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血まみれの十字架  作者: カズユキ
8/11

 栗島明が住んでいるのは赤煉瓦に白い木の縁取りが印象的に見える屋敷だった。住まいは広大だが、華美に走ってはいない。機能的な中に快適さを追及したものが窺え、そこで暮らす者の安心感を生み出すような何かがあった。

 屋敷の裏側には庭があり、美しい緑の芝生が見えた。それはきちんと刈り込まれ、手入れの行き届いた花壇には色とりどりの花が植わえてある。鳳仙花や朝顔に向日葵、そこには庭師の愛情が感じられた。

 昼の一時過ぎ、和弥はその屋敷を双眼鏡で眺めている。彼は既に栗島家のセキュリティについての情報も得ていた。屋敷のセキュリティはセラムという会社が請け負っている。屋敷の門扉の上にはセラムのシールが貼ってあった。

 確かにその住まいはセキュリティの専門家が設計した精巧な保安設備によって守られている。保安上のリスクになるものをほとんど排し、徹底した防犯体勢を敷いている。四メートルほどある外辺上部にはセンサー用の光ファイバー・ケーブルが隠されている。松の木や屋根の下部などには、六台もの防犯カメラが敷設してある。カメラは上下左右に動き、ズーム機能も備えている。侵入者が塀を越えた時点で、モーション・センサーが素早く警報を発する仕掛けだ。

「しかし、完全無欠の鉄壁というわけでもない」和弥の知り合いである元セラムの警備員、中山琢己が言う。「まず大きな門扉の横にあるドアだ。侵入するならそこからやるのが一番だろう」

「どうして?」

 和弥が不思議そうな顔になる。正面から入るとは考えていなかったからだ。

 いま二人は十階建てのマンションの屋上にいる。そこから栗島明の家がしっかりと見える。屋上の鍵はピッキングしたのだ。

「ドアにも警報装置が仕掛けてあるはずだ。だが、赤外線懐中電灯でドアの周囲を照らして、電線を見つけることができれば……」

「警報装置の電線か?」

「ああ」中山は屋敷を見つめたまま答える。「その電線に予備回路を接続したあと、上手に本物の電線をショートさせる」

「簡単にできるのか?」

 和弥はやや懐疑的だった。

「電線を繋ぎ直して、接続箇所をパテで隠すのはそれほど難しい作業じゃない」

 その口調には自信が窺える。

「そうすればドアをこじ開けても、警報は鳴らない?」

「そのとおり」

 中山は得意満面になる。

「協力してくれるか?」

「料金はちゃんと貰うぜ」

「ああ、わかってる」

 和弥は栗島明に近づく計略をめぐらしていた。まったく怪しまれずに、あの男と知り合いになれるチャンスを探している。それができれば、与党の幹事長がどういう人間なのか、見極めることができるかもしれない。そのためには下準備が必要だった。それを完璧にこなせば、道は十分に見えてくる。彼はそう考えていた。


 栗島明は今年の十月で還暦を迎える。しかし、外見はそのような年には見えなかった。表情はいつも明るさと厳しさの両方を湛えている。穏和な感じに見えるが、怒ると鋭い舌鋒で人を罵倒しそうな雰囲気もある。そしてそれは当たっていた。彼を知る人たちは基本的に栗島明はいい人だと口を揃える。それでも怖いという感じを持っている人も多くいるのは事実だった。

 栗島明は鼻梁の高いくっきりとした鼻をしている。黒い瞳はその中にある深い知性を感じさせるし、どこかやんちゃな子供っぽい輝きがあるようにも見える。その顔に刻まれた深い皺は目立つものだが、老けて見えるということはまったくない。だが、最近少々太り気味で、彼は自分でも気をつけようとは思っていた。あと一年も経てば贅肉の目立つ、締まりのない顔になりそうな予感がしていたからだ。

 栗島邸のリビングは華やかだった。白い地に濃紺の模様が織り出されたペルシァ絨毯の上には、座り心地の良さそうなヒモラの白い総革張りソファがある。その手前にはガラスのセンター・テーブルが見え、少し離れた所にはテレビボードに載った52V型のフルハイビジョンテレビがある。マホガニー材のハイチェストには上置きミラーや造花が載っている。壁紙は真っ白だった。そして、印象派の絵画が二幅、鮮やかな色彩でその存在感を誇示している。そのどちらもが柔らかい筆致で描かれており、均整や調和を重んじる芸術家としてのセンスが窺える物だった。天井にはシャンデリアがきらめいているし、窓には紫外線をカットする遮熱カーテンが引いてあった。窓際には観葉植物も見える。

 今日は九月五日で、気温も高く、部屋は冷房が効いていた。栗島の妻である美和子は三十八歳の中途半端な美人だった。彼女は垂れ目のせいで愛嬌があるように見える。しかし、それほど愛想のいい女ではない。陰険というほどではないが、損得で物を考える傾向が強く、物欲も旺盛だった。

 背は低いほうだが、美和子はいつでも威厳を湛えることのできる女である。そのうえシックな装いを好み、自分が艶やかな存在である、と周りに思わせたがる図太い神経の持ち主でもあった。

 彼女は今日、美しい首筋を際立てるため、茶色の豊かな髪を結い上げている。化粧はそこそこ厚く、光沢のあるアップルブレッドの口紅がその個性にアクセントをつけている。体の線も一見、細いように見えるが上手な着こなしと補正下着によって、上手く周囲を欺いていた。もう胸の張りは衰え、上腕部には柔らかな肉がつき始めている。それでも審美的な視点から捉えた場合、美和子が印象に残らないわけがない。無論、それは大半の女好きの男に限って言えるものではあるのだが。

「ねえ、あなた」

 彼女はリビングのソファに座って、プロ野球を観ている夫に声をかける。

「何だ?」

 栗島は上の空で返事をした。だから目はテレビに向いたままだ。

「さおりちゃんが来ましたよ」

 その瞬間、栗島は振り返って、妻の顔を見た。その背後には栗島明の姪である星出さおりが柔和な笑みを浮かべている。

「おお、さおり」

 栗島は姪のさおりを実の娘のようにかわいがっている。それは昔から今日まで変わることがない。彼はにこやかな表情になって、姪の近くに歩いて行く。さおりは一週間前、港区から杉並区に引っ越してきたばかりだった。

「今夜はステーキでも食べるか? 最高にうまいステーキを出す店を知ってるんだ」

「ええ、わたしステーキ好きですから」

 子供っぽい顔で彼女は答える。

「今日は由美子にも一緒に食事をしようと言っておいたから、夕方までには帰って来るはずだ」

「そうですか、最近由美子とも話をしてないから、楽しみです」

 栗島は嬉しそうにうなずく。

 星出さおりは本当に綺麗な女だった。年は由美子と同じで二十六歳。背は百六十三センチで高いほうではないが、すらりとした体なので、モデルのように見える。キュートな瞳とセクシーな唇には思わず目を瞠ってしまうものがある。そのうえ繊細な顎のラインには、感受性の強さが窺えた。綺麗に揃った歯や育ちの良さを感じさせる雰囲気には、際立った存在という言葉がぴったりと当てはまる。

 栗島は口を開こうとしたが、ためらった。何か聞きにくそうな感じに見える。が、彼を意を決した。

「つき合ってる男はいるのか? たしか去年の正月に会ったときにはいないと言っていたが……」

「ええ、今はいません。三カ月ぐらい前に別れましたから……」そこで言葉を切ったのは、次に言うべきことを頭で整理しようと思ったからだ。「優しい人だったんですけど、ちょっと頼りないところがあって……それに優柔不断だし……」

「うん、そうか……」わかるよ、という色を顔に表し、栗島はうなずく。「実はわたしの知り合いが結婚相手を探していてね」

「あなた」

 美和子がたしなめるように口を挟む。

「まあ、いいじゃないか」それは説得するような口調だった。次いでさおりのほうへと視線を戻す。「その男はいま経営コンサルティング会社を経営していてね  」

「伯父さん」さおりが軽く遮る。「わたしはまだ結婚する気はありません」きっぱりと言う。「それにお見合いをする気もないんです」

「そうか……」栗島は少し落ち込む。「でも金もあるし、ハンサムな男でもあるんだ」

「たとえそういう人でもお見合いをする気はないんです」

「好きな男がいるのか?」

「ええ、気になってる人はいます」

「そうか、なら仕方ないな」

 栗島はさばさばした感じになる。

「ねえ、さおりちゃん」美和子が明るく言った。さおりは美和子のほうに顔を向ける。「お腹空いてない? 美味しいケーキを買ってあるの」

 さおりは頬を緩めた。

「ええ、いただきます」

「あなたはどうします?」

 彼は真剣な表情になる。しばらく思案に耽った。

「いや、やめておこう」

「伯父さんもケーキ好きじゃなかった?」

 さおりが不思議そうな顔になる。

 美和子は興がるように口元をほころばせた。

「最近太り始めたから、気にしてるのよ」

 そんな美和子の言葉にさおりは一瞬目を丸くする。

「そうなんですか……」

「まあ、健康には気をつけんとな」

 栗島は曖昧に言葉を濁した。

 次の瞬間、二人の女はおかしそうに笑みを浮かべる。本当に愉快そうな表情だった。


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