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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
一章 魔法使いと温泉の町
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第17話

 姿を現したワニのような妖魔はいっときの間動きを見せなかった。なにか辺りを探っているようにも見えた。

 クレッグの話が正しければ、妖魔は三百年もの間ボルツ山に封じられていたらしい。もしかしたら、久しぶりの外界を観察しているのかもしれなかった。

 しばらく彫像のように動きを止めていた妖魔だったが、ふいにソラたちへと再度視線を向けた。

 それだけで、身が押しつぶされそうな圧迫感がソラたちを襲う。

 金色に輝く爬虫類のごとき瞳がソラたちを捉えている。その瞳にわずかな焔が灯ったのをソラは見た。

 妖魔はわずかに身をたわめるような動作を見せた。

 ソラたちが身構える。

 すると、妖魔は山の中腹から跳んだのだ。とてつもない震動と砂煙をあげながら。

 大きな影が山の斜面を流れるようにはしる。

 ずん、と桁外れの音と衝撃波を発生させながら、妖魔はソラたちの目の前に着地したのだった。

 ソラが障壁を張っていなければ、体重の軽いソラやマリナあたりは、吹き飛んでいただろう。

 ほんの十メートル先にいる妖魔の見上げるような巨体は圧巻の一言だった。

 まさに怪獣と呼ぶにふさわしいスケールと圧力である。自分たち人間がいかに矮小な存在であるかを思い知らされるほどだ。

 妖魔は特に威嚇をするでもなく、ソラたちを高みから見ていた。

 すると。


【――我が名は『クロコダイル』。――愚かな人間ども。我と張り合うつもりか?】


 ソラたちの脳裏に重々しい声が響いてきたのだった。


「えっ! しゃ、喋った!?」


 ラルフが驚いて、自分の頭に手を当てていた。

 おそらく、魔力を使った一種の念話のようなものだろう。

 一定以上の力を持つ妖魔は、人間にもひけをとらない知能があると聞いている。人間の言葉を再現することも造作ないはずだ。


【――もっとも、逃がすつもりはないがな。貴様ら人間に選ぶことができるのは、座して死を選ぶか、せめてもの抵抗をしてから死ぬかだ】


 『クロコダイル』が傲然と続ける。 

 しかし、ソラは怯むこともなく一歩前に出て、こちらも堂々と言う。


「――どちらも御免だね。それに、仮に私たちが負けることになったら、おまえは周辺の人間を皆殺しにするんだろう? ……だから、おまえはここで私たちが倒す」


 ソラの身体から、蒼い魔力が溢れ出た。

 マリナとアイラもそれぞれ武器を構える。

 『クロコダイル』はソラの魔力を浴びて、【……ほう】と感心した声をあげた。


【なるほど、人間にしてはやるようだな。だが――】


 妖魔も巨大な身体から黒い魔力を迸らせはじめた。


【――その軽口、地獄の苦しみとともに、後悔させてやろう!】


 『クロコダイル』が長大な尻尾をソラたちに向けて放ってきた。ソラたちの左側面から、まるで壁のごとき質量で迫ってくる。当たれば、ソラたちの身体はミンチのようにひしゃげてしまうだろう。

 対してソラは無造作に左手を向けた。

 ソラたちの左側に発生した魔導障壁に、尻尾が硬質な音をさせながら衝突する。

 辺りに大量の粉塵を撒き散らしながらも、尻尾は停止した。ソラの障壁が防ぎきったのだ。

 それと同時に、マリナとアイラが飛び出した。巨大な妖魔にも怯まずに向かっていく。

 『クロコダイル』は、身体に纏った黒いオーラから、無数の火の玉を宙に生みだして、マリナとアイラへと一斉に降らせる。

 ひとつひとつは小さいが、込められている魔力は尋常ではない。

 しかしふたりは、雨のように落ちてくる魔力の炎の中をすいすいと避けながら一気に駆け抜ける。

 その黒い炎の雨はソラたちにまで降り注いだが、新たに構築した結界が防いだ。

 辺りで小規模な爆発が断続的に起こり、一面にはいくつものクレーターが無数にできる。


「ラルフさん、私の後ろから絶対に動かないでくださいね!」


「は、はい! 大人しくしてます!!」


 ラルフはこの次元の違う戦いに、自分の出る幕はないと悟ったようだった。

 『クロコダイル』の至近距離にまで迫ったマリナがその太い足に白い剣を叩きつけようとしたが、タイミングを合わせるように妖魔が黒い鉤爪がついた大きな手をマリナに向かって振り下ろす。

 マリナが立っていた地面が大きく削られるが、少女の姿はすでにその場になかった。


【――――!?】


 『クロコダイル』が驚いたようだった。

 マリナの姿は、全高七メートルほどもある妖魔の頭上にあったのだ。


「――はああああああっ!!」 


 マリナは気合の声とともに、天空から妖魔の無防備な頭へと剣を落とす。

 ゴオンッ、という重量のある金属同士がぶつかるような衝突音がして、マリナの剣が弾かれた。


「硬ったあ……っ!!」


 マリナは弾かれた勢いを利用して、そのまま一度距離をおくように後方へと身を投げた。

 しかし、『クロコダイル』はまだ空中にいるマリナを睨みつけて、その巨大な口を開いた。口の中にちろちろと黒い炎が瞬いているのが見えた。 

 マリナに魔力が込められたブレスでもおみまいするつもりらしい。もし直撃すれば、塵も残らないだろう。

 そのとき、横合いから高速で回転してきた何かが、妖魔の左目に直撃したのだった。


【……グッ!?】


 その攻撃に『クロコダイル』が若干怯み、同時に放たれた黒いブレスは、わずかにマリナから外れた方向に逸れて、何もない空気を焦がしたのだった。

 その隙にマリナは急いで地面に降りて、一度ソラのいるところまで戻ってきた。


「マリナお嬢様! ご無事ですか!」


「あ、危なかったー! アイラ、助かったよ!」


 アイラは声をかけながら、旋回して戻ってきた双剣のひと振りをキャッチしたのだった。


「……あ、あんな使い方もできるんですか!」


 ラルフがアイラのキャッチした双剣を見ながら驚いていた。

 アイラの武器は剣としてだけでなく、投擲武器としても使えるのだ。もともと刀身が少し歪曲しているので、回転しやすくなっている。もっとも、使う本人に多種多様な技術があってはじめてその性能を生かせるのだが。

 少し気分を害したらしい『クロコダイル』がアイラに向かって尻尾を叩きつけようとするが、アイラは後方に宙返りをしながら、その攻撃をひらりと避ける。そのまま地面に着地して、こちらもソラのいるところまで後退した。


「……それにしても、さすがは妖魔というところですね。眼球に直撃したはずなのですが、かすり傷もついていないようです」


「アダマンタイトみたいに固かったよね。並みの攻撃じゃ、ほとんどダメ-ジが通らないみたい」


 一度目の攻防を終えた二人がそれぞれ感想を述べる。

 それもそうだろう、とソラは思った。 

 妖魔が本来もつ強靭な身体に加えて、更に強大な魔力を纏っているのだ。あの防御を突破して、損傷を与えるのはそう簡単なことではない。

 しかも、この世界の魔力の影響を受けて変化した魔獣と違って、妖魔の身体は純粋な魔力で構成されている。いわば、意思をもった魔力の塊だ。物理攻撃はいっさい効かない。

 なので、魔力を行使した攻撃手段をもたない人間が何百人いても勝ち目はない。

 疲弊していたとはいえ、一度は人類を滅ぼしかけた相手だけはあるのだ。


「でも、今のうちに必ず仕留めるよ。あの妖魔は目覚めたばかりで、おそらくまだ本調子じゃないだろうしね」


 ソラが妖魔を見据えながら、低く呟いた。


「ええっ!? あれでも本気じゃないんですか!?」


 ラルフが信じられないという顔をした。

 マリナとアイラが頷く。


「そうだね。まだ油断してるっぽいし、一気に畳みかけちゃおう」 


「時間が経てば経つほど、こちらが不利です。勝負にでるのは早いほうがいいです」


【――相談は、済んだか?】


 ソラたちの会話に割り込む形で『クロコダイル』が話しかけてきた。

 どうやら妖魔は律儀に待っててくれていたらしい。先ほどの攻防で予想外の反撃を受けたが、それでもその余裕は揺るぎないようだった。 


【脆弱な人間ごときの攻撃では、我を傷つけることはかなわん】


 『クロコダイル』は頑是無い子供に教えるように、ゆっくりとソラたちに言う。

 そして、最後にひと言付け加えた。


【せめてもの情けとして、一撃で終わらせてやろう】


「!」


 妖魔の台詞にソラたちが警戒を強める。

 『クロコダイル』はこれまでにない膨大な魔力を身体の奥から陽炎のように噴出させた。その巨大な身体が赤黒い炎に包まれる。その余波だけで、周囲の植物が枯れ、地面がぐつぐつとマグマのように煮えた。その姿は、あの扉に刻まれていた彫刻の姿にそっくりであった。

 次に、『クロコダイル』はその魔力を口内に溜め込めはじめた。顕現させた魔力がその一点に集約されていくのが分かった。

 先ほどマリナに放ったものに数倍する威力のブレスが来るのは明白だった。


「二人とも、私の後ろに!」


 ソラの呼びかけに、二人はラルフと同じくソラの背後に回った。

 ソラは急いで結界の構築を開始する。あの攻撃には生半可な防御では対処できないだろう。

 ソラは近年稀にみるほどの魔力を注ぎはじめた。

 膨大な魔力を制御する技術に、術を仕上げる速度といい、それは超一級といって差し支えないレベルだった。

 『クロコダイル』の準備が終了するのと、ソラの魔導が完成するのはほぼ同時だった。

 『クロコダイル』は長い口を限界まで開けた。その奥に見える、極限にまで圧縮された赤く光る魔力が解放のときを待っていた。


【――これで、消し飛ぶがいい!!】


 『クロコダイル』の思念がソラたちに届いた瞬間。

 妖魔の口から目も眩むような赤い閃光が弾け、強大な魔力が込められたブレスがソラたちに向けて放出された。

 そのブレスは、鼓膜が痺れるような轟音とともに、空間に赤いプラズマを撒き散らし、地面を深く抉りながら、一直線に進んだ。

 刹那、ソラが展開した結界とブレスとが激突した。


「…………っ!」


 ソラは両手を前に出した格好で、妖魔のブレスを耐え凌いでいた。手の平が押し込まれそうになるのを必死にこらえる。足に力を入れて踏ん張る。眼前を強烈な赤い閃光が埋めつくしており、視界を焼いた。

 結界の周囲の地面は一瞬にして蒸発していた。数瞬ごとに、ソラたちの周りにできたクレーターが大きくなっていく。

 妖魔の放つ閃光により、辺りはまるで日中のような明るさであった。もっとも血のごとき色の夕暮れであったが。 

 ソラと『クロコダイル』の攻防が十秒ほどを数えた頃、妖魔がさらに魔力の密度をあげてきた。


「まだ、あがるか……!!」


 ソラが苦悶の声をあげる。

 閃光と轟音が一段と強まった。

 ラルフが後ろから何か叫んでいたようだったが、ソラには聞こえなかった。


【我の攻撃に耐えるとは、大したものだ。………だが、これでもう終わりだ!!】


 『クロコダイル』がそう力強く宣言するのと同時に、妖魔の口から放たれていたブレスがいっそう太さを増した。


「――――!!」


 すると、ソラたちがいた場所から背後の野原までを赤い光がのみこんで、大爆発をおこしたのだった。

 その轟音は数キロ以上も響き、凄まじい衝撃は山の木々を小枝のようにしならせた。

 黒いキノコ状の雲が発生し、上空数百メートルにまで到達した。

 その後、巻き上げられた土砂などの塵が、雨のように降ってきて、辺りは夜よりも深い暗闇に包まれたのであった。

 『クロコダイル』は炎の残滓を口の端からちらつかせながら、金色の眼を細めて前方を見ていた。

 徐々に、塵の雨と土煙が収まってきた。隠れていた月が姿を見せる。

 静寂が戻るとともに、ようやく辺りが視認できるようになってきた。 

 妖魔の前方は無残な光景に変わり果てていた。道から野原に至るまで巨大なクレーターが穿たれていて、あちこちに黒い炎が燃え残っていた。

 しかし、そのクレーターのある一点に、まだ残っている地面があった。

 『クロコダイル』の眼が見開かれる。その地面の上に四つの人影が見えたからだろう。

 いわずもがなソラたちであった。


「――ふう。さすがにちょっときつかったかな……」


 ソラは額の汗を拭きながら、軽い口調で言った。


「お疲れさま、お姉ちゃん。……って、周りが酷いことになってるよ」


「お見事です、お嬢様。あやつめの一撃を完璧に防いでみせました」


 マリナとアイラも平然とした態度であった。


「…………」


 ラルフはなにやら放心していて、話す気力はないようだった。

 なんにせよ、四人とも傷ひとつ負っていなかった。


【……馬鹿な。我の全力の攻撃をたったひとりで凌いだだと? 三百年前においても、そんなことができる人間は存在しなかったはず……】


「そうなのか? なら、たまたま三百年前にはそういう人間に当たらなかったんだろう」


 ソラが軽口をたたいた。

 少なくとも、ソラたち<至高の五家>の始祖になった五人の大魔導士なら同じことができたはずだ。

 妖魔のワニに似た顔では分かりにくいが、驚愕しているらしいことが、雰囲気で伝わってきた。

 そのせいか、妖魔の動きが完全に止まっている。ソラたちはここが勝負所だと悟った。


「それじゃあ、さっきのお返しをさせてもらおうかな」


 マリナが肩に剣を担ぎながら、目をカッと見開いた。

 すると、マリナの全身から紺碧の色をしたオーラが立ち昇ったのだ。金色の髪が揺らぐ。

 マリナのもつ膨大な魔力が身体から剣先にまで充満したのと同時に、その姿が掻き消えた。


【なにッ!?】


 『クロコダイル』が気づいたときには、マリナはすでに妖魔の懐にあった。

 最初の攻防のときのように、妖魔は鉤爪を振り下ろして迎撃する。

 だが、マリナは軽く跳躍して避けると、妖魔の腕めがけて叩きつけるように斬撃をはしらせた。

 妖魔が纏う黒い魔力と一瞬だけ拮抗したが、マリナの白い剣は魔力の障壁を突破して、そのまま太い手首を切断したのだった。


【――ガアッ!?】


 魔力の塊である妖魔にも痛覚があるのか、苦悶の思念が響いた。


【……小娘がッ!!】


 『クロコダイル』はなおも攻撃を繰り出そうとするマリナに対して、至近距離からブレスを吐き出そうとした。

 そのとき。


「<氷の槍アイシクル・ジャベリン>!!」


 ソラが放った氷の槍が、大きく開いていた口の中に飛び込んのだった。

 ブレスと反応しあったのか、口内で小規模の爆発が起こった。

 口から煙を吐きながら、硬直する『クロコダイル』。

 その隙を突いて、背後からアイラが攻撃を仕掛ける。

 アイラが左右に持った剣を固定したまま、高速で回転して、妖魔の背中を抉った。

 その苛烈な攻撃が加えられるたびに、断続的に身体を震わせる『クロコダイル』。

 アイラの攻撃で、妖魔の背中はずたずたになった。

 『クロコダイル』は背後のアイラに尾を振るうが、アイラはまたしても身軽に避けると、身を低くして妖魔の周囲を挑発するように移動した。

 『クロコダイル』が忌々しそうにアイラを睨みつけるが、今度は正面にいたマリナに腹部を斜めに深く切り裂かれた。


【…………ッ!!】


 『クロコダイル』が声なき苦鳴をあげる。

 妖魔は血走った瞳をぎらりと光らせると、予備動作なくブレスを正面のマリナに向けて放ち、同時に背後にいたアイラに空中に生んだ魔力の塊をアイラに浴びせた。

 二人は咄嗟に避けようとするが、アイラが避ける方向へと狙いをつけて『クロコダイル』が尾を叩きつけようとした。

 が、ソラが放った<風衝弾ウインド・ボム>がその尾を空中で撃墜して、アイラは逃れることに成功したのだった。

 その後もマリナとアイラが動き回りながら間断なく攻めたてた。ふたりが避けようのないときはソラが絶妙なフォローを入れ、隙があればソラも攻撃に参加する。『クロコダイル』がソラに苦し紛れの魔弾を飛ばしても、障壁に防がれる。

 同じような攻防が何度も繰り返された。妖魔は少しずつではあるが、確実に力を削られていった。


「……す、すごい」


 ラルフが三人の戦いに魅入られたように呟いた。

 ソラたちが何気なく妖魔を囲んで攻めたてているように見えるが、並みの使い手に同じことは決してできないだろう。

 まず、妖魔の堅固な防護を突破して傷つけられる時点で、三人が類まれな実力を持っていることが分かる。

 魔力を活性化して身に纏う<内気>と剣の技量がともに一流であるマリナとアイラだからこそ、妖魔に損傷を与えられるのだ。

 膨大な魔力を自身の剣に一極集中させることで、絶大な威力を発揮するマリナ。

 一撃の威力ではマリナにはかなわないものの、手数を増やした攻撃でそれを補い、着実にダメージを与えるアイラ。

 そこらの魔導士が十人集まっても防ぐのは不可能であろう妖魔の魔弾を、なんなく防いでいるソラの障壁も特筆ものだった。怖ろしいほどの魔力密度であった。

 なにより、三人の完璧な相互理解によるコンビネーションが妖魔を圧倒していたのだ。まさに、前衛の戦士と後衛の魔導士による理想的な戦い方だった。

 そもそも、たった三人でこれほどの力をもった妖魔を相手取ることはまずないのだが。

 『クロコダイル』は徐々に動きが鈍くなってきていた。

 当初は受けた傷を再生させていたが、それも追いつかなくなっている。

 純粋な魔力の塊である妖魔だからこそできる芸当だが、もはやその余裕もなくなってきているようだった。

 いかに妖魔といえど、保有する魔力の総和は決まっているのだ。それが尽きれば消滅するのが道理だ。

 ソラは今が勝機だと直感した。


「マリナ! アイラ!」


 ソラの呼びかけに二人が振り返ることはなかったが、ちゃんと伝わっていることを確信していた。


(……これで、決める!!)


 ソラは弱りつつある妖魔にとどめをさすべく、頭上の空間に広大かつ緻密な魔導紋を構築しはじめた。

 行使するのは、<水>属性の最上級魔導、<絶対零度アブソリュート・ゼロ>。膨大な魔力を必要とする、<水>属性最強クラスの大魔導。

 マリナとアイラが『クロコダイル』をいっそう引きつけるような動きを見せて、時間を稼ぐ。

 もう少しでソラの魔導が完成するというときだった。


【……ッ! 舐めるなッ!!】 


 『クロコダイル』が全身から強烈な黒い炎を燃えあがらせたのだ。


「――うわっ!?」


「――ちぃっ!!」


 慌ててマリナとアイラが妖魔の近くから飛び退いた。

 ソラも魔導の準備をしつつ、どんな攻撃がくるのかと警戒する。

 しかし、『クロコダイル』は反撃することもなく一度ソラたちを睨みつけると、そのまま地面に沈んでいったのだった。


(……しまった!!)


 ソラたちが追撃する間もなく、妖魔の巨体は完全に姿を消したのだった。


「えーと、逃げたのかな?」


 マリナが困った顔をして、妖魔が消えたところで立ち尽くしていた。

 ソラは構築していた魔導を解除しながら言った。


「……いや、違うよ。自分が最も力を発揮できる場所に戻ったんだ」


「力を発揮できる場所、ですか?」


 アイラがそう訊き返した瞬間。

 妖魔が復活したとき以上の震動が一帯を襲ったのだった。


「こ、今度は何だ!?」 


 ラルフが揺れている周囲を困惑した表情で見回した。

 いや、よく見ると、ボルツ山が揺れていたのだ。

 山の内部から、壮絶な魔力が高まりつつある。

 その内圧が極限まで高まったとき。

 突然、山頂から勢いよく黒い噴煙が噴き出したのだ。


「ふ、噴火した!?」


 ラルフが信じられないという表情をしていた。

 空高くに舞い上がった噴煙は、山の中腹にまで降り注いで、木々を黒く染めた。

 ソラもその光景をじっと見ながら言った。


「あいつは<火>属性で構成された妖魔。ボルツ山の地下一帯を流れる<火>の元素を活性化させて、活動を停止していた火山を無理やりたたき起こしたんだ。三百年前にもボルツ山を噴火させたと言ってたしね。それに、妖魔自身がその膨れ上がる<火>の元素から恩恵を授かることができる。いわばボルツ山はあいつの本拠地(ホーム)なんだろう」


 ラルフは呆然とソラの説明を聞いていたが。


「そんな……。でも、このままだと……」 


「山の麓にあるホスリングの町は甚大な被害を受けるだろうね」


 それを訊いてラルフの顔が強張る。

 だが、更なる異変がおこった。


「みんな、あれ見て!」


 マリナが山頂の方を指差した。

 暗闇の中に、何か光る赤い点がぞろぞろと這い出ているのが見えた。


「何ですか、あれ?」


 ラルフが目を細めながら、その光景を見つめた。


「妖魔みたいだね。どろどろしたマグマのプリンみたいなやつ」


「どんどん湧いて出ています。どうも山を下っているみたいですね」


 マリナとアイラがそれぞれ報告した。

 どうやら、あの『クロコダイル』が創りだした最下級の妖魔のようだった。その土地の魔力を利用することで、己の眷属を創りだすことがたまにあるのだ。いわば、分身のようなものだ。


「よ、よくここから見えますね。しかも、夜で暗いのに……」


 ラルフが若干呆れた風に言った。ソラたちのいる麓からだと、ただの赤い粒にしか見えない。

 マリナとアイラの視力は、アフリカの某部族にもひけをとらないほどなのだ。

 ソラも山頂を静かに見ていたが、ラルフへと振り返って、有無を言わさぬ口調で告げた。


「……ラルフさん。私たちは今から山頂へ行って、なんとか妖魔を食い止めます。あなたはすぐに町へ戻って、人々が避難できるようにしてください」


 ラルフが驚いた顔でソラを見返す。


「食い止めると言っても、どうやってですか? あの妖魔は噴火しはじめているボルツ山の地下深くにいるんでしょう? もう人間がどうこうできる段階では……」


「それは、私たちを信じてくださいとしか言えないですね」


 ソラは澄んだ蒼い瞳でラルフを見ていた。なんの恐れも怯みもなかった。あるのは揺るぎない覚悟だけだった。

 やや当惑していたラルフだったが、こちらも真剣な顔で頷いた。


「――分かりました。僕は僕のできることをします。妖魔相手じゃ何もできませんしね。それに、お三方が信頼できるというのは、短いつきあいですけど理解しているつもりです。……お願いします。ホスリングの町を救ってください」


 ソラはそのラルフの言葉に、一瞬だけあどけない表情をして笑みを浮かべた。


「……はい。ラルフさんも頑張ってくださいね」


 ソラは、顔を赤くして硬直したラルフをその場において、マリナとアイラと手を繋ぎ、山頂に向かって飛び立ったのだった。

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