8話
間に合わなかった。
ほとんど完全に力を使い果たして動かなくなった幻獣にとどめを刺そうとしたら、幻獣は自らを転送した。追いかける僕から逃れるように何度も転送を繰り返し、やってきたのはオペレーションルーム。目の前に突然現れた幻獣に弾き飛ばされた彼女は、いちどだけこちらを見てから動かなくなった。
「この野郎!」
幻獣の顎に手をかけて、口を思い切り開く。骨が外れて、肉が裂けた。
「殺してやる!」
舌を引きちぎると、おびただしい量の血が滝のように零れ出てくる。僕は、そのまま幻獣の頭部を捻った。拍子抜けするほどあっけなく外れる。首を失った幻獣は、それでもなお、身体を暴れさせていた。
それから、急に姿を消す。スタジアムまで逃げたようだ。
僕は姫ちゃんの身体に馬の装備を転送した。姫ちゃんの装着のなかで最強が馬であることは知っている。その馬が、とある条件下で"進化"することも。本来ならば、鴻嶋の身体をビーコンとしなければ装備の転送は出来ないけれど、面倒なので省いた。そして、僕は馬のカチューシャを装着している姫ちゃんのエネルギーを増幅させる。特定の条件が揃わなければ進化させられないとはいえ、僕にかかればそんなもの自由自在だ。
「なに、なんで、なんで!」
突然やってきた馬の装備。さらに、それが、まだ詳しいメカニズムすら解明されていない"ユニコーン"へと勝手に進化したことに驚く姫ちゃんが悲鳴に近い声をあげる。
「トラブルが起きた。なんでもいいから、君たちでそこにいる連中を徹底的に潰すんだ」
そう伝えると、姫ちゃんはさっそく周囲の幻獣モドキを殲滅した。
馬の装備はスピードの増幅。そして、姫ちゃんの精神状態に呼応して進化する"ユニコーン"は、雷撃の力だ。
スタジアムに自らを転送した幻獣が、ユニコーンとなった姫ちゃんを首のない身体で睨む。彼女は転送に近いスピードで雷を纏い、幻獣の尾を切り取った。
「大丈夫なのか?」
幻獣モドキを的確に始末しながら、鴻嶋が言う。
「うん、そっちは任せたよ」
僕は軽くそれだけ答えて、スタジアムに意識を向けるのをやめた。
目の前に倒れる彼女の隣に膝をつく。死んではいない。僕の能力を分け与えてあるから、この程度では死なない。しかし、全身の骨が砕けている。僕はまず、怪我を全て修復した。
けれど、意識は戻らない。頭のてっぺんからつま先まで、脳に至るまで全ての損傷は修復してある。このまま目覚めてもいいはずなのに、抱きかかえた彼女は目を開かなかった。
「おかしいな」
人間の脆さを読み違えていたのかもしれない。身体に問題はなくとも、精神が攻撃のショックに耐えられなかったのかもしれない。意識がないので、彼女がなにを考えているかを読み取ることができなかった。
もしかしたら、このまま死んでしまうのかもしれない。
そんな想像が頭をよぎる。
それから、こちらの世界での行動の拠点となる人間を死なせてしまった場合のペナルティについて考えた。たしか、人間の死に関するルールはなかったはず。
ため息をついた。
一瞬でもそんなことに意識を向けてしまう自分が、心の底から嫌になったからだ。
こうなったのは僕の責任だ。僕のことを信じてくれていたのに、このまま死なせてしまうわけにはいかない。なにを差し置いても、彼女は救わなければならない。
彼女の胸に耳をあて、鼓動がたしかに動いていることを確認する。呼吸も正常。顔色だって抜群にいい。
「なんで目覚めないんだ……」
僕と同じ身体だったら、この程度の怪我で精神が飛んでしまうことはない。
僕の身体なら……。
もっと、能力を分けてみようか。
そう思って、すぐにその考えを排除する。そんなことをしたら、彼女は普通の人間ではなくなってしまう。人間の進化にまで干渉するのは、サンタさんといえどもやっていいはずはない。
けれど……。
頭を振る。
もし、いま、この場で彼女を救う手段がそれしかないとしたら、やるべきではないだろうか。
天秤が揺れる。
ルールをとるか、命をとるか。
ふと、笑いがこぼれた。なんだ、迷うようなことじゃないじゃないか。
僕の能力をもっと彼女に分ける。僕と同じような存在になれば、どこかへと消えた精神が戻ってくるはずだ。
抱きかかえた彼女の頬に触れ、少し顎を持ち上げる。また経口摂取だ。
大きく息を吸って、顔を近づける。
あとわずかで、唇が触れる距離。
彼女と目があった。
「……サンタさん、なにしてるの?」
目が覚めたようだ。
―――
「とりあえず、一回離して」
身体をよじって、サンタさんの胸に手をやる。
「ちょっと、なにが起こったのかよく分からないんだけど……」
「よかった!」
まだぐるぐるしている視界が、サンタさんの胸に塞がれてしまった。
「苦しい、苦しいって。ちょっとサンタさん」
抱きしめられている身体を必死に動かして、サンタさんの肩のあたりから顔を出す。周囲を見回しても、幻獣はいなかった。もう倒したのだろうか。
「あっ……」
サンタさんの背後、二メートルほどのところに見覚えのある物体が転がっていた。
「……殺しちゃっても大丈夫なの?」
赤い目が虚空を見つめ、大きく開かれた口から太い舌が短く見えている。どう見ても幻獣の頭だ。たしか、幻獣を捕獲するのがサンタさんの仕事だったはず。殺してしまっては問題が……。
「大丈夫、大丈夫だから心配しなくていいよ」
サンタさんがにこにこ笑いながら頷く。全部を口に出して説明しなくても察してくれる彼は、こういうときに話が通じやすい。
「私、どうなったの?」
意識を失う直前、私は幻獣に殴り飛ばされた。サンタさんに抱きしめられたまま腕と足の感覚を確認すると、きちんと動かせた。どうやら、大木のような前肢で思い切り吹っ飛ばされたのに、五体満足でいられたらしい。
「うん、ごめんね。また守れなかったんだ、本当にごめん」
サンタさんが、私の身体を抱えたまま頭を撫でる。人形みたいな気分だ。
「私、でも、生きてるよ?」
「身体は大丈夫だけど、意識が戻らなかった」
「どれくらい?」
「五分くらいかな」
ため息が漏れる。
「それくらい普通なんじゃないの?」
よく分からないけれど、事故にあって意識がなくなってから、五分ほどして回復することなんて、よくあるのではないだろうか。
「サンタさん、慌てた?」
ほんの少しの意識不明から目覚めたくらいで、彼はまだ私のことを抱きしめている。サンタさんにしては、ずいぶんと余裕のないリアクションだ。
「慌てたよ、終わったと思ったもん」
「大丈夫。ところでさ」
「なに?」
「いま何しようとしてたの?」
私が幻獣に殴り飛ばされて意識を失っていたのは分かった。全身に怪我ひとつないのも、きっと彼が治してくれたからだろう。
問題はここからだ。
「私の勘違いだったらごめんね?」
身体をよじり、指を自分の口元に持っていく。
「もしかして、ね?サンタさんてば、いま、その、また、あれを……なんていうの?ほら」
極力いやらしくならないように用心して、唇を指差す。
目が覚めたとき、彼はずいぶんと思いつめた顔をして、私に顔を近づけていた。顎に指が触れ、顔も持ち上げられていたし、おそらく、彼はまた私にキスをしようとしていたのではないかと思う。これは問題な行動である。
「あっ」
察してくれたらしいサンタさんが、困ったような顔をする。
「やむを得ない事情があったんだよ」
「否定しないの?」
少し笑ってしまった。違います、と切り捨ててしまえば押し通せたかもしれないのに、事情があったなんて言われたら聞かないわけにはいかない。
「だって、意識が戻らなかったから……」
また笑ってしまう。おとぎ話のお姫様か、私は。
「だからって、意識のない女の子にいきなりそういうことするのはよくないと思うな」
サンタさんのいた世界ではどうだか分からないけれど、こちらの世界ではマナー違反だ。
サンタさんの腕が緩む。私は、ようやく自分の足に力を入れて立ち上がった。手足にきちんと力が入るし、なんだか身体が軽くなったようだ。むしろ、幻獣にやられる前より元気になった気さえする。
「よかったよ、目が覚めて」
サンタさんが困ったような笑顔で呟く。それから小さく息をついた。
「ほんと、どうしようかと思ったんだから」
膝をたて、ゆっくりとした動作で彼も立ち上がった。見下ろしていた彼の頭が、やがて私の顔より高いところにくる。私の目線の高さには、血で汚れた襟があった。
よく見ると、サンタさんも全身がボロボロだ。
「サンタさんも怪我してるじゃない」
「うん、問題ないよ。もう治った」
軽く言うサンタさん。ほら、と微笑んで見せてくれた血だらけの脇腹は、汚れているだけで怪我はなかった。
「本当に治ってるね」
「すぐに治せるんだ」
「私も、怪我してた?」
幻獣に殴られて無傷なはずがない。意識が飛ぶほどの衝撃だったのだから、どこか怪我をしていて当然だ。でも、私は怪我をしていない。
サンタさんは頷いた。やはり、私の怪我も彼が綺麗に治してくれたみたいだ。
「どれくらいの怪我だった?」
「全身の骨がぐちゃぐちゃになってた」
「ふうん」
簡単に言ってくれるけれど、全身の骨がぐちゃぐちゃというのは、かなり深刻な状態だったのではないだろうか。
「危ないところだったんだね、私」
「ぎりぎりで守れなかった。ごめんね」
サンタさんが頭を下げる。
けれど、悪いのは私の方だ。無理を言ってついてこなければ、こんなことにはならなかった。彼に無駄な苦労をかけずに済んだはず。
「わがまま言ってごめんなさい」
「うん?」
「無理矢理ついてきたから、大変なことになっちゃった」
すると、サンタさんは吹き出すように笑った。
「え、なに笑ってんの」
むっとして言い返すと、彼はまだ楽しそうに肩を小刻みに震わせて、顔の横で片手を振る。謝っているようなジェスチャーだ。
「素直な子だなぁ、君は」
小さく咳払いして、呼吸を整える。でも、顔はまだ笑っていた。
「守るって言ったのに、死にかけたんだよ」
「でも、生きてるじゃん」
「普通の人間なら死んでた」
「へぇ」
普通の人間なら。
口の中で、サンタさんに言われたことを繰り返す。私は、普通の人間のはずだけど、こうして生きている。
「私、普通の人間でしょ?」
「そうだけど」
私の問いに、サンタさんが笑いながら頷く。彼の人差し指が、私の唇に優しく触れた。
「僕の能力を少し分けてあるから、今だけは普通の人間よりかなり頑丈になってるんだ」
唇がほんのり熱くなる。東京でサンタさんにキスされたとき、妙な感覚があったのを思い出した。変な薬を飲まされたような、不思議な違和感。口のなかを通って、喉を過ぎていったあの感覚が、私の身体を少しだけ作り変えたらしい。
サンタさんが笑う。
「君はちょっとのあいだだけ不死身になっていたんだ。だから、全身の骨がぐちゃぐちゃになっても死ななかった」
身体はね。そう言って、彼は眉を寄せた。残念そうな表情だ。
「たしかに、身体の機能はすぐに回復出来たんだけど、意識が戻らなかった。人間の精神っていうのは、本来なら死んでもおかしくないくらいの衝撃には、やっぱり耐えられないんだ」
彼は自分の言葉に自分で納得するかのように、ゆっくり頷く。そして、私の頭を撫でた。私は、くすぐったくて、ちょっと顎を引いてしまう。
「君の意識が戻らなくて、僕はパニックになった。まさか、身体は大丈夫なのに目が覚めないなんて、想像もしていなかったからね。だから、もういちど僕の能力を分けようと思ったんだ」
サンタさんがまた私の唇に触れる。
なるほど、だからさっき、彼は私にキスをしようとしていたのか。
「僕の能力をもっと分けて、僕と同じくらいの身体になれば、きっと意識も戻るんじゃないかなって」
そう言ってから、サンタさんはくくっと喉を鳴らして笑った。
「うーん、なんでそんな風に考えたのか、いまになってみると、よくわからないんだけどね」
それから、能力を分けるために、なぜキスが必要なのか説明してくれた。注射みたいなもので、身体のなかに直接サンタさんのエネルギーを注入したほうが、効果が強いし効くのも早いかららしい。
「まさか、すぐ目が覚めるなんて思わなかったよ」
いちど肩を大きく上下させたサンタさんに、ゆっくりと抱きしめられる。深呼吸したみたいだ。胸に耳をあててみると、鼓動が聞こえた。サンタさんも、一応は人間と同じように心臓があるんだって、なんだか少しだけホッとした。
「死ななくてよかった」
深く息を吐くように言うサンタさんの手が私の頭を撫でて、それからまたすぐに腕の力が強くなった。とても強く抱きしめられていて、このまま、彼の身体に溶け込んでしまいそうなくらいだ。
「苦しい、苦しいっての」
少し笑ってしまって、声が震えている。私は、彼の腕を強引に払いのけて、身体を離した。本当に全身がぴったり彼とくっついていて、なんだか恥ずかしくなってきたからだ。
「サンタさん、乱暴ね」
「ごめんごめん」
また頭を撫でられた。
ペットみたいな扱いだ。
嫌じゃないけれど。
「幻獣退治はもう終わったの?」
壁面モニターに目を向けても、そこには何も映っていない。幻獣が暴れたから、壊れてしまったみたいだ。
「もういいんだ、あとは帰るだけ」
サンタさんが私の肩に触れて頷く。
「そっか。お疲れさま」
「ありがとう」
数秒間、ふたりの視線が重なる。
じっと見つめあい、サンタさんが微笑むと、私は視界が滲むのを感じた。
「すぐに帰れるよ」
彼の笑顔が目の前にある。その視界のまま、私の意識はまたそこでまた途絶えた。
―――
意識を失った彼女が、僕の胸に倒れこんでくる。今回は、ちゃんとすぐに目覚めさせられる状態だ。僕は彼女を支えたまま、自分たちをスタジアムへと転送した。
そこでは、全てが終わっていた。
全身から青白い光を花火のように迸らせている姫ちゃんが立っていて、鴻嶋は水の入ったペットボトルを傾けている。ふたりの足元には、ぴくりとも動かない幻獣モドキの絨毯が敷かれていて、その亡骸たちに囲まれるように、巨大な幻獣の胴体が飛び跳ねている。
「姫ちゃん、意外と残虐に仕留めるんだね」
方々に散らばる幻獣のパーツは、どれも鋭利な刃物で切り取られたように綺麗な断面を晒して転がっている。ここまでバラバラにされているとは思わなかった。恐らく、姫ちゃんの一方的な攻撃に晒されたのだろう。彼女の持つユニコーンの能力は、とても人間とは思えないほど強力らしい。
「どんだけやっても動いてるんだもん、どうしていいかわかんなくなっちゃった」
姫ちゃんが僕を見て言う。それから、僕が抱き抱えている人間にも気づいたのか、目を丸くして叫んだ。
「どうしたの!?」
姫ちゃんが放電しながらこちらへ飛んでくる。転送みたいなスピードだ。鴻嶋もこちらへ駆け寄ってきている。ふたりとも、僕の腕のなかで眠っている彼女が心配みたいだ。
「大丈夫。ちょっと寝てるだけ」
そう言いながら、抱えていた彼女を鴻嶋に渡す。そして、姫ちゃんの装備を外した。これはもう必要ない。姫ちゃんは「あれ?」と疑問の声をあげたけれど、すぐに鴻嶋の腕に抱きかかえられている顔を覗き込んだ。
さて、僕は仕上げをしなくては。
水揚げされた魚みたいに飛び跳ねている幻獣の胴体を見る。僕はそれに向かって自分を転送し、すぐ隣に飛ぶ。何もない空間から現れた僕のエネルギーは、幻獣の胴体をバラバラに吹き飛ばした。
そうして、気がつくと、周囲には森林。
たったいま消し飛んだ幻獣が目の前に倒れていて、その向こうには、ひっそりと小さなカフェが佇んでいる。カフェのなかには人間が何人か。みんな、気を失っているようだ。
振り返ると、鴻嶋と姫ちゃん。不思議そうな顔をしている。
そして、鴻嶋の腕のなかで、優しい顔をして眠っている女の子がひとり。
そろそろ、太陽が沈む時間だ。
つづく




