第3話
マリナ達は海水浴場に押し寄せたソードフィッシュを現地の兵士と一緒に全滅させたあと、普段の服装に着替えてからサンマリノにある冒険者協会を訪れていた。
目的は複雑な事情から査定が遅れていた『幽霊屋敷』の件と先程の騒動に関してである。
本来なら協会での用事が済めばすぐに町の観光に繰り出す予定だったがソラも気になったのだろう。
「お待たせして申し訳ありませんでした。ようやく査定の方が完了いたしましたのでご報告します」
マリナ達は窓口で受付のお姉さんから報告を受けてから預けていた冒険者パスポートと任務達成の報奨金を受け取った。
「やった! また星が増えてるよ!」
マリナは手元に戻ってきた冒険者パスポートを確認して歓喜の声を上げる。
依頼達成前は『二ツ星』だった冒険者ランクがひとつ上がって『三ツ星』に昇格しており、ソラとアイラも同じくワンランク上昇して『四ツ星』になっていた。
高難度の依頼だったということもあるが、やはり『死神』という規格外の化け物を討伐したことが評価されたようだ。
ただ、マリナはわずか二件での達成であり、ソラ達も冒険者になってからまだ一年程度なのである。怖ろしいほどのランク上昇速度で受付のお姉さんもやや唖然としていた。
(あ、そういえば……)
満足気な表情で冒険者パスポートを眺めていたマリナだったが、ここでもうひとつ自分だけの用事を思い出し、報奨金を荷物に入れているソラとアイラがこちらに気づいていないのを確認してから受付のお姉さんに少し声を潜めて語りかけた。
「……あの。例の件なんですけど、どうなってますか?」
「あ、はい。ご要望の物は問題なく用意できるそうです。少し時間はかかりますがサンマリノ支部まで届けさせましょうか?」
「いえ、予定通りエルシオンの実家にお願いします」
マリナは順調に事が運んでいるのを確認してホッとする。
どう転ぶかは実際に確かめてみるしかないが、布石はできるだけ多く打っておいて損はない。
「どうしたの、マリナ?」
「な、何でもないよ、お姉ちゃん」
こちらのやり取りに気づいたソラが不思議そうな表情で話しかけてきたのでマリナは笑いながら誤魔化す。
たぶん知られても怒られはしないと思うができるだけ秘密にしておきたいのである。
(上手くいけばお姉ちゃんも驚くだろうしね)
むふふ……とマリナが心中でほくそ笑んでいると、ソラがまた受付のお姉さんに話しかけていた。
「ついさっき怪物が海水浴場まで侵入して大騒ぎになったんですけど、こういうことはこれまでにもあったんですか?」
「ああ……。その話はこちらまで伝わっていますが、今までそんな事態になったことは一度たりともありませんよ。警備を突破されたこともそうですが、あれだけの大群が襲ってくることは」
受付のお姉さんは「怪我人が出なくて本当に良かったですよ」と安堵のため息を漏らしたが、おそらく言外に観光の目玉たる海水浴場で犠牲者が出なくて良かったという意味も含まれているのだろう。
「他にも最近この周辺の海で怪物達の活動が活発化しているという話も聞いたんですけど原因は分かってるんですか?」
「いえ、それが全く。国の方も調査を進めているそうなのですが……」
ソラはなおも尋ねようとしていたが、受け付けのお姉さんはふとマリナ達の背後に視線を移動させた。
「それならあの方に訊いてみてはどうでしょうか? 海に関する事情で彼以上に詳しい人はそうはいないと思いますよ」
「あの人?」
マリナが振り向くと、海水浴場で会った漁師のおじさんが入り口の近くできょろきょろとロビー内を見渡していたのだった。
※※※
協会内にある談話室にマリナ達は腰掛け漁師のおじさんと向き合っていた。
「わざわざ届けてもらってありがとうございます。グエンさん」
「ははは。いいってことよ。嬢ちゃん達のお陰で怪我人が出なくてすんだんだからな」
漁師のおじさんことグエンからパレオを受け取るソラ。
海岸での戦闘後に少々ドタバタしていたためうっかりその場に置き忘れてしまったのだが彼がここまで探しながら持ってきてくれたのだ。
ちなみに、マリナが戦闘の最中に折ってしまった釣竿についても同じように笑って許してくれた。
「それにしても、グエンさんが漁業組合の顔役だとは思いませんでしたよ」
改めて自己紹介を交わした際に判明したことだが、グエンはただの気前の良い漁師のオッサンではなく、この辺りの海の元締めのような立場にある人なのだそうだ。
また、マリナとそう歳の変わらない頃から海に出ていたベテランらしく、時に船団を率いて東方の島国近くまで漁に出ることもあるそうで、受付のお姉さんが言っていた彼以上に云々というのにも納得であった。
「俺も嬢ちゃん達が冒険者だと聞いて驚いたぜ。あれだけの数の魔物をほとんど三人で倒しちまったんだからなあ。いやあ、大したもんだ」
グエンは感心したように笑うとアイラの方を向いた。
「そういや、あんたらが助けた女の子達から改めてお礼を言っておいてほしいと頼まれたぞ。特に片方はそこの赤い髪の姉ちゃんにやたらと感謝してたなあ」
「そ、そうですか……」
微妙な表情で頷くアイラ。
怪物達に襲われた女性二人を助けた際にひとりが腰を抜かしてしまったので彼女がお姫様抱っこで浜辺まで運んでいったのだが、その時抱えられていた女性の目が完全にハートと化していたのである。そこらの男性よりも凛々しく頼りになるので同姓に好かれてしまう事がよくあるのだった。
「それで、海に出る怪物のことだっけか? ははは。やっぱり冒険者だから気になるんだな」
「まあ、そうですね。受付の人の話だと原因は分かっていないそうですけど、まだ調査の段階なので協会にも討伐依頼は出てないようですね」
「長引くようなら国も冒険者協会の力を借りにゃならんだろうが、とにかく今は海賊をどうにかするのが最優先なんだろうよ」
グエンは「どっちも早く解決してもらわなきゃ俺ら漁師は困るんだけどよ」と嘆息するが、その割にはあまり落ちこんでいるような様子はない。天候によっては何日も海に出られない事が頻繁にあるので、いちいち一喜一憂していても仕方ないという考え方が染み込んでいるのかもしれない。
ただ、やはりグエンも怪物達が活発化した理由については分からないらしく、力になれなくてすまねえなとはちまきを巻いた頭をポリポリとかいたが、ふいに何かを思い出したような表情をした。
「……だが、そうだな。この辺の海にはいわくつきの場所があるんだよ」
「いわくつき?」
ソラが尋ねるとグエンは関係ないかもだがと断りを入れてから喋り始めた。
それによると、海水浴場のあるサンマリノ湾から北東の地点に『魔の三角域』と呼ばれる海域があるそうだが、そこは年中天候の変化が激しく、頻繁にハリケーンが発生するため地元の人間も滅多に近寄らない危険な場所らしい。
しかも、これまでも数え切れないくらいの漁船や商船、それに国が所有するような大型船までもが魔の三角域に近づき過ぎて行方不明になってしまい、その上、誰ひとり生還することなく船の残骸の欠片さえ発見できなかったので、何か得体の知れない魔物が住んでいて引きずり込まれたのではないかと怖れられているのだそうだ。
(……魔の三角域かあ)
マリナは胸を躍らせると同時にぞくっと背筋が寒くなった。
この感覚は幽霊屋敷の話を聞いた時以来である。
「だが、それは荒い気象が原因なのだろう? 魔物が住む海域とは人々の恐怖心が生み出した幻想だ」
「そうかもしれんな」
アイラの言葉にグエンは素直に頷くが、
「でも、他にも奇妙な話がいくつかあるのも事実なんだ。例えばかなり昔の話だが、魔の三角域近辺で船が沈没しつつも命からがら助かった奴の証言なんだが……海に落ちて溺れかけた時に見たんだそうだ。海の底でぼんやりと光るピラミッドみたいな建造物を」
「ピラミッド!?」
マリナは思わず素っ頓狂な声を上げた。
ピラミッドとはあの砂漠に建っているピラミッドの事だろうか。
「海の底に、ですか? ピラミッドは南大陸の砂漠地帯でしか発見されていないはずですけど」
ソラも難しい顔で首を捻っている。
ピラミッドが建造された理由は諸説あり、最も有力なのが時の王を葬るための墓という説だ。他にも古代魔法王国時代に儀式を行うために造られただのいくつかあるらしいがいまだにはっきりと解明されていないらしい。
「アイラはピラミッドを見たことあるの?」
「はい。幼い頃、父に連れられて一度だけですが。今でも覚えていますよ。数多の石を積み上げて造られた見上げるほど巨大で偉大なピラミッドを」
マリナの質問にアイラは遠い目をしながら懐かしそうに答える。
もしかしたら、その時目の当たりにした雄大な光景を脳裏に浮かべているのかもしれなかった。
「……う~ん。でも、やっぱり海底にピラミッドがあるなんて信じられないかな」
「まあ、そいつも死にかけてたらしいから幻覚を見たって可能性が高いだろうがな」
しばらく腕を組んで唸っていたソラがかぶりを振るとグエンは無理もないと笑った。
「あとは有名なところだと、その海域の近くで竜の鳴き声みたいなおどろおどろしい音が聞こえてきたって話もあるな」
どうやらグエンも若い頃に一度だけ耳にしたことがあるらしく、腹の底が引きつるようなおぞましい声だったと語った。
「竜の鳴き声……もしかして、ここらを海竜がナワバリにしてるとか」
マリナはふと思いついたことを口にしてみる。
最強の怪物と呼ばれる竜種をこの目で見たことはないが、総じて巨体を誇るという彼らは知能が非常に高く、また必殺のブレスは人間が扱う魔導を凌ぐと言われており、確か海に適応した種もいたと記憶している。
だが、グエンは近海で竜が出現したという話は聞いたことがないと首を横に振った。
それこそ彼らはこの辺りの海をナワバリにしており、そんな目立つ生物がうろついていたらあっという間に噂になるだろうと。
それに、竜の鳴き声はグエンのおじいさんのおじいさんのおじいさん……とにかくずっと昔からある話で、最近の怪物が暴れている件とは関係ないだろうと締めくくった。
「やっぱり、怪物どもと魔の三角域とは関係ないのかもな」
「けど、すごく興味深い話でしたよ」
ソラも何だかんだ話に引き込まれていたようで目を輝かせていた。
その手の話を好むマリナが主にスリルを体験することを目的としているのに対し、姉は知識欲によって好奇心が疼くのである。
もともとソラが冒険者資格を取得したのも、この世界や己の存在意義を含め『知りたい』という欲求に従ったからで、超一流の冒険者たる祖母曰く、金銭や名誉目的の人間が増えた昨今において探究心の強い姉は正統な冒険者と言えるのだそうだ。
(子供みたいな表情して、相変わらずだよねえ)
こういう姉は好きだとマリナが微笑んでいると、向かいのグエンがポンと傷だらけのゴツイ手を打った。
「そういえば、もうひとつ面白い話があるんだった。実は魔の三角域の中心には幻の島が存在するって言い伝えがあるんだよ」
「幻の島?」
「おう。聞いて驚くな。なんと、あのバルバロイが根城にしていたという島なんだぜ!」
ジャジャーンと効果音でも聞こえてきそうなほど大仰に手を広げて発表したグエンだったが、バルバロイなど知らないマリナ達はどう反応したらよいか分からず互いに顔を見合わせて沈黙するのであった。
しばらくドヤ顔で悦に浸っていたグエンだったが、無反応なマリナ達に気づいておそるおそる尋ねる。
「……あ、ありゃ? もしかして……バルバロイのことを知らないのか?」
オッサン以外の全員がこくりと頷くとグエンはあからさまに肩を落とし、
「ま、まあ、嬢ちゃん達は遠く離れた国から来たっていうし、知らなくても無理はないよな。うん」
などと強がりっぽいセリフを吐くと、ウホンとひとつ咳をついて仕切り直した。
「あー。バルバロイってのは沿岸諸国じゃ知らぬ者はいない、ずっと昔に活躍した有名な海賊なんだよ」
「海賊? だが、その口ぶりだと今巷を騒がせている輩とは違って好意を持っているように聞こえるな」
「当たり前だ! あんなチマチマと小さな村や商船を襲ってるようなケチな海賊とは比べ物にならねえよ!」
何気なく口にしただけのアイラが思わずタジタジになるほどヒートアップするグエン。
それから海の男が熱く語った話によると、バルバロイとは私利私欲のために略奪を行う海賊ではなく、およそ百年以上前、圧政に苦しんでいた民のために王侯貴族やそれらと結託して私腹を肥やしていた商人の船を襲い、奪った金品や食料などを貧しい人間達に分け与えていた義賊だったのだという。
そして、同じく身を削ってまで民を救うために奔走していたとある地方貴族と手を組み、ついに彼らは横暴だった旧王国を打倒して現在の平和な国を建国した、いわばこの国の人間にとって並ぶ者のない英雄なのだそうだ。
「それで、そのバルバロイって海賊が凄いのは分かったけどどこが幻なの? というか、その海域には近寄れないんじゃなかったっけ?」
長いグエンの話を聞き終えたマリナが首を傾げると、オッサンはうんうんと頷きながらぴしゃりと膝を打った。
「まさに嬢ちゃんの指摘のとおりだよ。バルバロイの一味は優れた航海術を持ってたらしいが、それでもあんな危険な海を自由に行き来できたとは思えねえ。それでも彼らが残した海図にはちゃんと島が記載されてるし、そこを本拠地に使用していたという話が後世に伝わってる。――だから、真偽は確認できないが、伝説の海賊が暗示する謎の島のことを俺ら地元の人間は『幻影の島』と呼んでるんだ」
「幻影の島……」
妙に気になるその言葉をマリナはゆっくりと反芻する。
先程の魔の三角域に存在するいくつかの噂に加えて伝説の海賊が拠点にしていたという謎の島。根拠はないがそこには確かに何かがありそうな気がした。
本格的に興味が涌いてきたマリナだったがふと頭の隅で閃くことがあった。
「もしかしてだけど……その島には海賊が隠したお宝が眠ってるって噂もあるんじゃない?」
「ははは。カンがいいな。バルバロイは手元に残っていたほとんどの財産を建国のための資金につぎ込んだらしいが、一部は何らかの理由で幻影の島に残してきたとも言われてるんだ。いわゆる『バルバロイの遺産』ってやつだな」
マリナはその『遺産』という素敵な響きに沸き立つ。
「お姉ちゃん! これは調べてみるしかないよ!」
ぐぐっと拳を握り締めながらマリナは立ち上がる。
どうせ当分は海で遊ぶことは叶わないのである。それならぎりぎりまでこの面白そうな話を追ってみるべきではないだろうか。
だが、気合の入ったマリナとは対照的にソラは微妙な表情で見上げるのみだった。
滞在日数の事もあるのだろうが、これまでその手の話に乗ってロクな目に遭っていないからだろう。
「そもそも海賊や怪物が討伐されない限り海には出られないんでしょ? ほとんどの船は操業を停止してるみたいだし」
ソラも気になっているはずだが断固として拒否し、アイラもそんな危険な海に行くなどもっての他だと考えているようだった。
今回はこの二人を説得するのは無理そうだとマリナが残念そうに座り直すと、
「――お話中のところ失礼します。ソラ・エーデルベルグ様御一行ですね?」
横合いから割り込むように男性の声が聞こえてきたのである。
突然のことに一同が振り返ると、そこには槍を持った二人組の兵士が背筋を伸ばして立っていたのだった。