第10話
甲板上で潮風に当たりながら歩いていたマリナがそろそろソラたちのもとへ戻ろうかと考えていると、荷物が置かれているあまり人気のない場所にジョシュアがひとりで立っているのを発見した。
まるで人目を忍ぶようなその姿に、マリナが一体何をしているのかと気になって眺めてみると、ジョシュアは鞘から抜いた剣を真面目な表情でじっと見つめていたのだ。
傍から見ればちょっと危ない人である。
マリナが声をかけようか迷っているとあちらも気づいたようだった。
「君は……エーデルベルグ家の」
「もうアンナさんとの最後の確認は終わったんですか? 早いですね」
マリナが軽く会釈しながら問うと、ジョシュアは念のために手順を確かめるだけでもともとそんなに時間のかかるものではないと答えた。
「部下の人たちの姿が見えないようですけど……」
「先に帰して休息をとらせている」
ジョシュアは素っ気無く答えると手に持っていた剣を素早く鞘に戻す。
相変わらずつっけんどんな態度だったが、その剣が気になったマリナは少しジョシュアと会話してみることにした。
「ずっと眺めていたようですけど立派な剣ですね。何か思い入れでもあるんですか?」
「君が背負っている剣ほどじゃないさ。ただの長剣だよ。それより君も仲間の所に戻った方がいいんじゃないか?」
ジョシュアはさっさと剣を腰元に戻して話を強引に打ち切ろうとしたが、
「でも、刃元にアンナさんとジョシュアさんの名前が並んで彫ってありましたよね」
そうマリナが鋭く突っ込むと、ジョシュアは一瞬沈黙してから呆れたように軽く息を吐いたのだった。
「……あの一瞬でよくそんな小さい文字を確認できたもんだね」
「私、目はいい方なんです」
にこやかにマリナが答えるとジョシュアは観念したように再び剣を抜いて見せてくれた。
「……これは昔アンナから貰った物なんだ」
「へえ……」
マリナは目の前に差し出された長剣を見つめる。
特別飾り立てられているわけでもなく、細身で一見頼りないように見えるが、王族間で贈られるだけあってかなりの代物のようだった。
太陽を反射して鈍い光を放つ剣身はしなやかで吸い込まれそうな凄みを感じる。
「こんな素晴らしい剣を贈るってことは、やっぱりジョシュアさんのことを大切に思ってるんですね」
「……さあね。ただの慣習だよ。僕には荷が重い物なのかもしれない」
意味が分からずマリナが首を傾げると、ジョシュアは気にするなと剣を鞘に収めた。
「それにしても君たちも物好きだね。この国には観光で訪れたと聞いてるけどわざわざ厄介事に首を突っ込むなんて」
「私も姉も一度関わってしまったら大人しく引けないタチなんです。それに友人であるアンナさんの頼みは断れないですし、彼女の事も好きですから」
マリナの言い分を聞いたジョシュアは少し驚いたような表情をすると、「君は羨ましいぐらいに真っ直ぐだね」と苦笑した。
これまで事務的でドライな姿しか見たことがなく、今もわずかに笑みを浮かべただけだったが、そこには確かに年相応の姿が垣間見えていた。
(ふ~む。何となくアンジェリーヌさんの気持ちが分かるような)
やや険が取れた様子の少年を眺めながらマリナは思う。
昨日のやり取りからアンジェリーヌのジョシュアへの接し方が過保護気味だったように感じたが、もともと小柄で柔和そうな顔立ちをしていて、あまり社交的な性格ではないもののいつも一生懸命な雰囲気なので、どこか放っておけないというか守ってあげたくなるタイプなのだ。
(そういえば、弟にちょっと似てるかも)
マリナはサンマリノから遠く離れた故郷にいる弟のトリスをふいに思い出す。
冒険の旅に出てからしばらく会っていないが、海賊討伐が終わればすぐに実家に帰る予定なので、その時はまた可愛い笑顔を浮かべながら出迎えてくれるはずだ。
マリナが帰ったら久し振りにソラと一緒に弟と遊んであげようと考えていると、少し警戒心が薄れてきたらしいジョシュアが癖のない金髪を潮風になびかせながら船のヘリに肘をついてこちらに視線を向けてきた。
「アンナが知り合いとはいえ外部の人間に応援を頼むなんてあまりないことだよ。よほど君らの事を買ってるんだね」
「これでも冒険者としてけっこう修羅場を潜ってきてますから」
「そんな危険な仕事をしなくても、エーデルベルグ家の令嬢ならそれこそ王族のような生活を送れるだろうに。本当に物好きだね」
自信満々に腕を叩くマリナを見てジョシュアはおかしそうな表情をする。
「なによりアンナさんは昨日現れた魔獣の存在を懸念してるみたいでした。だからひとりでも多くの魔導士を必要にしてるみたいです」
「例のクラーケンらしき魔獣のことか……。でも、君らの出番はそんなにないと思うよ。僕の部下たち、とりわけテオドールは優秀だからね。彼はいつも親身になって僕を助けてくれるし、今回も期待通りの仕事をしてくれるだろう」
ジョシュアはテオドールに全幅の信頼を置いているようで、以前パトリックが腹心の部下と言っていたのも頷けた。
それに、昨夜の的当て勝負からも、ソラに敗れたとはいえ彼が優れた魔導士であることに疑いの余地はなく、そもそも魔導学校でほとんど無敵だった姉とあそこまでいい勝負をしている人間を久しぶりに見たくらいである。
それから、マリナたちの冒険者としての活動に興味を持ったらしいジョシュアにこれまで体験した出来事を語ってみせると、金髪の少年は徐々に話に引き込まれていったようだった。
「エルフの里では本当に大変だったんですよ。病気から復活した私とアイラが村に駆けつけると、数え切れないくらいの数の魔獣が暴れ回っていて、あとシヴァ教の関係者で新聞記者でもあるとかいう変な人が裏で暗躍していたり」
「君らはいつも何かの事件に巻き込まれてるんだね」
ジョシュアは時に笑ったり驚いたりして興味深そうにマリナの話に耳を傾けていた。
やはり男の子だけあってこの手の話は好きなようで、当初の無愛想な態度から一転して自分から色々と尋ねてくるほどであった。
「僕の立場じゃ君らのような活動をするのは難しいだろうけど、この作戦を成功させればこれからも大きな仕事を任せてもらえるようになるかもしれない」
そう言って海を眺めるジョシュアからはどこか強い意気込みのようなものが感じられたが、マリナはその横顔を見ながらふと思った。
(……そういえば、ジョシュアさんはどうして今回の討伐に参加したんだろ?)
後で判明したことだが、どうもジョシュアはわざわざ国王に直訴までして後詰めの指揮官に収まったのだそうだ。
彼ほどの年齢の若者が戦果を上げようと血気に逸っても不思議ではないものの、普段避けているらしいアンジェリーヌ主導の作戦にそこまでして参加しようとするだろうか。
どうにも腑に落ちない気がしたマリナは、強風が吹きはじめて暴れる髪を押さえながら思い切って尋ねてみることにした。
「……あの、どうしてジョシュアさんは海賊討伐に参加したんですか? 自分から志願したそうですし」
突然の質問にジョシュアは面食らっていたようだったがマリナは臆することなく続ける。
「もしかして、アンナさんのためなんじゃないんですか?」
「……どうかな。いずれにしろ君には関係のない話だ。僕には僕の目的がある」
「目的?」
おうむ返しにマリナが問い返すが、ジョシュアは答えることなくそのまま踵を返した。
「もうすぐ作戦開始の時間だ。僕は自分の船に帰るよ。君ももう戻った方がいい」
そう言って二隻の船を繋ぐ橋に向かって歩きかけたが、ふと腰の剣に手をやると、
「……これで見返してやるんだ」
「え?」
何か小さく呟いたような気がしてマリナは反射的に聞き返したが、ジョシュアは何でもないと言って今度こそ足早に去っていったのだった。
そのどこか余裕のない背中をマリナが見送っていると、
「……ふむ。やはり気にしていたんですな」
「うわっ!?」
後ろからいきなり声が聞こえてきたので驚いて振り返ってみると、遠い目をしたパトリックが荷物の陰からひょっこり出てきていたのだ。
いつからそこにいたのかは知らないが、背後霊のように突然出てくるのはやめてほしい。
「パトリックさん。もしかしてずっとそこで聞いてたの?」
「盗み聞きするつもりはなかったのですが、少しジョシュア様の事が気になりましてな」
パトリックが言うには先程の打ち合わせの際にもアンジェリーヌとジョシュアの雰囲気があまり良くなかったのだそうだ。
「昨夜も姫様が腹を割ってお話されようと試みたようなのですが、ジョシュア様が意固地になっているせいもあってか不調に終わったそうで。理由は察しがつかないでもないのですが」
「どういうこと?」
マリナが尋ねると、パトリックは喋るべきかどうか若干迷っていたようだったが、やがて口を開いた。
「実はアンジェリーヌ様とジョシュア様は許嫁の間柄なのです」
「そうだったの!?」
上流階級では別段珍しくもないことだが、思わぬ情報にマリナは驚いた。
やはり何らかの事情がありそうだと思った己の直感は正しかったのだ。
不謹慎かもしれないが今朝の占いがちらっと頭をよぎる。
パトリックは先ほどのジョシュアのように海へと視線を向けながら語り始めた。
「お二方は子供の頃は大変仲が良く、縁談が決まった時はジョシュア様も大層喜んでおりました。……しかし、いずれ女王となるアンジェリーヌ様の伴侶に選ばれるということは相応の重圧に晒されるということでもあるのです」
許嫁の選定には政治的な理由など複雑な要因が絡んでいるだろうというのは想像に難くない。
最終的にはアンジェリーヌの父である国王が決定する事だが、ジョシュアが他の有力貴族などから様々な圧力ややっかみを受けていてもおかしくなさそうだ。
「加えてアンジェリーヌ様は初代女王アンナの再来と謳われるほど聡明なお方。文武に優れ、民を導くに十分な統率力を兼ね備えていらっしゃる。ジョシュア様はご自分が姫様と比べて劣っているように感じておられるようなのです」
ほとんど隙がない上に眩く輝いている王女はコンプレックスを抱いているジョシュアの影をますます強くしているようだった。
「あの方もご自分が思っているほど劣っているわけではないのですが、口さがない者たちが姫様の伴侶に相応しくないと陰口を叩いているようで……。今回の討伐作戦の参加もその辺りが関係しているのかもしれませんな」
「そうだったんですか……」
マリナはそのような少年期を過ごしてきたなら多少卑屈になっても仕方がないような気がした。
そうなるとアンジェリーヌの優しさや気遣いなども癪に障るだけなのかもしれない。
「私は姫様付きでしたが、ジョシュア様を幼い頃から知っておりますし、よくアンジェリーヌ様とともに面倒を見させていただきました。また、昔のようにお二人が笑顔で過ごされる時が来ればよいのですが……」
懐かしい思い出を振り返るような表情でパトリックは水平線の方を眺めるが、彼も二人を昔から近くで見てきた人間として心配しているのだろう。
「そういえば、ジョシュアさんが手にしていた剣は何なの? アンナさんとジョシュアさんの名前が彫ってあったけど」
「あの剣は代々女王となる者がその伴侶に贈る物なのです。かつて、アンナが最後の戦いに赴くバルバロイに贈ったことからはじまった慣習で、王配となる人間は女王の剣となり一生守り通すと誓うのです」
「しばらく見つめていたようだったけど……」
「あの方は思い込み過ぎるというか、やや自分を追い詰める傾向にあるのです。この先何もなければよいのですが……」
そう言って天を仰いだパトリックに釣られてマリナも空を見上げると、先程まではなかった分厚い雲が徐々に上空を覆いつつあり明らかに天候が悪化し始めていた。
この分だといつ土砂降りになってもおかしくなさそうである。
「これからしばらく荒れそうですな」
マリナと同じことを考えていたらしいパトリックが呟く。
『魔の三角域』に近づいたせいか、波風が少しずつ強くなってきており、どうやら嵐が近いようだった。