第11話
「――どうです? まだ痛みますか?」
ソラが鎧を脱いだラルフの胸部へ軽く手を当てて訊いた。
「大丈夫です。もうほとんど痛みはありません。ありがとうございます」
ラルフがあはは、と頼りなく笑って答えた。
現在ソラたちはオーガの攻撃を受けたラルフの治療をしているのだった。
戦闘が終了した後、数十メートルほど進んだところにあった小さな広場に場所を移動していた。
オーガと戦っていた場は凄惨な様相を呈しており、異臭も酷かったためだ。マルクなどは、そのグロテスクな光景に吐きそうな顔をしていたぐらいだった。
ソラとしても、精神的な疲労を感じはじめていたので、一度休憩したいと思っていたのだ。
ラルフの傷は思ったより軽かった。多少の打撲と内出血ぐらいだ。なので、ソラの治癒術でも事足りた。もし、鎧を着込んでいなければ、ろっ骨を何本かもっていかれていただろう。
治療が終わり、ラルフがあたふたと鎧を装着している隣りで、マリナとマルクが話しをしていた。
「まだ顔が青いじゃない、マルク。さっきのがそんなに堪えたの?」
「う、うるせえよっ! そんなんじゃねえよっ!」
マルクはそう強がったが、あきらかに青ざめた顔をしていて、説得力は皆無であった。
「初めては誰でもそんなもんだよ。少しずつ慣れていくしかないしね。じゃないと冒険者なんてやっていけないよ」
マリナは淡々と茶化すことなく言ったのだった。
「ぐっ……」
マルクは何か言い返そうとしたようだったが、マリナの言い分があまりにも正論だったため、悔しそうに口をつぐんだのだった。
ラルフが鎧を着込み終わり、さあ出発だというときだった。
辺りを警戒していたアイラが警告の声を発した。
「また、来たみたいだぞ。かなりの数に囲まれている」
「!」
その、アイラの不吉なセリフに、ラルフとマルクが血相を変えて、周りを見回しだした。
広場の出口はふたつ。今しがた通ってきたばかりの道とこれから進もうとしていた道だ。
ソラの魔導の光が広場を煌々と照らしているが、その先の通路は暗闇に包まれている。
人間が本能的に闇を怖れるというのは間違っていないとソラは思う。あの暗闇を見ているだけで、何かが突然出てきそうな、あるいは引きずりこまれそうな気分になるのだ。
そんなことをソラが考えていると、両方の出口から、「ギイ! ギイ!」と嫌悪感を催す甲高い鳴き声が聞こえてきた。
そして、その声は徐々に数を増やしているようだった。多くの鳴き声が洞窟に反響して、不快な唱和を形成した。
「なんだよっ! うるせえなあ!」
マルクが一同の気持ちを代弁するかのように悪態をついたが、顔は青いままであった。まだ冷静さを保っているだけでも、この年齢の子供としては大したものではあるが。
すると、その声に反応したようにぴたっと鳴き声が止んだ。
マルクが思わず動きを止めたのと同時に、突然いくつもの小さな影が広場へと躍り出てきた。
「ギイイ!」
それは緑色をした小柄な生物で、先ほどオ-ガに捕獲されていたグレムリンであった。身長は一メートルもなく、ぴくぴくと動く長い耳、地面にまで届きそうな長い腕に、毛のほとんどないしわくちゃな醜い顔をしていた。
鳴き声を発しながら、両方の道から続々と入ってくる。確認できるだけでも三十体を超えていた。
なにやら皆怒っているような様子であった。長い爪を振り回したり、飛び跳ねたりして威嚇してきている。
「……こいつら、なんか俺たちことを目の敵にしてないか?」
マルクがやや腰が引けながらもグレムリンたちを見て呟いた。
「たぶん、さっきのグレムリンの死骸を見て、あたしたちの仕業だと思ったんじゃないの? グレムリンって仲間意識が強いって話しだし」
マリナが戦闘体勢に入りながら答えた。
マルクが「あれは、俺たちのせいじゃないだろ!」と文句を言っていたが、グレムリンが聞き届けてくれるわけがないのは明白だった。
二方向から襲いかかろうとするグレムリンたちに対して、マリナとアイラがそれぞれ相対した。
「ぼ、僕も……!」
ラルフも戦闘に参加しようとするが、ソラが止めた。
「まだ、駄目です。体力まで完全に戻っているわけじゃないんです。ここはふたりに任せて、すり抜けてきたヤツだけを相手にしてください。」
先ほどまで脳震盪をおこしていて、すぐに激しい動きをさせられないという理由もあり、ソラはラルフを制止した。
「……っ、了解です」
ラルフは了承して、広場の中央にいるソラとマルクには近づけないようにと構えだけをとった。
しかし、結果からいって、その必要はまったくなかった。
ほどなくして始まった戦闘で、マリナとアイラはグレムリンたちを圧倒したのだった。
マリナの肉厚のある長剣が一撃で複数のグレムリンを絶命させ、アイラの双剣の舞が的確に敵の首を切り落としていった。怪物たちの血煙と怒号が二人を取り巻いた。
グレムリンは単体としてはたいした敵ではないが、その小さな体格を生かして死角を狙ってくることと、常に複数で連携してくるので、案外侮れない相手なのだ。また、その凶悪な牙と長い腕の先についている爪は、怖ろしい病原菌を宿している場合があり、冒険者が狭いところで出会いたくない怪物の上位に入っているのだった。
マリナとアイラは危なげなくグレムリンを掃討していった。最終的には五十体ほどに増えたグレムリンたちも、一分とかからずに壊滅しかかっていたのだった。
「す、すげえ……」
マルクは二人の戦いぶりにすっかり魅入られていた。
護衛のアイラは当然としても、マリナの実力はマルクの想像を遥かに超えていた。おそらく、町の警備隊員では相手にもならないだろう。
(同い年で、しかも女なのに……)
マルクの中に形容しがたい感情が込み上げてくる。
マルクは突然真剣な顔になって、左腕の上着をまくった。
左腕にはマルク愛用のスリングショットが装着されていた。
そして、マルクは一目散にマリナが戦闘している方へと走り出したのだ。
「マルク!!」
ソラが咄嗟に手を伸ばして捕まえようとしたが、間一髪でマルクはすり抜けた。
マルクは走りながら、ポケットから小石を取り出して、スリングショットのゴムひもに引っ掛けて、ぎりぎりとゴムを伸ばし始めた。
「俺だって、こんな小さいヤツの一匹ぐらい!」
マルクは叫びながら、目の前にいたマリナを追い抜いた。
それを見て驚くマリナ。
「ちょっと、マルク!?」
「おらあっ! くらいやがれっ!!」
マルクは残っていた二体のうち、右にいたグレムリンに向けて、装填していた石をゴムから解き放った。
まっすぐと高速で飛んでいった石は、見事グリムリンの額に命中したのだった。
悲鳴をあげながら後へと倒れこむグレムリン。
「やった! ちょろいぜ!」
調子に乗ったマルクは背後にいるマリナの声を無視して、新しい石をスリングショットに装填し直し、残った最後の一体に狙いを定めて、石を再び飛ばした。
その完璧な軌道に、会心の笑みを浮かべるマルク。
しかし、グレムリンは大きく口を開けると、驚いたことに、自身の顔面に飛んできた石にタイミングを合わせてかじりついたのだった。
そのまま、口の中でがりがりと石を噛み砕く音がした。
「な……っ!」
グレムリンの思いもがけない行動に、マルクは唖然として動きを止めた。
グレムリンはぺっと石の一部を吐き出し、爬虫類のような目をにやりと細めて、マルクへと笑って見せた。
その横では、マルクの最初の攻撃でダウンしていたグレムリンが頭から緑色の血を流しながらも立ち上がって、マルクを血走った目で睨みつけたのだった。
「……う、あ……」
マルクは咄嗟に下がろうとしたが、足がすくんで、膝が少し曲がっただけだった。
二匹のグレムリンがそんなマルクをあざ笑うかのように、じわりとにじり寄ってきた。
グレムリンたちが、マルクに攻撃を加えようかというときだった。
「そのまま、じっとしてなさい!!」
マルクの背後から厳しい声が聞こえてきたのは。
マルクが思わずその声に従って、動きを止めたのと同時に、マルクの頭上に影が差した。
マリナが驚異的な跳躍を見せて、マルクを飛び越したのだ。
今度はグレムリンたちが意表を付かれ、ぎょっとしたように固まる。
その隙を見逃さずに、マリナは横へと長剣を薙ぎ払い、二匹のグレムリンの上半身をまとめて吹き飛ばしたのだった。
「――この、お馬鹿っ!!」
戦闘が終わったあとの広場では、マリナの雷が落ちていた。
マリナの目の前では、マルクがうなだれた様子で叱られていた。
「あんた、自分が何をしたのか分かってんの? 勝手な行動は慎むのが絶対条件だって、私たちと約束したでしょうが! 私が助けなかったら、あんたは死んでたんたかもしれないんだよ! そんな甘い認識しかないんなら、冒険者を目指すのなんてやめなさい!!」
マリナの叱責を聞いたマルクはますます萎んでいったのだった。
(それにしても、マリナが本気で怒っているところなんて久しぶりに見たな)
と、ソラは思った。
ラルフはもとより、アイラも少々驚いているようだった。
マリナが本気で怒ることなんて滅多にないことだ。いつも飄々としていて、他人から理不尽な感情を向けられても、上手に受け流すようなタイプなのだ。
マリナの叱っている姿を見ると、ソラは前世のことを思い出すのであった。
前世のソラとマリナ――空矢と優海には、前世でも少し年の離れた弟がいた。
血を分けた兄弟、しかも末っ子ということもあって、二人して可愛がったのものだった。
優海も、弟のわがままを聞いてあげる、甘々な姉であった。それこそ、怒ることはほとんどなかった。
ただ、その優海も一度だけ本気で弟を叱ったことがあった。
あれは、兄弟三人で近所の公園に遊びに行ったときのことだ。公園の前には大きな道路があり、日も暮れはじめていたので、交通量も徐々に増えてきている時間帯だった。当然、空矢と優海は弟に絶対に公園から出ないように言い聞かせたのだった。
しかし、空矢がトイレに行き、優海も弟から一瞬目を離してしまったときのことだった。
そのわずかな隙に、弟はふらふらと道路の反対にあるコンビニへと行こうとしたのだ。
弟は、信号がちょうど青に変わった横断歩道を渡ろうとしたが、一台の乗用車が強引に突っ込んできたのだ。
弟は立ちすくんでいて、このままでは跳ねられるという寸前で、優海が疾風のごとき素早さで、弟を横からかっさらって助けたのだった。
各運動部から助っ人として頼られるのも頷けるような、素晴らしい脚力だった。
弟に怪我はなく、優海も足に小さな擦り傷をつくっただけだった。
弟の無事を確認して、公園に戻った優海は、烈火のごとく弟を叱りつけた。それから、初めて怒られて泣き出した弟を強く抱きしめたのだった。
優海は、その名前のとおり、優しい女の子だということを空矢はよく知っている。とても身内を大事にしていることも。妹は飄々としていても、本当に大事なものが何かをちゃんと理解しているのだ。
家族の結びつきが希薄になりつつある前世の日本において、滅多に揃うことのない空矢の家族が、ばらばらにならなかったのも、つながりを大事にする家風と教育のお陰だったのかもしれない。
ソラがそんなことを、しみじみと考えていると、ようやく、マリナの説教が終わったらしかった。
よほど堪えたらしく、マルクは珍しく落ち込んでいるようだった。
マリナはそれを見て、あのときのように、マルクをそっと抱きしめたのだった。
「……まったく、あんたは心配かけさせんじゃないわよ……」
マルクは突然のことにびっくりしてしばらく固まっていたが、
「……その、悪かったよ。……心配かけちまってさ」
顔を赤くして、なにやら小さな声で、ごにょごにょと言っていたのだった。
気のある女の子から抱きしめられればそんなものだろう。もっとも、マリナの方は弟として扱っているのが傍から見て丸分かりだったが。
それから、一同は気を取り直して、洞窟内の探索を再開した。
洞窟内には無数の分岐点があり、何度も傾斜を上がったり下がったりして、地図がなければ、どの辺りを歩いているのか、さっぱり分からなくなるほどの複雑さだった。
何度か怪物の襲撃を受けたが、そのたびにマリナとアイラがほぼ瞬殺していった。
一時間ほど歩き、ラルフの説明によれば、もう半分以上は歩いたというところで、また怪物が襲いかかってきた。
すぐさま、マリナが白く輝く長剣を持って、切り込んでいき、アイラがそれに続いた。
マルクがそのマリナの背を見ながら、隣りにいるソラにぽつりと訊いてきた。
「なあ、ソラ姉。なんでマリナのヤツは剣術を習ってるんだ?」
その、いまいち要領の得ないマルクの質問に、ソラはどう返答しようかと困ったのだった。
マルクはソラの様子を見て、言い直した。
「いや……だってさ、あいつは魔導の名門のお嬢様じゃん? いくら冒険者を目指すっていってもさ、普通はアイラさんのような前衛をおけばいいわけだし。剣を習う必要がそこまであるとも思えないんだけど」
マルクは、「それに……」と続けた。
「……あいつは、とにかく強くなろうとしているように俺には見えるんだ。どっちかっていうと、守られる方の立場なのにさ。これは、ソラ姉にも言えることだけどさ」
ソラの前にいたラルフも会話に加わってきた。
「それは、僕も訊いてみたいです。どうやら、お二人とも、初等科の学校に通うかどうかという年齢から修行しているみたいですし。守ってくれる人間なら大勢いると思うんですけど……」
(まあ、普通はそう思うだろうね)
と、ソラも思うのだった。
幼い頃から武術を習おうとする名家の令嬢なんてものは、世界を探してみてもそうはいないだろう。しかも、魔導士の名門の人間でだ。
ソラはどう答えようかとしばし悩んだが、二人の真剣な眼を見て、誤魔化すのは失礼だと思い直した。
ゆっくりと、言葉を選びながら、ソラは語りだした。
「……私たちは、一度、大きな後悔を経験したことがあるんです。力が足りなかったばかりに、大切なものを守れませんでした。見ていることしかできなかったんです。……だから、借り物じゃない、自分だけの力を磨こうとしているのだと思います」
ソラは今でも思うのだ。あのとき、この世界へ転生するきっかけになった事件のときに、今の自分が持っている力があればと。無意味なことを言っているのは分かっている。あれは、どうしようもない事故だったのだから。それに、結局マリナも転生していたのだし、こちらでも家族に恵まれた。しかし、あちらの世界に残された家族はどう思っているのか。一度に身内を二人も失った、もうひとつの家族たちは。
ソラは、マリナに力をつけようとする理由を尋ねたことはない。でも、おそらくソラと同じ理由なのだと思う。
ソラの静かな、でも切実な思いのこもった言葉を聞いて、ラルフとマルクがどう捉えたのかは分からない。今の説明ではよく理解できなかっただろう。ただ、二人とも何か感じ入ったような表情をしていた。
「……何か事情があるみたいですね。でも、すごいですよ。まだそんな年なのに、お二人とも凄く強いんですから。……それに引きかえ僕は……」
ラルフは台詞の途中でなにやら落ち込んだのだった。
ソラはマルクと顔を見合わせる。
マルクが、「たまにこんな風になるんだ」というように首を振っていた。
ラルフははっと気づいて、
「……あ、すみません。ちょっと最近、失敗続きだったもので。それに、同期の人間にもあっさり追い抜かれてしまって。……やっぱり、才能がある方が有利ですよね」
と言いながら、またどんよりとした空気を出すのであった。
どうやら、ラルフは壁にぶち当たっているようであった。
以前ソラが聞いた話によると、ラルフはクオンに出会った少年の頃から地道に鍛錬を続けていたらしい。それでも、後発の才能ある同期に抜かれてしまったのだろう。焦りは失敗につながり、また焦りを生む、というように負の連鎖にはまっているように見えた。
しかし、ソラは慰めの言葉を言う気はなかった。下手な慰め方をしても意味がない。
なので、ひとつの話をすることにした。
「ラルフさん、少しだけ話をしていいですか? とある少女の話なんですけど」
ラルフは、そのソラの突然の台詞に、怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
ソラはゆっくりと語りはじめた。
「――あるところに、生まれたときから『呪い』にかかっていた少女がいたんです」
「『呪い』……ですか?」
「そうです。……いえ、『呪い』という表現が正しいのかは分かりませんけど。『才能』……あるいは『体質』と呼んでもいいかもしれませんね。ただ、それは少女をこの世から消してしまうかもしれない、危険なものだったんです」
そこに、マルクも会話に参加してきた。
「よく分からねえけど、生まれつきそんなもんにかかってるなんて、ついてねえよなあ」
ソラはかすかに笑みを浮かべた。
「そうだね。少女もそう思ったに違いないだろうね。せっかくこの世界に生まれてきたのに、何でそんな目に遭わなければならないんだとね」
ラルフも当然だという風に頷いている。
ソラはどこか遠い目をしながら続けた。
「少女はその『呪い』に必死に抗いながらも、こう思うようになったんです。もしかしたら、これは自分に対する『罰』なのではないかと」
「そんな……。たとえ、その子がどんな出自であったとしても、生まれただけで罰を受けなきゃならない子供なんていませんよ」
ラルフがやや憤慨した様子で言った。
「そうですね。私もそう思いますよ。……ただ、その少女はある特殊な事情により、そう思い込んでしまったんです」
淡々と語るソラを見ながら、ラルフが訊いた。
「それで……その少女はどうなったんですか?」
「その少女は、しばらくしてから、不完全ながらも、『呪い』を克服することができたんです」
「なんだ、良かったじゃん!」
マルクは話に引き込まれていたらしく、なにやら喜んでいた。
「でも、それは誰もが持つ生存本能によるもので、少女には生きる意思が決定的に欠けていたんだよ。まさしく生ける屍のように、現実から逃避して、流されるように生きるだけだった」
ラルフとマルクは、少しだけソラの雰囲気が変わったことに気付いたようだった。
「少女はそのまま『呪い』に身を任せて、消えてしまおうかと思うこともあった。……でも、あるとき、少女に転機が訪れた」
「転機?」
「そうです。晴天の霹靂とも言うべき出来事が。いずれにせよ、少女はそれがきっかけで立ち直ることができたんです」
マルクが頭の後ろで、手を組みながら、
「要はうまくいったってことだろ?」
「うん。でも、その少女が一生『呪い』と付き合っていかなければならないことには変わりないからね。その後も、少女は悩み続けたけど、最終的には、自分の運命を受け入れることに決めたんだよ」
ここで、ソラはひとつ咳ばらいした。
「……つまり、私が何を言いたかったのかというと、結局のところ人は、自分からは逃げられないということですよ。これは、師匠が言っていたことなんですけど」
「クオンさんが?」
パチクリと瞬きをするラルフにソラは頷いてみせた。
「はい。自分と自分の運命を受け入れない限りは、本当の意味で人は前に進むことができないんだと」
ソラはラルフを真っ直ぐに見つめながら、
「あなたが、ラルフ・マイヤーズとして生まれてきたことには、何か意味があるはずなんです。ただ、それをどう生かすかは、あなた次第です。運命を諦観ではなく、素直に受け入れられる人間は強いです。そういう人間は、自分だけの道を堂々と歩いていけます」
鳴神空矢がソラ・エーデルベルグに転生したことにも、何か必ず意味があるはず、とソラは心の内で付け加えた。
ラルフはソラの話を聞いて、「あっ……」という表情をした。
「……そういえば、クオンさんも以前似たようなことを言ってました」
ソラはそれを聞いて、わずかに微笑んだ。クオンはクールそうに見えて、案外熱いところがあるのである。
「……そうですよね。答えはある意味、自分の内にあったんですよね。クオンさんが教えてくれたことを、僕はちゃんと理解していなかったみたいです。僕は、僕だけの道をきわめることを考えないと!」
ラルフは両手の拳をきつく握って、そう熱く語ったのであった。なにやら、背後に燃え上がる炎が見えそうな勢いだった。
ともあれ、ラルフはかってに納得し、元気が出たようであった。
(なにか偉そうなことを言っちゃったけど……まあ、結果オーライかな)
と、ソラは頬をかきながら思ったのだった。
マルクが、「こいつは、相変わらず単純だなあ」とやや呆れたように見ていたが、おもむろにラルフへと手を差し出した。
「まあ、俺たちは、お互い未熟者同士だけど、へこたれずに頑張っていこうぜ!」
「うん、そうだね。頑張っていこう、マルク君!」
がしっ、と熱く握手を交わすふたり。
お互いに失敗したことによる共感も手伝って、男の友情でも育まれたらしかった。
年下なのに、偉そうな物言いがマルクらしかったが。
と、そこに、怪物たちを掃討し終わったマリナとアイラが戻ってきた。
「なあに? 男ふたりで固く握手しちゃってさ~。もしかして、危険なダンジョンを探索するうちに、愛でも芽生えちゃった?」
むふふ、とマリナがからかうような口調で言ったのだった。
ラルフとマルクは顔を見合わせてから、
「「そんなわけない(ですよ、だろ)!!!」」
と、顔を真っ赤にして、洞窟中に響き渡るように叫んだのだった。