最終話
(ふう。ジョシュアさん、いくらなんでも思い切りがよすぎだよ)
マリナは敵の注意を引くように駆けながら心中で嘆息していた。
追い込まれた事で更に覚悟が決まったのかもしれないが、とてもここに来る前まで悩んでいた人物とは思えないほどの行動力だ。
ただ、考えてみればあの少年は『幻影の島』の調査も自分で行おうとしていたくらいで、もともとこういう性格なのだとしたら周りで見ている人間が心配するのも当然な気がする。
(とにかく、今はジョシュアさんとともに制御キーを奪うことを考えよう。もし私たちに扱えなかったとしても、その時はお姉ちゃんがどうにかしてくれる)
そう考えながら走っていると、キメラとジョシュアの中間辺りに位置取りしていたマリナはやはり格好の目標となり、前方から『ニーズヘッグ』が前肢を平行に振り払ってきたが、近くにあった瓦礫を踏み台にしながらジャンプして避ける。
マリナは金髪を浮かせながら着地するとまたテオドール目指して走り出したものの、今度は『ニーズヘッグ』が首を捻ってブレスを至近距離で撃とうとしてきた。
(やばっ!?)
「<蒼き灼熱の槍>!」
この距離ではとても避けられそうになかったが、マリナにキメラの攻撃が集中したため余裕ができたソラが『ニーズヘッグ』の右目に魔導の槍を突き刺してくれたのだ。
すぐに炎の槍が消え眼球の再生が始まるが、痛烈な一撃を喰らったドラゴンが顔面をそむけると放つ寸前だったブレスが天井をぶち破り、その衝撃の余波がマリナたちの近くまで押し寄せてきたのだった。
「うわっ!?」
床が振動し天井から海水が怒涛の勢いで落ちてきてマリナが一瞬動きを止めていると、近くを密かに移動していたジョシュアも衝撃のせいで物陰から倒れ込むように姿を晒してしまっていたのだ。
「ジョシュア!?」
案の定テオドールの目に留まってしまい、再び『ニーズヘッグ』がブレスを撃つ体勢に入るが、そうはさせじとソラが魔導を連発して阻止しようとする。
しかし、キメラはブレスを撃つふりをしておもむろにこれまで閉じっぱなしだった翼をメリメリと開くと凄まじい勢いで前方に羽ばたいてみせたのだ。
「――!?」
ブレスの阻止のために集中していたソラは障壁を消していたために不意を突かれる形でもろに突風を浴びてしまい小柄な身体があっという間に吹き飛ばされてしまったのだった。
「お姉ちゃん!」
マリナは血相を変えて振り返るが、保管庫の壁にぶつかって止まったソラはよろけつつも立ち上がり、まるで何をしているのと言わんばかりの厳しい表情でこちらを見つめてきたのでハッと我に返る。
もう少しでキメラの横を通り抜けてその背後にいるテオドールとアンジェリーヌのもとまで到達するのだ。
姉が時間を稼いでくれたのにここで立ち止まっているわけにはいかない。
「ジョシュアさん、行くよ!」
マリナは態勢を立て直したジョシュアと二人で再び駆け出し、眼帯の魔導士まであと数メートルという距離まで来た時だった。
「――させるか!」
すでに待ち構えていたテオドールがいくつもの氷の矢をマリナたちに向かって放ってきたのである。
マリナは超人的な反射神経で全ての矢をかわし、心配だったジョシュアも障害物を利用してなんとか直撃を受けずにすんだ。
あとはテオドールを押さえるだけだとマリナは最後の一歩を踏み出そうとしたものの、視界の片隅で『ニーズヘッグ』が長い尾を振るうために力を溜めている姿が飛び込んできた。
どうやらさっきの魔導は囮でこちらが本命だったのだ。
(まずい――!)
キメラの長い尻尾なら走っている二人をまとめて薙ぎ払うことが可能で、マリナはなんとか避けられるかもしれないが、気づいてさえいないジョシュアでは到底かわすことはできず、そもそも武器も持たない自分ではフォローもできない。
マリナは数秒後に少年が無残な肉塊に変わり果ててしまう光景を幻視しかけたが、次の瞬間、目の前に信じられない物を見つけたのである。
(あれって!)
先程キメラがブレスで天井に開けた穴から海水と一緒に落ちてきたのか、『クイーン・アンナ号』から海に飛ぶ込む際に捨てたはずのマリナの大剣が白銀の輝きを煌かせながら床に突き刺さっていたのだ。
ありえない幸運にマリナは目を見開いたものの、すぐに不敵な笑みを浮かべると愛用の剣を拾ってありったけの魔力を込める。
「ふっふっふ! 忘れてたよ! 今週のマリナ様の運勢は最高だということに!」
マリナは最速で編んだ<風>属性の魔導と魔力を込めた剣とを融合させると、ムチのようにしなりながら迫ってきた太い尾に祖母直伝の魔導剣『風刃』を思いっきり叩きつけたのだった。
「いっけええええええ!!」
大剣から放たれた衝撃波が『ニーズヘッグ』の尾を一撃で切り落し、マリナの全力の技に一度だけ耐えてくれた剣身が砕け散る。
予想していなかったであろう結果にテオドールが驚愕の表情を浮かべていたが、そこに脇目も振らずに走っていたジョシュアが突っ込んでいく。
「テオドール!!」
「ジョシュア……! 王族に生まれついただけの凡俗が俺とやりあうつもりか!?」
ジョシュアはテオドールが魔導を使用するよりも早く間合いに侵入すると、アンジェリーヌから贈られた剣で眼帯の魔導士に鋭い斬撃を浴びせ、硬いものがぶつかり合う硬質な音が響いた後に杖の先端についていた宝玉を砕いたのだった。
「やった!」
キメラの制御キーが破壊されマリナは喜んだが、テオドールは動揺した様子もなく斬りかかってくるジョシュアを軽くいなすと、その手首に肘打ちを食らわせて剣を落とさせ後に顔面を殴りつけたのである。
思わずマリナも目を見張るような流れる体術だったが、もしかしたら宮廷魔導士のたしなみとして護身術でも習得しているのかもしれない。
テオドールは強烈なカウンターをもらってよろけるジョシュアの胸ぐらを掴むと、少年を救出しようと動き出しかけたマリナを牽制するように手の平を向けた。
「お前らには少々驚かされたが……まずは厄介な小娘から始末するか」
そう言うとキメラがゆっくりと振り返ってマリナを睥睨したのである。
この様子からしていまだテオドールの支配を脱していないのは明白であった。
「そんな、制御キーは壊したのに!」
「残念だったな。お前らの命を張った特攻はまったくの無意味――」
「――いや。これでいいんだ」
唐突にジョシュアがテオドールの言葉を遮ったかと思うと、胸元を掴んでいる元部下の眼帯に手を突っ込んだのである。
「な、貴様……!」
「……用心深い君が堂々と制御キーを持っているのに違和感を感じてたし……それに思い出したんだ。以前人にぶつかられただけで普段冷静な君が眼帯を押さえながら烈火のごとく怒っていたのを。あの時は古傷をかばっているだけだと思っていたけど……」
ジョシュアは絶句しているテオドールを静かに見つめる。
「詳しくは知らないけど、あの杖は増幅などに使う補助の魔導具か何かなんだろう? ……そして、これが本当の制御キーだ!」
そう叫ぶと、ジョシュアは眼帯の奥の空洞となっていた部分からビー玉ほどの赤い宝玉を引き抜いたのだ。
「……君は確かに優秀かもしれないけどその高慢さが身を滅ぼすんだ。君は王たる器じゃない」
「……離せ! この身の程知らずが!」
焦ったテオドールが何度も殴りつけながら取り返そうとすると、ジョシュアの手からこぼれ落ちた制御キーがキメラの近くへと転がっていった。
テオドールが舌打ちしながらすぐに後を追おうとしたが、咄嗟に反応したマリナが根元から折れた大剣を制御キーに投げつけると、キン……と澄んだ音を響かせながら宝玉が真っ二つに割れ、攻撃を再開させようとしていたドラゴンの動きがぴたりと止まったのだった。
どうやら今度こそキメラとのリンクが途切れたようなのでマリナが安心していると、膝をつきながら茫然としていたテオドールがぽつりと言った。
「……お前ら自分が何をしたのか分かっているのか? 目覚めさせた『ニーズヘッグ』は常に支配を継続させる必要があり、もし接続を切る時は必ず休眠状態にしなければならないんだぞ。まだ制御キーがあれば再支配も可能だったろうがお前らが破壊してしまった。もう誰もあの怪物を止められず、まずは近場にあるサンマリノが今日中に滅びるだろう。はは……馬鹿どもが! どうせ手に入らないのならこの国ごと焼き尽くしてしまえばいいんだ!」
狂ったように笑い始めるテオドールだったがマリナは静かに首を振る。
「大丈夫だよ。そんなことにはならない」
「……何だと?」
睨みつけてくるテオドールには答えずマリナが背後を振り返ると、保管庫の前に佇んでいた長い髪を蒼く染めた少女が徐々に周囲の魔力を従えながらそっと目を開いたのだった。
※※※
普段己に課している精神制御の枷を外し、世界と限りなく同調して『魔法使い』となったソラが目を開くと、前方にしばらく動きを止めたままだったキメラが人間の支配から解き放たれゆっくりと自我を取り戻していく姿が見えた。
そのそばではマリナとジョシュアが気絶していたアンジェリーヌを助け起こしており、もう抵抗する気力もないのかテオドールが膝をついたままこちらを眺めている。
(良かった……。三人とも無事みたいだね)
ジョシュアは殴られたせいで顔を腫らしていたが、皆が特に大きな怪我を負うことなく難局を乗り切ってくれた事にソラは安堵する。
あとは自分が造られた破壊兵器である『ニーズヘッグ』を倒すだけだ。
幸い本当の意味で目覚めたキメラは目の前のソラを敵と見定めたらしく、邪魔にならないように急いで退避しているマリナたちには目もくれずにこちらを見据えていた。
足元の水が行動の妨げになるのを嫌ったソラは空中へと浮かび上がり、少しでも海底研究所の崩壊を先延ばしにするため壁に空いた穴に氷を張り付かせて海水の侵入を防いでいると、今まで様子を窺っていた『ニーズヘッグ』が強烈なブレスを放ってきた。
すぐにソラの前に膨大な魔力が集まってブレスを苦もなく蹴散らすと、『ニーズヘッグ』は再び翼を開いて猛烈な風を巻き起こしながら地面を飛び立ち真っ直ぐに突進してきた。
巨体が飛翔するだけで周囲に衝撃波が発生して研究所がびりびりと揺れたが、ソラは慌てることなく眼前に十数本の金属の槍を創り出し回転させながら撃ち出す。
しかし、『ニーズヘッグ』は研究所の限られた空間の中で器用に身体を捻るりながら高速で放たれた金属槍の大半を回避してみせ、槍のいくつかはキメラの身体を貫通したもののすぐに驚異的なスピードで再生する。
今のソラの攻撃はすべて敵の脳や中枢神経など致命傷になりうる部分を狙っていたのだが、魔獣の王の本能なのか危険な場所はしっかりと避けていた。
ソラはなおも飛び続けるキメラを追い詰めるように槍を放っていると、急に下方から魔力が集まる気配を感知し、その直後に突然足元の水が隆起しながら襲ってきたが、常に展開していた結界に阻まれて消失した。
(今のはもしかして『海竜』の……)
始めての攻撃パターンにソラが目を瞠っていると、今度は研究所の床を突き破るように長い土の槍がそそり立ち、また周囲に複数の光の点が生まれたかと思うと増幅しながらまるでレーザーのように向かってきたのだ。
(間違いない。元となった三体の竜種それぞれの能力を扱えるみたいだね)
断続的に繰り返される攻撃の数々を見てソラは確信する。
書物で知っているだけだが、『海竜』は水を、『地竜』は土を、そして『天竜』は光や大気を操る事ができるらしい。
どうやら『ニーズヘッグ』は人間とはいえソラを格上の相手だと認識してなりふり構わず全力を出してきたようだが、この様子だとテオドールはキメラのほんの一部しか力を引き出せていなかったようである。
それから研究所内に次々と巨大な水柱が立ち、岩の壁が波のように押し寄せ、無数の目を焼くような光が乱舞した。
入り口辺りに退避していたジョシュアが悲鳴を上げ、マリナが気絶していた黒ローブ二人を含めた皆を結界で守っていたものの、念のためにソラは魔力を誘導して魔導の壁を補強しておく。
今のソラの力を持ってすれば『ニーズヘッグ』の攻撃を防ぐのは容易いが、このままでは研究所がもちそうにないと判断し、先読みして攻撃そのものを潰すことにした。
ソラは全方位から発射されようとしていた光線を消し飛ばし、広範囲に繰り出される寸前の岩の槍に魔力をぶつけて相殺してみせると、周囲を旋回していた『ニーズヘッグ』から驚愕する気配が伝わってきた。
世界と一体化したことによって魔力の動きなど周囲の状況を手に取るように把握し、また意思だけで発動できる<魔法>の圧倒的な速度があるからこそ可能なのである。
その後もソラはキメラの攻撃を潰し続けたが、こちらも絶大な力を思うがままに振るえないという事もあり、再生を繰り返して粘る敵に決定的なダメージを与えることができずにいた。
あまり時間をかけすぎていると敵わないと悟った『ニーズヘッグ』がいつ壁を破って海中に逃げ出すか分からない。
竜種を組み合わせた究極のキメラとはいえ、本来ならここまで苦戦するような相手ではないとソラがかすかに苛立っていると、ふと我に返って首を振った。
(……いけない。しっかり自分を保たないと)
今のように傲慢な思考になりかけているのはそれだけ世界に呑まれつつあるという事だ。
ソラが『魔法使い』でいる時間が長ければ長いほど精神に多大な負担がかかりそれだけ危険も増していくのでそういう意味でももたもたしていられない。
キメラを倒しても皆を地上に帰すまでが自分の仕事なのだ。
ソラは攻防を続けながら思案する。
厄介なのはキメラの魔力を吸収する能力で、こうなったら周囲の魔力を断とうかとも考えたが、それだと時間がかかりすぎるのですぐに却下した。
すでに『ニーズヘッグ』の体内にはかなりの魔力が蓄積されており、吸収できずとも活動や再生させるのに当分支障はないだろう。
すると、ここまで考えたところでふとソラの脳裏にあるアイデアが閃いた。
(試してみる価値はあるかも)
ソラが思いついた策を急いで実行に移すと、やがて海底研究所周辺の魔力が急激に集まりキメラに向かって流れ込み始めた。
『!?』
異常な魔力の流れに『ニーズヘッグ』が動揺したような仕草を見せたが、しばらくすると飛ぶのも億劫になったのかとうとう床に降り立ってしまったのだ。
「……な、何が起こっているんだ?」
一応生きているのは知っていたが、放置していたテオドールが巨大魔障石の影から出てきて茫然としていた。
「許容量を遥かに超える魔力を強引に注ぎ込まれて苦しんでるんだよ」
普通の生物にはない魔力を吸収する能力が逆に仇となったのだ。
エルフの里でも生命が尽きかけていた老木に似たような事をしたものの、あの時は癒すために、そして今回は破壊するための行為である。
少々賭けではあったが上手くいったようだ。
本来なら限界以上の吸収をストップするための安全弁があってしかべるきだがやはりこのキメラはまだ未完成だったのだろう。
もっともソラが行っている現象は自然界ではありえないので当時の研究者には予測などできなかったろうが。
「……そんなことが可能なはずが……お前は一体……」
テオドールが呟いている間にも『ニーズヘッグ』の体表に無数の血管が浮き上がり身体が膨張したかと思うとあちこちに亀裂が広がり始めた。
限界まで水を入れられた風船が最後に破裂するようにキメラが崩壊するのも時間の問題だ。
ソラは手の平を合わせて純白の弓矢を創造すると、ぎりぎりと弦を引き絞ってもう動けない『ニーズヘッグ』の心臓に狙いを定める。
結局このキメラも身勝手な人間たちの被害者であり、できるだけ苦しまないように早くとどめを刺そうと思ったのだ。
そして、ソラが解き放った矢が『ニーズヘッグ』を貫くと、キメラはびくんと身体を硬直させた後にゆっくりと巨大魔障石を押し潰すように倒れこみ、息絶えたことで体組織の崩壊が進んだのかさらさらと砂のように崩れていったのだった。
ようやく終わりソラが軽く息を吐くと、おもむろに魔力が高まる気配を感じたので横を向いたら怒りの表情を浮かべたテオドールが攻撃的な魔導紋を描いていたのだ。
「……俺の計画は潰え、もはやこの国を道連れにすることも叶わない。それならせめて邪魔をした貴様らだけでも殺してやる!」
妄執に取り付かれたテオドールの姿にソラは憐れみを覚えたが、どんな理由があろうとこの男がやったことは許されるものではない。
ソラは魔導紋を分解するように念じると拳を握りながら眼帯の魔導士に向かって走り始める。
テオドールは魔導を構築しようとする度に霧のように霧散してしまうので混乱しているようだった。
「なぜだ! なぜ形にならないんだ!」
諦め悪くなおも繰り返そうとしていたが、ソラは素早く間合いを詰めるとその顔面を思い切り殴り飛ばし、吹き飛んでいったテオドールは気絶して動かなくなったのだった。
※※※
ずっと嵐だったのが信じられないほどすっかり晴れ渡った『幻影の島』には夕暮れ時の赤い光が降り注いでおり、島に唯一船を接岸できる入り江ではパトリックたちが出航の最終確認を行っていて、ソラはその様子をマリナと一緒に少し離れた場所から見守っていた。
「はあ……。最後にどっと疲れた気分だよ……」
「あはは。それだけみんな心配してたんだよ」
ソラはやや乱れた髪を直しながらぐったりとしていた。
今日一日色々あったので疲労が蓄積していて当然だが理由はそれだけではない。
全てが終わった後にソラの<魔法>による転移で地上へと無事帰還したものの、船で気を揉みながら待っていた皆にもみくちゃにされてしまったのだ。
転移先から入り江に到着した時、真っ先にアイラが駆け寄ってきれくれたが、その後も『クイーン・アンナ号』のクルーや兵士たちに入れ代わり立ち代わり頭を撫でられ、最後はなぜか胴上げされそうになって大いに慌てたものである。
ソラたちの身を案じてくれていた事は嬉しいし、主君らを救出してくれた感謝の気持ちもあるのだろうが、機関士たちが豪快に笑いながら油くさい手で頭を触ってくるのだけはやめてほしかった。
「パトリックさんも泣いてたもんね」
経験豊富な副官として部下をまとめつつ冷静にソラたちを海底研究所へ送り出してくれたパトリックだったが、こちらの姿を一目見るや年甲斐もなく男泣きしてアンジェリーヌとジョシュアを抱きしめていたのだ。
「一時はどうなることかと思ったけど、無事に解決して良かったよ」
テオドールの野望は阻止され、首謀者をはじめ加担した者たちも皆捕縛されてジョシュアの船に軟禁された。
アンジェリーヌは作戦中に犠牲者が出たことを悔やんでいるようだったが、あれだけの危機が続いたにも関わらず更なる被害を防げたのは素直に喜ぶべきことなのだと思う。
ただ、取り逃がしてしまったオスカーの事は気がかりであった。
目的を果たした後あの男は行方をくらましたままで、船にいたパトリックたちも目撃しておらず、念のために船の内部や周辺を捜索してもらったがどこにも姿がなかったのだ。
まだ島にいるのかすら判然としなかったが、常識離れしたあの男がすでに何らかの方法で去っていたとしてももはや驚かないだろう。
『エルフの里でもお姉ちゃんやエルメラさんから逃げ切ってたし、逃走の達人なのかもしれないね、あの人……』
と、なにやらマリナが妙な感心の仕方をしていたが。
ソラはこれ以上あの男のことを考えても仕方ないと気分を切り替えて周囲を眺めることにした。
「それにしてもいい景色だね」
はじめは陰気な島にしか見えなかったが、晴れてから改めて見渡してみると海は綺麗で自然も豊かなのでなかなか悪くない場所であった。
遠くに見えている船の墓場も観光スポットして紹介すれば人気が出るかもしれない。
「けど見事なまでに晴れたよね。やっぱりあの大きな魔障石のせいだったのかな」
マリナが水平線に沈みつつある夕陽を眺めながら呟く。
あくまでソラの仮説だが、海底研究所にあった巨大魔障石を更に増幅させることで『魔の三角域』一帯に及ぶほど広範囲で強力な魔力障害を発生させていた事を考えれば、そのせいで島周辺のエレメントのバランスを崩してしまい天候などに影響を与えていたとしてもおかしくはないと思われた。
その魔障石もキメラの巨体によって粉々に砕かれてしまい、今頃は崩壊した研究所とともに深海に沈んでいるだろう。
それからソラが景色を眺めながら気持ちのいい風を浴びていると、マリナがにまにましながら肩をつついてきたので妹の視線の先に目を向けてみれば、少し離れた位置に座っていたアンジェリーヌが時間とともに顔の腫れが酷くなったジョシュアの治療をしていたのだ。
二人はこれまでぎくしゃくしていたのが嘘だったかのように中睦まじい姿を見せており、どうやら今回の事件を通じて長年の溝が少しは埋まったようだった。
「また仲直りできて良かったね。むふふ」
マリナが何を考えているのか手に取るように分かったが、魔導でジョシュアの治癒を申し出ようとしていたソラを止めたのはこれが狙いだったようだ。
ともあれ、妹の思惑はともかく、こうして眺めてみるとまだ世話を焼いている姉と照れている弟にしか見えなかったものの、パトリックが言っていた通りジョシュアの成長も二人の関係もこれからなのだろう。
「そういえば、先生の占い当たったでしょ? 私の支援が更なる幸運を呼び寄せたんだよ」
「別に何もしてないような……。あと、何とかイタ子は絶対に関係ないと思う」
確かにマリナの大剣が戻ってきたことは偶然とは思えないほどの幸運だが、断じて占いのお陰とは認めたくないソラであった。
そうこうしているうちにアンジェリーヌがジョシュアの治療を終え、そこにアイラが丁度いいタイミングで出航の準備ができたことを報せに来た。
アンジェリーヌが微笑みながらジョシュアと共に歩み寄ってくる。
「それではサンマリノに帰りましょうか。やらなければならないことが山積していますが、今夜は私たちを救ってくれたせめてのお礼に豪華な食事を用意しようと思っています」
「やった! 今日はいくらでもお腹に入りそうな気がしますよ!」
ソラたちは和やかに会話しながら船に向かって歩き始めたが、このあと天候は回復しても海流までは変化していないことが判明し、結局『幻影の島』に一泊するはめになったのであった。
※※※
サンマリノに戻ってきた翌朝、ソラたち三人は家路につくため街から少し離れた街道を歩いていた。
「これでサンマリノともお別れかあ。結局、海水浴だけじゃなくスイーツ店巡りもほとんどできなかったし……」
「よく言うよ。あれだけ食べておいて」
昨日の早朝にようやく『幻影の島』からサンマリノへと帰還したソラたちだったが、やはり疲れが相当溜まっていたのか、例によって船酔いで気分を悪くしたアイラと一緒に夕方頃まで熟睡してしまい、昼に起きてから街を観光するつもりだったマリナの予定が狂ってしまったのだ。
なので、まるでその無念さを少しでも晴らすかのごとく、一日遅れではあるがアンジェリーヌが約束どおり用意してくれた豪勢な夕食をマリナが怒涛の勢いでぱくつき、デザートなど何杯お替りしたのか覚えていないほどである。
「サンマリノにもう一泊くらいしても……」
「ダメ。これ以上先延ばしにしたら本気で始業式に間に合わなくなるよ」
ソラが一蹴するとマリナはちえっと唇を尖らせる。
家族とも魔導学校の新学期が始まるまでに妹を冒険の旅から帰すと約束しているのでこればかりは譲れない。
アイラがソラの横顔を見ながら口を開く。
「時間がないので仕方ありませんが、私としてもお嬢様の身体の事を考えれば念のためもう少しゆっくりした方がいい気もしたのですが……」
「もう大丈夫だよ。昨日一日しっかりと休んだから」
マリナがうっかり口を滑らしてしまったせいで、アイラはソラが一時心肺停止状態になったことを知ってしまい、その時は顔を青くしながら慌てていたものだ。
「アンジェリーヌさんたちも名残惜しそうにしてたよね」
ソラが事情を話すと納得してくれたが、もう少し滞在するものだと思っていたらしくかなり残念がっていて、ジョシュアやパトリックも王族を救った上にテオドールの企みを見事阻止した功績を考えれば、王都で国王から勲章を授与されて称えられるべきだと言っていたものの、気持ちだけ受け取って辞退しておいた。
「そういえば、ジョシュアさんからお礼にお土産をもらってたよね」
「うん。長旅になるだろうから途中で食べてくれって。結構高級な物らしいよ」
「サンマリノ名物のケーキとかかな!」
「生ものじゃなくて日持ちするものを用意したって言ってたよ」
ジョシュアはソラたちが<気脈転移>によってほんの数日で帰り着けることを知らないので保存性の高い物を選んだのだろう。
「お土産といえば、マリナも今朝かなり買い込んでたみたいだね」
ゆっくり観光する事は叶わなかったが、サンマリノを出発する前に故郷の家族や友人たちのために三人は色々と土産物を購入したのだ。
「けど、家に帰るのも随分久しぶりに感じるよ」
「そうだね。みんな元気にしてるかな」
「お嬢様方の帰りを皆が待ちわびていると思いますよ。さあ、帰りましょう。エレミアに」
そうして、ソラたちは故郷で待っている皆のことを考えながら<気脈転移>が使用できるスポットを目指して歩き始めたのだった。
――ちなみに、この数時間後ジョシュアがくれたお土産を皆で少しつまんでみる事にしたのだが、もらった箱の中には最高級海グモの干物が入っていて、それを見たソラが卒倒しかけるという事態が発生してしまい、ますます実家に帰るのがぎりぎりになってしまうのであった。
これにて四章は終了となります。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。




