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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
一章 魔法使いと温泉の町
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第16話

 ソラたちが洞窟のある山の中腹にまで辿り着くと、誰かが馬を引きながらとぼとぼと歩いているのを発見した。


「……マルク!?」


 マリナが驚いた声を出す。そう、そのマリナの声にこちらを見上げたのはマルクだった。

 ソラは制御していた<飛翔ソアー>を解除した。四人が地に降り立つ。


「マルク、大丈夫? 怪我はない? 何でひとりでこんなところにいるの? クレッグ隊長はどこにいったの?」 


 マリナの矢継ぎ早の質問にたじたじとするマルク。マルクが引いていた馬が、マリナの声にあてられたのか、ぶるる、と嘶いた。

 ソラは助け舟を出した。


「マリナ。そんなに一度に質問しても答えられないよ。――マルク、ゆっくりでいいから、何があったのか話してみて」


 マルクが頷いて、話しはじめた。 


「……ソラ姉たちと別れた後、俺は前から怪しいと思ってたクレッグ隊長を尾行することにしたんだ。首尾よく見つけることができたんだけど、クレッグ隊長が自分の家に火をつけたところで、背後から取り押さえようとしたら、逆に捕まっちゃって。……その、ごめん」


 マルクがしょんぼりして頭を下げた。

 ソラがそのマルクの肩に手をおいて言った。


「無事だったならいいよ。でも、クロエお祖母さまに、マーカスさんとオーレリアさんはとても心配していたよ。後でちゃんと謝っておくんだよ?」


 マルクが顔を上げて、こくんと頷いたのだった。


「……向こう見ずな真似はしないって約束したでしょうが。……ほんと、あんたってやつは」


 マリナも珍しく苦笑していたのだった。

 ソラもマリナも口にだして言わないが、マルクの正義感と行動力は大きな将来性を予感させるものだった。ある意味ラルフと似ているかもしれない。

 それに、こういう連中につける薬はないとも分かっているのだ。

 案外、将来は祖母のクロエにも負けない冒険者になるかもしれないな、とソラは思った。


「ところで、マルク。何でクレッグ隊長が怪しいと思ってたの?」


 マリナが訊いた。


「……それは、以前、クレッグ隊長と失踪したレオナルドの兄ちゃんとの会話を聞いたことがあってさ」


 レオナルド・へインズ。将来を嘱望されながらもジャックにの罠に嵌められて殺された元警備隊員。

 いったいどんな会話を聞いたのか。ソラはマルク話の続きを待った。


「俺が前に話した、町の外への抜け道があるところはちょっとした広場になっててさ。木箱やら放置された角材が積み重なっていて、子供たちの遊び場になってるんだけど、ある日、俺は遊び疲れて木箱の陰で眠ってたんだ。そしたら、誰かの話し声が聞こえてきて、俺は目を覚ましたんだ」


 マルクはいったん息を吐いてから続けた。


「それで、耳を澄ませてみると、クレッグ隊長とレオナルドの兄ちゃんが会話しているんだと分かったんだ。どうやらふたりは木箱に隠れて眠ってた俺には気づかなかったみたいだ。俺も盗み聞きはまずいと思ったんだけど、今更出て行くのも気が引けてさ、そのまま、会話を聞いちまったんだ。――そうしたら、クレッグ隊長が、『ジャックが西の洞窟に出入りしているようだから、君が密かに探ってくれないか』ってレオナルドの兄ちゃんに相談してるのを聞いたんだ。……そしたら、翌日にレオナルドの兄ちゃんが失踪しちまって……」


 それで、クレッグ隊長を怪しいと思ったのか、とソラは納得した。マルクが隠しているのはこのことだったのだ。


「今まではただの偶然だと自分に言い聞かせてた。あのクレッグ隊長が自分の部下に何かするなんて信じられなかったし。だから、本当にジャックの仲間なのか、クレッグ隊長を尾行して確かめようとしたんだ」


 マルクは目を伏せながら説明を終えた。

 マリナがマルクの頭を優しく撫でる。


「……そういうことだったんだね。分かったよ。あんたは良く頑張った」


 マルクはいつものように振り払ったりせずに、されるがままになっていた。


「……しかし、お嬢様。マルクくんが無事に解放されたのならば、無理にクレッグを追う必要もないのでは」


 アイラが洞窟の入り口を見ながら言った。

 確かにそうなんだけど、とソラも思うのだが。


「マルク。クレッグ隊長は洞窟の中にいるの?」


「うん。俺を洞窟の前で解放したあとに、中に入っていったよ。……最後に、俺にすまないって謝ってた」


「……そう」


 ソラはマルクを見つめながら、考えていた。

 クレッグがマルクを人質にとったのは、町の警戒網を突破するのに必要だっただけなのだろう。つまりは、マルクがいようがいまいが、ソラたちが来ようが来まいが、クレッグが行おうとしている最後の目的には関係ないのだ。


「クレッグ隊長を放置するわけにはいかない。おそらく何らかの切り札があるんだろうね。あの扉に関係した何かが」


 ソラのその言葉に、皆が黙り込む。どう考えても不吉な予感しかしない。


「マルク、私たちは今から洞窟に潜るから、あなたは町に帰りなさい。――と言っても……」


 マルクをひとりで町に帰させるのは気が引けた。どうしようかと考えていると、


「ソラ姉、俺はひとりで帰れるよ。馬に乗っていけば大丈夫だから。ソラ姉たちはクレッグ隊長のことを頼む」


 ソラはじっとマルクを見つめる。


「……分かった。気をつけるんだよ」


「マルク、一直線に帰りなさいよ。それからみんなにちゃんと謝るんだよ!」


 マリナの言葉に頷いて、マルクは馬に乗って慎重に山を下っていったのだった。


「じゃあ、行こう。みんな覚悟はいいね」


 ソラが皆の顔を見回すが、迷っている者はいないようだった。ソラを強い瞳で見返しているのみだ。

 ソラは、そんな皆に頷き返してから、洞窟の中に入った。

 今度は寄り道せずに、一直線に最奥を目指して駆け抜ける。

 途中で何度か怪物に遭遇したが、マリナとアイラの剣が瞬時に打ち倒した。

 三十分ほどで、最奥の間へと一行は辿りついたのだった。 

 最後に見たときと変わらず、地底湖はわずかの水があるのみで、奥にぽっかりと穴が開いている。ソラとマリナが吹き飛ばしたアダマンタイト製の扉が転がっていた。

 仕掛けのある立方体の形をした部屋を通り抜けて、深い縦穴があるところまで来たときだった。


「……あっ!?」


 ラルフが縦穴の縁に、鉤爪つきのロープが引っかかっているのを見つけたのだった。


「クレッグがこの下にいるのは間違いないみたいですね」


 アイラがそのロープを調べながら言った。

 ソラは前回と同じく<風>の結界を張って、ゆっくりと縦穴を降下していった。

 あの扉が近づくにつれて、不吉な感覚は以前よりもはるかに強く感じられてきた。

 一行が縦穴を抜けて、前を見ると。


「と、扉が……!」


 あの巨大な観音扉が、左右に開かれていたのだった。

 地面に降り立つのと同時に、その扉へと駆け寄る。

 扉の奥は標準的な一軒屋が入るくらいの広さで、その中央の地面には内側に複雑な幾何学模様が描かれている巨大な円が刻まれており、不吉な赤い光を放っていた。

 それは魔導紋を何かに刻み込むことで効果を発揮する、魔導陣と呼ばれるもののようだった。

 そして、その前にクレッグが右手に抜き身の剣を持って立っていたのだった。


「クレッグ隊長!!」


 ラルフが呼びかける。

 クレッグが開いているのかよく分からない目をソラたちに向けた。 


「――やあ、みなさん。お待ちしておりましたよ」


 クレッグはいつもと変わらぬ穏やかな顔と声で応えた。

 クレッグに何か言おうとするラルフを遮って、ソラが問うた。


「あなたが、これまでの事件を起こしてきた張本人ですね。ジャックはその実行役ということでいいですか?」


 クレッグは赤い光を背後から浴びながら言った。


「ええ、そのとおりです。私が主犯ということになりますね。ジャックくんは私の指示に従って動いていました。もっとも、彼は感情を制御できない悪癖があったので苦労しましたよ」


「部下だったレオナルド・へインズを洞窟に誘導したのも、そして……クロエお祖母さまを狙ったのも」


「どちらも私の仕業ですよ。ただ、レオナルドくんとの会話がマルクくんに聞かれていたとは思いませんでしたけどね。……それに、クロエさんの件も結局失敗してしまいましたし」


 クレッグはわずかに苦笑した。

 本人の口から直に聞いて、ラルフは改めて衝撃を受けているようだった。


「……本当に隊長は、あの過激テロ組織『アビス』の構成員なんですか?」


「そうですよ、ラルフくん。構成員になってかれこれ十年ばかりになりますかね」


「そ、そんなに前から……?」


 ラルフが唖然とする。

 ソラたちもこれには少し驚いた。事前の調査で、警備隊が怪しいと踏んでいたし、それ以外の町の住民にも共犯者がいるかもしれないと思っていたが、それは主にここ一、二年の間に移住してきた人間だ。ホスリング出身のクレッグは対象外だ。可能性をいちいち挙げていたらきりがなく、絞りようがないというのもあったが。

 ソラにはひとつ気になることがあった。


「十年前からメンバ-のひとりだったのなら、何で今になって活動をはじめたんですか?」


 クレッグはわずかに目を開いた。


「あなたに教える義理はないのですが……まあ、いいでしょう」


 クレッグはそう言って話はじめた。


「私はもともと組織の諜報員でしてね、実際に行動する工作員ではありませんでした」


 ソラはそれを聞いて思い出す。『アビス』は、組織のトップが直接率いる工作員などの実行部隊を核として、諜報員を各地に潜ませて情報を仕入れているのだが、地方の諜報員が魔導士を排除する活動をするというのは聞いたことがない。


「私も最初は、細々と情報を組織に流すことに終始していましたよ。しかし、二年前に状況が変わりました。――そうです、あのエルシオンでの事件です」


 クレッグはそこで、ソラとマリナ、そしてアイラを見た。


「組織の主戦力を投入したのにも関わらず結局失敗に終わりました。ほかならぬ、あなたたちの活躍でね」 


 クレッグが続ける。


「あの失敗によって組織は弱体化し、活動を大幅に自粛せざるを得なくなりました。それが歯がゆかった私は何度も工作員に志願しましたが受け入れられませんでしたよ。――でも、一年ほど前に私はある筋から情報を手に入れたんです。この洞窟の秘密をね」


 ソラは眉をひそめる。誰が何の目的でクレッグにそんなことを教えるというのか。


「私はさっそく情報をもとにこの洞窟を調査し、魔導士を罠に嵌めることを思いついきました。古代魔法帝国の遺産があるという噂を流したのも私です。……ただ、組織の上層部は当初反対していたようです。一諜報員が勝手なことをするなとね。しかし、私は独断で事を進めました。そのうち上も折れて、協力者として使うようジャックくんを派遣してきました。もっとも、この辺境の小さな町にはそれ以上の支援は割けないようで、工作活動から爆薬に必要な物品の調達までふたりで行わなくてはならなかったので大変でした」


 クレッグはそこで一度言葉を切り、ソラたちを見つめる。


「……あなたたちが来たときはチャンスだと思いましたよ。これ以上の標的はいませんからね。まあ、結果はご覧のとおりですけど。……とはいえ、失敗も予想の内でした。ジャックくんにも無理はするなと言い含めておいたんですが、あれだけ禁止しておいたのに洞窟内で爆薬まで使ってしまって困ったものですよ」


 ソラが口を挟む。


「ジャックが捕縛されたとしても、あなたにまで辿りつくかはこの時点では分からないですよね? なぜ隠し通そうとしなかったんですか?」


「ジャックくんは傭兵あがりでね、腕も要領も悪くはないんですが、いまいち信用できなかったんですよ。いつ口を割るか分かりませんでしたし。しばらくは身を潜めて様子を窺っていたんですが、あなたたちが警備隊の人間を集めて巡回記録を確認していることを聞いたときには、いよいよ私の存在がばれるのも時間の問題だと思いましたよ」


「……それで、ジャックを殺して、家に火をつけたんですか」


「極力情報が漏れないようにしなければなりませんからね。――あとは、最後の仕事をこなすだけです」


 クレッグは笑みを浮かべてソラたちを見回した。


「……何をする気なんですか? ここはいったい……」


 ソラはクレッグの表情から狂気の相を見てとり、警戒した声を出す。

 クレッグは今や細い目をはっきりと開いていた。冷たい輝きをたたえた瞳がソラたちを直視する。


「あなたたちも気になっているでしょうから、この場所のことを教えてあげましょう。――ここは、かつて冬の時代では祭祀場として使われていたそうです。あの大きな縦穴とこの空間に神秘性を見出したのでしょう。……そして、三百年前に、とある妖魔を封じた場所でもあるのですよ」


「「「なっ……!?」」」


 ソラたちが驚愕の声を出す。

 妖魔とは、この世界の最大宗教であるシヴァ教において悪魔とも定義されている、人間にとって恐怖の代名詞ともいえる相手である。

 彼らはこの世界の負のエネルギーが作用することで生まれるてくるともいわれているが、本当のところは定かではない。ただ、大きな戦乱の後に彼らが出現することが多いので、そう推測されているだけだ。

 重要なのは、彼らが人間を圧倒するほどの力をもっていることと、なぜか人間を目の敵にしていることなのだ。

 今から三百年前、人間による世界中を巻き込むほどの大きな戦争が勃発し、その戦によって数えきれないほどの死者が出た。

 各国も国家を維持できないほどまでに疲弊し、そこに至ってようやく国家間の和睦が成立しはじめ、終わりが見えたときだった。

 歴史上稀にみる強力な妖魔が出現したのは。

 そこからが本当の悲劇だった。弱りきった人類社会はその妖魔に蹂躙されていった。しかも、驚くべきことに、その妖魔は自ら多数の妖魔を生み出せるという、前代未聞の妖魔だったのだ。

 その妖魔は人々から恐怖と絶望の象徴として、『マザー』と呼ばれた。

 このままでは人類は滅びてしまう。まさに瀬戸際まで追い詰められたときだった。

 ある五人の魔導士がその『マザー』を封印することに成功したのは。

 のちにエレミアを建国することになり、<至高の五家>の始祖ともなった大魔導士たちである。

 ほかの妖魔たちも、徐々に駆逐、あるいは封印されて、ようやく長い戦乱は幕を閉じたのだった。


「このボルツ山に封じられている妖魔もそのときの一体でしてね、三百年前には、ボルツ山を噴火させるほどの力をもっていたそうですよ。そして、この魔導陣は、人間の生命力――つまりは魔力を、封印を破るためのエネルギ-に変換させるためのものなんですよ」


「……人間の生命力を? ――もしかして、行方不明になった冒険者たちは……」


「そうです。封印を破るための糧になってもらいました」 


「!!」


 ソラたちの身に戦慄がはしった。あの中身のない装備品はそのためだったのだ。


「……そんなの、酷すぎるよ」


 マリナが厳しい顔をしてクレッグを睨む。


「……それに、妖魔を復活させれば、麓の町が消滅してしまうかもしれない。相変わらず、おまえらは狂ってるな」


 アイラも射るようにクレッグを睨みつけた。


「まあ、あなたも『アビス』に因縁がありますから他人事ではないでしょうね」


 クレッグの言葉に、アイラは応えずに黙り込む。

 クレッグは肩をすくめて続けた。


「町の人間には申し訳ないと思いますよ。この手は使いたくありませんでした。……しかし――」


 そこで、クレッグはソラとマリナを見た。


「――魔導士の棟梁ともいえる<至高の五家>の人間をふたりも消せるならば仕方ありません」


 クレッグはゆっくりと血の色に染まる魔導陣の中央に移動した。

 ソラたちが距離を詰めようとするが、クレッグが剣で牽制する。

 そのとき、ラルフが叫んだ。


「隊長っ!! ひとつだけ教えてください! なんで隊長は『アビス』に身を投じたんですか!?」


 クレッグはしばし沈黙する。

 が、しばらくしてからぽつりぽつりと語りだした。


「……もう十年以上前になります。私がとある国に家族と旅行に行ったときのことです。……ある魔導士に妻と息子を殺されたのは」


「……えっ?」


 ソラたちはクレッグを見つめた。


「……その魔導士は酔っていて、私たちが泊まっていた宿を魔導で爆破してしまったんです。私はたまたま外出していて助かりましたが、妻と息子は宿に残っていて、ほかの宿泊客とともに爆死しました。ほとんど即死だったそうです。……なのに、事故をおこした魔導士はその特権ゆえに極刑になりませんでした」


 ラルフが絶句してクレッグを見ていた。

 クレッグは疲れたように、弱々しく微笑んだ。


「……魔導なんて大きすぎる力は、人間には必要ないんですよ。……それは、お金や地位なんかよりも、ずっと深刻な差別を生むんです」


「隊長……」


「……残念ですよ、ラルフくん。君には魔導の才能なんてなくても、いずれ強い男になる。そう期待していました。できれば、遠くへ逃げてくれると嬉しいですね」


 クレッグは人のよさそうな優しい笑みをラルフへ見せた。


「隊長っ!!」


 ラルフの悲痛な声が部屋に響き渡る。


「――では、みなさん、御武運を。妖魔を倒せるというならば、それでも構いませんよ。……いずれにしろ、私はもう疲れました」


 それが、クレッグの最後の言葉だった。持っていた剣の切っ先を胸に当てる。 


「やめるんだ……!!」


 ソラが飛び出しかけたが、それよりも早く、クレッグは己の心臓を貫いた。

 クレッグの口の端から血が溢れ出て、そのまま赤い魔導陣にくずおれる。

 その瞬間だった。クレッグの身体がまるで砂のように崩れて、魔導陣に吸い込まれるようにして消えたのは。

 そこに残ったのは、クレッグが身につけていた衣服と自らを刺し貫いた剣だけだった。


「……隊長」


 ラルフがそれを見て、膝を折って静かに泣いた。

 ソラには彼にかける言葉がなかった。ラルフは本当にクレッグのことを信頼し、慕っていたのだから。

 それでも、ソラがためらいがちに、ラルフの肩に手を置こうとしたとき。

 どくんっ、という音が、赤い魔導陣から直接脳裏に響いたのだ。


「あっ……!!」


 皆が赤い魔導陣を注視する。その魔導陣は、先ほどとは比べものにならないくらいの強烈な光を放っていた。

 怖気がはしるような妖気とともに。

 徐々に圧力が高まっているのが感じられた。それと同時に洞窟全体が、いや山全体が鳴動しはじめていた。

 天井が崩れはじめ、ぱらぱらと砂や石が落ちてきている。

 もはや一刻の猶予もないようだった。


「……みんな、すぐに脱出するよ! 生き埋めになる!!」


 ソラの切羽詰った声に、皆は我に返り、ソラのもとへ集まった。

 ソラはすぐさま、<飛翔>の魔導を行使する。悠長に浮かんでいる暇はないと判断した。

 崩れかかっている広間を通り抜け、縦穴へと飛び込む。縦穴もこの震動で壁に亀裂がはしりはじめていた。

 そのまま縦穴を脱し、洞窟を高速で突き進む。


「う、うわっ」


 ソラの右手に掴まりながら、ラルフが情けない声を出した。

 それも仕方ないことだ。幅が三メートルぐらいしかない洞窟の道を縫うようにして飛んでいるのだ。すぐ側の壁がぞっとするような勢いで後方に流れていく。まともな神経の持ち主なら、気を失いかねない程の恐怖である。

 通常、こんな狭いところで<飛翔>の魔導を行使することなどありえない。それこそミリ単位のコントロールを必要とするからだ。そこらの魔導士なら壁や地面に激突するのがおちだろう。

 しかし、ソラの制御はまさに卓越していた。高速で、三人も引っ張っているのにもかかわらず、安定を損なうことなく、縦横無尽に洞窟内を移動していた。しかも、道に迷うそぶりもまったく見せなかった。文字通り最短で出口を目指して飛翔していたのだった。

 途中、ソラたちの進行方向にグレムリンが一体うろうろしていたが、高速で飛んでくるソラたちに気づいた瞬間に撥ねられていた。ぐるぐるとコマのように高速回転したかと思うと、そのままビタンッと壁に叩きつけられた。


 (……緊急事態だから、許せ)


 と、ソラは心の中で侘びた。

 そのうち出口の光が見えてきた。行きに三十分程かかった道のりを、わずか三分でソラは駆け抜けた。

 速度を緩めることなく出口を飛び出たソラは、そのまま山の麓にある道にまで飛翔してから、魔導を解除した。

 地面に降り立つ一同。ラルフは青い顔をして、へなへなと座り込んでいた。よほど怖かったらしい。

 外は完全に日が暮れており、三日月形の月が空に浮かんでいた。

 ボルツ山の鳴動は先ほどよりもさらに激しくなってきており、今や周囲にまでその揺れが伝播している。地震でも発生しているのかと錯覚するほどだ。ソラたちもバランスをとらなければ、立っていられないほどである。


「まずいね……」


 ソラは山の奥深くから、膨大な魔力が高まっているのを感知していた。 

 この魔力の波動からしても、並の妖魔ではなさそうだった。

 ソラたちは立ち尽くして、そのときを待っていた。もはや、妖魔を倒さない限り、自分たちはおろかホスリングの町も滅びかねないのだから。

 しばらくの間大きな揺れが続いていたが、あるとき、ぴたっとその揺れが止まったのだった。


「お、収まった?」


 ラルフが呆然と辺りを見回して、ほっと安堵の息を吐いた。

 だが、これは嵐の前の一瞬の静けさであった。

 突然、洞窟の入り口がある山の中腹から、黒い炎が勢いよく噴き出したのだ。


「――う、うわあああああ!?」 


 ラルフが大声で叫ぶ。

 その黒い炎によって吹き飛ばされた大量の土砂や木が皆の頭上に降ってきたが、ソラが障壁を張って防いだ。

 山の中腹にぽっかりとした大きな穴が開いているのが、麓にいるソラたちにもはっきりと見えた。

 しばらくするとその穴から、規則的な震動が伝わってきた。何か大きなものが歩いているのだ。

 四人は身じろぎひとつせずに、穴を見つめ続ける。

 震動はだんだんと大きくなり、出口へと近づいてきている。

 ラルフのごくりと息を飲む音が聞こえてきた。

 そして、とうとうそれは姿を現したのだった。

 ぬっと、穴から大きな影が月光の下に躍り出る。


「……ワ、ワニ……?」 


 ラルフが魅入られたように、その巨大な姿を視界に納めながら言った。 

 ラルフの言ったとおり、月明かりに照らされたその姿は、この世界にもいるワニのようであった。

 全高は七メートルほどか。面長の顔に、横に大きく裂けた口には凶悪な牙がずらっと並んでいる。その頭を太い胴と足が支えていた。背には赤いたてがみが生えており、十メートル以上ありそうな長い尻尾の先端にまで続いていた。

 一言でいえば、二足歩行しているワニ、というのが近い表現かもしれない。

 その姿は、あの巨大な扉に描かれていた悪魔の姿そのものだった。

 多くの人間の命を対価に眠りから覚めた妖魔は、縦に裂けた瞳孔を収縮させながら、圧倒的な存在感とともにソラたちを睥睨したのだった。

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