第14話
時は少し遡り、ソラとマリナがまだ海を漂流していた頃――
激しい雨風が吹きすさぶ『幻影の島』には整備された広めの入り江が存在しており、そこに三隻の船が接岸されていた。
入り江には大勢の人間が歩き、皆平等に強い雨に打たれていたものの、彼らの表情は見事なまでに二通りに分かれていた。
すなわち、勝者と敗者のそれである――
「おら! キリキリ歩け!」
勝ち誇った表情の海賊たちに武器を取り上げられ縄で縛られた『クイーン・アンナ号』の乗組員や兵士がうなだれながら連行されており、その様子をアンジェリーヌは暗澹たる心持ちで眺めていた。
(私が迂闊だったせいで……)
部下と同じく両手を縄で封じられたアンジェリーヌは後悔と自責の念で唇を噛みしめる。
海賊船が『魔の三角域』に向けて進路をとった時にもっと慎重に判断するべきだったのだ。
二隻がかりでの捕縛作戦で、更に飛び入り参加ながら強力な戦力であるソラたちの存在を含めればどのような事態でも十分に乗り切れると判断したのだが、所詮それは自分の驕りに過ぎなかった。
(……結果、まんまと海賊たちの張った罠にはまってしまい、何人もの部下を失った挙句、皆なすすべなく捕縛されてしまった)
海上で新手の水棲型魔獣に『クイーン・アンナ号』を押さえられ、ジョシュアの船にも裏切られたとなれば、もはやアンジェリーヌには降伏するしか手は残されていなかった。
そして、なにより、アンジェリーヌは大事な二人の友人を失ってしまったのだ。
(あの荒れ狂う海に投げ出されたらさすがにソラさんとマリナさんでも……)
不意打ちを喰らい力なく海へと落下していった白髪の少女と悲痛な声を上げながら姉の後を追った金髪の少女の姿は今でも瞼に焼き付いている。
その時、艦橋で指揮を執っていたアンジェリーヌは血相を変え、制止するパトリックの声を無視して姉妹を救出しようと甲板に出たものの、もはや二人の姿は黒い濁流の中に消えた後だった。
よほど自分も飛び込んで海中を捜索したかったが、緊迫した状況と部下を置いていくわけにはいかないという王族としての義務感がそれを許さなかったのだ。
(今頃、二人はもう……)
優れた魔導士であり冒険者でもあるソラとマリナでも生身で海に落ちて無事に生還するのはほとんど絶望的と言わざるを得ない。
この海域を船舶が航行している可能性は低く、運良く近くの離島に辿り着くのも難しいだろう。
アンジェリーヌが血が滲むほど唇をきつく噛みしめていると近くから嘲るような声が聞えてきた。
「後悔にまみれた顔をしていますね。心配はいらないでしょうが自害は止めてくださいよ。あなたとジョシュア様には大事な役割があるからこの島までお越しいただいたのです」
アンジェリーヌが顔を上げると、そこには今回の黒幕ともいえるテオドールが冷たい笑みを浮かべながら立っており、その横には血の気が引いたジョシュアがうつむいていた。
(ジョシュア……)
年下の従兄弟も同じく縄を打たれて生気を失ったように佇んでいる。
はじめはジョシュアとその部下たちに裏切られたのかと思っていたのだが、この様子だと彼もテオドールに騙された側の人間だったようだ。
「ジョシュア様は私に乗せられていただけですよ」
こちらの表情から考えていることを察したのか、眼帯の魔導士は微動だにしないジョシュアの肩に気安く手を置きながら言い、そんな余裕綽々な態度のテオドールをアンジェリーヌは鋭く睨みつける。
「ジョシュアの部下もあなたがほとんど掌握しているんですか」
「一部の乗組員やジョシュア様の古参の護衛をのぞけば援軍の大半は変装させた海賊なんですよ。普段から私が側近として各種事務や手続きを一手に引き受けていることもあってジョシュア様は全く気づきませんでしたが」
「そんな……」
アンジェリーヌが茫然としながら振り返ると、ジョシュアの連れてきた兵士と海賊たちとが仲良く会話していたのである。
どうやらテオドールの言っていることは本当らしかったが、これではもはやスパイだらけのようなもので、こちらの動きが読まれているのも当然であった。
テオドールの策略に気づけず忸怩たる思いを抱くアンジェリーヌであったが、同時に周囲の様子を観察しながら冷静に思考していた。
(……いまだに信じがたいことだけど、これまでの経緯からテオドールが首謀者と考えて間違いないようですね)
一介の宮廷魔導士にすぎない彼が裏で海賊たちを従えていた上に魔獣まで操っていたことはもはや否定しようのない事実である。
どうやら最近の海賊騒動からの出来事は全てアンジェリーヌとジョシュアをこの島へとおびき寄せるための布石だったようだが、これだけ大がかりな陰謀となるとかなり前から周到に準備していたに違いない。
(テオドール、彼はいったい……)
王宮でも名の知れた魔導士とはいえ、ジョシュアと疎遠気味だったこともあってアンジェリーヌとはあまり接点がなく、会話したことも数えるほどしかないので詳しく知っているわけではない。
たしか地方の平民の出身で、国にある魔導士育成機関にトップ入学した後はエレミア留学まで許され、帰国してからほどなくして宮廷魔導士に推挙されたエリートという大方の人間が持っている程度の情報である。
アンジェリーヌの印象としては頭が切れるプライドの高い野心家というイメージだが、だからこそこんな蛮行に及んだ理由が分からない。
ここで何らかの目的を達成し、最後に全員を口封じに消したとしてもばれるのは時間の問題だろうし、仮に逃げおおせたとしても、彼がこれまで積み重ねてきたものが崩れ去るどころか一生追われる身になるのだ。
そんなリスクを冒してまでいったいテオドールは何をしようとしているのか。
「……何をたくらんでいるのです。自分が何をしているのか分かっているのですか」
「もちろんですよ。もしかして王女殿下は私が狂ってしまったとでも? 私はいつだって私の――いや、私たちのために動いているんですよ」
最後は呟くように言ったテオドールからはどこか妄執じみた色が見え隠れしていた。
思わずアンジェリーヌが沈黙していると、捕縛された者たちと一緒に入り江の近くに建っていた大きな古い建物へと連れていかれた。
建物の中は特に何もない殺風景な広い部屋がひとつあるのみだったが、ずっと昔に建てられたさびれた施設を簡単に補強しただけのようであちこちから隙間風が入ってきている。
どうやら今は海賊のアジトとして使われているようで、部屋の一角には生活用品や寝袋が置かれており、その近くにはいくつもの酒びんが無造作に転がっていた。
「ここはかつてバルバロイが本拠地としていた場所ですよ。もともとは古代の遺跡の一部だったようですが」
海賊に部屋へと押し込まれる兵士たちを眺めながらテオドールが説明する。
(ここがバルバロイの……)
『幻影の島』が実在していたことに加え、アンジェリーヌの祖先であり革命の英雄であるバルバロイがこの場所で生活していたと思うと感慨深くもあったが、現在の状況を考えると悠長に浸る気分にはなれなかった。
それに、なぜテオドールがそこまでこの島やバルバロイのことに詳しいのかが気になる。
彼や配下の海賊は長い間幻とされてきた島を普段から使用しており、当然そこに至るまでのルートを把握していた。
降伏してから島に連行される間に得意げに説明していたのだが、一日に一回、『魔の三角域』ではほんの短い時間だけ海流の流れが変化し、まるで島へ細い道ができるように安全に辿り着ける海路ができるらしく、実際アンジェリーヌたちはそのおかげでこうして無事に上陸できたのである。
かつてのバルバロイが危険な海域にある島を拠点にできていたカラクリが解けたわけだが、どうやら伝説の海賊の根城だったというだけでなく、この島には何らかの秘密があり、テオドールの目的もそこにあるようだ。
しばらくして兵士たちの収容が完了すると、昨日も見た顔面髭だらけの海賊の頭がテオドールのもとへとやってきた。
「テオドールさん。とりあえずこれで契約分はちゃんと働いたことになるんで報酬の方は忘れんでくださいよ。お宝の方も楽しみにしてますぜ」
どうやらただの雇われだったらしい海賊の頭がにやりと笑うとテオドールは若干うっとうしそうに首を振った。
「分かっている。だが大事なのはここからだ。しっかりとこいつらを見張っていろよ。あいつもつけているから問題はないだろうが」
そう言ってテオドールが視線を向けた先、建物正面にある大きな扉のすぐ外には巨大な生物が雨に打たれながら身じろぎもせずに佇んでいたのだ。
先の戦いで『クイーン・アンナ号』に取り付いた二体目の魔獣だが、ソラに倒された一体目と同じく異様な姿形をしていた。
一見甲羅を背負っているので海ガメのようにも見えるが、顔に当たる箇所には鋭利な牙が並んでいる口だけののっぺらぼうで、手足にあたる部分には甲殻類を思わせる頑丈そうなツメのようなものがついており、まるでいくつもの生物をつぎはぎにしたような姿をしていたのだ。
「……しかし、何度見ても、味方だと分かっていてもゾッとしませんや」
海賊の頭は顔をしかめ、他の海賊や捕縛されている兵士たちも気味悪そうにちらちらと魔獣を眺めていたが、まともな人間なら当然の反応だろう。
それから海賊の頭が仕事に戻ると、テオドールは直属の部下である黒ローブたちにアンジェリーヌとジョシュアを見張らせながら裏口に向かって歩き始めた。
どうやら目当ての場所は他にあるようだ。
「まさか、あなたの目的は『バルバロイの遺産』なのですか?」
「行けばわかりますよ」
先程の海賊の頭とのやり取りからアンジェリーヌが探りを入れてみるが、先頭のテオドールは振り向きもせずに扉のノブを掴む。
そして、アンジェリーヌがテオドールに続いて裏口を通過する直前、一瞬だけ捕らえられた者たちの中にいたパトリックに視線を向けた。
ぎゅうぎゅう詰めにされていた兵士や乗組員らと一緒に大人しく座っていた忠実なる副官はアンジェリーヌに気づくとアイコンタクトで頷いてこちらに応える。
(頼みますよ……)
アンジェリーヌは扉をくぐりながら祈るようにパトリックとここにはいない人間に願いを託す。
『クイーン・アンナ号』に乗っていた人間とジョシュアの船にいたテオドールの企みとは無関係の一部の人間はみな捕縛されていたが、密かにアイラとパトリックが選抜した腕利きの兵士数人が逃れていたのである。
もはや白旗を上げるしかないと悟ったあの時、アンジェリーヌはとっさにアイラと何人かの兵士を本来王族などが一時的に避難する船の隠し部屋で匿うようパトリックに指示したのだ。
テオドールらに気づかれていないかが不安だったが、そもそも厳重なチェックが行われておらず、戦いで死んでしまったと思ったのか、それとも己の優位性は揺るがないと気にも留めていないのか、いずれにせよ増援が見込めないこの状況では彼女たちが唯一の希望である。
時間がなかったためほとんど打ち合わせなどできなかったが、船を密かに抜け出した彼女たちがなんとか隙を見出して捕虜になっているパトリックたちを解放し、厳しいだろうがそのまま魔獣や海賊を倒してくれることを祈るしかない。
もっとも、アイラに関しては無理に手を貸してくれる必要はないと思っている。
彼女が船室でダウンしている間に船で起こった出来事を正確に伝えるよう兵士たちにアンジェリーヌが指示していたので、もう敬愛する姉妹がどういう運命を辿ったのか知っているだろう。
だから、今のアイラの心中を考えるとまだ戦ってくれなどとは言えず彼女の自由意志に任せるつもりだ。
それから、建物を出て再び嵐の中に身を投じることになったアンジェリーヌたちは内陸へと分け入るとしばらく山道を歩かされた。
これからテオドールが何をするつもりなのかアンジェリーヌには気がかりだったが、すぐ隣にいるジョシュアが暗い表情でうつむき加減にのろのろと歩を進めているのも心配だった。
信頼していた部下から酷い裏切りを受けたのだから当然だが、これまで一言も発することなく覇気も全く感じられないのである。
どこか怪我でもしたのではないかとアンジェリーヌが声をかけようとすると、ジョシュアはもともと雨でぬかるんでいた地面に足をとられて転んでしまったのだ。
「グズグズするな!」
「乱暴しないで!」
周囲を取り囲むように歩いていた黒ローブのひとりが転倒したジョシュアの胸倉を掴むように強引に引っ張り上げたのを見てアンジェリーヌは二人の間に割って入る。
アンジェリーヌは慌てて自分の方へ引き寄せようとしたが、すぐにジョシュアに振り払われてしまい呆然と立ち尽くした。
「ジョシュア……」
「……僕のことは放っておいてくれ」
雨で濡れた前髪が張り付いているので表情は分かりづらかったが、歯を食いしばって何かに耐えている泥だらけのジョシュアの姿にアンジェリーヌは動けなくなった。
「惨めですね。ジョシュア様」
一連の出来事を眺めていたテオドールが己の主を蔑むように見下ろすが、本人が何も言い返さず無言のままでいると鼻を鳴らして行進を再開させた。
しばらく雨が降りしきるなか誰も口を開くことなく視界の悪い山道を進むと、やがて目の前に山の斜面に半ば埋まっている灰色の大きな遺跡が見えてきたのだ。
埋まっているので全体像は把握できないものの、先程の建物よりも遥かに規模が大きく、よほど高度な技術でつくられているのか古代の遺跡の割にはほとんど崩壊もしていなかった。
何も知らないアンジェリーヌにも重要な施設だと察せられたが、薄暗い山中にぽつんと建っていることもあり、その建物からはどこか禍々しい雰囲気が漂っているのだった。




