倒的な万能感がソラの身体を支配していた。

 その気になれば、このちっぽけな山を砕くことくらい造作もないだろう。


(――自分にできないことは何もない。理解できないこともこの世にはない)


 傲然とした考えが心の内に湧き出てくる。

 と、そこでソラは頭を振った。


(……危ない、危ない。意識をはっきりと保つんだ。取り込まれるな)


 自分を戒める。

 世界と完全に一体化したがゆえに、世界がソラを取り込もうとする。意識を溶かそうとする。<大いなる流れ>からすれば、ソラの意識などちっぽけなものだ。これまで培ってきたソラの強靭な精神がなんとか耐える。

 同時に膨大な量の情報がソラの頭の中に流れ込んできて、ソラを押し潰そうとした。

 ソラは必死になって、その情報の奔流を制御しようとする。

 世界と一体化したソラはある意味無敵ともいえるが、同時に大きなリスクも生じるのだ。

 通常、人間が世界と完全に同調することなどありえない。人間の寿命から言って不可能に限りなく近いからだ。たかが数十年で、その至高ともいえる領域にまで到達することなどかなわない。前世の中国思想でいうところの天仙という領域には。 

 しかし、ソラには特殊な事情があるのだった。

 この世界には、生まれたばかりの赤子が突然消失するという事件が稀にある。一種の神隠しとも呼べる現象である。

 それは、人為的な仕業ではなく、体質的な問題なのだった。

 <完全同調者>。

 その体質はそう呼ばれていた。

 生まれながらにして、この世界と完全に同調できる極めて特殊な体質なのである。滅多にあることではないが。

 そして、ソラも<完全同調者>なのだった。

 ソラがこの世界に転生してから二日経った日の夜中だった、それ(・・)がきたのは。

 突然、意識が拡大していったのだ。瞬く間にソラの意識は、屋敷を駆け抜け、更に広大なエルシオンの街なみにまで及んだのだ。

 凄まじい情報が頭に殺到して、ソラは頭痛に悶え苦しんだ。同時に、自分が溶けていくのを感じたのだ。

 あのときの恐怖は今でも忘れられない。訳のわからない理由で己の存在が消えようとする恐怖は。

 ソラは必死になって意識を保ち、情報が頭に入り込まぬよう統制しようとした。ひと晩中苦しみ続けて、なんとか凌いだ。翌朝、同じ部屋で寝ていた母のマリアとアイリーンがソラの様子を見たとき、ソラが汗びっしょりになってぐったりしていたので、二人がパニックになったほどだった。

 だが、地獄はそれからだった。勝手に意識が広がっていく症状は、ほぼ毎日、時間を問わずソラを襲ったのだ。

 そのたびにソラは制御する術を編みだそうと必死に耐えた。結局、完全に制御できるまでに約一年を要したのだった。

 その後、ソラは屋敷の文献を読み漁って<完全同調者>のことを知ったのだった。赤ん坊が消失するのにも納得した。まだ自我が確立していない赤ん坊が、あれ(・・)に耐えられるわけがないのだ。ソラが耐えられたのは、前世からの精神と経験を受け継いでいた<転生者>だったからである。

 <転生者>に<完全同調者>。このふたつが重なったソラは、まさに奇跡的な存在だといえた。

 本来生き延びるはずのない<完全同調者>には別名がある。

 世界と同一化し、ことわりを自在に操る者。

 ――すなわち、<魔法使い>、と。




 薄暗い火口には、超然とした様子の少女が静かに浮かんでいた。

 ソラの、本来白いはずの髪は、蒼く染まり波打っていた。

 ソラが魔法使いとしての力を発揮するときだけにおこる現象だった。

 すると、今までソラを無視していた妖魔たちが、急に威嚇しはじめて攻撃を加えようとしたのだ。

 マグマの塊のような妖魔が、ぽっかりと開いた口からブレスを一斉に吐き出そうとした。

 対してソラは妖魔を一瞥しただけだった。

 それだけで、周囲の膨大な魔力が蠢いたかと思うと、攻撃しようとした妖魔たちが一瞬にして凍りつき、四散したのだった。

 魔導紋も、魔力操作も、己の魔力すらも必要ない。要るのは自分のイメージと意思のみだった。

 これこそが魔法であった。

 ちなみに、ラルフの神経を繋いだのも魔法である。一瞬のことで、しかも鈍いラルフはまったく気づいていなかったが。

 ソラは自身の周囲に結界をつくりはじめた。眼下の荒れ狂うマグマにも耐えうる魔法の結界を。

 ソラは周囲の空間に直接干渉し、構造を造り替えて、強固な結界を完成させた。空気を長くもたせるために、やや大きめの結界にした。

 結界が完成したことを確認すると、マグマの中へと降下を開始した。

 結界の一部がマグマにひたる。正直ぞっとしないが、迷っている暇はない。

 この瞬間にも、ソラの意識はじわじわと侵食されているのだ。時間はあまりかけられない。せいぜい数分というところだ。

 マグマの中に入り、ゆっくりと下降していく。

 ソラのつくった結界は、マグマはもちろんのこと、その熱をも完全に防いでいた。

 中の視界はほぼゼロであった。一メートル先すら視認できない。

 もっとも、周囲の把握や、妖魔の本体の居場所を探るのは今のソラならば造作もないことだ。あのワニ型の妖魔は、ここから数百メートル潜ったところにあるマグマ溜まりと呼ばれる広大な空間の中心に佇んでいる。

 ソラは妖魔の意識がこちらに向いていることにさえ気づいていた。どうやら自分に気づいたらしい。

 しばらくして、ソラは妖魔と向かい合うところにまで潜った。

 数十メ-トル先にいる『クロコダイル』の目が見開かれているのが視えた。


【……お前は、いったい何なのだ……?】


 『クロコダイル』が問うてくる。


「――さてね。それよりも、さっさと終わらせよう」


 魔力を使った念話で話しかけてくる妖魔に対し、ソラも念話を行使して結界の中から挑発した。


【……調子に乗るなよ、今の我に勝てるとでも思っているのか!!】


 妖魔の巨体がマグマを自在に泳ぎ、ソラに突進してきた。

 確かに、先ほどとは比べものにならない妖気を放っていた。受けた傷も完全に再生している。どうやら全盛期の力を取り戻したらしい。

 膨大な魔力を纏った妖魔がソラの結界に衝突する。衝撃がわずかにソラのもとにまで届いた。その質量を生かした体当たりは凄まじいの一言だった。

 魔法でつくられた結界とはいえ、完璧な防護能力をもつわけではない。純粋な物理攻撃なら、隕石の衝突でも防げる自信があるのだが。

 超絶の力をふるう魔法使いも、人間という器を媒体にする以上、神のようには万能たりえないのだ。

 『クロコダイル』は角度を変えながら、執拗にソラの結界に体当たりしてきた。そのつど、結界の強度が脆くなっていくのが分かった。


【どうした! 為す術なしか!!】


 『クロコダイル』が動きを見せないソラを嘲笑する。

 それに対してソラは、目の前に揺らめいていた蒼い髪を邪魔だとばかりに指で弾いてから言った。


「まさか。おまえの移動速度や動きを確認していただけだよ」


【……減らず口を!!】


 『クロコダイル』は全身から黒い炎を燃えあがらせて、今までで最も速い突進を見せる。

 それに合わせるようにソラが魔法を発動させた。

 ソラの前に巨大な石の槍が突如出現し、マグマに溶けることなく妖魔に向かっていく。


【こんなもの、砕いてやるわ!!】


 石の槍と『クロコダイル』の頭が激突する。

 が、槍は砕けることなく、妖魔の頭をかち割ったのだった。


【……グアアッ!?】


 槍が貫通する前に、『クロコダイル』は慌てて身を翻して距離をとった。 

 予想外の結果に妖魔は動揺したようだった。受けた傷はすぐに再生したようだったが、今までの苛烈な攻撃が嘘だったように、慎重にソラを窺っていた。


「悠長にしている暇などない。次はこちらから行かせてもらうよ」


 今度はソラから仕掛けた。

 ソラの意思が、世界を動かしはじめる。

 ソラの周りを泳いでいた妖魔の周囲に、数十もの蒼く光る魔力の塊が出現した。


【――――!?】


 『クロコダイル』が驚愕する。

 魔力の光球が全方位から一斉に攻撃を開始する。

 『クロコダイル』は方向転換して逃げようとしたが、光球は妖魔の泳ぐ速度を楽々と超えて迫った。


【……舐めるなよ!!】


 『クロコダイル』も黒い魔力の塊をいくつかつくりだして相殺しようとする。

 が、魔力の固まり同士の衝突はあっさりソラが勝利した。時間稼ぎにもならなかった。

 『クロコダイル』が再度驚愕すると同時に、無数の光球が妖魔の全身に被弾した。


【…………ッ!!!】


 その一度の攻撃で、妖魔は全身の半分ほどの肉をごっそりと削られたのだった。

 それでも『クロコダイル』は身体を信じられない速度で再生させながら、距離をとろうとした。

 しかし、その頭上に無数の石の槍が出現し、雨あられと降りかかったのだ。

 必死に避けるが、いくつかが身体を貫通した。

 悶絶の思念を発する『クロコダイル』。

 だが、妖魔には息をつく暇もなかった。

 またもや、妖魔の周囲に数え切れないほどの、しかし壮絶な威力を秘めた光球が生み出されたのだ。


【……なん……だと……!?】


 ソラははじめて妖魔の唖然とした声を聞いた。

 周囲数キロ圏内の魔力がソラを中心に渦巻いている。

 タイムラグがほぼゼロの反則的な速度。

 圧倒的な密度を誇る攻撃。

 『クロコダイル』はようやく、目の前の華奢な少女が、己よりはるかな高みにいる存在だと気づいたようだった。

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