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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
四章 魔法使いと幻影の島
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第1話

また間が空いてしまいましたが、本年もよろしくお願いします。

 中央大陸の東端にある二つの半島に挟まれた細長い形のサンマリノ湾。

 その奥にある白い砂浜を水着を着たひとりの金髪少女が元気よく駆け抜けていた。


「やっほーーーい!! 海だあ!!」


 マリナは目の前に広がる青い輝きを見て歓声を上げる。

 快晴に恵まれ燦々(さんさん)たる陽の光に照らされた海原は宝石のように(きらめ)いていたのだ。 


「中三の夏にお姉ちゃんと一緒に行って以来だから十数年ぶりかあ」


 懐かしい潮の匂いに寄せては返す波のリズム、そして海特有の不思議な開放感は昔の記憶を刺激した。

 あの時は弟と三人で近場の海岸で日が暮れるまで遊んだものである。


「近所の海も好きだったけどここも綺麗な所だよね」


 さらさらしたパウダー状のきめ細かい砂と透明度の高い海水は南国の海を連想させた。


 マリナは砂浜を進みながらきょろきょろと辺りを見渡してみる。

 半月状の海岸には水遊びをしている人たちに加え、浜辺で砂の城を作っている子供や肌を焼いているお姉さんなど多くの人間で賑わっており、少し離れた岩場ではおじさんたちが釣りをして楽しんでいた。 


 遠くに視線を向けると、湾と外海を区切るように頑丈そうな鉄の柵と太い網が何重にも張り巡らされていて、その周囲に建てられたいくつかの小屋のそばでは武装した兵士たちが海を見張っているのが見えた。

 危険な水棲生物の侵入を阻止するためなのだろうが、湾内を守るための鉄柵は一キロ近くにわたっており、これらを設置するのに一体どれだけの手間と費用がかかったのか少し気になるほどである。


「けど、そのおかげでこうして海で遊べるんから感謝だよね」


 この美しい海岸を擁するサンマリノ市は主に観光で成り立っている町であり、数少ない海水浴を楽しめる場所というのを目玉にしているので安全に最大限の気を配るのは当然なのだろう。


 マリナはこの強い日差しのなか完全武装で警備についている兵士たちに同情しながら波打ち際へとやってきた。


「にゃはは! 冷た~い!」 


 サンダルを履いた足に海水がかかりマリナは楽しそうに飛び跳ねる。


「よーし! 今日はとことん泳ぐぞ~! そんでもって遊び倒しちゃうぞ~!」


 念願の海にやってきたことでテンションが急上昇したマリナは片手を上げながら叫ぶがふとそのままの格好で振り向いた。

 

「二人とも遅いなあ。何してるんだろ」


 着替えにでも手間取っているのか先程まで一緒にいたソラとアイラがなかなか姿を見せないのである。


 早く遊びたいマリナが砂浜の近くに設置された更衣室を眺めているとようやく待ち人が扉を開けて出てくるのが見えた。


 先頭には麦わら帽子とフリル付きの白いワンピース型水着をまとったソラがおずおずと歩き、その背後には細身だが引き締まった肢体に黒のビキニを着けたアイラが付き従っている。

 清楚かつ可憐でお嬢様以外の何者にも見えない姉に、凛々しい表情をしつつも抜群のスタイルで妖艶さをも醸し出している女戦士の二人組はこうして遠くから眺めてみると実に対照的で目立っていた。


「お姉ちゃん、遅いよ~。もしかして、なかなか踏ん切りがつかなかったの?」


「うう。仕方ないでしょうが。こんなに人が大勢いる所で水着になるのは結構勇気がいるんだよ」


 マリナが歩み寄ってきた二人に文句を言うと、うっすらと頬を赤らめたソラが挙動不審げに辺りをそっと(うかが)った。

 今ではお嬢様らしい仕草がすっかり板についた姉ではあるがこのような格好をするのはまだまだ気恥ずしさを覚えるようだ。


「でも、家族で別荘のある湖に行った時はそうでもなかったでしょ? 学校の友達と一緒に川で泳いだ時も」


「あれは気心の知れた人間だけだからまだ大丈夫ってだけだよ」


 腰に巻いたパレオの位置を直しながらソラが言う。


「そんなに派手な水着ってわけでもないんだからお姉ちゃんは気にしすぎだよ。ほら、アイラなんて全然平気そうだよ?」


 マリナが視線を向けると赤い髪の少女はいつもと変わらない態度で肩にかけていた荷物を置いてパラソルの設置を始めていた。

 普段からわりと露出度の高い格好をしているのでほとんど気にならないようで、むしろ動きやすいので気に入っているようにも見える。

 

 ちなみに、二人の水着を選んだのはマリナだ。

 当初は面白半分でソラにはもっと大人っぽい水着をチョイスするつもりだったのだが、そうすると姉が海で泳ぐこと自体拒否することになりかねなかったので結局自分と色違いのものを薦めたのである。それに派手な衣装よりもこちらの方が似合っているといえば似合っていた。


「似合ってるといえば、アイラと海の組み合わせもそうだよね」


 褐色の肌にしなやかな身体をしたアイラはこの場所にマッチしており、放っておいたらその辺でサーフィンでも始めそうな雰囲気である。


「そういえば、お姉ちゃんはもう日焼け止めは塗ったの? まだなら私が塗ってあげるよ。隅々までね。むふふ」


「更衣室で塗ってきたよ。というか、ひとりで塗れるし」


 小悪魔のごとき笑みを浮かべたマリナに手の平を向けてぴしゃりと断ったソラだがおもむろにアイラを見て溜息を吐いた。 


「それにアイラがうるさいんだよ。やれ肌を極力太陽光に触れさせないようにだの、海水に髪を長時間つけないようだの、海から上がった後の処置が大事だの……」


 マリナたちがせっせと場所を整えているアイラを眺めていると、注目されていることに気づいた当人がこちらに顔を向けた。


「マリア様からお嬢様たちの美容や健康に関していかなる時でも注意するよう仰せつかっているのです」


 そう言うと、アイラは荷物の中からなにやらメモ帳を取り出してみせた。


 どれどれとマリナがメモ帳を受け取ってめくってみると、そこには母マリアの字であらゆる場面での対処法がびっしりと書かれており、その中には確かに海に来たときのケアの仕方まで載っていた。 

 さすがにあの母だけあって抜かりがないというか、よくもまあこんなピンポイントなシチュエーションまで想定しているものだと思わず感心するほどである。


「海に来るかなんて分からないのに……」


「お嬢様たちの美しい肌や髪を守るためです」


 こちらも呆れた様子でメモ帳を眺めているソラにきりっと無駄に顔を引き締めながらアイラが言う。

 

「さあ、マリナお嬢様もちゃんと帽子を被ってくさい。日焼け止めもしっかりと塗りこまなければ。それから……」


 このためだけに母から指定された専用のシャンプーやらをいつの間にか買い込んでいたようで、荷物の中に詰め込まれたアイテムを取り出しながら長々と説明するアイラ。


 このままでは時間がかかりそうだとマリナは顔を引きつらせている姉の手を引っ張り海へと連れていく。


「ほら、お姉ちゃん! せっかく海に来たんだから!」


「ちょ、ちょっと!」


 マリナが姉の帽子とパレオを素早くはぎ取ると、慌てたソラはとっさに身体を隠そうとする。


(むふふ。お姉ちゃんったら本当にからかい甲斐があるんだから~)


 その可愛い反応にマリナが内心でにんまりと笑っていると、ただでさえ注目を集めていたこともあって周囲の海水浴客たちの視線がソラへと集中した。


 近くで子供っぽく泥を投げ合っていた少年がぽかんと間抜けな顔で眺め、うつ伏せになって肌を焼いていたお姉さんが鼻血の出そうな表情で凝視している。


 そんな様子を見たソラがますます恥ずかしそうに身体を縮こませ、本人は気づいていないのだろうが、その仕草にますます注目が集まるという悪循環に陥っていた。


 マリナやメモ帳を片手に説明していたアイラに他の海水浴客たちも一様にほっこりとした表情になり、そこら中から『も、萌え~~~!!』という幻聴が聞こえてきそうであった。


 そして、一気に萌え空間と化した浜辺では、


「うう……」


 多くの人間の視線に晒されたソラが己の身体を腕で抱えたままひとり顔を赤くしながら立ち尽くすのであった。



 ※※※



 しばらくして浜辺にはボールを弾く音が響いていた。


「そ~れっ!」


「なんの!」

  

 海に来て早々に恥ずかしい思いをしたソラも今では落ち着きを取り戻してマリナとビーチバレーを楽しんでおり、その様子を荷物のそばに座っているアイラが見守っていた。


「お姉ちゃんもやっと調子が出てきたみたいだね」


「うるさいなあ。今は一刻も早く忘れたいんだから茶化さないでよ」


 ややふてくされながら妹のサーブを受け止めたソラが鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように力を込めて叩き返すと、何かの動物の皮を用いて作られているらしいボールは小気味いい手応えとともに飛んでいった。


 結局、あの後我に返ったアイラが凶悪な目付きで周囲の視線を牽制してくれたおかげでこうして普通に楽しんでいられるわけだが、おそらく彼女がこのような場所にも関わらず腰に装着している双剣も一役買っただろうことは想像に難くなく、今もそれを見たナンパ目当てで近づいてきた若者二人が慌てて回れ右をしながら逃げ去っていた。


「……よっと! もう身体も十分ほぐれたし、そろそろ海で泳ごうよ!」


 飛んできたボールを腕の中に受け止めたマリナが催促してきて、そのこれ以上待てないと言わんばかりの笑顔にソラは苦笑する。

 

「そうしようか。アイラはどうする?」


「私はここで荷物を見張っていますので、お二人で楽しんできてください」


 足をゆったりと崩して穏やかな潮風を浴びながら表情を和らげているアイラ。

 普段護衛として気を張っている彼女も何だかんだでリラックスしているようだ。

 

 ソラはその言葉に甘えることにしてマリナとともに海へと入っていった。

 軽く海水を身体にかけてから腰まで浸かってみると、初めは冷たく感じられたもののすぐに慣れる。

 思ったよりも波は小さかったが湾を区切っている鉄柵などの影響だろう。


 次はいよいよ海面を滑るようにしてゆっくりと泳いでみる。

 そっと手足を動かすと重力から解放された身体が軽やかに進み、まるで心まで解放されたような気がして先程の恥ずかしい記憶をあっさりとどこかに押しやってくれた。


 心地いい浮遊感に目を細めながら下に視線を向けると、海水の透明度が高いため海底に広がっている白い砂はもちろんのんびり泳いでいるカラフルな小魚たちまで確認できる。


 ソラが小魚の群れを目で追っているとマリナが金髪を揺らめかせながら海底スレスレの所を泳いでいるのが見えた。

 身体をしならせながらスイスイと進むその姿はまるでイルカのようであったが、前世からスポーツ全般が好きだった妹が最も得意としていたのが水泳だったのである。まさに名は体を表すということなのかもしれない。


 しばらくマリナが気持ち良さそうに泳いでいる姿を見つめていると、妹は唐突にソラの近くに浮上してきて鉄柵の方を指差した。


「――ぷはあっ! お姉ちゃん、あそこまでどっちが早く着けるか勝負しない?」


「マリナに勝てるのは人魚くらいだよ」


 結局二人は一緒に鉄柵を目指すことにした。


 しばらく泳いで沖の方まで来ると足が底に届かなくなったが、遠浅の海ということもあり、最も深い場所でもせいぜい成人男性の肩ほどまでなのでたいしたことはない。


 数分ほどで二人は鉄柵が設置されている場所までたどり着き、ソラが波間に漂いながら見上げてみると、海の中に等間隔に建てられている監視小屋から警備の兵士たちが暇そうに水平線を眺めていた。

 楽しんでいる海水浴客達を横目にいかにも暑苦しそうな鎧を着て突っ立っているのは拷問に近いのではないかと思う。

 

「あの人たちも大変だよねえ。いくら仕事とはいってもさ」


 同じことを考えていたらしいマリナもそう呟くと、急にその場に潜って何か奮闘するように身体を動かしていたがまたすぐに浮かび上がってきた。


「やっぱりこの先には行けないかあ。小魚くらいしか通れないほど隙間なく柵と網が設置されてるよ」


「この先に行ってどうするの。海にも危険な生物がうようよしてるんだよ」


 ソラが残念そうな表情をしているマリナをたしなめているとこちらを見つけた警備の兵士が戻るよう指示してきた。心なしかピリピリしているような雰囲気である。


「ほら。怒られる前に戻るよ。私も少し疲れてきたし」


「じゃあ、ここからはのんびりと波に任せるように戻ろうよ」


「何それ」


 マリナがこちらの手を引きつつ海面に仰向けになって浮かび始めたので、妹に倣うようにソラも隣で浮かんでみると、視界一杯に真っ青な空が映し出されて思わず目を奪われた。


 そのまましばらく身体の力を抜いてゆらゆらと漂いながら眼前の光景を見つめていると、ここまでは海水浴客の声も聞こえてこないので、まるでこの場所にはソラと手を繋いでいるマリナの二人だけのような錯覚を覚える。


「旅ももう終わりかあ」


「仕方ないよ。マリナは学校があるんだから」


 ポツリと呟くマリナにソラもポツリと返す。

 魔導学校の長い夏休みはもう残すところわずかであり、いまだ学生の身分たる妹は実家のあるエレミアに帰らねばならないのだが、故郷から遠く離れたこの場所で遊んでいられるのも、短時間で超長距離の移動を可能とするソラの魔法『気脈転移』があってのことである。


「お姉ちゃんとアイラは私を送り届けた後にまた旅に出るんでしょ?」


「旅の疲れも溜まってるだろうからしばらく休養してからね。というか、お母さんたちが満足するまでは無理だよ」


 あの両親が久しぶりに帰ってきた娘をそう簡単に旅に出すとは思えず当分は相手をしなければならないだろう。

 それに、ソラも可愛い弟と遊んだり友人達と再会するのを心待ちにしているし、アイラにも妹のライラと一緒にいられる時間を作ってあげたい。


「マリナが無事卒業試験に受かったら来年の春からまた一緒に旅に出られるよ。その頃になったら戻ってくるから」


「うん。……でも、来年の春かあ。長いなあ」


「念を押すけど、ちゃんと試験に受かったらの話だからね」


「う……」


 痛いところを突かれたとばかりに声を詰まらせるマリナ。

 エーデルベルグ家の人間らしく魔導の才能に恵まれている妹であるが、本人が剣術などに傾倒していることもあって制御法などにやや不安があるのだ。


「ま、まあ、私が本気を出せば何とかなるよ」


 まるで己に言い聞かせるようなセリフであったが、やがてマリナは気を取り直すように息を吐くとソラの方を向きながら満面の笑みを浮かべ、「……でも」と続けた。


「色々あったけど楽しい旅だったよね、お姉ちゃん」


「そうだね」


 空と海が一体となった世界で、姉妹は手を繋ぎながら笑い合うのだった。

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