奇妙な隣人
魔導都市エルシオンのとある学校にて、黒髪を短く切り揃えた精悍な顔立ちの男子学生シリウス・マーシャルは夕暮れの赤い光が差し込む教室でクラスメイトの愚痴を聞かされていた。
「……やれやれ。やっと終わったぜ。なんで居残りで追加の課題を仕上げなきゃならないんだよ」
「お前がテストで赤点をとったからだろう」
ひとつ前の席に座っていたシリウスが素っ気無く答えると、精根尽き果てたといった様子で机に突っ伏していた茶髪の友人は納得がいかない表情で顔を上げた。
「ここは騎士学校だぜ? 座学の赤点ひとつくらい大目に見てくれてもいいだろ」
「一応、文武両道が校風の名門校だからな」
魔導大国エレミアで騎士といえばエリートたる魔導騎士が有名だが、魔導を扱わない一般の騎士も存在しておりここはそのための騎士養成学校であった。
「でも、騎士に高等数学なんて必要あるのかよ? 最低限の計算ができればいいだろ」
「それは確かにそうかもしれないが」
なおも不満を述べる友人にシリウスは苦笑する。
剣術や馬術などの技能が高い友人も理数系の授業は苦手としており毎回テストでは苦労しているのだった。
「ただ、騎士は時に兵士を指揮する役割もこなさなければならない。だから学校としても赤点をとるような生徒を送り出すわけにはいかないのだろう」
魔導騎士ほどのエリートではないものの、一般の騎士も軍隊においては士官のような立場なので、ただ戦場で剣を振るっていればいいというわけではないのだ。
「それは分かるけどよ……。まあ、いいや。今日は手伝ってくれてありがとな。お前がいなかったら学校が閉まるまで終わらずに、下手したら明日も残るはめになったわ」
「今日は特に予定もなかったし、泣きそうな表情をしていたお前を置いていくのも忍びなかったからな」
「……俺、そんなに情けない顔してた?」
友人はやっとこさ終わらせた課題の用紙をつまみながら立ち上がり、シリウスも軽く笑いながらそれに続く。
それからシリウスは職員室に課題を提出しにいった友人と玄関で合流して二人で校門をくぐる。
「そういえば明日は魔導学校との合同演習だったな」
学校前の道を歩きながらシリウスはふと思い出す。
騎士学校と魔導学校は年に数回ほど合同で演習を行うのが慣習となっているが、それは騎士の大事な仕事に魔導士の守護が含まれているからである。
基本的に魔導を構築中の魔導士は高度な集中に入っているので、そんな彼らを盾となって守るのが騎士の役目なのだ。
「そういやそうだった! 何日も前からこの日を待ちわびてたんだよな~」
さっきとはうってかわって元気になる友人をシリウスはやや呆れたように眺める。
「相変わらず合同演習となるとやる気が出るな」
「当たり前だろ。可愛い女の子たちと出会えるまたとないチャンスなんだぞ! 普段男ばかりのむさ苦しい環境で頑張ってるんだからこれくらいのご褒美があってもいいだろ!」
騎士学校は女子の数が少ないということもあり、友人は魔導学校との演習を毎回非常に楽しみにしているのだ。
もっとも今年十五になった思春期真っ盛りのお年頃なので仕方ないのかもしれない。
「魔導学校の女子生徒のレベルはエルシオンにある学校の中でもトップクラスだからな。今度こそはひとりくらいお茶に誘えるくらいの仲になりたいもんだぜ」
これまで何度かあった演習ではことごとく玉砕している友人が気合を入れるように両手を握りしめた。
「今まで上手くいったためしがないのに懲りないやつだな」
「うるせー。初めから一度や二度で成功するなんて思ってねえよ」
なんとも諦めの悪い友人ではあるが、全く相手にされなくてもめげずにチャレンジを繰り返すこの根性は感心しないでもない。
「それに騎士と魔導士のカップルってのは結構いるからな。そういうのを題材にした創作物も多いし……やっぱり憧れるよなあ」
エレミアに限った話ではないものの、男性騎士が命がけで女性魔導士を守るというシチュエーションは人気が高いらしく、劇や本などでもよく見かけたりする。
一部には男×男という組み合わせに萌えるという女性も存在しているらしいが。
合同演習でも騎士と魔導士が一対一でペアを作って連携を確認するという項目があるので、それがきっかけで仲が良くなることがちらほらあったりするのだ。
「だが明日の演習はともかく、将来的には男とペアを組む可能性だってあるぞ」
「魔導士とはいえ男なんかを守るために身体を張ってられるかっての!」
「騎士を目指す人間としてその発言はどうかと思うが……」
二人が大通りに入り、仕事帰りの人間や帰宅途中の学生たちでごった返す中を進んでいると、友人がなにやら興奮した様子で話しかけてきた。
「そういや明日の合同演習といえばビッグニュースがあるんだった!」
友人が言うビッグなニュースというと大抵シリウスにとってどうでもよかったりするのだが一応尋ねてみる。
「どんな凄い情報なんだ?」
「ふっふっふ。聞いて驚け。なんと明日は魔導学校からあのソラ様をはじめとする初等科の生徒が何人か参加するのだ!」
「ソラ……。ソラ・エーデルベルグの事か?」
シリウスは何で様付けなんだと思いつつ片眉を上げた。
本来は魔導学校中等科の生徒が対象となる合同演習だが、まれに演習に参加しても問題ないと教師に判断された初等科の生徒が参加する事もある。
大抵は近い将来飛び級が確実視される優秀な生徒たちで、その中に名門エーデルベルグ家の人間が名を連ねていても不思議なことではなかった。
「他にはローゼンハイム家のグレイシア様も参加するらしい。ソラ様の愛らしさもいいが、つんと澄ました冷たい表情のグレイシア様にもファンが多いのだ」
どこから情報を仕入れたのかは知らないが友人は腕を組みながらやたらと熱く語る。
彼女らはそういったものにあまり関心のないシリウスでも知っている有名人で、友人の口ぶりからするともしかしたらファンクラブでもあるのかもしれない。
シリウスからすればまだ十歳ほどの少女に対して大袈裟なようにも聞こえるが、エレミアを建国した英雄の子孫にして卓越した魔導の才能を持つ彼女たちの一族に崇拝に似た憧れを抱く者たちは多く、友人の感覚からすれば普段お近づきになれない高貴な方々に会えるチャンスといったところなのだろう。
「そういや、お前の家ってエーデルベルグ家の屋敷の近所だったよな。ソラ様と会ったことはないのか?」
「何度か挨拶をしたくらいだな」
シリウスの家は呆れるほど広大なエーデルベルグ家の敷地を囲む塀のすぐそばに建っており、偶然道端で出会った時などに軽く会釈したりするくらいでほとんど面識などないようなものだった。
「それだけでも十分羨ましいんだが。定期的にお前の家に遊びにいってもいいか?」
「普通に迷惑だからやめてくれ」
本気で実行に移しかねないのでシリウスがにべもなく断ると友人は残念そうな表情をした。
「まあ、俺にはあまり興味のない話だけどな。明日の演習も含めて」
「相変わらず冷めたやつだな。けどそういう態度が学校の女子にうけるんだろうなあ。それに加えてイケメンで学校の実技も座学も文句なしの成績とか……。ただでさえうちの学校は女子が少ないってのに、お前みたいなモテ野郎は滅んでしまえ!」
なんとも理不尽な事を言ってくる友人であったが、シリウスは前を真っ直ぐに見つめながらぽつりと漏らした。
「……それに、前にも話したが俺は騎士になるつもりはないからな」
「……大学を目指してるって言ってたよな。お前の成績なら大丈夫だろうけど、親父さんとか説得できるのかよ?」
「おそらく無理だろうな」
シリウスの実家であるマーシャル家は代々騎士を輩出してきた名門として知られており、三男坊として生を受けたシリウスを含め、二人の兄たちも幼い頃から先祖たちのような立派な騎士になるのが当然のように育てられてきたのだ。
だが、シリウスは本来なら縁がなさそうな魔導工学に興味を向けるようになり、いつの間にか魔導大学院にコネまで作って研究室に出入りしているくらいであった。
当然、当主たる父親をはじめ一族の人間は快く思っていないようだったが、シリウスが騎士学校で優秀な成績を修めていたので厳しく叱責することはなく、いずれ兄たちのように本気で騎士を目指すようになるだろうと楽観視しているようだった。
それでもシリウスは己を育ててくれた家族たちに感謝はしていたものの、騎士になるつもりは毛頭なく、場合によっては家を出るつもりであった。
「ま、俺は密かに応援してるけどな。もし金に困るようなことがあったら飯くらいおごってやるよ」
「ああ。その時は頼む」
シリウスは唇の端を軽く上げると何だかんだ信頼している友人の肩を軽く叩いた。
性格も趣味もまるで違う二人だが初等科時代からの腐れ縁で付き合いも長いのだ。
やがて遠目にエーデルベルグ家の大きな屋敷が見えてきて、いつも友人と分かれる三叉路が近づいてきた。
「でもお前って本当に変わってるよな。騎士学校から魔導大学院に進もうなんて考える生徒はほとんどいないだろうし、まして俺ん家と違って歴史あるマーシャル家の人間がさ」
「そうだろうな」
皆がそうというわけではないが、家業を継ぐかそれに関係する仕事に就くのが一般的であるこの世界において、己が異質に見えることをシリウスは自覚している。
「それだけじゃねえぞ。学校で刀を使っているのはお前だけだし、魔導具に興味津々なのもそうだし、あと、その『シロー』ってあだ名!」
友人は最後に奇妙な響きの単語を口にした。
「学校でクラスが替わる度に、そういう風に呼ばれてるから皆も是非そうしてくれとか言ってるけど、たぶんクラスの人間全員が『何だよその変なあだ名は』って思ってただろうな。俺も最初は意味が分からなかったし」
友人はどこか懐かしそうな表情で語る。
中央大陸にあるエレミアでそのような東方風っぽいあだ名は珍しいので奇異に感じる人間は多いだろう。
実際、気になったらしい何人かのクラスメイトから理由を聞かれ、騎士学校に入学する前から何度も同じ質問を受けていたが、そういう時は決まって幼い頃に『シリウス』という名前が変形して『シロー』になったと答えていた。
だがその理由はシリウスがある目的のためについている嘘であり、この事実は隣で好みの女の子がどうのこうのと喋っている友人ですら知らないことだ。
それからしばらく友人と他愛もない世間話をしていると別れ道に差し掛かった。
「それじゃあな、シロー。明日は遅刻すんなよ」
「お前こそ興奮しすぎて夜眠れないなんて事になるなよ」
「俺は遠足前の子供かっての」
笑いながら軽く手を上げて去っていく友人。
その背中を見送ると、シリウスも家に向かって歩き始めたが、すぐに自然と深い思考の中に沈んでいった。
おそらく久しぶりに友人とあだ名についての話をしたからだろう。
シリウスが将来の進路まで打ち明けている唯一の人物、つまり友人にも話していないあのあだ名を使用している理由は、彼が抱える最大の秘密と関係していたからだ。
その秘密とは、シリウスが異世界から転生した人間で、前世では風見士郎という名の日本の男子高校生だったということである。
赤子に転生した直後は我が身に起こったことが理解できずに事態の把握に時間がかかったものの、第二の人生を過ごすこと早十五年、今ではすっかりこの世界に馴染んでいた。
もっともこんな荒唐無稽な話をしても混乱させてしまうだけだろうと、この世に生を受けて以来家族を含め誰ひとりとして打ち明けてはいない。
そして、シリウスが多くの人間に『シロー』と呼ばせて広めている理由。
それはシリウスが転生する原因になったと思われる交通事故の時に居合わせた二人の友人を探すためであった。
(空矢……優海ちゃん……)
脳裏によくつるんでいた女顔の親友といつも元気だった彼の妹の姿が浮かぶ。
今でも鮮明に覚えている事故が起こったあの寒い日の夜、偶然会った士郎たちが道端で話し込んでいる所に暴走したトラックが突っ込んできたのだ。
士郎は迫ってくるトラックを見て茫然と立ち尽くしている空矢と優海をかばうために動きかけたがそこで記憶が途切れていた。
おそらく間に合わずに士郎は死んでしまい、どういう奇跡が起こったのかこの世界へ記憶を残したまま生まれ変わったようだが、他の二人がどうなったのかは分からなかった。
もしかしたら二人も同じように転生しているかもしれないと自分なりに探してみたものの、まるで雲を掴む様な話でこの巨大な街を捜索するだけでも手に余った。
(俺のしていることは全くの無意味なのかもしれないが……)
二人が生き延びている可能性もあるし、仮に転生していたとしても同じ世界である確証もないが、それでも『シロー』というあだ名を使っているのは彼らへのメッセージなのだ。
この世界では奇妙に聞こえるシリウスの本名が二人の耳に入ったなら、あまりにも儚い希望であるが、もしかしたらまた三人で再開できるかもしれないと。
(可能性は限りなくゼロに近いだろうがな……)
どこかで期待しながらも現実的に考えればまずありえないと自嘲しつつ、転生者シリウス・マーシャルはいつの間にか到着していた家の門をくぐったのであった。




