7話
嘘みたいに広い部屋。周囲にある機械が熱を持っているのが、なんとなくわかる。そんな匂いがするのだ。私は、鼻を軽く刺激する機械の匂いに囲まれて、目の前の壁一面に敷き詰められたモニター群を見上げている。
サンタさんたちは、暗い通路を歩いていって、たったいま、大きな扉を開いた。そこで映像が切り替わり、今度はサッカーのフィールドを斜め上から映している。フィールドの外周は陸上競技のトラックになっていて、それらを見下ろす形で観客席が階段状に設置されていた。その映像の下のあたりから、サンタさんたちが姿を現す。
また映像が切り替わる。
今度は、正面から三人を映す映像だ。
どこのカメラから撮影しているんだろう。そんな疑問も一瞬のこと。鴻嶋の声が頭に響いた。
「なにもいないぞ」
たしかに、映像でも確認できない。
映っているのは、三人と、サッカーのフィールド、陸上競技のトラック、無人の観客席と、吹き抜けの青空。
「どこまでも小細工だなぁ。どうせ僕たちの勝ちは決まってるんだから……」
サンタさんが面倒臭そうにそう呟き、左手を軽く振る。どこかを指差すような仕草に見えた。
映像が切り替わる。三人を後ろから映している。
「隠れてたんだよ、まったく、面倒臭いったら……」
サンタさんが呆れ顔で言うその視線の先、十メートルくらいのところに、見たこともない怪物が一匹、巨大な身体を四本の脚で支えていた。
「これが、幻獣……」
鴻嶋が驚嘆の声を漏らす。姫ちゃんもため息をついていた。
犬だろうか。もしくは、狼。それとも、ライオンか、熊か、ゴリラか。とにかく、巨大な獣。いや、獣と言っていいのかどうかも分からない。私は、あれに似ているものを現実では見たことがない。
見たことがあるとすれば、映画。
そう、あれは怪獣だ。
「サンタさん、あんなのと戦って大丈夫?」
心配いらないと分かっていても、実際に本物を目の当たりにすると、あんな怪獣と戦って本当に無事でいられるのかと心配になってくる。
「大丈夫だって、負ける気がしない」
カメラ目線でにっこり笑う。
それから、サンタさんは怪獣を指差した。
「隠したって無駄だ。本当ならもう降参した方がいいんだけど、おまえ殴られたいんだろ?」
一瞬、幻獣が怯んだように頭を震わせる。赤く輝いている目が、ぐるりと一周した。牙の隙間からはどろりとした涎。背中に生えている大きなトゲをガチガチ鳴らしながら、異様に発達した前肢で勢いよく地面を叩く。
「ほら、出てきたよ」
勢いよく地面を叩く幻獣。その一発ごとに、周囲の景色が歪んでいく。
歪み。
直線を無理に曲げたような景色が、少しずつ、新たな怪物の姿を形作る。
大きな前肢、背中には岩のような黒いトゲ。人間と同じくらいの大きさの怪物は、あっという間に数え切れないほどまで増え、三人の前に立ち塞がった。
「最初は何でいく?」
サンタさんが鴻嶋に顔を向ける。
鴻嶋は、サンタさんを見ていない。目の前に並ぶ怪物たちを眺めながら、やや悩むように答えた。
「猫にしておこう」
「よし、猫をクリックだ」
唐突に、サンタさんが私に向けて言った。頭のなかに響く声が、離れていても明らかに私に向けられているものだと分かるのは、きっとまた彼が何かしているからなのだろう。
猫をクリック、猫をクリック……。
声に出さないように繰り返しながら、手元にあるパソコンを操作する。点滅している動物のアイコン、ウサギ、熊、馬、猫。
カーソルを猫にあわせて、クリック。
「……きた」
一拍遅れて、わずかに声を出した鴻嶋が姫ちゃんを手招きする。
「カウント、六、五、四……」
カウントダウンをはじめる鴻嶋。姫ちゃんが慌てて駆け寄っていき、彼がその手を肩に置く。
「三、ニ、一」
ゼロ。
その瞬間、鴻嶋の身体から電気が弾けるような光がわずかに放たれる。
鴻嶋が姫ちゃんから離れると、彼女の手には黒い三角の物体が握られていた。
彼女がそれを顔の高さまで持ち上げる。少しゴツいけれど、カチューシャのようだ。
装着。
それから、光に包まれる。
光がおさまると、姫ちゃんは変わらずそこに立っていて、けれど、少し前とは全然違う装いだ。
猫耳のカチューシャをつけて、そのカチューシャから顔の横まで伸びているパーツからは猫のヒゲのようなアンテナみたいなものが左右三本ずつ。これもまた三本ずつ爪が出ている肉球つきのグローブを両手に填めて、下半身には、丁寧に尻尾までついている。それから、膝まで覆われるようなブーツを履いていた。これにもおそらく肉球がついているんだろう。
「にゃんにゃん!」
姫ちゃんが、サンタさんのほうを向いて、顔の横で手を振る。サンタさんの計らいだろうか、どこかのカメラがそれを捉えたのか、私の目の前にあるモニターにも姫ちゃんのにゃんにゃんが大きく映し出された。
「猫にゃんにゃんでいきますよ!」
高い声でそう言って、その場で軽やかに宙返り。やけにテンションが上がっている。
「サンタさん、ちっこいのは任せてね!」
「うんうん、お願いね」
サンタさんもにこにこしながら頷く。
鴻嶋も、いつの間にか拳銃を握っていた。
「よし、みんな準備はいいね」
サンタさんの声に、全員が頷く。私だけあの場にいないけれど、彼は確かにカメラ越しに私を見た。
「行くよ、幻獣を叩きのめしてやろう」
―――
第二ラウンド。
幻獣もそれを察したのか、大きく裂けた口を限界まで広げて絶叫する。顎が外れているんじゃないかと思うくらいだ。
僕はまず、軽く地面を蹴ってから自分を転送する。
転送した先は、幻獣の頭部付近。飛び出した勢いのまま、顔面に膝蹴りをいれてやった。手応えはじゅうぶん。
足が地面につく前に、また転送。今度は、転送のエネルギーで脇腹を抉る。今回は最初から手加減なしだ。
この世界にいるこいつは、捕獲なんて考えなくていい。重要なのは、こいつを消耗させて、元の世界に帰ること。そして、メキシコでノビている幻獣を故郷に送る。それで全部おしまいだ。
「弱い弱い、もう全然駄目じゃん」
幻獣も、一応は反撃をしてくるけれど、僕には通用しない。背中のトゲはメキシコにいたやつより激しく動くし、スピードも早いのに、全然脅威じゃない。やはり、メキシコでやりあったときとは気の持ちようが違う。
横殴りに振り抜かれる前肢をそのまま受けて、飛ばされた勢いのままさらに転送。背中に取り付き、並ぶトゲを強引に押し開く。
幻獣の悲鳴。僕を振り下ろそうと、必死に全身を揺らす。あまり効果がない。
僕は一本のトゲを掴み、背負い投げのように身体を捻った。幻獣の身体が一回転して、地面に転がる。そこへ、すかさず追撃。一方的だ。
こんなんじゃ、油断してしまう。
軽くため息をついて背後に目をやると、猫耳の姫ちゃんが幻獣モドキの群れの中で軽やかに飛び回っていた。
「にゃん!にゃんにゃん!」
グローブの爪はものすごく鋭いらしい。姫ちゃんが踊るようにくるくる回りながら敵の間をすり抜けると、すれ違った連中が次々に赤黒い液体を吹き出して膝をつく。
軽いステップで幻獣モドキの膝を蹴り、胸を蹴り、顔面を蹴って宙返り。着地までの間に、軽く手を振って周囲の幻獣モドキも切り裂く。驚くほどしなやかな身のこなしだ。
「どんなもんにゃあ!」
姫ちゃんが、倒した幻獣モドキの背中に立って腕を上げる。
すると、まわりの幻獣モドキが動きを止めた。
「姫、こっちへ」
いち早く危険を察知した鴻嶋が姫ちゃんを手招きする。彼女がそちらへ走ると、手招きしていた手をその肩に乗せた。
しばらく、動きがない。
僕は、幻獣が地面を抉って投げ飛ばしてくる塊を逆向きに転送しながら、姫ちゃん達を見守った。
―――
目の前にあるモニターは、ほとんどが姫ちゃん達を映している。たまにちらりと映るサンタさんは、まるで出来の悪いアクション映画のように、幻獣の周囲を飛び回っていた。
肝心の姫ちゃんはというと、急に動きを止めた小さい幻獣軍団から少し距離を置いて、出方を伺っているようだ。
「卿徒くん、大丈夫?」
「大丈夫」
姫ちゃんの肩に手を置いている鴻嶋は、拳銃の銃口を自分に向けるように握り、先ほどから敵の頭を殴りつけるために走り回っていた。ここで動きを止めるまでずっと動いていたけれど、全く息が上がっていない。
「坂下真緒」
鴻嶋の声が頭に響く。フルネームだ。
「姫の装備を入れ替える準備をしてくれ」
そう言われて、私は慌ててパソコンに視線を落とす。
「な、何にするの?」
「まだ決めてない。決定したら三秒以内に転送できる?」
三秒以内に転送……。おそらく、指示を受けてから三秒以内に動物のマークをクリックしろと言うことだろう。
「……なんとか」
マウスを握る手に力が入る。
「あ、なんか動いてる!」
姫ちゃんが声を上げる。
モニターを見ると、小さい幻獣軍団が少しずつ集まっていた。
「何をするつもりだ」
ぞろぞろと集まってきて、それぞれが腕を組む。そして、身体がひとつにまとまっていく。
気のせいではない。
「合体してるぅ!」
察した姫ちゃんの声。
そこへ、巨大な腕が伸びる。
「ビールの広告まで十秒以内に走れ!」
肩に乗せた手を勢いよく突き出して、鴻嶋が叫びながら姫ちゃんを突き飛ばす。
鴻嶋の視線の先にあった壁面広告を確認した姫ちゃんは、少しよろめきながらものすごい勢いで走り始めた。やや曲線を描くようなコースだ。対する鴻嶋は、合体した幻獣の懐をすり抜けるように真っ直ぐ走り出した。
「熊だ、熊!熊を転送しろ!」
「えぇ!?は、はいぃ!」
急なリクエストに、手を震わせて熊のアイコンをクリックする。
「卿徒くん、カウントは!」
「必要ない、走れ!」
声を上げながら走るふたり。
走り始めてから、まもなく十秒くらいだろうか。私には分からないけれど、ふたりは全く同じタイミングでビールの壁面広告にたどりついた。そして、走ってきた勢いのまま、交差するようにハイタッチする。その瞬間、また電気が放たれて、すぐに姫ちゃんを光が包む。
徐々にスピードを落とす姫ちゃんと同じ速度で動いていた光がおさまり、また装いの違う姫ちゃんが現れた。
こんどは、熊だ。
熊耳のカチューシャ、大きくてゴツいグローブは肘まで覆うくらいあって、それを振り回してもバランスを崩さないように、脚を保護しているアーマーもかなりどっしりしている。何のためにあるのか分からないけれど、お尻には丸い尻尾もついていた。
「べあー!」
何やら叫び声を上げる姫ちゃんが、合体幻獣へと走る。
相対した姫ちゃんと幻獣が、勢いよく両腕をぶつけあわせる。お互いの脚が地面にめり込んだ。小さな姫ちゃんの身体がやりあうには、合体幻獣は大きすぎるような気がするけれど、姫ちゃんはそんなこと構わずに幻獣と組み合った腕を押し出す。
驚いたことに、姫ちゃんの方が力が強いらしい。彼女が歯を食いしばって脚を進めると、幻獣が少しずつ後ろにさがっていく。
「大自然のパワーをくらえ!」
気合いが入りすぎて訳の分からないことを口走る姫ちゃん。熊のグローブから勢いよく排気の煙が吹き出す。人工の科学技術丸出しである。
やがて、幻獣が横向きに投げ飛ばされる。姫ちゃんが追い打ちをかけるように顔面へ腕を振り下ろすと、幻獣は大きく痙攣して動かなくなった。
「あとどれくらい残ってる?」
付近を見回しながら鴻嶋が呟く。彼は、飛びかかってくる幻獣の腕をひねり上げ、頭部に拳銃のグリップを叩き込んでいた。
「まだけっこういるよね」
私は、映像を眺めながら幻獣の数を確認する。猫耳で切り裂いたもの、合体して投げ飛ばされたものが転がっている他に、モニター上で確認できるだけでも二十ほどの幻獣が残っていた。
「猫に戻した方がいいな。姫、こっちへ」
その声に反応して、小さな幻獣たちを一匹ずつ投げ飛ばしている姫ちゃんが鴻嶋のもとへ駆け出した。私も、パソコンで猫をクリックする。
「そういえば、サンタさんは?」
姫ちゃんたちの戦いに夢中で忘れていたけれど、サンタさんと大きな幻獣の姿が見えない。
「いつのまにか消えちゃったねぇ」
猫になった姫ちゃんがきょろきょろしながら言う。
「必死だったからちゃんと見てなかったにゃあ」
「姫ちゃん、頭につけてるやつでキャラも変わるの?」
「ううん、気持ちの問題」
「ああ、そう」
こんな会話を続けているあいだにも、ふたりは次々と幻獣を地面に倒していく。私は、ぼんやりとその映像を眺めていた。
その時、すぐ後ろでなにか物音がした。
振り向くと、そこにはモニターの向こう側にいたはずの巨大な怪獣。
鉄骨のような太い腕を持ち上げている。
「危ない!」
サンタさんの声がした。
気がつくと、彼がすぐ横にいる。私に飛びかかろうとしているみたいだ。
「あれ……」
部屋の景色が一回転する。見ているものがぐるっと回って、そのあとに耳鳴り。視界が真っ白になって、頭になにかがぶつかったような衝撃が遅れてやってきた。
背中から壁にぶつかる。
痛みは感じなかった。
ピントが合わない視界のなかで、サンタさんが怪獣を殴っている。たくさんの物が散らばっているけれど、音も聞こえないし、見えるものも少なくなってきた。
「サンタさん」
自分の声が聞こえない。出ていないのかもしれない。ひょっとしたら、もう死んでいるのかも。
そう思ったら、ゆっくりと目の前からなにも見えなくなった。
つづく




