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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
四章 魔法使いと幻影の島
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第11話

 海賊が拠点にしている無人島は『魔の三角域』のそばにあるためか、現在では天候が急激に悪化しており、懸念していた通り強い雨が降り始めていた。

 真っ黒な海面はうねりとなって船を大きく揺らし、大型の外洋船でなければとっくに転覆していたかもしれない。


 ジョシュアの船と別れた後はアンジェリーヌたちと一緒に艦橋で待機していたマリナも床の揺れがどんどん酷くなる中で少し顔をしかめていた。


(『魔の三角域』の近辺ですらここまで天気が酷いとは……。これは探索するの無理かも)


 マリナはバランスを取りつつ海を舐めていたかもと反省していた。

 海賊船を攻略した後にあわよくば『魔の三角域』を覗いてみるつもりだったのだが、この分だとその目論見は儚く散ってしまいそうである。


 一方、さすがに慣れているのか、こんな状況でも艦橋のスタッフは平時と変わらない様子でそれぞれの役割をこなしていたが、ここに来て少々不穏な空気に包まれ始めていた。


「いったい彼らはどこまで進むつもりなのか……」


「解せませんな。下手したら自滅しかねませんぞ」


 望遠鏡を覗いていたアンジェリーヌは難しい表情で顎に手を当て、その後ろに控えていたパトリックも眉根を寄せていたが、その原因は『クイーン・アンナ号』の前方で波に揺られながら航行している黒い海賊船が予想外の行動を取っていたからであった。


 作戦が開始された後は当初の予定通り二手に分かれ、それぞれ島を回りこんだ二隻の船が入り江に停泊していた海賊船を挟み込む形で捕捉したのだが、あと数百メートルまで接近したところで急に黒い船が発進したかと思うとなぜか『魔の三角域』に向かって進み出したのだ。


 マリナも激しい雨が打ちつけている窓越しに海賊船を見つめるが方向転換する気配はまるでなさそうで、このまま進めば危険な海域に突入するのも時間の問題であった。

 

 もしかしてあのアホそうな海賊の船長がヤケでも起こしたのだろうかと首を捻っていると、背後から声が聞こえてきた。


「――状況はどう?」


「あ、お姉ちゃん」


 マリナが振り返るとソラが扉を開けて艦橋に入ってきていた。


「雨風がすごいね。台風の一歩手前って感じ」


「うん。アイラは?」


「相変わらず船室でダウンしてるよ。この酷い揺れで更に気分が悪化したみたい。追加の袋が必要な状態になってる」


 苦笑するソラの話を聞いてマリナはあちゃあとアイラに同情した。

 せっかく姉にりんごを食べさせてもらったのに、また胃の中の物を全て吐き出す羽目になりそうだ。


「ついてこようとするアイラを説得するのにも苦労したよ。『お嬢様方だけに危険な仕事をさせるわけにはいきません』とか言って這ってでも作戦に参加しようとするんだから」


 そう言って溜息をつくソラを見てマリナはその時の二人のやり取りが容易に想像できた。

 本人は護衛として旅に同行しているので自分だけ寝ているわけにはいかないのだろう。


「ソラさん。アイラさんの具合はどうですか?」


「遅れてすみません、アンナさん。やっぱりダメみたいです」


 ソラはアンジェリーヌと挨拶を交わすと現在の状況を確認する。


「……なるほど。『魔の三角域』に向かってですか。彼らの意図がよく分かりませんね」


「はじめは最後の悪あがきでかつてのバルバロイと同じ作戦に出たのではと考えたのですが……」


 海賊だった頃のバルバロイは、海軍の追撃を撒くために『魔の三角域』の激しい気象を利用するという荒業を敢行していたらしく、本拠地をこの辺りに設けていたのもそれが理由らしい。

 かなり危険な賭けではあるが、そういった破天荒な行動も民衆の人気を集めた理由のひとつなのだそうだ。


「それと、考えすぎかもしれないですけど、少し手際がよすぎる気がしますね」


「ええ。直前に気づかれるのは仕方ないですけど、ここまで迅速に逃亡に移るのは想定外でした。仮に情報が漏れていてあらかじめ準備していたとしても、それならば寸前まで停泊していた意味が分かりません」


 それから二人とも漠然と嫌な予感を覚えているように無言になったが他の乗組員も似たような様子であった。


「罠の可能性もありますが、追い詰めていることに変わりはありません。どうされますか、姫様」


「せっかくここまで来たのですからぎりぎりまで追いましょう。ただし、これ以上危険だと判断すれば即座に追跡を断念します」


 アンジェリーヌは副官のパトリックや近くにいた幹部たちに方針を伝え、また最大限警戒するように指示を出したのだった。






 追跡を開始してからしばらくして『クイーン・アンナ号』と合流したジョシュアの船はとうとう『魔の三角域』と呼ばれる海域間際まで接近していたが、海賊船は依然進路を変えることなく直進したままであった。


「もう限界ですね。停止しましょう。ジョシュアの方にも合図を」


 ずっと険しい表情で海賊船と海図を交互に眺めていたアンジェリーヌが指令を出す。

 もはや周囲は大時化(おおしけ)の状態でさすがにこれ以上の航行は素人目にも危険であった。


 そして、乗組員たちが命令を復唱して船を停止しようとすると、


「艦長! 海賊船が停止した模様です!」


 艦橋備え付けの双眼望遠鏡で常に海賊船を見張っていた乗組員の報告に場が少しざわめく。


「……観念したということなのかしら」


「奴らとて命は惜しいでしょうし、そう考えるのが妥当かと」


 いぶかしむアンジェリーヌにパトリックが首肯するが、敵が白旗を掲げている様子もないので、『クイーン・アンナ号』とジョシュアとの船で左右からゆっくりと海賊船に接近して慎重に拿捕(だほ)を目指すことになった。


 マリナとソラも兵士たちに混じって念のため甲板にまで下りる。

 いまだ魔獣の姿はなかったが、いつ出てきても対処できるよう警戒しておかなければならない。


「うひゃー! すごい雨!」


 マリナはローブのフードを頭に被りながら轟く雷鳴に首をすくめた。

 雨は容赦なく激しさを増しており、大きな雨粒が顔にびしびしと当たって痛いほどである。


「本当にとんでもない海だね。事故が多発するのも納得だよ」


 ソラも強風で吹き飛びそうになるフードを押さえながら近くの手すりに掴まり、マリナもそれに倣う。

 二人は体重が軽いので油断するとあっという間に身体を持っていかれそうになるのだ。


 マリナは身体を固定するのに苦慮しながら完全に動きを止めた海賊船に視線を向ける。


「あいつら、本当に諦めたのかな。牽制のために魔導を近くに撃ち込んじゃおっか」


「下手に刺激しない方がいいよ。それに、この辺りは魔力の流れがおかしいから魔導は慎重に使用した方がいいと思う」


 魔力に敏感なソラが周囲を見回しながら言う。

 『魔の三角域』周辺の海底には魔障石が埋まっているそうなのでおそらくそのせいだろう。


 それから、クイーン・アンナ号が海賊船をはっきりと視認できる位置まで近づいたが何のリアクションもなかった。

 雨でびしょ濡れになった甲板にも誰一人おらず、ギイギイとマストが軋む音がかすかに聞こえてくるのみで不気味なまでに沈黙に包まれている。


 ここまで来ると反対側から迫っているジョシュアの船も見えており、甲板上にはジョシュアやテオドールら部下の姿があった。

 どうやらこのまま乗り込んでさっさと海賊船を制圧する気なのかもしれない。


 やはり手柄を立てるために作戦に参加したのだろうかと、マリナが取り巻きに囲まれているジョシュアを眺めていると、ふいに彼の船が不自然に大きく揺さぶられ始めたのだ。


 突然のことに甲板上のジョシュアたちは慌てて近くのものに掴まり、それを見ていた『クイーン・アンナ号』の面々も騒然となった。


「出たよ! お姉ちゃん!」


 海面から伸びた何本もの白い触手がジョシュアの船に絡みついているのを見てマリナは魔導の準備を開始する。

 このタイミングで再び現れたということは、どういうカラクリなのかは分からないが、クラーケンが海賊の味方をしているのはもう間違いないようだった。


「マリナ! くれぐれも船に当てないようにね!」


 ソラや周囲に待機していたアンジェリーヌの部下である数人の魔導士たちもクラーケンを撃退すべく空間に魔力紋を構築し始める。

 あちらの船にもテオドールを筆頭に魔導を扱える者がいるが、今はジョシュアを守るのと激しく揺れる船から滑り落ちないようにするのが精一杯でとても反撃に移るのは不可能そうだ。

 この海ではわずかな亀裂が船に入っただけでも致命傷になりかねないので急がなければならない。


 マリナたちはジョシュアたちを助けるべく完成させた魔導を次々にクラーケンの足に向かって放つと、いくつもの範囲を絞った魔導は船に被害を出すことなく白い触手に次々と突き刺さった。


「効いてる!」


 手応えを感じたようにソラが声を上げる。

 あの魔獣はよほど魔力への耐性が強いのか生半可な魔導ではほとんど効果がないのだが、今回は確実にダメージを与えているようでいくつもの足がちぎれて海へと落下していったのだ。


 先の戦いの経験から高密度の魔導を一点に集中するよう工夫し、マリナやソラほどの魔力を持たない他の魔導士たちも複数人でひとつの足を攻撃するよう事前の作戦で打ち合わせておいたのである。

 前回は不意を突かれたこともあって防戦一方になってしまったが、あらかじめ対策を講じていれば対処できない相手ではない。


「でも、一旦海に逃げられたら厄介だよ!」


「大丈夫。その前に仕留めるから。マリナたちは船が損傷しないようにそのまま攻撃を続けて」


 まるで海中にいるクラーケンが視えているかのようにソラは荒れている海面の一点を睨みながら新たな魔導の準備を始める。

 この距離ならば強い魔力を纏っている魔獣の本体を察知することくらいわけないのだろう。


 そして、クラーケンに大ダメージを与えるために強大な魔導を構築しているソラから濃密な魔力波動が発せられた時、突如ジョシュアの船のすぐそばで海面が盛り上がりはじめたかと思うと大量の水しぶきとともに大きな影が海上まで躍り出てきたのである。


 強烈な攻撃に晒されて業を煮やした本体が出てきたのかとマリナは警戒したが、ようやく姿を現したクラーケンの本体を目撃した人間は皆揃って息を呑んだ。


 なぜなら、クラーケンだと思っていた魔獣の本体はイソギンチャクのような円筒形の軟体生物で、そこからイカにそっくりな足が何本も生えているという何とも異様な生き物だったからである。

 更に中央の大きな口のような部分には無数の細い触手がウネウネと(うごめ)いていて気持ち悪いことこの上ない。


「何なのあれ!?」


 あちこちから悲鳴が聞こえてくる中でマリナもうげげっと身を引いた。

 醜悪極まるというかそもそもこんなデタラメな生物が存在していいのだろうかと思う。


 急に浮上してきた魔獣はおもむろに足のひとつでジョシュアの船の乗組員をひとり捕まえると、そのまま大きな口の中に放り込んでしまい、やがて血しぶきとともに耳を塞ぎたくなるような断末魔と骨を砕く音が聞こえてきたのだった。


 思わずマリナが目を逸らすと、これがチャンスとばかりに気配すら感じなかった海賊たちが(とき)の声を上げながらわらわらと甲板に出てきて、同時に海賊船がこちらに向けて急速に接近してきたのだ。


 どうやらクイーン・アンナ号に乗り移ってくる狙いのようだが、この距離だと大砲で迎撃するのは難しい。


「この忙しい時に!」


 マリナは白兵戦に備えて背中の大剣の柄を握りしめるが、

 

『――兵士たちはそれぞれ連携して持ち場を死守! 魔導士の皆さんは魔獣に集中してください!』


 外部スピーカーを通して甲板中にアンジェリーヌの声が響き渡り、奇襲の連続でやや浮き足立っていた兵士たちはすぐに落ち着きを取り戻した。


 絶妙なタイミングでのかけ声にマリナが感心していると、接近してきた海賊船から次々に梯子がかけられ雄叫びを上げた海賊たちが勢いよく乗り込もうとしてきた。


 しかし、態勢を整えた兵士たちはしっかりと陣形を組んで対処し、一気に浸入しようと目論んでいた海賊たちも停止を余儀なくされて完全に出鼻を挫かれた格好となる。


 海賊たちは計算違いだとばかりに自分の船にまで後退し、ほんの数メートルほどしかない隙間を挟んで兵士たちと睨み合った。


(妙にあっさりしてるような……)


 多少の犠牲を覚悟で強引に乗り込むことはできたはずなのに、無理をせずに退いていった海賊を見てマリナは少し違和感を感じたが、侵入を防いで混乱を最小限に抑えられたのでとりあえず良しとする。


 そして、周囲の情勢が目まぐるしく変化する中においても、隣にいたソラは動じることなく凄まじい集中力で魔導を完成させていた。


「<雷神の鉄槌(トール・ハンマー)>!」


 そうソラが力強く叫ぶと、足を蠢かせて二人目の犠牲者を物色していた魔獣の頭上に強大な魔力が渦巻き、次の瞬間には巨大な青い雷の柱が出現して一気に落下したのだ。


 振り下ろされた無慈悲な雷の鉄槌は半透明の身体をあっさりと突き破ると、そのまま体内を焼き尽くしながら落下していき、大量の体液らしきものを撒き散らした魔獣はぶるぶると痙攣(けいれん)しながら力尽きたように海中へと沈んでいったのだった。


「おお! やったぞ!」


 ソラが一撃で魔獣を倒したことで味方から歓声が上がりマリナも安堵する。

 一度は形勢が敵に傾きかけたものの、最大の障害が取り除かれたことで勝機が見えてきた。


 あとは態勢を立て直しつつあるジョシュアたちと連携して海賊たちを追い詰めるだけだとマリナが海賊船に視線を向けた時だった。


「うわわっ!?」


 唐突に『クイーン・アンナ号』を大きな衝撃が襲ったのだ。

 大波による揺れなどではなく何かに衝突されたような振動だった。


 空中に投げ出されそうになったマリナは咄嗟に手すりを掴んで事なきを得たが、魔導を放った直後のソラは集中していた気を一瞬緩めた後だったので、手を伸ばすのが少し遅れて小柄な身体が宙に浮く。


「お姉ちゃん!」


 マリナが手を伸ばすがわずかに届かず、完全に体勢が崩れたソラはそのまま傾く甲板を滑るように海へと向かって転がっていった。


「――くっ!」 


 それでもソラは船のヘリを掴まえることに成功してぎりぎりで海に落ちることは免れたものの、そのそばでは何人かの兵士たちが悲鳴を上げながら海へと落下していった。


「お姉ちゃん、大丈夫!?」


 マリナが大声で呼びかけるものの、いまだに収まらない断続的な振動のせいでソラはなかなか身体を持ち上げることができずにいる。


「ま、魔獣です! もう一体現れました!」


 動揺する兵士たちが顔を向ける方にマリナも目を向けると、ちょうど船の反対側から甲殻類を想起させる長い脚のようなものが甲板に乗り込もうとしている光景が見えた。

 どうやら先程の衝撃はあの新たに出現した魔獣が『クイーン・アンナ号』の横っ腹に高速で衝突したもののようだったが、まるで皆の警戒が少し緩むタイミングを狙っていたかのようである。


 すぐにアンジェリーヌから落ち着いて魔獣を包囲するよう指示が出されたものの、船に取り付いている敵とますます勢いを増している嵐のせいで皆思うように身動きができず、巻き込まれないためか海賊船が距離を取りつつあるのが不幸中の幸いであった。


 一気に劣勢へと陥った『クイーン・アンナ号』だったが、それよりもマリナにはとってはソラを助けるのが先だった。


「お姉ちゃん、待ってて! 今、助けに行くから!」


 マリナは驚異的な身体能力でバランスをとりつつ、その場に留まっているのが精一杯な兵士たちの間をすり抜けながら揺れる甲板を慎重に移動して姉のもとへと急ぐ。


 そして、もう少しでソラの所に到達しようかという時、突然視界の隅で魔力の光が閃いたかと思うと、遠くから水の刃が走って姉の肩を直撃したのだ。


「な……」


 目を見開くマリナの目の前で魔導をもろに喰らったソラの手が外れると、そのまま力なく落下していき、既に意識はないのかぴくりとも動かずに黒い海の中へと消えていったのだった。


 頭が真っ白になったマリナが魔導の放たれた方に顔を向けると、そこには無表情のまま手の平を向けたテオドールとその横に茫然とした表情のジョシュアの姿があった。


 あの眼帯の魔導士が魔導でソラを攻撃したことにマリナは混乱したがすぐにハッと我に返る。


「お姉ちゃん!!」


 マリナは制止しようとする兵士たちや背後から聞こえてくるアンジェリーヌの声を無視してソラの後を追うように無我夢中で荒れ狂う海に飛び込んだのだった。

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