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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
一章 魔法使いと温泉の町
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第13話

 ソラたちが最終的に辿りついたダンジョンの地下深く。そこには、巨人でも通るのかというような、巨大な観音開きの扉があり、その扉の左右には、おどろおろどしい悪魔を模した彫刻が刻まれていた。

 その扉は、まさに圧倒的な威圧感を発しながら、ソラたちを睥睨するかのように出迎えたのだった。


「…………」


 さすがに、これには言葉を失って茫然と佇む一同。


「……マルクが言ってた、地獄っていうのも、あながち間違ってないかもね……」


 元気娘であるマリナも、さすがに緊張した表情を見せていた。

 そう思うのも無理はない、とソラは思った。目の前にある異様な迫力の扉は、地獄へとつながる門だと言われても、納得しそうな雰囲気がある。

 すると、周囲を警戒していたアイラが何かに気づいたようだった。


「お嬢様、隅を見てください」


 アイラの言葉に従って広大な部屋の隅を見てみると、そこには、武器や鎧、衣服などが散乱していたのだ。


「これって……!」


 皆がそこに駆け寄って、調べてみる。


「行方不明の冒険者たちの装備品で間違いないみたいだね」 


 ソラが、黒ずんだひとつの鎧の裏に、行方不明者の名前が刻まれているのを確認して言った。

 と、ソラは端に狭い溝があるのを見つけた。


「――なるほどね。冒険者たちを、あの仕掛けがある部屋におびき寄せて、罠にかけ、排水と同時に彼らを穴に落とした。そして、落ちた水は、あの溝に流れ込むというわけだね」


 ソラの言葉を皆はじっと聞いていた。

 ソラがよく見ると、扉がある反対側の地面はわずかに傾斜しているようだった。穴に排水された水を、溝に落としやすくするためだろう。

 もうひとつ気づいたことがある。


「……もしかしたら、排水された水は、川に流れ込んでるんじゃないかな? ここって位置的には川の近くだし」


 ラルフがそれを聞いてあっという顔をした。


「じゃあ、川が何の前触れもなく、いきなり増水するのって……」


「おそらく、この仕掛けによるものでしょう。ここ一年ほどに起こりはじめたと言ってましたよね? 辻褄は合ってます」


 ソラとラルフが会話している横では、辺りをきょろきょろしていたマルクが、 


「……でもさ、服の中身――肝心の冒険者たちはどこに行ったんだ?」


 おそるおそるといった風に質問した。

 一同は押し黙った。

 そうなのだ。装備品は散らかっているのにもかからわず、その所有者の姿がまったく見えないのだ。それに、なぜか装備品の中には下着まであったのだ。まるで、中身の人間だけが、どこかに突然消えたようだった。


「――とすれば、あそこしかないよね」 


 マリナの声とともに、皆が巨大な扉に振り向いた。


「とえあえず、調べてみましょう」 


 ソラたちはアイラの言葉に頷き、扉の前まで歩いた。

 それから、しばらく皆で調べてみたが、何の手がかりも、扉を開ける手段も見つけられなかった。一応、周囲も丹念に調べたが、何も見つからなかった。


「……駄目だね。この扉がなんなのかも分からないし、開けるのも無理っぽいよ」


 マリナが降参するかのように、両手を上げた。


「それに、力ずくで開けるのも、至難のようです。上にあった扉と同じアダマンタイト製のようですし、周りの壁もかなり厚い岩盤でできているようです」


 アイラも扉の周囲の壁を触りながら言った。


「…………」


 ソラはそれらの言葉を聞きながら、扉の彫刻の溝に沿うように、指を動かしていた。

 この扉の向こうに何があるのか、探知を試みたが、なんらかの力が働いていて、うまく探ることができない。

 ……それに、地底湖があったところからも、感じていた嫌な気配。それは、この扉の向こうからひしひしと放出されているのだった。

 ――深入りするべきではない、取り返しのつかないことになるかもしれない。

 ソラの予感が、そう警鐘を鳴らしている。


「どうしますか? この奥に何かがあるのは間違いないみたいですけど……」


 ラルフが訊いてきた。

 ソラはしばらく扉に手を当てて考え込んでいたが、


「……この奥に入るのはやめておきましょう。仮に入る手段が見つかったとしても。少なくとも今日のところは、冒険者たちの遺品が見つかっただけでも大きな収穫です」


 その言葉にラルフとマルクはほっとしたようにため息をついたのだった。

 あの、おどろおどろしい扉の向こうは、ソラでなくとも、嫌な予感しかしないだろう。

 それから一同は、冒険者たちの遺品を、持ってきていた袋に分担して収めてから、ホスリングへと戻ることになった。

 来たときと同じ、<風>の結界をつくり、垂直に登っていく。

 結界が縦穴に入る直前に、ソラは振り返って巨大な扉を見た。

 面長の、なにか爬虫類に似た悪魔の彫刻。その怖ろしい目つきをした悪魔は、黒い炎を纏っていたのだった。




 ソラたちは地底湖のあった場所まで戻ってきた。縦穴に降りる前と何の変化もなかった。

 一行は、洞窟の入り口を目指して歩き出した。

 冒険者たちの装備品は、けっこうの量があったが、ラルフが男の意地を見せて、大半を背負って歩いていた。 

 残りは、アイラとマルクが持っていた。


「あの……大丈夫ですか? 私たちに少し分けてもらってもいいんですけど」


 ラルフはフル装備の鎧一式に加えて、重たい荷物を持っているので、涼しい洞窟内にもかかわらず、うっすらと汗を搔いていたのだ。

  対して、ソラとマリナは背嚢を背負っているだけで、両手が開いていた。


「いえ、自分は特に役に立てなかったので、これぐらいはさせてください」 


「そんなことはないと思いますけど……」


 と、ソラは言いつつも、ラルフの意思が硬いようだと察したのだった。

 それに、実際、そこまで疲れているようにも見えなかった。ある意味、大した体力だといえる。

 ソラは、アイラとマルクの方にも問いかけるように振り返ったが、


「俺こそ、完全に足手まといだったからさ、荷物持ちぐらいはするよ」


「お嬢様たちに、こんな重いものを持たせられません」


 いつになく殊勝なマルクに、いつもどおりぶれないアイラだった。


「いいじゃない。持ってくれるって言ってるんだからさ。花を持たせてあげようよ」


 と、マリナはあっけらかんと言っていた。

 一行はしばらく黙々と歩いていたが、ラルフがぽつりと呟いた。


「――それにしても、犯人は結局分からずじまいでしたね」


「そうだよなあ。誰があんな酷い真似をしてたんだろうな」


 マルクも思案顔で頷いていた。

 ふたりで、あーだこーだと言っていが、ソラが静かな声で割り込んだ。


「そのうち、犯人の姿を見れるかもしれませんよ。なにせ、極上の餌がいますからね」


 意味が分からず、ラルフとマルクがソラの方を振り向いた。

 だが、ソラはどこか遠くを見るような目をしているだけで、それ以上は口を開かなかった。

 マリナとアイラは、そんなソラを見つめつつ、お互いに頷き合っていた。

 それから、一行が中間地点である十字路に差しかかったときだった。


「っ!」


「――この匂いは! みんな避けろ!!」


 突然、アイラが険しい顔をして叫んだのだ。


「「えっ!?」」


 ラルフとマルクが突然のことにあたふたとする。


「マルク、もたもたしないっ!!」


 マリナがマルクを抱えるようにして飛び退り、アイラがラルフを突き飛ばしながら、自分も横っ飛びした。

 その瞬間。

 突然、十字路の上から爆音が轟いて、天井が崩れてきたのだ。


「うわああああああっ!?」


 マルクの驚愕した声が洞窟内に響いた。

 ずずん、という地響きが響き渡り、辺りは暗闇に閉ざされたのだった。

 ソラも、崩落する瞬間、間一髪で道のひとつへと逃げ込んでいた。

 暗くてよく見えないが、どうやら十字路は土砂で完全に塞がってしまったようだった。

 辺りには物音ひとつなく、静寂に満ちていた。

 どうやら、この道に逃げ込んだのはソラだけで、他の皆とは分断されたようだった。


「…………」 


 ソラは片膝をついた状態から、ゆっくりと身体を起こした。

 だいたいのダンジョンの地図は、頭の中に入っている。皆と合流しようと歩きかけたときだった。

 突然、前の暗闇が揺らめいたかと思うと、ソラは何者かに胸ぐらを乱暴に掴まれて、壁に激しく押しつけられたのだった。


「…………っ!!」


 その衝撃により、ソラは肺から空気が強引に吐き出されて、一瞬呼吸が止まる。

 何者かは、次に、ソラの両足の間へと足を割り込ませ、完全に動きを封じてきたのだった。

 と、聞き覚えのある声が、ソラのすぐ目の前から聞こえてきた。


「――ははっ。捕まえたぜえ、お姫様よお」


 闇に目が慣れてきたソラが、目を凝らすように、声がしたところを見ると、そこには愉悦に滲んだ表情のジャックの顔があったのだった。 


「……ジャック・リーパー」


「おう。お姫様に名前を覚えてもらって、光栄だぜ」


 ジャックは暗闇の中でも分かるような、ぎらぎらした目でソラを見ていた。


「魔導は使うなよ。魔導紋を視認できるぐらいには、同調訓練を受けてんだからな。それに――」


 ジャックは、ソラの胸ぐらを掴む手に力を入れた。


「――こうやって捕まえちまえば、あの妙な体術も使えねえだろ。こうなりゃあ、ただの小娘と変わらねえ」


 ジャックが、くくっと笑う。なにやら息が酒臭い。どうも少し酔っているようだった。

 よく見てみると、ソラを捕まえているのとは逆の手に、ぎらりと光るナイフが握られていた。


「やはり、あなたが犯人だったんですね」


「あちこちで、嗅ぎ回ってるみたいだな。そうさ、俺がやったのさ。今まで多くの魔導士どもを葬ってきた。楽な仕事だったぜ?」


 ソラが厳しい顔をして言った。


「これまで、何十人殺してきたんですか? しかも、魔導士でもない人間まで巻き添えにして。主義主張のためなら何をしてもいいんですか?」


 ジャックはそれを聞いて、再度おかしそうに笑った。


「おいおい、お説教なら勘弁してくれよ。言っとくが、俺には魔導士の排除とかどうでもいいんだよ。構成員とはいえ、ただの雇われみたいなものだしな」


「……雇われ? あなたに指示している人間がいるってことですか?」


 ソラの質問に、ジャックが目つきを鋭くした。


「……余計な詮索はするな。お前は自分の心配だけしてればいいんだよ」


 冷たい声で忠告したジャックだったが、すぐに余裕の態度へと戻った。


「それにしても、あの最奥の間の仕掛けが破られるとは思わなかったけどな。さすがに、<至高の五家>の魔導士様はひと味違うな? これまでの魔導士たちは、皆なす術もなく溺死したのによ」


「それで、爆薬を使って、私たちを分断したんですか?」


「ちょっとした博打だったけどな、洞窟内で使うのは。――だが、結果は見てのとおりだ。か弱いお嬢様が、まんまと俺のいるところにひとりで転がってきやがった」


 ジャックは愉快そうに笑いながら、持っているナイフをくるくると回していた。やはり酔いで、テンションが少しあがっているようだった。


「……それで、私をどうするつもりですか?」


「そんなの決まってるだろうが。てめえはなぶり殺しだ。他のやつらも始末しなきゃならねえから、あまり時間をかけられないのが残念だがな」


「そうですか……なら、最後にふたつだけ訊いてもいいですか?」


 ソラの静かな態度が気に入らなかったのか、ジャックはナイフをソラの喉もとに突きつけて凄んだ。


「……詮索はするなと言ったはずだぜ……だが、質問によっちゃ答えてやってもいい」


 ソラはそれを聞いて、心の中でかすかに笑った。自分の優位性を自覚しているから、そんな無用な隙をつくる。手早くナイフを横に引けばいいのに。

 考えていることを、表情にはおくびにも出さずに、ソラは訊いた。 


「行方不明なっている、元警備隊員のレオナルド・へインズ。彼を殺したのはあなたですか?」


 ジャックはそれを聞いて、にやりと笑った。


「気にくわねえヤツだったぜ。俺のことを見下しやがって。しかも、魔導まで使えるからと調子にのってやがった。それに、ラルフの野郎にも似た正義感の強いところが、うざったくてしょうがなかったぜ」 


「彼も、この洞窟で殺したんですか?」


「ああ。のこのことひとりでやってきたところを、あの最奥の間ではめてやった。もっとも、溺死なんてぬるいことはしねえ。溺れる寸前に排水して、虫の息だったところを滅多刺しにしてやったのさ。」


 ソラは顔をしかめる。


「なんて酷いことを……」


「これ以上ない最高の気分だったぜ? おら、最後の質問をしろよ」


「……あの、縦穴を降りた先にあった巨大な扉はなんなんですか?」 


 ソラが最も気になっていたことを訊いてみた。

 しかし、ジャックは即座には答えずに、しばし黙り込んだ。


「……あれに関しては俺も詳しいことは知らねえ。決して触れるなと言われてるしな……」


 傲岸不遜なジャックには珍しく、その声にはわずかながら怯えが混じっていたのだった。

 ソラは吟味するように、一度目を閉じた。

 そして、不意に言った。


「……そうですか。それなら、あなたに訊くことはもうありませんね」


 不穏な空気を感じたジャックが行動を起こすよりも早く、ソラの瞳が開かれ、その身体から不可視の衝撃波が放たれた。


「……なっ!?」


 ジャックは、その突然の衝撃にたたらを踏みつつ、数歩後退した。

 驚くジャックが、何か眩しさを感じたかのように目を細めて、ソラの方を見る。

 すると、ソラの全身から蒼く輝く魔力のオーラが放出されていたのだった。膨大な魔力が活性化したときに起こる現象で、限られた人間にしかできない。魔力は波動を発する性質があるが、これくらい強大になると、物理的な圧力となるのだ。

 その圧倒的な輝きと、侵しがたい威厳を纏ったソラは、神々しささえ感じられた。

 薄暗い洞窟を照らす美しいひとりの少女。その姿は、まるで場違いな場所に光臨した天使のようであった。

 その活性化した魔力によって、髪をゆらゆらと揺らめかせながらソラは言った。


「――迂闊だったね。あの最奥の間の仕掛けが破られた時点で、キミは逃げ帰るべきだったんだよ。まあ、私としては、長期戦にならずに済んだから良かったんだけどね」


「……て、めえ……」


 ジャックは、ようやく自分がおびき出されたことに気づいたようだった。


「警備隊の隊舎でわざわざ皆に聞こえるように、洞窟を探索すると言ったのは、このためか!」


 他にもソラは、クロエたちに頼んで、ソラたちが洞窟に挑戦することを、町の人間に流れるようにしていたのだ。別に流れなくてもいい情報も出回っていたようだが。

 <至高の五家>の人間であるソラとマリナが洞窟に潜る。この絶好の機会を犯人が見逃すはずはない。ソラたちは己を囮にして誘い出したのだ。マルクが乱入してくるのは予定外のことだったが。  

 そして、ソラは帰りの道中で、ひとつの気配がついてきていることに気づいていた。何かを仕掛けてくるのは予想済みで、マルクとラルフはマリナとアイラがそれぞれ責任をもって引き受けることは、阿吽の呼吸で示し合わせていたのだ。

 あとは、ジャックが潜んでいる道へと、わざとひとりで逃げ込んだのだった。

 ソラを包んでいた光が徐々に薄くなっていき、空に浮かんでいた髪も重力に引かれて元に戻っていく。 

 光が完全に消えるのと同時に、ソラは虚空へと<光明ライト>を打ち上げた。

 魔導の白い光が、辺りを煌々と照らす。

 その明かりの下に浮かびあがったジャックの顔にはびっしりと大量の汗が浮かんでいた。目の前の少女が、決して手を出してはならない相手だということを悟ったようだった。

 ジャックと仕合をしたときのように、ソラはゆったりと大胆に距離を詰めていく。

 ジャックは慌ててナイフを捨て、腰に刷いていた剣を抜き放った。

 明らかにジャックは及び腰になっていたが、ソラに油断はない。追い詰められた人間ほど油断ならない存在はないからだ。

 ソラがどうやってジャックを取り押さえようかと考えていたとき、突然声が割って入った。


「――このおおおおおお!! ソラさんから離れろっ!!!」


「え?」


 ソラとジャックが意表をつかれて、声の方を振り向くと、暗闇の中からラルフがもの凄い勢いで、突っ込んできたのだった。

 そのままジャックに体当たりをするラルフ。


「があっ!?」


 ジャックは数メートルほど吹き飛んでいったのだった。

 やや唖然としながら、ソラは一連の出来事を見ていた。


「ラ、ラルフさん?」


「大丈夫ですか! ソラさん!?」


 ラルフは身を起こし、ソラに近づきながら尋ねてきた。


「ええ、まあ。それよりも、どうしてここに?」


「アイラさんに突き飛ばされて、あの崩落には巻き込まれずにすんだのですが、僕ひとりだけになってしまって。すると、近くからソラさんの声が聞こえてきたので、急いで走ってきたんです」


 どうやら、あの十字路の四方向に、皆、別々に分散するように避けたようだった。マルクはマリナが抱えていたので、あの二人は一緒だと思うが。

 ラルフはソラが逃げ込んだ通路の隣りに突き飛ばされたのだろう。洞窟内を迂回して駆けつけたらしかった。

 この状況で、正直感謝するべきなのか微妙だったが、ラルフらしい行動といえた。


「それよりも……本当にジャックさんが犯人だったんですね」


 ラルフは立ち上がりかけているジャックを睨みつけていたが、おもむろに言った。


「ソラさん。僕にやらせてください」


 ソラは即座に却下した。


「……それはできません。オーガのときとは状況が違います。彼を取り逃がすわけにはいかないんです」 


 しかし、ラルフは強い口調で続けた。


「お願いします。最後の最後まで、ずっとソラさんたちに頼りっきりでは、僕はここまでついてきた意味がないんです。それに、同じ警備隊員としてのけじめでもあるんです」


 ラルフは、普段はお人よしな青年だったが、ここぞというところでは絶対に譲らない頑固さがあった。

 そういう部分はソラの父親であるトーマスに似ていたので、ソラもラルフを説得するのは無理だと経験的に悟ったのだった。

 ソラはひとつため息をついた。


「……分かりました。けど、ジャックには一度も勝ったことがないんですよね?」


「……はい。でも、今日は勝ちます」


 ラルフが剣を抜きながら、ジャックへと向き直った。

 ジャックは、相手がラルフになったのを見て、わずかに唇の端を持ち上げた。ラルフを人質にするなりして、突破口をつくるつもりなのだろう。

 集中しはじめたラルフに、ソラはそっと声をかけた。


「ラルフさん。正攻法じゃ、格上の相手には勝てません。あなたは自分の長所を最大限に活かすための戦いをするべきです」


「自分の、長所……」


「そうです。短所を無理に補うよりも、いかに長所を活かすかです。クオン師匠の教えです」


 ラルフは一度ソラを見てから、ゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます。じゃあ、行ってきます」


 ラルフはジャックの前へと歩いていった。


「……てめえ、ラルフ。雑魚のくせに、舐めたこと言ってくれるじゃねえか。ああ?」


 ジャックは右手に持っていた剣を、ぶら下げるようにして待ち構えていた。

 ラルフはそれには答えずに、ただ睨みつけるのみで、それを見たジャックがぺっと唾を地面に吐きつける。

 そして、ふたりは静かに対峙した。

 ソラはそれを見ながら、今のラルフではジャックには勝つのはやはり難しいだろうと思った。

 一対一の戦闘において、正面から戦えば、状況や運に多少左右されるとはいえ、地力のある方が高確率で勝つのだ。

 それに、よく見れば、崩落の際に落としたのか、ラルフは兜と盾を失っていた。あれでは、ラルフの得意な、防御を主体としたカウンタ-が難しくなる。

 ジャックもそのことをよく分かっているのか、いきなり突きの連撃をみまってきた。


「おらおらっ! 調子くれてんじゃねえぞ!?」


 ラルフは身をできるだけ縮ませて、剣を正面に置き、急所を守っていた。

 ジャックの剣先が、何度もラルフの頬や鎧をかすめる。

 ラルフが反撃しようと、足を踏み出しかけるが、ジャックの連続攻撃が隙をまったく与えなかった。

 ラルフが耐え、ジャックがひたすらに攻撃する。そんな攻防がしばらく続いた。

 ラルフは致命傷はなんとか紙一重で避けていたが、傷は増えていく一方だった。

 このままでは、ジリ貧だ、とソラが思ったときだった。

 じっと耐えていたラルフが動いた。

 ジャックの死角をつくように、右へと身体を滑らしたのだ。

 しかし、ジャックには通用しなかった。移動するラルフへと即座に剣を薙ぐ。この攻撃を剣でぎりぎりで受け止めるラルフ。


「何、無駄な足掻きをしてんだ、コラ!?」


 ジャックがせせら笑う。

 だが、これで終わらなかった。ラルフは防がれても、しつこくジャックの死角へと移動し続けた。


「だから、無駄だって言ってんだろうが!!」


 ジャックは徐々にいらいらしてきたようだった。

 それでも、ラルフは身を低くして、左右へと動くのを繰り返した。それは、この前のアイラの動きを連想させた。もちろん、アイラほどの華麗さはないし、速度や技術もないので、綱渡りのようなぎりぎりの動きではあったが、それを体力でカバーしているようだった。まさに無尽蔵のスタミナだった。

 ラルフが普段から基礎トレーニングを欠かさずにやってきたことの証明であり、己の長所を最も活かした戦いでもあった。


「……くっ! ……はあはあ、この野郎!」


 今でも攻撃し続けているのはジャックの方だ。だが、徐々に追い詰められてもいた。しつこいラルフの動きに、息があがってきている。

 一方のラルフも、全身に傷を負い、満身創痍となりつつあった。

 ジャックの動きもかなり鈍くなっていたが、ラルフのダメージの蓄積も限界が近い、とソラは思った。

 ラルフに恨まれることになっても、手を出すべきか、とソラが迷ったときだった。

 ラルフが思いきりジャックに向かって踏み出した。勝負に出たのだ。

 ジャックもこれをチャンスとみて、ラルフの首元を狙って、全力の突きを繰り出した。

 ばっちりのタイミングに、ジャックが勝利を確信したような笑みを浮かべた。

 が、ここでラルフは思いもよらない行動に出た。

 左手の手の平を、剣に向かってつき出したのだ。


「なっ――!」


 さしものジャックも驚愕した。

 剣がラルフの手の平に突き刺さって停止する。

 ラルフは痛みに顔をしかめながらも、貫かれた手ですぐにジャックの手を掴んだ。

 そして、静かな声とは裏腹に、瞳を燃え上がらせて、ラルフは言った。


「……これで、もう逃げられませんよ。今回は僕の勝ちです」


 ジャックが強引に離れようとしたが、それよりも先に、ラルフの渾身の正拳がジャックの顎を打ち抜いたのだった。

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