6話
遠い異国の地。
テレビでしか見たことのない巨大な建築物のなかの一角。コンピューターでぎっしりな、自宅よりも広い部屋に、私はひとりきり。
しかも、ここは異国どころか異世界だ。
目の前には可愛らしい動物のマークを点滅させているパソコンがあって、その向こうには、いまどき映画でも出てこないような、モニターが敷き詰められた壁がある。目眩がするほど完璧に並べられたモニター群をちょうど四等分した右上には、鴻嶋と姫ちゃん、それから、たったいまこの部屋から消えたサンタさんが映っている。鴻嶋がお菓子の自販機を破壊した休憩所だ。
「リンクするよ」
ふと、サンタさんの声が聞こえた。この部屋のどこかにスピーカーがあるのかとも思ったけれど、どうもいつも聞くような音とは違うように思う。なんていうか、頭に直接響いてくるような……。
「みんなの頭のなかをいまだけ繋げた。会話できないと困るからね」
また、声。
やっぱり、サンタさんは私の頭に直接話しかけてきているようだ。
「どういうこと?」
モニターに映るサンタさんを見ながらそう口にすると、鴻嶋がこめかみのあたりを指でおさえてきょろきょろしはじめる。
「どうなってるんだ?」
鴻嶋の口が動いて、それにぴったりあった声が頭に響いてくる。
「……どうなってるの?」
私が話すと、姫ちゃんが怯えたように鴻嶋の腕に触れた。
「だから、みんなの頭のなかを繋げたんだって」
サンタさんだけが余裕の表情で、モニターの中で笑みを浮かべている。それから、彼は軽く咳払いをして説明しはじめた。
「テレパシーみたいなものだと思ってくれたらいいよ。離れてても声が聞こえるし、ほんのちょっとだけど、思考を共有することができる」
いまから幻獣とやりあうのだから、少しでも連携をとりやすくした。ということらしい。本当に、サンタさんはなんでもありな人だ。
「すごぉい……」
姫ちゃんの声が聞こえる。頭のなかに直接響くので、耳で聞くよりも少し高く感じた。
「みんな、ちゃんと聞こえてる?」
サンタさんが確認すると、三人がそれぞれ返事をした。彼は満足そうに頷く。
「よし、準備はととのったね。行こうか」
行こうか。簡単に言うし、簡単に聞こえるけれど、よく考えたら、私たちをこの不思議な世界に放り込んだ怪物と戦うのだ。たった今から。もう少し緊張感みたいなものがあってもよさそうな気がする。
「さっさと片付けて家に帰ろう」
鴻嶋が言う。
「さすがに疲れてきた」
姫ちゃんもそれに同調した。
「お姉ちゃんどうしてるかな」
「それはもう、怒ってるだろうね」
「うわぁ……帰りたくないなぁ」
肩を落とす姫ちゃん。鴻嶋はふっと息を吐いた。
「心配かけただろうからね。今回は仕方ない」
そんな風に話しているふたりを連れて、サンタさんが進む。驚いたことに、三人が休憩所から移動すると、三人を映しているモニターも、それを追うようにして別の映像に切り替わった。今度は、どこかの通路に設置されたカメラらしい。三人がカメラの方へ歩いてくるのを、斜め上から映している映像だ。
「サンタさん、これ便利だね」
ただこの部屋にいるだけで、ドームのどこかにいるみんなを追いかけることが出来るのはとてもいい。そう言うと、サンタさんは嬉しそうに笑った。
「良かった。見辛かったりしない?」
「大丈夫。ありがとう」
見辛いです、と言ったらなにをしてくれるのかちょっとだけ興味をもったけれど、実際にはすこぶる快適なので、変な要求はしないでおいた。
しばらくそのまま歩く三人を眺めていると、鴻嶋がふと何かを思い出したように呟く。
「そういえば、名前をまだ聞いていなかったな」
そして、一瞬だけ、鴻嶋の目が彼らを追っているカメラを見た。勘のいい男だ。私はカメラ越しに彼の視線を感じる。
「卿徒くん、こんなときにナンパ?」
姫ちゃんがすかさず口を挟んだ。すると、鴻嶋は姫ちゃんの頭に軽く手を乗せて笑う。
「連携しなきゃいけないんだろ?」
彼の声は、サンタさんに向けられているようだ。
「そうだね。名前は知っておいた方がいい」
サンタさんも、笑顔で頷いた。
「じゃあ、サンタさん。名前は?」
そう鴻嶋がサンタさんに名前を尋ねた瞬間、私の頭のなかに、それまでとはまた違った感覚の音が響いてきた。
『僕は偽名を使うけど、君はどっちでもいいよ。誰に何を調べられても、君のプライバシーは僕が保証する』
偽名を使う。サンタさんは堂々とそう宣言したにも関わらず、鴻嶋からは何のリアクションもない。
鴻嶋にはこの声は聞こえていない?
頭のなかでそう思うと、またサンタさんの声が響いた。
『そう、これはプライベート回線だから、僕と君にしか聞こえない』
ずるい。声に出さないように小さく呟くと、サンタさんが笑う。頭のなかの声もそうだし、映像の顔も笑っている。
鴻嶋は抜け目ない男だ。ここで名前を聞いておいて、あとでチャンスがあれば私たちのことをちょっとくらい調べられるかもしれない。そんな風に考えている。というようなことが、私の頭のなかで一瞬にして理解された。そして、サンタさんがそれを私の頭に流し込んできたんだということも、なんとなく理解した。この人は本当に、恐ろしいくらい常識が通用しない。
「ボンド」
頭のなかに、また先ほどまでと同じ声がする。今度は、サンタさんが実際に発声しているときの声だ。なんだかややこしくなってきたぞ。
「ボンド?」
ボンド、という単語に鴻嶋が反応する。
サンタさんは大きく頷いた。
「ジェームズ・ボンド」
おっと、偽名だ。なんて分かりやすい偽名なんだろう。サンタさんはふざけているのだろうか。
「ありふれた名前だよ」
ジェームズ・ボンドがにこにこ顔で鴻嶋を見る。
「……どうも」
鴻嶋はため息をついた。
「君は?」
それから、まるで消化試合のようなトーンで私の名前を尋ねる。カメラ目線だ。自分を映しているカメラの位置を確実に把握しているあたり、少し気味が悪い。
「坂下真緒」
サンタさんは、鴻嶋が私たちのことを調べるかもしれないと言っていたけれど、本名を名乗っておいた。私はごく普通に生きてきた一般人なので、偽名を使うことに慣れていない。偽名を名乗り、そっちで呼ばれたら、咄嗟に反応できないかもしれないから。
「よろしく」
鴻嶋がふっと息をもらして呟き、姫ちゃんも可愛らしい声で私に挨拶をしてくれた。
―――
ジェームズ・ボンド。いつだったか、人間の世界のことを伝えているテレビ番組で、こんな名前の男が出てくる映画を流していた。僕たちの世界の感覚からすると、これはコメディなのかと思うくらい、あまりにも荒唐無稽な内容と展開の映画だったけれど、ジェームズ・ボンドがとても格好良かったのを強烈に覚えている。
鴻嶋に名前を聞かれたとき、僕はジェームズ・ボンドと名乗った。鴻嶋が、日本に戻ったら僕たちのことを調べようと考えていることが分かったからだ。もっとも、調べられても何も困らないし、彼らが僕たちのことについて何か有用な情報を得られるとも思えない。本名でも問題なかったとはいえ、偽名を名乗るってちょっと憧れていた。なんだか格好良い。
「ミスターボンド」
心の準備とかもあるだろうから、そういう僕なりの気遣いで、幻獣が待ち構えているエリアへ徒歩で向かっている途中、鴻嶋がそう呟く。
「ボンド……おい、ジェームズ・ボンド」
少しずつ声が大きくなって、肩を叩かれてからようやく、僕の名前を呼んでいることに気づいた。
そうだ、僕はジェームズ・ボンドだった。偽名を使うとこういう面倒があるということか。オペレーションルームにいる彼女は、そういう理由で鴻嶋たちに本名を名乗っていたけれど、それで正解だったらしい。
「あ、ごめん。なに?」
「ボンドだよな?」
「ボンドだよ。でも、親しみを込めてサンタさんでいいよ」
鴻嶋が呆れたようにため息をつく。それから、「おいサンタ」と話しはじめた。
「確認しとく。姫の装備はちゃんと使えるんだな?」
彼は姫ちゃんの頭を指差した。僕は大きく頷く。
「もちろんだとも」
サンタさんを見くびらないでもらいたい。これくらい、僕には朝飯前だ。つまり、布団のなかで二度寝しながらだって出来る。
「仕組みは聞かないが、いつも通りの使い方をして大丈夫なんだな?」
「大丈夫だって」
彼の頭のなかには、これからの姫ちゃんの動きが複数のパターンで用意されているのがわかる。そのどれもが、オペレーションルームにいる彼女でも問題なく対処できるレベルのものだ。当然、僕もサポートする。
「作戦は?」
幻獣のもとへと歩きながら、鴻嶋は話し続けた。僕も、それに応えてやる。
「スタジアムに幻獣のボスがいる。でも、そのまわりに雑魚がうじゃうじゃいるんだ」
いま歩いている通路。しばらく進み、いくつかの扉と階段を経由した先にある鳥の巣ドームのスタジアム内に、この世界のボスたる幻獣本体がいる。そして、その周囲に幻獣モドキが何匹も待ち構えているのだ。
「幻獣は僕がやるから、君たちには雑魚を片付けてもらいたい」
「僕たちにも対処できるのか?」
"雑魚"という表現でも、鴻嶋はまったく油断しなかった。当然、彼にとって未知の存在なのだから過小評価しないのは当たり前だけれど、彼のこういう慎重さはいいところだと思う。
「君たちでも対処できる。いい機会だから、珍しい生物のデータでも持って帰るといいよ」
幻獣モドキは、幻獣本体に比べたら遥かに弱い。気配からして、そもそも圧倒的に弱い。数で威嚇するタイプだろう。囲まれたら鬱陶しいけれど、蹴散らすのは簡単だ。本当に、人間がそこらへんに転がっている棒かなにかで殴っただけでダウンしてしまうくらいの強さのはずである。人間の世界ですぐ手に入る棒といったらだいたいが金属だから、それで殴られたらほとんどの生き物がダウンするのは当然だけど。
「生命に危険があると判断したら、姫はすぐに退かせるぞ」
そう話す鴻嶋の隣で、姫ちゃんが嬉しそうな顔をしている。かわいそうに、鴻嶋が姫ちゃんを心配していると思っている。本当はそうじゃなくて、単純に、姫ちゃんの能力を失うのが惜しいからだって教えてあげたいような気もするけれど、この場にいる誰ひとりとして得をしないのが目に見えているのでやめておいた。
「さて、そろそろ戦場が近づいてきているよ。聞こえるかな、この歓声」
まもなく、幻獣のいるスタジアム。
「静まり返っているな」
鴻嶋が冷めた声で言う。もちろん、歓声なんて聞こえない。観客はいないのだから。聞こえるのは、僕たちの靴が床を打つ音だけ。無観客試合だ。
「もう、さっさと帰ろうね。僕も疲れてきたよ」
あと少しで今回の幻獣が仕留められると思うと、なんだか一気に力が抜けそうになってしまう。僕が人間のように疲労を感じることはあまりないけれど、今日はさすがに少し疲れた。
「気を抜かないようにしないと」
言いながら、僕は肩をまわす。首を傾けると、そのあたりの骨が小さな音をたてた。
今日は、帰ったらきちんと眠ろう。
彼女の部屋ですごしているとき、僕はほとんど眠らない。いちど、彼女に「いつ寝てるの?」と不思議な顔をされたことがある。彼女が寝るときに起きていて、彼女が目覚めたときにも起きているからだ。僕は人間と違って、毎日眠る必要がない。疲れたときに眠る。たとえば、幻獣を捕獲したときとか。睡眠時間だって、人間よりもずっと少なくていい。
「さて、いきますかぁ」
目の前に、スタジアムへ続く扉。
両手で開くと、向こうから太陽の光が射し込んできた。
あと少しで、全部おしまい。
ようやく帰れる。本当に長かった。この僕ですら疲労を感じるほどだ。他のみんなはへとへとだろう。
さっさと終わらせて、のんびり休養をとろう。
今日は、よく眠れそうだ。
つづく




