4話
なにかひとつ目立つ特徴があると、それらを構成するディテールの部分には目がいかないものである。世の中にはそんな風に、ぱっと見のインパクトが絶大なゆえに、細かな部分には目を向けられていないものがたくさんあるんだなぁ、と、私は強く思った。
「スカイツリーってこんな感じなのねぇ」
例えば、いま目の前にそびえている東京スカイツリー。普段、テレビやインターネット、雑誌なんかで目にするスカイツリーといえば、やっぱり立派なタワーの部分でしかなくて、けれど、地面からいきなりタワーがにょきっと生えているわけではないことくらい、少し考えてみたら分かることだろう。実物を目の当たりにしてみてはじめて、私はスカイツリーの根元には意外とちゃんとした建物があることを知った。
というわけで、スカイツリーの根元には、どこかの博物館みたいな、立派ではあっても決して豪華ではないシルバーで扁平な建物が設置されていた。まさに、土台という表現そのまま、天を衝く未来的な高層タワーを支えている。
ここから見上げると、先端の存在を疑いたくなるくらい、スカイツリーは大きい。これが観光だったらどんなに良かっただろうか。
「ここに、知り合いがいるの?」
「いてもおかしくない」
ひとりぼっちの世界に飛ばされて、誰かを探すために雲の上まで登ろうなんてことを考えちゃう人が本当にいるんだろうか。私にはちょっと信じられないけれど、今のところ何かしようと思っても何も出来ないので、少しでも可能性がありそうなら試してみた方がいいのかもしれない。鴻嶋にはなにか確信みたいなものもありそうだし。ただ、私ならそんな馬鹿なことはやらない。
押上駅前に車を停めた私と鴻嶋は、そこからぐるっと歩いて、五分ほどかけてこの土台までやってきた。博物館みたいな建物には入り口がいくつかあり、私たちは、当日購入の入場チケットを持っている人が通る入り口をくぐった。
「普通なら、ここって行列なのかな」
入ってすぐの広い空間は、整列用のベルト式パーテーションと、空港のロビーのようなモニターがいくつか並んでいる。チケットカウンターなんだろう。もちろん、いまのモニターは真っ黒。それを見て、鴻嶋はうんざりしたような声を出した。
「エレベーターは使えないよ」
電気が通っていないらしい。
「えぇ……」
エレベーターが使えないのなら、どう考えても展望台までは登れない。ということは、鴻嶋の知り合いも展望台にはいない。つまり、ここで退いておけば、無駄な体力は使わずに済む。
スカイツリーは失敗だ、やめよう。そう言った私に、彼はせめて展望デッキへの入り口までは見に行ってみようと答えた。フロアガイドを見ると、そこは四階にあるらしい。行くならひとりで行ってほしいけれど、この妙な世界で単独行動は危険だ。要するに、行くか、行かないか。私はため息をついて、彼の後に続く。
さすがに、空調も何もかも働いていない施設の階段を四階まで登るのはキツかった。しかも、辿り着いた展望デッキ入り口は照明もなく真っ暗。高橋さんのお宅からパクってきた懐中電灯も、大した役には立たなかった。
「ごめん」
鴻嶋が軽く笑いながら謝る。私は精一杯の舌打ちを返し、高橋さんが大切に保管していたミネラルウォーターを飲んだ。
それから、また階段。下りだから、先ほどよりは少しだけ、もう本当にほんの少し、微々たる差だけど楽だった。膝が痛い。鴻嶋はこういう運動に慣れているらしく、スイスイと下ってゆく。私はその後ろをノロノロと追った。
二階から一階に差し掛かろうという踊り場で、彼は急に立ち止まって、私の口元に人差し指を突き出す。
「何かいる」
小さな声で、そう言ったような気がする。彼は手と目で私に合図して、ゆっくりと腰を落とさせる。それから、静かにリュックサックをおろし、拳銃を掴んで、そこで待っていろと言わんばかりに軽く手を振った。
一段ずつ、信じられないくらい物音を立てずに鴻嶋が階段を下っていく。彼は下から二段めのところで壁に背中をぴったりくっつけてしゃがみ込み、ポケットから何か小さな板を取り出した。手鏡だ。彼はそれをゆっくりと壁の外にちょっとだけ出して、一階フロアの様子を伺う。慎重に、光を反射させないように鏡の角度を調整しながら。緊張した表情のまま、ものすごく長い間そうしていた気がする。私がその姿をじっと見守っていると、彼はやがて、ふっと息をはいた。それから私に視線を寄越し、軽く手招きした。
彼が置いていったリュックサックを抱え、なるべく音を立てないように階段を下りていくと、私が彼のもとに辿り着くより前に、彼はさっさと一階フロアに出ていってしまった。
「え、待ってよ」
今の今まで慎重に行動していたのに、急に大胆なやつだ。私が少し慌てて追いかけようとすると、階段を下りて壁を曲がった先の一階フロアから、若い女の声がした。
「なに、誰!誰!なに!」
それから、なにかが倒れる音。布が擦れる音と金属がぶつかる音。声の主が、整列用のパーテーションを投げつけたんだろう。ひどく怯えたようすで、手当たり次第に鴻嶋を追い払おうとしているみたいだ。
「ヒメ!僕だ、落ち着いて!」
鴻嶋の声がした。"ヒメ"ってのはニックネームか何かなんだろうか。お姫様?いやだ、恥ずかしい。というか、鴻嶋の探していた知り合いが、この"ヒメ"なんだろうか。そんなことをぐるぐる考えながら、私も階段を駆け下りた。
「ヒメ、良かった、無事だったんだね」
そう話す声を聞きながら、念のために、壁からちょっとだけ顔を出してフロアを覗く。そこには鴻嶋がいて、そこからぐちゃぐちゃに倒された数本のパーテーションを挟んで三メートルくらいのところに、高校生くらいの女の子が立っていた。
「卿徒くん……」
彼女は真っ赤な顔で鴻嶋の名前を呟く。口元をおさえるような指をわけもわからずふにゃふにゃさせている様は、まるで小動物のようだ。
「卿徒くぅん!」
真っ赤な顔、真っ赤になった目からついに涙を溢れさせ、お姫様が駆け出す。もはや何を言っているのかも分からないような泣き声をあげて、彼女は鴻嶋にタックルするくらいの勢いで飛びついた。
「どこ行ってたの!ものすごく心配したんだからね!勝手にいなくなっちゃダメだって言ったじゃん!」
うわぁ……。
と、私は無意識にちょっと引いてしまった。何に、と問われれば、一言で、その距離感に。
なんていうか、彼女の抱擁が熱すぎる。鴻嶋の胸にぐいぐい行っているではないか。そんなにスリスリする必要があるのか。状況が特殊とはいえ、さすがにただの知り合いに再会したくらいではここまでいやらしい感じに飛びついたりはしないだろう。
私の中で、鴻嶋卿徒の評価が底無しに下がっていくのを感じる。彼は、未成年と付き合っているのか。しかも、恋人をお姫様などと呼んだりしてしまっているし。これはなかなかレベルが高い。
高校生らしき恋人に説教されている鴻嶋をしばらく眺め、飽きてきたのでわざとらしく咳払いをして自分の存在をアピールする。放っておいたらあのお姫様はどこまでエスカレートするか分からないし。
私のことなんてまるっきり忘れていたみたいな顔をして、鴻嶋がこちらへ振り向く。それにつられて、お姫様も私に気がついたようだ。
「どなた?」
彼女は、やや警戒の色を浮かべている。そんな彼女をなだめるように、鴻嶋はメキシコからの事情を話しはじめた。
―――
さっきまで平らだったはずの地面に、クレーターが次々と生まれていた。赤い目を輝かせた幻獣が、そこらじゅうの地面を抉りとって僕に飛ばしてくるからだ。
「触れずにモノを投げ飛ばすだけが能力か?もっとあるだろう」
背中に生やしたトゲを青白く光らせている幻獣に、通じるはずのない言葉を投げかける。自分でも、ちょっとどころではなくイラついているのがわかった。こんなふうに無駄口でも叩いていないと、さっさとこいつの頭を潰してしまいそうだ。
ようやく能力を解放したと思ったのに、なにを披露してくれるのかと思えば、そこらへんに転がっている石を飛ばしたり、地面に穴をあけたり……。僕は、どこか違う空間に飛ばされてしまった彼女の気配を必死に手繰り寄せながら、救出の糸口が掴めない状況への苛立ちを幻獣に当たり散らしている。
そんな地味な能力じゃなくて、もっと派手なやつを見せてみろ。僕の大切な人を消し去ったのと同じような手品をやってみせろ。
幻獣の脚に力が入らなくなってきている。そろそろ、肉体のダメージを回復してやるだけではその身体に力を込められなくなってきた。怒りと恐怖と混乱で、はじめのうちは興奮していたものの、子ども騙しみたいなマジックが僕には一切通用しないとみるや、幻獣は賢しくも投降しようとしている。
「諦めるなよ!」
幻獣と自分を転送クロスで包み込み、島の上空三百メートルくらいの位置に転送する。そのまま落下しつつ、落下の速度が最高に達した瞬間に、地面から数十センチのところへもう一度転送する。全身の骨格がぐにゃぐにゃになった幻獣の身体を完璧に修復し、反撃の手を緩めようとする幻獣の頭を殴りつけた。
こいつはもう、だめだ。
一般市民を巻き込んでしまっている。これ以上は付き合っていられない。僕の任務は幻獣の捕獲だけど、ひとつの島の人間をまるごと消してしまっているのだから、今回は緊急事態ということでいいだろう。
僕は、幻獣の脳に干渉することにした。
脳に干渉して、僕が幻獣の代わりにその能力を行使する。そんなことをしたら幻獣は死んでしまうけれど、仕方ない。僕のミスで百人単位の人間が消滅させられたままだなんて、許されるはずないだろう。なによりも、僕は彼女を巻き込んでしまった。ちょっとくらいルール違反してでも、僕はあの"親切な人間"を助け出さなければならない。
僕はこいつを殺す。
たぶん、極めて個人的な目的のために。捕獲して故郷の幻獣保護管理局に送っても、幻獣が生きている限りはその能力を探ることはできない。だから、いまここで、幻獣を殺してでも消された人間を救う。そのことについてのペナルティは、いまは考えないことにした。
「悪く思うな」
もはや抵抗しようとしない幻獣の頭に触れる。幻獣の動きは緩慢で、大人しく、されるがままだ。ぎょろぎょろ動き回っていた赤い目も、自分がいまからなにをされるのか、僕の行動を探っているようにじっと動かない。まさか、殺されるとは思っていないだろう。
幻獣に触れた指先に精神を集中させる。そこから伝わってくる幻獣の体温、呼吸、心臓の鼓動に、自分のリズムをあわせる。
少しずつ、無抵抗な幻獣の精神を支配していく。指先が熱をもって、ゆっくりと相互のエネルギーを同質化させていく。指先から、精神と精神がつながっていく。物体と物体とをつなぐ物質的なエネルギー。それらが張り巡らせる網目をすり抜けて、精神と精神をつなぐエネルギーは頭蓋を透過。やがて脳髄、神経の一本一本を正確に手繰り寄せていって、僕は幻獣を形作り、動かしているものの中心へと辿り着いた。
やがて、完全に幻獣のコントロールを握ろうかという頃、僕は世界が歪んでいることに気がつく。周囲を見回すと、四方をコンクリートの打ちっぱなしのような灰色の壁に囲まれていた。そこには島の緑も、カフェもない。完全に無機質な空間。
先ほどまで立っていた人間の世界とは違う、妙にむずむずする、居心地の悪い世界。そこで僕は、彼女の気配をとても強く感じた。自らの死を感じ取った幻獣が、ついに最後の能力を解放したようだ。
動く気配のない幻獣の頭に手を置いたまま、この世界を動きまわる気配を読み取る。数百人の人間。鴻嶋卿徒。それから、この世界全体を覆っている巨大な意志。
そいつが、この世界の親玉であり、ここに転がっている幻獣の本性だ。
―――
こんにちは、はじめまして。中ノ瀬姫です。卿徒くんがお世話になりました。
そう言って、お姫様は人懐こい笑顔で私に頭を下げた。左側の前髪を花の飾りがついたヘアピンで留め、肩にかかるくらいの長さで整えられたセミロングの栗色が、頭の動きにあわせて柔らかく揺れる。鴻嶋がメキシコでのいきさつを説明すると、まだ十七歳だという彼女はすんなりと納得してくれたのだ。
「どうも……」
私も、ちょっとの戸惑いを強引に押し込んで挨拶する。てっきり、鴻嶋が恋人のことをニックネームとしてお姫様と呼んでいるのだと思っていたのに、まさか姫ってのが本名だとは。
それに、彼女のほうは鴻嶋にべったりだけど、彼は冷めすぎじゃないか?全身がくっつくくらいのハグにも軽く腕をまわすだけだし、表情も変わらないし。口調も優しいとはいえ、さっき車の中で私と話していたときとそんなに変わらない。
「さて、ここで再会できたのはいいけど、これからどうしようか」
まとわりつく姫ちゃんを軽く離して、こんなことを言い出す始末。
鴻嶋は、とにかくスカイツリーから出てみよう、と、さっさと歩き出してしまう。姫ちゃんが急いでそれに従うので、私も軽く駆け足で追いかけた。隣に並ぶと、姫ちゃんは私より少し小さい。ふと目が合ったかと思えば、彼女はごく自然に微笑みかけてくれる。可愛いけれど、その笑顔は年齢よりも少しだけ幼く見えた。
途中、私が抱えていた高橋さんのリュックサックを鴻嶋が受け取ってくれて、そのまま三人で車に乗り込む。私たちを乗せた車は、押上駅前から、また目的のないドライブに走り出した。
さて、本当にどうしたものか。
助手席に座る権利は姫ちゃんに譲り、私は後部座席でのびのびとこれからのことを考える。目の前でふたりが色々と話し込んでいるのをぼんやりと眺め、私はサンタさんのことを思い浮かべた。彼は今ごろ、地元で保護しているという危険な動物を捕まえようと頑張っているのだろうか。私がいなくなって、ちょっとは慌ててくれているかな。こんなことになって、本当に申し訳ない。私がわがままを言わなければ、お仕事だってもっとすんなり終わっていただろうに。
「びっくりしたんだよ?卿徒くん、また知らない女の子連れて歩いてるーって」
きっと、そのうち助けにきてくれるだろうから、その時にもう一度謝らないと。
「初めて会った女の子にはホイホイついていかないってこのまえ約束したばっかりなのにーって」
サンタさんは私のことを守ってくれるって言っていたし、この世界で大人しく待っていれば、きっとそのうち……。ちょっと待て。いま、前の座席から鴻嶋についてとんでもない情報がもたらされた気がする。
「え、なんて?」
私は思わず身を乗り出して、助手席で身体ごと鴻嶋の方を向いている姫ちゃんに尋ねる。
「この人って、そういう感じなの?」
「そうなの。この前だって、初対面の女の子についてって死にかけたんだから」
意地悪そうに口を尖らせて笑う姫ちゃんに、鴻嶋はため息をついて暗い声で返した。
「根に持つタイプなのは、先輩とそっくりだ」
「だってお姉ちゃんの妹だもの」
「姫ちゃん、お姉さんいるの?」
鴻嶋の言う"先輩"というのが姫ちゃんのお姉さん、で合ってるだろうか。
「うん、卿徒くんの元カノが私のお姉ちゃん」
「マジで!?」
これはかなり引くな、いや本当に。私は思わず、後部座席の背もたれに全身を預けるほど後ずさった。
「姉のあとに妹ッスか鴻嶋さん……」
どこで知り合ったのかは知らないけれど、恋人と別れてからその妹に手を出すなんて……。
「わかった。なにか全体的に勘違いされているようだから訂正しよう」
ハンドルを片手で握りながら、鴻嶋が後部座席の私に振り向く。
「僕とヒメは君が思ってるような関係じゃないし、ヒメのお姉さんと付き合ってたこともない」
「えぇー、傷つくなぁ」
「話がややこしくなるから、ヒメは少しのあいだ口を閉じておくんだ」
胸に手をあてて眉を寄せる姫ちゃんに素早くそう言って、鴻嶋はさらに続けた。
「それから、僕は初対面の女の子にのこのこついていくような人間じゃない」
「でも、実際死にかけたんでしょ?」
姫ちゃんに顔を向けて言うと、彼女は大きく頷く。鴻嶋はそれをみて、もう一度ため息をついた。
「僕が自分から望んでついていったわけじゃないし」
「そうだっけぇ?」
「ヒメ、まだ喋っちゃダメだ」
この人、なんだか必死だな。とりあえず、私はそれだけ思った。なんだ、この世界に来てからは頼りになるいい男だったけど、やっぱりメキシコでサンタさんにからかわれていたときの方が本当の姿らしい。仕事は出来るけど、私生活はだらしないタイプだ。
「とにかく、僕は君が思ってるよりもう少しマシな人間だ」
「そういうこと自分で言っちゃうんだね」
「卿徒くんてやっぱりどっかズレてるよね」
鴻嶋のため息。三回目。それから、鴻嶋はふっと息を吐いて、ハンドルを握り直した。なんだかんだ言って、姫ちゃんと再会したからほっとしているようだ。
そのまましばらく、また車を走らせる。風景も特に変化なし。延々と同じような風景が続く東京。相変わらず、人の姿は無し。
「ねぇ、これからどうするの?」
「どうしようかねぇ」
そんな風に言いつつも、特に慌てている様子のないふたりを眺めて、私も落ち着いて後部座席におさまっている。サンタさんがそのうち助けにきてくれる。はず。という希望的観測のもとに、だ。
きっと助けにきてくれる。守ってくれるって約束したから。窓の外を見ると、空からなにか人間のようなものが落ちてきている。ああ、あれがサンタさんだったらいいのに。ああやって空からやってきて、私たちを元の世界に連れ戻してくれたら……。
「さ、サンタさん!?」
だったらいいのにというか、あれは本当にサンタさんではないか?
私が後部座席の窓を開けて身を乗り出すので、鴻嶋が慌ててブレーキを踏む。
「どうしたの?」
停車した車から降りて、落下物に目を凝らす私。その視線を追い、鴻嶋も空から落ちてくるサンタさんらしき物体に気がついたようだ。
「……あれ、君の連れじゃないか?」
「だよね!あれサンタさんだよね!」
私の言葉に、鴻嶋は不思議そうな顔をする。
「サンタさん?」
そうか、彼にはサンタさんのことについてほとんど話していない。
「うん。あの人ね、サンタさんなんだよ」
―――
この世界は、人間の世界にとてもよく似ている。幻獣の支配下にあるとはいえ、僕が好きなように動き回っても何の妨害もない。それに、入ってきてしまえば、この不思議な世界の構造は実に単純なものであることがわかる。
「けっこう頑張ったのになぁ……」
溢れてくる脱力感を口から吐き出し、とりあえず、幻獣を殺害するなんてルール違反を犯さなくて済んだことにひとまずほっとしてから、この世界に送られた人間たちの無事を確認する。この世界全体を覆っている幻獣の気配はある一点に特に強くて、その場所にここのボスがいることは間違いない。しかも、そいつは自分を守るために小型の幻獣モドキみたいなのを何匹もはべらせているようだ。そこへ向かって幻獣を叩きのめす前に、僕は日本にいる迷子を三人ピックアップしていくことにした。
「サンタさぁーん!おーい!」
迷子の気配を追って、自分を日本の東京都墨田区上空に転送してからすぐ、大きな声で僕を呼ぶ人間に気づく。気配を感じ取ったり、目視で探したりするまでもなく、僕は目標を発見した。そこは、スカイツリーと呼ばれる超高層タワーから一キロほどの地点。人間にとっては、電波を飛ばすのにもこんなに大きな電波塔が必要だなんて、僕にはちょっと信じられないけれど、そこを丸ごと観光地にしてしまおうという人間の強引さは、けっこう好きだ。
「サンタさぁーん!」
動くものが全くない道路の真ん中で、停止している乗用車の隣に立ってこちらに手を振る人影。完全に僕の不注意から災難に巻き込んでしまった、"親切な人間"その人だ。彼女の隣には鴻嶋卿徒。乗用車のなかには、無事に再会できたらしい鴻嶋のパートナーがいる。
転送された高度から落下しつつ、そのままの勢いで地面から十メートルほどの高さにもう一度、上方向に飛び出すように自分を転送する。そうやって落下の勢いを殺しながら、三回ほどの転送を経て、僕は乗用車の前の道路に滑るように着地した。
「元気だった?大丈夫?」
彼女が駆け寄ってくる。離れてから何時間も経っていないのに、ものすごく久しぶりに会ったような気がした。幸いなことに、どこかを怪我していたりする様子もない。
「ごめんね、危ない目にあわせちゃった」
「うん、大丈夫。迷惑かけちゃってごめんね」
困ったように笑って、彼女は頭を下げた。僕はその肩に手をやり、頭を上げさせる。
「大丈夫。もうすぐ全部終わるからね」
ここまできたら、あと一息だ。あとは、この世界の親玉を叩きのめして、元の世界にみんなを連れて帰ればすべておしまい。戻ったら、向こうでノビている幻獣を僕の故郷に送ってしまえばいい。簡単に思い描けるし、実際にそう難しいことではない。そう考えられるくらい、僕には簡単なことだ。
「サンタさん、だって?」
これからの道順を考えていると、鴻嶋が呆れたような顔で話しかけてきた。彼は、僕が自分を"サンタクロース"と称していることがおかしくてたまらないらしい。僕のことを、自分と同じく、ちょっと厄介な能力を身につけているだけの人間だと思っているから。まさか、本当に本物のサンタさんだなんて思ってもいないんだから仕方ないけれど。
「サンタさんでーす、いえい」
何もない空間からリボンつきの箱を取り出す。もはやこれくらいじゃ驚いてもくれない。
「キミちゃんはいい子にしてたからプレゼントをあげよう。やったね!」
かわいいリボンで飾りつけられた箱を差し出すと、彼は眉ひとつ動かさずそれを受け取る。
「どうでもいいけど、帰れるのか?」
鴻嶋が箱を開けながら言う。
「もちろんだとも」という僕の答えと、箱の中身に、彼は不思議そうに呟いた。
「……なんでこんなもの持ってる?というか、使えるのか?」
彼へのプレゼントは無線機とタッチパネル式の小型デバイス、小さなアンテナ。それらがひとつにまとめられたウェアラブル端末。彼にとっては馴染み深いものだろう。彼と、車の中(持ち主がいないと分かれば車だろうとなんだろうと窃盗に躊躇いのない鴻嶋の行動力、さすが)でこちらを伺っている中ノ瀬姫にとっては。
鴻嶋の前で、僕は奇跡を起こしまくっている。頭の中を読んだり、身体を操作したり。そんなわけなので、僕がそこらへんにいる普通の人間よりはなんでもありな存在なことを察してくれたらしい。彼は「まあ、使えるんだろうな」と首を傾げながら、そのウェアラブル端末を左腕に取り付けた。
「何か手伝えることはないか?」
ウェアラブル端末のディスプレイを操作する鴻嶋が、車中の姫ちゃんを手招きして言う。
「手伝ってくれるの?」
「ここまできたら、首を突っ込んでおくのもいい経験だ」
もともと、今回はそういう仕事だし。自分たちだけでどうにかできないなら、せめてデータだけでも持ち帰っておきたい。そんな風に思っていても口には出さない。けれど僕には読まれている。ということまで理解している鴻嶋が、僕はかなり好きになってきた。面白い男だ。彼は左手で姫ちゃんの額に触れて、右手でウェアラブル端末を操作している。自分と姫ちゃんのデータを同期させて、細かい数値を端末に入力しているのだ。
「じゃあ、手伝ってもらっちゃおっと」
そう言いながら、僕は振り返った。
「君にもひとつお願いがあるんだ」
「え、私?」
彼女が素っ頓狂な声を出す。
「ごめんね、ちょっとパソコンいじってくれるだけでいいんだ」
「パソコン?」
「うん」
この世界の親玉を叩きのめしてやるには、そいつをガードしている幻獣モドキもなんとかしなけれぼならない。そのためには鴻嶋たちのサポートが必要で、彼らには、もうひとりのサポートが必要だ。
「いいけど、私パソコンとかちょっと……」
「大丈夫、大丈夫」
それくらい、僕にはお見通しだ。だけど、大丈夫。
「君のお手伝いは僕がするから」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。今回はもう、君から絶対に離れない」
本当に、もう危険な目にはあわせない。僕はそう言って、彼女の手を引いた。
「あ、ちょっと……」
僕の身体から少しだけ、僕の能力を分け与える。ほんの少しだけ。それでも、いまから三時間は不死身になるくらいの効果があった。経口での摂取になったのは、これが最速で効くからだ。でも、あまり嫌がってないみたいだからいいだろう。
口を離すと、彼女は惚けた顔で僕を見上げていた。
「これで君はもう大丈夫。強くなるおまじないだよ」
僕の声に意識を取り戻したのか、彼女はやや不服そうな微笑みを浮かべる。
「……いや、なんか飲まされたんだけど」
「そういうこともあります!気にしない!」
すると、彼女のやや弱い抗議の声と同時に、背中から咳払いが聞こえる。振り返ると、鴻嶋が本当に呆れた顔をしてこちらを見ていた。姫ちゃんの顔は真っ赤だ。
「そういうのは帰ってからやれ」
はいはい。鴻嶋に軽く手を振って、全員を盗品の国産セダンに誘導する。
「車で行くの?」
姫ちゃんの問いに頷く。
「楽チンだからね」
腑に落ちない顔の姫ちゃんも車に押し込み、僕はそれ全体を転送クロスで覆った。これで全員を一気に目的地まで送るのだ。
「シートベルト締めてねー」
クロスの外側から、転送で後部座席に乗り込み、隣に座る彼女のシートベルトをとめてやる。
「さ、あとちょっとでみんな帰れるよ!」
ここにいる四人と、メキシコの皆さんも一緒に。僕には、これから起こす全ての出来事の道筋が明確に見えている。油断でもなんでもなく、なにも問題はない。
全員のシートベルトを確認して、僕は車を転送した。
目的地は中国。北京にある、巨大な鳥の巣だ。
つづく




