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空色の魔法使い  作者: 乃口一寸
三章 魔法使いとエルフの里
101/132

最終話

「ソラ君! しっかりと掴まっているんだ!」


 エルメラがスズリに指示を与えながら鋭い声をかけてくる。

 聖樹のもとに向かうべく飛び立ったソラたちは聖域上空で魔獣たちから熾烈な妨害を受けていた。

 森の中から次々と放たれる火線を白い虎はまるで踊るように飛行しながら避け続け、回避するのが困難な時は風弾で撃ち落とす。


「エルメラさん! 五時の方向!」


 エルメラの背に掴まっていたソラは高速でこちらに向かってくる複数の影を捉えた。

 猛禽類の頭部に馬並みの体躯を持ち、数メートルはありそうな巨大な翼を力強く羽ばたかせているその魔獣はグリフォンに似ていた。


「飛行型の魔獣か!」


 風属性の影響を受けているらしく、グリフォンはスズリのように風の塊を周囲にいくつも生み出して大砲のような音を響かせながら撃ってきた。


「その程度の攻撃をスズリが喰らうものか!」


 スズリは器用に身体を捻って撃ち出された風の塊の間を縫うようにして飛行するが、魔弾そのものが布石だったようで、グリフォンたちはこちらの飛行ルートを限定して先回りするように包囲してきた。知能の高い魔獣ならではの攻撃である。


「猪口才な!!」


 至近距離に迫る凶悪なクチバシや爪を前にエルメラが一声吠えると、寄り添うように飛行していたもう一体の精霊アトラが反応した。

 黒い身体に紫電を纏わせて空中を一筋の雷のように駆け抜けたかと思うと、ソラたちの周りでいくつもの閃光が花火のように炸裂し、すぐそばにまで肉薄していた魔獣たちはズタズタになった身体を赤い炎に包みながら墜落していったのだ。相変わらず目で追うのが困難な早業である。


「よくやった、アトラ」


 エルメラがねぎらいの言葉をかけると、十体近くいたグリフォンの群れを一撃で葬り去った漆黒の狼は紫色の瞳を軽く動かすだけで応えた。同じ精霊でもどちらかと言えば主人に似た性格のスズリとは違ってやたらとクールな反応である。


「そろそろ到着するぞ。しかし、これは……」


 ようやく魔獣たちの追撃を振り切って聖樹のもとに辿り着いたもののソラたちは揃って息を呑む。

 フリント村を防衛するために離れてからそんなに時間は経っていないはずなのに巨大な樹木はすでに枯れ始めており、周辺には濃い魔素が漂っていたのだ。


「先程まで感じられていた生命反応が消失している。やはり駄目だったか……」


 ゆっくりとスズリを降下させてエルメラが唇を噛むが、その背から飛び降りたソラは聖樹のもとへと歩み寄りながら首を横に振った。


「……いえ、まだ間に合うはずです」


「ソラ君……。何をする気なのかは知らないがもう終わったんだよ。この地を長い間見守ってくれていた聖樹は死んでしまったんだ。それよりも急いでここから離れた方がいい。強い魔力に守られた私たちでも体調を崩しかねない」


 エルメラは「兄者たちの所に戻ろう」と促してきたが、ソラは聖樹の太い幹に手を置いてもう一度首を振った。


「エルメラさん。私には聞こえるんです。この樹に宿る精霊の声が。今やもう途切れ途切れでほとんど聞こえなくなっているけど、ずっと私に呼びかけてくれていたんです」


「聖樹の精霊が?」 


 ソラはエルメラの問いに答えることなく聖樹のずっと奥深くに意識を向ける。

 ほんのわずかだがまだ気配を感じるのだ。今にも消えてしまいそうな弱々しい気配を。


(……もしかしたら、聖樹は私に助けを求めていたのかもしれない)


 ソラは聖樹に両手を添えたまま静かに目を閉じて集中を開始した。

 徐々に世界が切り替わっていく過程でより聖樹の精霊の存在が鮮明に感じられるようになる。

 こちらから意志の疎通を試みてみるが、もはや応えることができないほど弱体化しており、完全に消失してしまうのも時間の問題だ。


(……大丈夫。私があなたを助けてみせる)


 しばらくして、圧倒的な万能感が全身を支配した頃になるとソラは『魔法使い』としての能力を存分に解放したのだった。



 ※※※



(――これは一体……)


 エルメラは目の前で起こっている出来事を呆然と見つめていた。


 視線の先にはひとりの少女が聖樹のそばに佇んでいたが、普段見ている姿とは明らかに異なっていたのだ。

 本来雪のように白いはずの髪は蒼く輝いており、瞳が閉じられている横顔は侵しがたい神々しさを帯びていたのである。


 そして、なにより、ひとりの人間とは思えないほどの巨大な存在感を発している少女の周囲には聖域全体を包み込むほどの絶大な魔力が渦巻いていたのだ。


(まさか……一帯の魔力を操作して集めているのか? そんなことができるはずがない。それこそ神の所業だ……)


 奇跡を目の当たりにしてエルメラが小さく身震いしていると、蒼い光を纏った少女は集めた魔力を聖樹にゆっくりと注ぎ始めた。

 まるで弱った動物を優しく介抱するように。心の底から(いつく)しむように。


「お願い……」


 少女が祈るように呟くと、活力を失った大木の内側から温かい光が漏れてきた。

 注がれた魔力が少しずつ聖樹の自己治癒力を活性化させているのだ。


「おお……」


 聖樹の根元に穿たれていた大きな穴がふさがっていくのを見てエルメラは感嘆の声を上げる。

 もはや契約者たる長老でさえ手の施しようがない状態だったのが、いまや傷が完全に修復されつつあり、しおれていた葉や枝も輝かんばかりの瑞々しさを取り戻し始めていたのだ。もしかしたら過剰な魔素で弱体化する前よりも命の息吹に満ちているかもしれない。


 エルメラが魂を抜かれたように復活の大樹を眺めていると、周囲に集まっていた濃密な魔力が霧散していった。

 どうやら全てが終わったようで、少女の長い髪から色が抜けていき、透徹とした雰囲気が元に戻っていく。


 気づけば辺りには再び神聖な空気が流れるようになり、大木の根元にあるうろの中には清浄な煌きを放つ水がなみなみと湛えられていた。力強さを取り戻した聖樹が神秘の雫を次々と作り出しているのだ。


 エルメラはようやくアルフヘイムの地に訪れたかつてない危機が回避されたことを自覚したが、それを成し遂げた小さな立役者は閉じていた目を開くと聖樹を見つめ、


「良かった……」


 そう言って、先程まで人知を超えた面影を見せていた少女は年相応の笑顔を浮かべたのだった。



 ※※※



(……ふう。なんとか間に合った)


 元に戻ったソラは聖樹に重ねた手の平から力強い鼓動が脈打っているのを確認して安堵の息を吐いた。

 際どいタイミングだったがギリギリで聖樹は持ち直したのだ。


 周囲を確認すると辺りに満ちていた魔素が急速に消えつつあり聖域の結界も復活していた。

 もう、魔獣が生み出される心配をする必要もなく、アルマたちが掃討し終えるのもそう遠くないはずだ。


「ソラ君。君は……」


 そばで見守っていたエルメラが茫然としながら近寄ってくるが、あのような光景を見せられれば仕方ないだろう。


 エルメラだったら自身の能力のことを明かしても問題はないだろうと、ソラが振り向いて説明しようとした時だった。


『――ありがとう』


 すぐ近くから澄んだ声が聞こえてきたのだ。


「あ……」


 ソラが再び聖樹に視線を戻すと、大木の影からひとりの少女が姿を見せたのだ。

 透き通った全身は淡い光に包まれており、見た目はソラと同じくらいの年齢の女の子だった。


「……聖樹の精霊。私も会うのは初めてだ」


 驚いた様子のエルメラが呟くと、不思議な雰囲気を纏った少女は地面を滑るようにソラのもとに歩み寄ってきた。


 蛍のように儚げで美しい燐光を放ちながら音もなく進む姿にソラが心を打たれていると、目の前まで来た聖樹の精霊は全てを包み込むかのような穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめてきた。湖面のように澄み切った瞳だった。


『――ありがとう。あなたのことをずっと待っていたの』


「……私を?」


 思いもよらない言葉にソラは戸惑う。


『この地から吹き出す魔素の影響で私の力はもう尽きかけていたの。仮に傷つけられなくても私は近い将来消滅していたことでしょう』


「……馬鹿な。どのみち聖樹は死んでいたというのか? 千年以上にわたってアルフヘイムの地を守護してきた不動の大樹が」


 後ろで話を聞いていたエルメラが唖然としながら言うと聖樹の精霊は静かに頷いた。


『もはやエルフの長でも私を回復させることは叶わなかった。だから、あなたが来るのを待っていたの。「魔法使い」であるあなたを』


「……私に語りかけていた声はやっぱりあなただったんですね。でも、なぜ私のことを……」


 聖樹の精霊に会うのはもちろん、この地を訪れるのも初めてなのに、ソラを待っていたとはどういうことなのか。


『…………』


 ソラの問いかけに少女の姿をした精霊はなぜか遠い目をして天を仰いだ。

 何か悲しい出来事を思い出しているような表情だった。


 少女はしばらく上空を見つめたまま沈黙していたが、再びソラと視線を合わせる。


『……ある人と交わした遠い過去の約束。あなたのことはずっと前から知っていたの』


「約束?」


 意味が分からずにソラは訊き返すが、少女は答えずにゆっくりと離れていった。


『ソラ・エーデルベルグ。あなたはいずれこの世界に生まれてきた意味を知る時が来る』


「ちょ、ちょっと待ってください! それって、どういう――!」


 少女の身体が聖樹の中に入り込んでいくのを見てソラは慌てるが、


『でも、大丈夫。あなたには大勢の味方がいるから。また、いつか会いましょう――』


 そう言って最後に聖樹の精霊は微笑んでみせると、そのまま姿を消してしまいもう二度と現れることはなかった。


 結局肝心なことは何も訊けず、ソラが聖樹を見つめたまま立ち尽くしていると、背後からこちらもやや放心している様子のエルメラが声をかけてきた。


「……何だったんだろうな、今のは」


「エルメラさん……彼女は私に何を伝えたかったんでしょうか」


「……分からん。だが、ひとつだけ思い出したよ」


 エルメラが語るにはアルフヘイムの里には古い言い伝えがあり、契約者でなくてもあらゆる精霊と直接交信することができる『精霊の巫女』の伝説があるのだそうだ。


「『精霊の巫女』というのが何者なのか分からなかったし、正直今まではただの与太話だと思っていたんだ。でも、まさか君が……。ルルと一緒に精霊の子供と遊んでいる姿を見た時から特別な人間だと感じていたんだが……」


 信じられないというふうにソラを見つめるエルメラ。


 色々と尋ねたいことがあるのだろうし、ソラ自身若干混乱しているのだが、まだ確かめなければならないことがある。


「エルメラさん。急いで里に戻りましょう」


「……里に? 兄者たちの所ではなく?」


 唐突なソラのセリフにエルメラは怪訝な表情をする。


「思い出してください。オスカーさんの目的は分かりませんけど、彼らがグラムウェル枢機卿の関係者だというのなら、彼らのこれまでの行動を」


「あいつらの行動?」


「そもそも私がこの国を訪れた理由は何ですか?」


 そこまで言うと、思い当たったらしいエルメラが表情を引き締めたのだった。



 ※※※



 時間は少し(さかのぼ)り、ソラたちがフリント村を守るべく駆けつけた頃。

 物音ひとつせず静寂が支配するアルフヘイムの里をオスカーは悠然と歩いていた。


「……始まったみたいだな」


 遠くでいくつもの魔力が花火のように派手に散る様を感じ取り、エルフと魔獣との戦端が開かれたことを悟った。


「どうやら戦える連中は大半があっちに駆り出されたようだな」


 オスカーは周囲を見渡しながら独りごちる。

 村の入り口辺りに、残ったエルフたちが身を寄せ合っている気配を感じるが、そのほとんどが精霊と契約していない子供たちだろう。

 強力な精霊を扱うエルフと戦うのは面倒なので好都合ではあるが。


「そういえば、ダモンのオッサンも里に逃げ込んでたな」


 おそらくエルフたちの中に混じっているものと思われるが、散々嫌がらせをしてきた相手に(かくま)われるのは滑稽にも程がある。 


(まあ、どのみち奴も終わりだけどな)


 この騒動を無事に切り抜けても、もはや用済みのダモンには破滅が待っている。明日の朝刊から彼がこれまで行ってきた悪行が余すことなく報じられるからだ。

 あまり知られていないが、セントラルポストをはじめとしたいくつかの有力紙の最大出資者はシヴァ教であり、一商人をひねり潰すことなど容易いことである。


 オスカーが皮肉めいた笑みを浮かべていると、ほどなくして目的の場所に辿り着いた。

 聖樹には及ばないが里の中でもひと際目立つ大木――何度か訪れたことのあるエルフの長が住まう家だった。


「さて……目的のブツは本当にあるのかね」 


 扉を開いて人気(ひとけ)のない家に踏み込むと、オスカーは結界が消えて通行可能になった地下への階段を降り始めた。

 この先は地下倉庫につながっており、ソラに貸し与えた年代物の(ほうき)など他にも価値のある物品が多数保管されている場所だと聞いている。


 やがて、地下倉庫についたオスカーは目の前に広がる貴重品の数々に口笛を吹いたが、すぐに真横を向いた。


「――やはり、お出でになりましたか。オスカー殿」


 入り口からは死角にある背の高い本棚、その影にエルフの長老がひっそりと佇んでいたのだ。


「……ジイさん。気配が無さすぎだろ」


 折りしも里を訪れた時のエルメラと同じセリフを口にしたオスカーは苦笑しながら長老を眺める。

 気配が無いというよりはそれだけ世界に溶け込んでいるということなのだろう。

 五百年以上を生き、かの大戦をも経験したことのあるこの老エルフはもはや生ける伝説のようなものであり、特別な人間をのぞけば『魔法使い』に最も近い人物なのかもしれない。


「……で? 俺を捕まえるために待ち構えてたのか?」


「ほっほ。まさか。あなたと事を構えるつもりはありませんよ。少し話ができればと思っただけです」


 内心でやや身構えていたオスカーだったが、長老は朗らかに笑うのみで他意は感じられなかった。

 もっとも長い毛に覆われていて表情が分からず、その素振りなどから真意を全く読ませなかったのというのもあるが。


「ま、いいか。こっちも訊きたいことがあったし」


 オスカーは早々に腹の探り合いを諦めると長老に向かって足を踏み出した。


「俺を待ってたってことは、アンタは気づいてたんだな。俺の正体と目的に」


「もちろんですとも。グラムウェル枢機卿殿」


 長老は何気なく、しかしはっきりとその名を口にしてみせた。


「何で気づいた? 俺が言うのもなんだが、この見た目で高位の聖職者だとは普通思わないだろ」


「かつて、あなたはローブに全身を包み枢機卿の身分でこの里を訪れたことがありましたでしょう。その時に魔力波動を覚えておったのですよ」


 数カ月ほど前にオスカーは聖職者の衣服を身に纏って一度アルフヘイムの里に来たことがある。

 里での情報収集と聖域に入るための手段を探るためであったが、エルフにはシヴァ教の威光も通用せず、けんもほろろに追い返されてしまったのだ。


「にしても、活性化している時ならともかく、普段発している微弱な波動を見分けるなんてどういう感覚してんだよ」


 抜け目のないジイさんだとオスカーは呆れたが、


「だが、何で本人だと思うんだ? 枢機卿が複数の影武者を使用しているのも知ってるはず。俺が影武者の方かもしれないだろ」


 現在、ロアンに滞在中の枢機卿は影武者であり、以前遭遇した時にはソラたちと一緒に何食わぬ顔で眺めていたのである。偽者の方もオスカーに気づいてわずかに驚いた視線を向けていたが。 


「ほっほ。エルメラにはボケジジイとこき下ろされておりますが、本物と偽者を間違えるほど耄碌(もうろく)はしておりませんとも。あなたの内に秘める力を感じ取れば尚更でございます」


 きっぱりと断言する長老にオスカーは無言で肩をすくめると、すぐに老エルフの隣にある本棚に視線を向けた。


「そろそろ本題に入ろうか。ここにはエノクの歴史書があるはずだよな? あの嬢ちゃんも気にしてたし」


「ええ。ございますとも。――これで全部でございます」


 長老はあらかじめ抜き取っておいた数冊の本をローブの内側から取り出して素直にオスカーへと手渡してきた。

 原本が一冊、写本が二冊あり、本来なら上々の成果と言えるのだが――


「……事を構えるつもりがないのは、俺の欲しい情報が載ってないからか? 読む前から興が削がれちまうな」


 それでもオスカーは速読に近いペースで一冊一冊丹念に読み込んでいった。


 長老が見守る中、しばらく地下倉庫に本をめくる音が響く。


「…………」


 やがて、全てのエノクの歴史書を読み終わったオスカーは軽く息を吐いた。


「残念ながら俺の知りたい事は書かれていないな。聖樹に続いてこっちもハズレかよ。……念のために訊くがアンタは知らないよな?」


「私は知りませんとも。それとも尋問でもなさりますか?」


「そんな面倒な事はしないさ。知っててもアンタは絶対に吐かないだろ。――そんじゃあ、もう退散するとしようかね」


 そのままオスカーが背を向けようとした時だった。


 突如、聖域方面から異常な魔力の集中を感知したのである。


「――! こいつは……」


 大抵のことには心を乱すことのないオスカーも驚愕するほどの魔力がある一点に渦巻いたのだ。

 近辺の魔力を根こそぎ集めるような、もはや世界の一部を制御していると言っても過言ではない圧倒的な支配力だった。


 思わずオスカーが動きを止めていると、しばらくして魔力の集中が止まり、何事もなかったかのように里には静けさが戻るが、同時に消えかけていた聖樹の気配が復活したことも感じ取り、何が起こったのかを正確に悟った。


「……あっさりとダモンのオッサンに屈したり、俺の正体を知りながら聖域に通したりと腑に落ちない点はいくつかあったが、最初から予想してやがったんだな。こうなることを」


 オスカーは改めて長老に視線を向ける。


「初めから気づいてたのか? あの嬢ちゃんのことに」


「一目見たときから予感はありましたが、なにより聖樹様がそう(・・)だと仰られたのです」


「だから、俺のやる事を黙認したのか?」


「聖樹様が力尽きるのはもはや時間の問題でございました。しかし、あの少女が現れたことで解決できる目処が立ったのです。エルメラを旅に出したのは正解でした」


「フリント村は魔獣の脅威に晒されることになったぜ」


「たとえ真実が明らかになってもエルフと人間の確執は残ります。ですからこの国の人間も納得しやすいように行動で示す必要があったのですよ。荒療治ではありますが、戻ったエルメラとアルマたちとが力を合わせれば十分守りきれると踏んだのです」


「とんでもないジイさんだな」


 結局、オスカーの行動も含めほとんどが聖樹の精霊とエルフの長の筋書き通りだったというわけだ。

 聖樹の機能を停止させることが目的で完全に破壊つもりがなかったとはいえ中々に無茶をする。


「もっともソラ殿には多大な苦労をかけてしまうので、先におわびの品を送らせてもらいましたが」


「なるほど。まだ隠し持ってたわけか」


 つくづく食えないジイさんだとオスカーは苦笑する。


「それにしても、あの娘が伝説の『魔法使い』だったとはな」


「我が里では古来より()の者を『精霊の巫女』と呼ぶのです」


「ふうん……」


 オスカーは数奇な出会いにしばし思いをめぐらせていたが、すぐに踵を返して階段に足をかける。


「聖樹が復活した今、結界も再構築できるはずだ。俺をここに閉じ込めなくていいのか?」


「ほっほ。言ったはずですよ。あなたと事を構えるつもりはないと。できるだけ犠牲は出したくありません」


「そうかい。じゃあ、ジイさんの気が変わらないうちに今度こそ里を出るか」


 懐からタバコを取り出しつつオスカーはさっさと階段を登って扉を開けるが、


「……あ~。間に合わなかったみたいだな」


 空から二体の精霊と共に舞い降りてくるエルフと少女の姿を見つけてやれやれと嘆息するのだった。



 ※※※



 聖域を後にしたソラたちがスズリに乗って急いで長老の家に向かうと、玄関先からオスカーがこちらを見上げているのが確認できた。


「…………」


 エルメラはオスカーから少し距離を取って着地させる。


「お早いお着きで。お二人さん」


「フン。まさか本当にいたとはな」


 殺気だったエルメラに睨まれながらもオスカーはタバコに火をつけながらおどけた態度で話しかけてきた。


「オスカー、貴様は何者なんだ」


「――この方こそが、グラムウェル枢機卿本人じゃよ」


 エルメラの問いにオスカーは肩をすくめるのみだったが、その背後から静かに現れた長老が代わりに答える。


「ジイさん。あっさりバラすなよ」


「……こいつが?」


 誤魔化すことなく認めたオスカーをエルメラが唖然としながら眺める。

 単に正体を知って驚いただけではなく、あまりにも意外すぎたのだろう。この男を見て誰も聖職者とは思わないはずだ。


「お前が枢機卿などとは冗談のような話だな。ということはロアンで見たのは偽者だったということか。じゃあ、新聞記者というのも真っ赤な嘘なのか?」


「いや? セントラルポストの記者というのも本当さ。調べれば分かるがちゃんと籍もある。だいたい、冗談みたいな肩書きを持ってるのはそっちの嬢ちゃんも同じだろ」


 ソラはオスカーと目が合うと、一歩前に出てエルメラと並びながら口を開く。


「オスカーさん。あなたは何がしたかったんですか? エノクの歴史書を収集していることもそうですけど、あちこちで行っている事と関係があるんですか?」


「そういや、アンタには色々と迷惑をかけちまったみたいだな」


 そう言う割には微塵も悪いとは思っていない態度でオスカーは呑気にタバコをくゆらせる。

 予想通りではあるが何も話すつもりはないようだった。


「やはり力づくで吐かせるしかないようだな。その前にお前の持っている歴史書を返してもらおうか。それは里の物だ」


「ああ、持ってきちまったか。いいぜ、ほら」


 躊躇(ちゅうちょ)なく三冊の本をぽいっと目の前に放り投げるオスカーを見てエルメラが眉をひそめるが、おそらく欲する情報が載っていなかったという事だろう。


「フン。ふざけたヤツだ。ジジイ、そいつから離れろ。今から取り押さえて何を企んでいるのか吐かせる。手足の三、四本へし折ってでもな」


「それってほとんどだろ」


 エルメラはオスカーのツッコミを無視して挟み込むように二体の精霊をじわりと移動させるが、当の本人は相変わらずタバコを吸ったまま突っ立っているだけだった。

 周囲を警戒したソラたちに囲まれ、部下が誰一人いないにも関わらず焦る素振りすら見せない。


「さっきみたいな小細工が通用すると思うなよ! ――スズリ! アトラ! そいつを押さえつけろ!」


 主の命令を受けて白い虎と黒い狼が同時に動く。


 疾風迅雷。

 文字通り目も留まらぬ速さで敵との距離をゼロにしたスズリとアトラが左右から太い(あし)で捕らえようとするが、


『!?』


 精霊たちの間にはつい先程までそこに立っていたはずのオスカーの姿はなく、吸っていたタバコだけが地面に落ちていたのだった。


「消えた、だと!?」


 目を見開くエルメラの隣でソラはいち早く消えたオスカーの気配を捉える。


「エルメラさん! あっちです!」


「いつの間に!?」


 長老の家から少し離れた森の奥にオスカーは一瞬で移動していたのだ。


(――<空間転移(テレポート)>!?)


 かろうじて魔力が動くのをソラは察知したが、最高難度の魔導を軽々と扱った事に驚きを隠せない。


「危ねえ。危ねえ。化け物じみたアンタらと()り合うつもりはねえよ。このままトンズラさせてもらおうか」


 木立の間に立ったオスカーは胸を撫で下ろすような仕草をすると、そのまま背を向けて何事もなかったように森の中を遠ざかっていく。


「こいつ……!!」


 エルメラは再び精霊たちに捕縛を命じるが、それよりも早くオスカーは肩越しに振り返りソラに視線を向けると、


「……たぶん、アンタとはまたどこかで会うことになるんだろうな。――それじゃあな、お姫様(・・・)


 そう言うと、オスカー=グラムウェルは手を振りながら森の暗がりの中に消えていったのだった。



 ※※※



 数日後の早朝。

 再び旅へと出発することになったソラたちはアルフヘイムの里の入り口でエルフたちの見送りを受けていた。

 ちなみにデュバルやエイビスたちとは昨日のうちに挨拶を済ませている。


「皆さん。お世話になりました。しばらく泊めていただいただけでなく、マリナの快気祝いまでしてもらって」


「ほっほ。お世話になったのはこちらの方ですよ。またいつでもお越しください。歓迎しますぞ」


 ソラは朗らかに笑う長老に頷くと、相変わらず髭やらに埋もれて表情がほとんど分からない顔をじっと見つめる。

 エルフの長はこの地で起こった一連の出来事を予測していた節があり、オスカーの事など尋ねたいことはいくつもあったのだが、結局何も教えてくれなかった。

 それに、聖樹の精霊がソラに向けて言った言葉が今でも引っかかっているのだ。


「――ソラ殿。聖樹様も仰ったようにいずれ分かる時が来ます。ですから今は旅を続けるといいでしょう」


 長老はソラが考えている事を見透かしたように言うとこちらの肩に手を置いた。 

 エルメラに小突き回されても首を絞められても決して口を開こうとはしなかったのだ。いつまでも悩んでいないで言うとおりにした方が良さそうである。


 ソラは気持ちを切り替えるとアルマに顔を向けた。


「そういえば、聖域の件も無事解決して、里への誤解も解けたんですよね」


「君たちが里のためにしてくれた行動に加えて、新聞各紙が手の平を返したようにダモンが裏でしてきたことを報道したからな。彼とダモン商会はもう終わりだよ」


 アルマが手渡してきたセントラルポストの新聞を受け取ると、そこには一面にでかでかとダモンの事が書かれていた。

 共和国議員に賄賂を渡して聖域を係争地に仕立て上げた事といい、エルフを襲撃して聖樹の雫を奪った事といい、裏事情まで詳しく載っていたが、事件の余波はダモンに協力した商人たちにまで及んでおり、この国の騒動は当分収まりそうもなかった。


 他にも、フリント村を魔獣の群れから死守したエルフたちの活躍が国中に広まり、一時は高まっていた反エルフ運動も無事に終息していたが、枢機卿と彼の部下たちが暗躍していた事に関しては一切報じられることはなかった。ソラたち一部の人間をのぞけば誰にも知られることなく闇に葬られるのだろう。


「これって……」


 よく見れば記事の最後に小さく『ロアン支局 オスカー』と書かれているのを発見してソラは何ともいえない気分になる。

 これまでの取材の成果をちゃんと世に示したということなのだろう。


「とことん人を食ったヤツだな」


 背後から覗き込んでいたエルメラが苦虫を噛み潰したような表情になる。

 あの後オスカーを逃がしてしまったので、今でもたまに怒りがぶり返すらしい。


「フン。いつかどこかで再会することがあったら目にモノを見せてやる。それより、君らはこれから東に向かうのだったか?」


「はい。マリナの学校の事もあるので、そろそろエレミアに戻らないといけないんですけど……」


「海っ!! 海だよ、エルメラさん!!」


 ルルからアルフヘイムの名産品をたくさん受け取っていたマリナが元気よく答える。

 カリム共和国から東にしばらく進むと中央大陸の東端に辿り着くのだが、妹はこの世界に転生してからまだ見たことのない海へ行く気満々なのである。


 すると、楽しそうなマリナを見ていたエルメラが突然頭を掻きむしりながら悶えた。


「くう~~~っ!! 私もソラ君たちと一緒に波打ち際で楽しく(たわむ)れたいっ!! 兄者、私もついていっていいか!!」


「駄目だ。まだ魔獣が潜んでいないか調査を続ける必要があるし、人間とのわだかまりも完全に払拭されたわけではない。お前は何だかんだで人気があるから、フラフラしていた分も含め、しばらくは里に留まってみっちりと働いてもらう」


「お前がいると食費諸々(もろもろ)が大幅にかさむ。ついてくるな」


 アルマとアイラに続けざまに冷たく言われてエルメラはがっくりと肩を落とすのだった。


 それから、里の者たちと別れの挨拶を終えたソラたちは、名残惜しそうなエルメラたちに手を振りながら街道を歩き始める。


「エルフの人たちみんな優しかったね。アルフヘイムの里も綺麗な所だったし。もうちょっとだけ滞在したかったかな~」


「あんたは病気で寝込んでた分をしっかりと遊び倒してたでしょうが」


 笑顔で話しかけてきた妹にソラは突っ込む。

 今回ほとんど蚊帳(かや)の外に置かれていたことが不満だったらしいマリナは鬱憤を晴らすかのようにルルなど里の子供たちと森の中を遊び回り、あげくにソラもロアンで散々買い物に付き合わされる羽目になったのだ。


 なので、本来はもう少し早く出発する予定だったのが今日まで延びてしまったのはマリナのせいなのである。エルメラが引きとめようと必死だったのもあるが。


「だって、私たち最後にちょろっと魔獣を倒しただけだし。消化不良っていうか。ね、アイラ」


「はあ……」


 同じくマリナに振り回されたアイラが苦笑していると、ふとソラの視界にある忌まわしい物体が飛び込んできた。


「ア、アイラ。それ……」


 ソラが指差す先、アイラの腰元には紐の先に女の子の人形がついたストラップ状の小物が目立たないように取り付けられていたのである。


「ああ。これですか? それが、ナルカミ商会に立ち寄った際にエルメラから勧められまして。つい購入してしまいました」


 珍しく照れた表情で『そらちゃんストラップ』を見せてくるアイラをソラはしばらく呆然と眺めていたが、やがてギギギと不吉な音を響かせながら後ろを振り返った。


「……そういえば色々あってすっかり忘れてたけど、あんたには訊きたいことがあったんだよね……」


「ヤ、ヤバ……」


 姉の引きつった笑顔を直視したマリナは脂汗を流しながらじりじりと後退する。


「ち、違うよ。お姉ちゃん。私は協力させられただけっていうか。エレミアに戻ったらファンクラブの会長さんに文句を言ってよ。全部あの人が悪いんだから」


 プルプルと小刻みに首を振りながらマリナは苦しい言い訳を試みるが、黙って聞いていたソラは額に青筋を浮かべてクワッと目を見開いた。


「うるさーい!! ネタは上がってるんだからね!! 大人しく制裁を受けなさい!!」


「ひいいいいいいいいん!!」


「お、お嬢様?」


 怒り狂ったソラが泣きながら逃げるマリナを追いかけ、そんな二人をアイラが呆気に取られながら見送る。


 そして。

 街道には以前と同じように姉妹の仲睦まじい光景がしばらく展開されることになり、通りがかった旅人たちの笑みを誘うのであった。

これにて三章は終了です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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