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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
間章 魔法使いと奇妙な隣人
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トーマスの研究室②

「いやあ、まさかシリウス君がお隣だったなんてね」


 応接スペースにあるソファにシリウスと向かい合うように座っていたトーマスがおかしそうに笑っていた。

 目の前の透明な長机にはソラが購入してきたというシュークリームと琥珀色の紅茶が置かれている。


「いや、全然気付かなかったよ。悪かったね」


 謝るトーマスだったがそれを言うならシリウスも同じだ。

 エーデルベルグ家の家族構成に興味がなかったとはいえ少々迂闊だったかもしれない。


 もしかしたら今まですれ違ったことくらいあるのかもしれないが、たぶんソラなど目立つ人間に隠れて見逃していたのだと思われる。

 そんなことは口が裂けても言えないが。


(まさかトーマス教授がソラ・エーデルベルグの父親だったとは)


 正確にはエーデルベルグ家の血を引いているわけではなく、現当主の娘に婿入りした身でもともとは地方の一般家庭の出身らしい。

 エーデルベルグ家との縁組となれば大抵は同格かそれに近い名門出身の魔導士相手が普通なのでこれは大変珍しい例と言える。


 ただ、ひとつ腑に落ちないのはこの研究室の名前であった。

 通常は研究室の責任者の苗字がつくはずなのにそうはなっておらず、トーマス自身も自己紹介の時に違う苗字を名乗っていたのだ。


「ああ、それね。エーデルベルグの名はおいそれと扱えるものじゃないから僕の旧姓を使用してるんだよ。だから普段大学では僕もそっちを名乗ってる」


 トーマスの話を聞いてシリウスの疑問は氷解した。

 どうやら考えていた以上にエーデルベルグ家の影響力は大きいようだ。


(それにしても今日一日だけで三回も会うとはな)


 シリウスは部屋の中を動き回っている少女に目を向ける。

 ふいに研究室を訪れたソラはお盆に人数分のシュークリームと手際よく用意した紅茶を乗せると研究室の職員や学生達に配って歩いていた。


 研究室の面々はそれを嬉しそうに受け取っており、ソラと皆が楽しそうに会話している様子からこれまでにも度々訪れているようであった。


「気の利くいい子だろう? よくもうひとりの娘と一緒に研究室へ差し入れに来てくれるんだ。クレヴィール教授はじめ大学職員からも評判が高いし、父親として鼻高々だよ」


 同じように娘を眺めていたトーマスが親馬鹿丸出しの発言をしていると、配り終わったソラがお盆を胸に抱いてやってきた。


「お父様。そういうのは恥ずかしいのでやめてください」


 ソラは嘆息しながらトーマスの隣に腰を落ち着けるものの、特に責めているわけではなくしょうがない父親だなあという雰囲気だった。

 どうやら娘だけあってもう慣れているようだ。


「ところでマリナは一緒じゃないのかい?」


「マリナは友達と遊ぶ約束があるそうで伝言を預かってますよ。『今日は大好きなパパの所に行けなくてごめん。その代わりお仕事から帰ったら肩を揉んであげるね☆』だそうです」


「それじゃ仕方ないね」


 マリナのあざといメッセージにトーマスが目尻を緩めていると、そんな父親にソラが呆れたような視線を向けた。


「しかしお父様もお父様ですよ。シリウスさんはともかくお父様は苗字で気づいても良さそうですけど」


「い、いやあ、僕としても申し訳なく思ってるよ。あはは。そ、それにしてもこのシュークリームは絶品だね! さあ、シリウス君も食べなよ。紅茶も冷めたらもったいないしね」


 その溺愛っぷりからやはり娘には頭が上がらないトーマスはあからさまに話題を変えるのであった。


 シリウスもしどろもどろな様子のトーマスが気の毒だったので素直に同調する。


 それから三人でお菓子をつつきながら会話しているとやがて数時間前の合同演習の話に移った。


「そっか、ソラとシリウス君でペアを組んだんだね」


 最初は笑顔を浮かべながら耳を傾けていたトーマスも事故のくだりでは血相を変えたのだった。


「ソラ、怪我はなかったのかい!?」


「かすり傷ひとつないので心配しないでください。シリウスさんがかばってくれたので」


 あたふたと娘の様子を確認していたトーマスは無事だと分かると安堵の息を吐きながらソファにもたれる。


「はあ……。心臓が止まりそうになったよ。ありがとう、シリウス君。服を汚してしまったみたいだし」


 シリウスはそれくらい何でもないと首を横に振る。

 実際、最後に受け止めはしたものの直接的な脅威を回避したのはソラ自身の力量によるものなのだ。


 少女の使用した技術に興味を持っていたシリウスがじっと見つめると、シュークリームをほんわかと幸せそうに食べていたソラはこちらの視線に気づいて慌てて居住まいを正した。


「えっと、何か?」


「……事故が起こった時に君が見せた技が気になってな。木剣を手の甲で流しつつ避けてみせた体捌き、あれは東方武術と呼ばれるものなんじゃないか?」


 あの時の光景を回想しながらシリウスが問うとソラは感心したような表情をした。


「よくご存知ですね。確かにあれは東方武術です」


「誰かに師事してるのか?」


「そうです。祖父母の知り合いに東方武術の達人がいて、その方に頼み込んで教えてもらったんです。今はもうどこかへ旅に出てしまったのでエレミアにはいませんけど」


 ソラの瞳にかすかに寂しそうな色がよぎり、ふとシリウスは馬車内でマリナが口にしていた人物ではないかと思った。


「しかし、なぜ魔導士である君が武術を?」


「それはいくつか理由がありますけど、いずれ冒……いえ、何でもないです」


 なぜかソラは父親の方を気にしながら口をつぐんでしまい、その不自然な仕草にシリウスは怪訝に思ったものの、つい立ち入ったことを尋ねてしまったこともありその話はもう止めることにした。


「それより、シリウスさんこそなぜ魔導大学院に? そういえば今朝騎士になるつもりはないと言ってましたけど……」


 ソラの純粋な質問にシリウスは事ここに至っては隠しても仕方ないと判断して事情を明かすことにした。

 すでにトーマスらもひと通り知っていることである。


 シリウスが事情を説明するとソラは神妙そうに聞いていた。


「そうだったんですか……。将来は家の方針に反して騎士ではなく魔導工学方面へ進みたいと」


「難しい話だよね。研究室に通う件については一応親御さんの許可を得てるんだけど」


 他人事なのに本気で心配してくれているらしく、親子揃って悩ましい表情で唸るのを見てシリウスは少しおかしくなった。

 トーマスだけでなく生粋のお嬢様である娘の方もなかなかのお人好しのようだ。


 だがこればかりは自分でけじめをつけなければならない事だと告げると、ソラはぐっと両拳を握って身を乗り出したのだった。


「家庭の事情なので軽はずみなことは言えないですけど応援してます。頑張ってください」


「そうだね。僕もできることがあれば何でもするから遠慮なく頼ってね」


 親身になってくれる二人に感謝しつつシリウスはその好意を素直に受け取ることにしたのだった。






 まったりとしたおやつタイムが終わるとソラは皆の邪魔にならないように研究室内の整理や掃除などを始めた。

 作業をてきぱきとこなしていく姿から家事に慣れ親しんでいる様子が窺えてますます令嬢らしくない少女である。


「研究室に来るたびにこんな事を?」


「いつもというわけではないですけど、放っておいたら部屋が大変なことになるんですよ」


 隣で手伝うシリウスに答えながらもソラは手を止めることなく分類ごとに仕分けた資料を慣れた手つきでキャビネットに仕舞い込んでいく。

 どうやらどこに何があるのか大体把握しているらしくほとんど迷うことがない。


 この研究室の人間は魔導具をのぞき片付けをするという習慣がほとんどないにも関わらずなぜかいつも小奇麗な状態を保っていて不思議だったのだがこれで謎が解けた。


 ちなみにクレヴィール研究室は床に色んな物が無造作に置かれており、ひどい時には歩くのにも支障が出るほどで見かねたシリウスがたまに整理整頓していたほどである。

 皆がそういうわけではないだろうがどうも研究棟には散らかっていても気にならない人間が多い気がする。


「ソラやマリナのお陰で僕らも助かってるよ。じゃないとすぐに部屋が雑然としちゃって必要なものを探すのに苦労するからね」


「ちゃんと片付ける習慣をつけないと、そのうち大事な物を失くしますよ」


 あちこちに放置されていたわりと重要な書類を一箇所にまとめていたソラは、トーマスはじめ研究室の人間が少々バツの悪そうな顔をしながらもあまり反省していない様子を見て軽く息を吐く。


 どうやらこの研究室がスムーズに作業できているのはソラとマリナの尽力の賜物であると悟り、シリウスもここにお世話になる身としてこれからは少し意識して片付けようと、床に転がっていた何かの景品用の人形を拾いながら思うのであった。


「あとはこれだけですね」


 部屋の隅に積まれていた数冊の学術書を前にしてソラは腰に手を当てる。

 もともとそこまで散らかっていたわけではないものの、ソラとシリウスが努力した甲斐もあって部屋の中はだいぶすっきりとしていた。

 少女の整理の仕方が上手なのか、これまではいかにも研究オタクの部屋だったのがオフィスっぽくなっているから不思議である。


「えーと、この本はあそこですね」


「ああ、俺がやろう」


 シリウスは本棚の上段に入れようと爪先立ちしていたソラの手から本を抜き取る。

 棚の上の方はせいぜい自分のお腹くらいまでしかない少女の背丈では厳しいだろうからこちらが受け持った方がいいだろう。


「じゃあ、次はこの本をお願いします」


「これは古代の食事に関する本か。こんなものまであるんだな」


「それは古代魔法帝国中期のものですね」


 こうして改めて本棚を眺めると多種多様な本が並んでいた。

 なかには魔導具研究とは関係なさそうなものもあるが分析には時に幅広い知識が必要とされるのだろう。


「この本は俺も読んだことがあるな。魔物の特殊な習性や報告事例などをまとめたものでなかなか興味深かった」


「それなら私も読みました。あとこっちも面白いですよ」


 どうやらソラはここにある本をほとんど読み尽くしているらしくその博識ぶりには驚かされた。

 シリウス自身も転生して間もない頃はこの世界のことを知ろうと色んな本を読み漁っていたものだが少女の旺盛な知識欲にはさすがに敵いそうもない。


 それから二人はしばらく本を棚に直す作業を続けながらも知らず知らずのうちに会話が弾み、シリウスはふと以前にもこうして本好きだった空矢と似たようなやり取りを交わしていたことを思い出した。


 二人とも分野を問わずそれこそオカルトのようなものまで語り合い、空矢も意外と頑固なところがあったのでよく議論を戦わせていたものである。


 だがあの事故のせいで全てが一変してしまい、居心地の良かった空間は二度と戻ってこなくなってしまった。


「……シリウスさん? どうかしましたか?」


 微妙な表情の変化に気づいたのか、少し心配そうに尋ねてくるソラにシリウスが何でもないと首を振っているとそこにトーマスがやってきた。


「やあ、二人とも盛り上がってるね。ソラも女の子にしては珍しくそういう本が好きだからシリウス君とも話が合いそうだね」


 トーマスは笑いながらそう言うと作業台の上の魔導具を指し示した。


「そういえばさっき解析していた魔導具の件なんだけど、ソラとシリウス君が言っていた通り掃除用の機具で間違いないみたいだね。詳しく調べてみたらゴミを吸引するための機能があったし袋の中に埃が詰まっていたのも納得だよ。ちょっと見ただけなのに二人とも大したのものだ」


 二人を褒めちぎるトーマスの声を聞きながらもシリウスは違和感を覚え始めていた。


 思いもよらないソラの来訪で気づくのが遅れたものの、よくよく考えてみると目の前にいる少女が先程の魔導具を一発で『掃除機』だと見抜いたのは不自然な気がした。

 この世界の人間で外見を少し観察しただけでそうだと気づける者が果たしてどれだけいるだろうか。


(……まさか、俺と同じ『転生者』か?)


 シリウスは疑惑を抱くもそうだと決め付けるにはまだ性急過ぎるとすぐに考え直した。

 トーマスの話だとこれまでも何度か言い当ててみせたというし単に勘が鋭いだけなのかもしれない。


 ただもし仮に転生者であるならば、やはり同じ境遇の者同士で腹を割って話をしてみたいとは思う。

 今まで他に転生した人間と出会ったことはなくもしかしたら何らかの情報が手に入るかもしれない。


(この少女に関してはもう少し注意深く観察する必要がありそうだな)


 トーマスの研究室に通っている間はまた会う機会もあるだろうと、シリウスは父親と会話しているソラを見つめながら思うのであった。

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