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「喫茶店で栗島明の娘、由美子という名前なんですけど……その女が紀子に買ってやったネックレスとそっくりの物をつけているのを見たあと……そのあとを尾けたんです。女は浜田山の高級住宅街に向かいました。その一角に栗島明の家があって、女はその家に入りました。それから俺はいろいろと調べて、その女が栗島明の娘であることを突き止めたんです。彼女はいま二十六で、両親と一緒に暮らしています」そこで一息入れるため口をつぐむ。「そして一週間前の夜、俺は路上で仕事から帰ってくる彼女を待ち伏せしました。目出し棒をかぶって強盗を装ったんです。最初は金を出せ、と脅しました。もちろんナイフを見せて……。彼女は怖かったんでしょう。それにそれほど勇気のある女性でもなかったんだと思います。すぐに財布から万札を二枚取り出しました。俺はそれをひっつかむとそのネックレスも寄こせ、と言いました。彼女は最初ためらいましたが、ナイフで突き刺そうとすると、ようやくネックレスを俺に渡したんです」
「君はかなり無茶をするんだな」
「それ以外でネックレスが紀子の物かどうか確認する手段を思いつかなかったんです」
言い訳のように聞こえる。
「そしてネックレスは君の元奥さんの物だった」
「ええ、イニシャルがN・Kでした。俺と結婚していた時のイニシャルです」
「本当に栗島由美子はお父さんから貰ったと言っていたのか?」
「ええ、それはちゃんと聞きました」
「栗島明の妻の名前は知ってるのかな?」
「ええ、それもちゃんと調べましたよ。美和子です。ちなみに栗島明は一人っ子で女の従姉妹と姪はいるんですけどイニシャルは一致しません。そして彼の母親の名前は孝恵です。N・Kというイニシャルを持つ人間なんて栗島家にはいないんです。だから俺はあの教会で無惨な殺戮を行った人間が遺体からネックレスを奪った。それを栗島明は受け取り、娘に渡した」
和弥は得心顔ではなかった。むしろその反対の様子だ。
「いくらなんでもそれはないんじゃないかな」その言葉に菅野は反応を示さない。あらかじめ和弥が反論するだろうと予期していたのだ。「犯人がそんな物を奪う理由がわからない。君の推論だと犯人は栗島明に頼まれて、殺戮に手を染めたのだろう。なら遺体から何かを奪うなんてことをするだろうか」
その論拠はもっともだ。
「確かにそれは俺も考えました。しかし何らかの理由で犯人はネックレスを奪ったのかもしれない」
二人は話に夢中になっているため、料理に一切を口をつけていなかった。
「つまり君は、あの教会で起きたことは精神異常者による殺戮ではなく、楠田直也一人だけを狙った犯行だと言うんだね」
「ええ、そう思っています。警察は血に染められた十字架が現場に置いてあったことで、精神異常者の犯行か、もしくは相当強い恨みを抱いていた者の犯行ではないかと睨んでいるようです。でもあの教会で殺された人たち全員を恨んでいた人間なんていないそうです。
基本的に殺された人たちはみんなあの教会でしか接点がないんです。それに教会自体を恨んでいた人間も今のところ見つかっていません」
「ならなおさらおかしいじゃないか」和弥は思案するように言う。「精神異常者の犯行に見せかけて楠田直也だけでなく、それ以外の人間をも殺害させた。子供まで含めてね……。それなのに遺体から、ネックレスを奪って来いなんて、そんなことを栗島明が指示するだろうか。まずあり得ないと思う」
「実行犯が勝手にやったことかもしれない」
「そして栗島明はその実行犯が持ってきたネックレスを受け取って娘にやった?」
菅野は微かに肩をすくめる。
「まあ、確かに妙だとは思いますけど……」
「栗島明は教会での犯行には関わっていないのかもしれない」菅野は一瞬むっとなる。和弥はそれには構わず言葉を継いだ。「ただ遺体からネックレスを奪った犯人、もしくはその関係者からそのネックレスをプレゼントのような形で貰って、それを娘にやっただけなのかもしれない」
「……まあ、可能性としてはそっちのほうがあるかもしれませんが……」菅野は納得できない様子だ。「でもインサイダー取引の件が……」
「君はどうしてその情報をつかめたんだ?」
そこでふと気づく。和弥は料理が冷めかけていることに。彼はサーモンとほうれん草のクリームソースを口にした。美味しいので満足げな表情を浮かべる。
「実は俺の知り合いに検事がいるんです」その言下、和弥は相手を凝視した。次いで納得した様子になる。「その男は東京地検で検事をやっています。そいつが教えてくれたんです」
「いくら知り合いとは言え、よくそんな情報を君に漏らしたな」
和弥は感想を述べたが、どんな答えが返ってくるのかは何となく予想できた。
「俺の娘が殺されたんですよ。俺は部外者じゃないんです」
その声音には憤りがにじんでいる。
「でも栗島明が疑われているなんてニュースは聞いた覚えがないぞ」
「検察は慎重に捜査をしています。それに証拠が一切ないんです。今の段階では逮捕するのは無理とのことです」
「検察が調べてるんなら、探偵を雇う必要なんてないじゃないか」
「相手は与党の幹事長なんですよ。俺の知り合いの検事に話を聞いた限りでは、証拠がつかめそうにないとのことです。だから俺は自分であの男が捕まるよう、何かしたいんです」
「それは嘘だな」
「え?」
菅野は物怪顔になる。完全に虚をつかれた人間の表情だ。
「インサイダー取引の情報がもし検察に伝わったのなら、それだけでも、栗島明に任意での事情聴取を要請するはずだ。楠田直也は口封じのために殺されたかもしれないんだぞ。そんなことを検察が放っておくわけがない。君は検事に知り合いがいると言ったが、それは嘘だ。東京地検にそんな情報なんて流れていないはずだ」そこで和弥は一拍おく。「なら君はどうしてインサイダー取引の情報を知っていたのか……それともその話自体が嘘なのか……」
和弥はもう口をつぐんだ。あとは菅野の反応を待つだけでいい。
「……すみません」彼は本当にすまなさそうな表情を見せる。「確かにインサイダー取引の情報は嘘です。でも栗島明の娘のことや、ネックレスの話は本当です。どうして嘘をついたのかと言うと、栗島明がどうして俺の元妻のネックレスを手に入れることができたのか、それがわからないからなんです。彼が誰かにやらせたのだとしたら、それ相応の理由があるはず。でもそれがわからないんです。それで探偵会社にちゃんと調べてもらうために……」
彼はそれ以上、言葉を継がなかった。
「栗島明の娘とネックレスの話だけでは、取り合ってくれないと思った?」
「ええ、ネックレスはイニシャルが同じということを除けば、この世に一つしかないという物ではありません。それにイニシャルだって、もしかしたら偶然紀子のと一緒だった女性がつけていただけかもしれない。そんなふうに言われたら、俺には返す言葉がありません。何と言っても栗島明は大物の政治家です。そんな彼を殺人の教唆犯と疑っている。だから彼のことを調べてほしいなんて言っても……」
またそこで口をつぐむ。菅野はかなり思い詰めた表情をしていた。目には真剣な色が漲っている。
「まあ、確かに栗島の娘とネックレスの話だけでは、正直取り合う気にはならないだろう」和弥の顔にははっきりと理解と相手の気持ちを思いやる色が浮かんでいる。「君は栗島の娘とネックレスのことを警察にも話したの?」
「まずネックレスの指紋鑑定をアール・アンド・ワイという会社にやってもらいました。その結果、紀子の指紋は検出されませんでした」
「彼女の指紋はどうやって?」
「俺はまだ紀子と暮らしていた家に住んでいます。紀子がいらないと言って、家を出て行く時、残して行ったCDやDVDが何枚か残っていたんです」
「じゃあ、警察には行かなかった?」
「いえ、いちおう行きましたよ。栗島由美子が、紀子が身につけていたと思われるネックレスを持っている。殺された紀子のネックレスと同じ物をどうして栗島幹事長の娘が手に入れることができたのか、それを調べてほしいと……」そこで無念そうな表情が浮かぶ。「でも取り合ってはくれませんでした」
まあそうだろうな、と和弥は思った。
「君は栗島明本人にネックレスについて聞いたみたの?」
「まさか」彼は即座に言う。「相手を警戒させるだけですよ。それに栗島の娘から目出し棒を被って、金とネックレスを奪ったのが俺であるとあの男に告げるようなものです」
「まあ、確かにそうだね」
「だからもう俺には探偵に頼るしかないんです」
「ネックレスが君の元妻の物だったと確信している?」
「ええ、俺はそう思っています」
菅野は和弥の目を力強く見返す。
「……わかった。栗島明のことを調査しよう」
「ほんとですか」
菅野は喜んだ。嬉しげな表情で和弥を見つめる。
「ああ、できるだけのことをやってみるよ」
和弥はきっぱりと請け合った。
その日を境に菅野悟の人生だけではなく、佐光和弥の人生もまた変化の道を辿り始める。ついに運命の歯車が回り始めたのだ。これを切っ掛けに、無惨な死を遂げた人たちの魂が少しでも救われる可能性が見えてきた。教会での殺戮は何のためだったのか。どうして罪のない人たちが、子供まで含めて、凶弾に倒れなければならなかったのか。しかも、教会という神聖な場所で。彼らは天に召されただろうが、犯人やそれに関わった人物は決して天国を知ることはないだろう。その凶行に関わった者たちには地獄という言葉がふさわしいからだ。