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#01「僕の日常」-3


 ――午前八時四十八分。


 教卓前の明日花は顔を赤くする。

 教室内には、カリカリと筆記用具の発する神経質な音だけがあった。

 依然、ミニテストは続いている。


 難問を前にして、テスト用紙も頭も真っ白な状態の明日花の妄想だったのだ。時間をタップリと残してはいるが、全くのお手上げ状態の明日花は、メカニカルペンシルを右手親指の上でクルリと回す。

 横目で亮輔の姿を確認した。テストが早く終わったのか、窓の外の景色を眺めていた。

 反対に前の席の円香は、時間いっぱいまで往生際悪く戦い抜く心構えを見せていた。前方の席の、男子の答案用紙をのぞこうとしている。


「亮輔が悪いんだから!」

 ――明日花は心の中で叫ぶ。


 二日前、亮輔の部屋を訪問したときに飾ってあったのが、これらのモデルガンだった。その事をうっかりと尋ねたら、嬉々とした表情であれこれ説明してきたのだ。

 武装したテロリストが教室を襲撃して……。

 嗚呼、情けない。自分の幼稚な妄想力に、もう一度赤面する明日花だった。左手で赤い顔を覆う。



 ――午後零時十五分。

 昼休み。


 明日花の周りには、いつもの三人が集まる。

 校庭の隅、美里市を見渡せる眺めの良い芝生には、木製のベンチが備え付けてあった。隣にはすっかりと葉だけになった桜の木々が、初夏の風に揺れていた。

「彩里ちゃんのお弁当は、毎度美味しそう♪」

 購買でパンを買い込んだ円香だったが、彩里の用意した重箱から卵焼きを摘んで食べ始める。

「ささ、明日花さん遠慮無く!」

 彩里に薦められたが、明日花は箸を迷わせていた。本来はマナー違反だが、弁当のおかずが美味しそうで、どれから箸を付けて良いのか本当に逡巡してるのだ。色味にも工夫があって、眼福でもある。


「どれどれ?」

 左手で大きな刻みわかめのおむすびを頬張っていた亮輔が、エビフライを箸で掴んで尻尾ごと一口で食べてしまう。

「お兄ちゃん! 明日花さんの感想が欲しいの!」

 彩里は兄に向けてプリプリと怒り出した。毎度の事なので慣れきった亮輔は、今度はミートボールを箸先に刺して、次々と口に送り込んでいた。

「美味しい……ホント、今度お料理教えてね」

 お重の一角、里芋とレンコンとニンジンとを甘辛く煮た、煮染めを食べた明日花の感想だった。お母さんの味だと思っていた。


 同じく幼くして母親を亡くした明日花も、お袋の味を知らずに過ごしたのだった。小さい頃には食していたかも知れないが、記憶には残っていない。

「彩里ちゃんは今すぐお嫁さんに行けるよ! 何なら、あたしの家に来ないかい?」

 円香は彩里に抱きついた。円香の大きめの胸を、彩里の小さな顔に押しつける。

 その様子をガン見する亮輔。

 彼は円香の「自称」Dカップの胸に心が揺れているのだ。


 そんな三人の様子を眺める明日花。彼女は左手を、小さめな胸の上に置いていた。


 一人だけ場違いだ。明日花は――いつもの疎外感を味わっていた。

 亮輔と彩里の兄妹とは、この街に引っ越して、お隣同士になって以来の幼馴染みだ。そしてその輪に、中学から加わったのが円香。明るくて誰とも簡単に打ち解けられる円香は、あっという間に自分たちの関係に浸食してきた。

 今では、四人の結び付きの中心に存在する。

 うらやましい……そして、


 ――妬ましい。


 明日花は自分の気持ちに気が付いて、首を振る。亮輔と円香の二人には、絶対に知られてはならない、負の感情。

「明日花さん! いなり寿司も食べて下さい。お花見には行けなかったでしょ。その時に作ろうと考えていたんです」

 彩里が、お重の一番下の段を明日花に差し出して来た。いなり寿司が綺麗にギッチリと並べられている。


 お花見……。

 春休みに、この四人で学校の桜を眺めに行く約束をした。だが、当日になって亮輔と円香が行けなくなったと、相次いでキャンセルの連絡を入れて来た。


 そして、その翌日。


 円香の細くて白い首もとには、新しいアクセサリーが飾られていた。嬉しそうにソレを指で確認する円香の顔。

 亮輔が、ネックレスを円香に買ってプレゼントしたのだ。明日花は確信した。



「お、コッチも美味いな」

 亮輔は指で摘んで、いなり寿司を食べる。丁寧に煮込まれた油揚げから、したたり出る煮汁。親指と人差し指に付いていた汁を、しっかりと舐め取っていた。

「もう! お兄ちゃん、行儀が悪い!」


 彩里は明日花に向けて、お寿司を箸で摘んで差し出して来た。手で受けようとしたが、彼女が顔まで差し出して来た。顔面に掛かった少し茶色い髪の毛を指で拭って、いなり寿司を口で迎える。少し小さめに作ってあった。具だくさんの五目いなりは、桜の花びらの塩漬けが混ざっている。少し、しょっぱかった。


 ――あの時の涙の味だ。


 でも、今は幸せ。みんな良い人たち。

 明日花は三人の顔を見る。皆、笑顔だった。嬉しくなり視線を遠くに移す。



 美里市の全景が見渡せる抜群のロケーションだった。

 この美里市は四方を高い山に囲まれた、大きめの盆地である。この場所に八十万人以上の人々が暮らす。県内でも指折りの中核都市だ。

 遠くの山々が霞んで見える。淡いグラデーションのレイヤーが重ねられた、人工的な風景にも思える。


 美里市――明日花の世界の全て。

 明日花が記憶するに、一度もこの街から出ていない。


「あの山の向こうには何があるんだろ……」

 明日花がポツリと言葉を漏らす。亮輔は慌てた様子で、彼女の顔を見た。

「そ、そうだよな。小学校と中学校の修学旅行は、両方共に病欠だもんな」

 亮輔が取り繕うように言った。

「そうだっけ?」

 珍しいモノでも見るように、円香は明日花に視線を向ける。


「私って、大きなイベントごとがある時は、決まって高熱を出すんです……」

 明日花はボソボソと元気なく言い、うつむく。

「でも、美里市外から引っ越してきたんでしょ?」

 彩里が明日花に尋ねる。

「うん……だけど、その頃の事はあんまり覚えていないんだ……」

 明日花は、視線をグラウンドの方向に移す。男子生徒の何人かが、遠くからコチラの方をうかがっているのに気が付く。



 彼らの目的は、目の前でコロコロと鈴のように笑う彩里なのだ。同性の明日花が見ても、ウットリするほどの美少女だと思う。

 校則で肩より長い髪は禁じられているので、黒髪を頭の横で二つに縛っている。そして、陶器のようにきめ細かい白い肌は薄くて、皮下の血管が透けて見えそうだった。

 パッチリとした大きな目に小さめの鼻と口。テレビで見た西洋の陶器人形の容貌が、そこにはあった。


 彩里ちゃんは、お母さん似だな――そんな感想を持つ明日花だった。亮輔の部屋で見せられた家族のアルバム。その中の美人の母親。

 隣に座る亮輔を見る。全てが芸術作品的な美少女の妹と違い、少し無骨な輪郭ではある。その中に場違いな端整な顔が収まる。骨格は父親の豪大に似ているのだが、顔立ちは母親の面影を湛えていた。妙にアンバランスだけど、それでいて安心の出来る顔。


 明日花の好きな人。


 亮輔の隣の人物を見る。明日花の最大のライバル――綿奈部円香は、彩里とは正反対のタイプの美少女、いや、美人だった。

 肩までの栗色の毛髪は、天然なのか軽くウェーブしている。髪の毛と同色の眉毛と長い睫毛……瞳の色も一緒だった。

 鼻も高くて彫りの深い、エキゾチックな顔立ちだった。大きめで、少し厚い唇が熱情を感じさせる。

 胸も大きくてスタイルが良い。小さな頭に手足も長くて、将来はファッションモデルも可能だと、明日花は思っていた。


 学校で美少女コンテストが開催されたなら、目の前の二人の女子高校生がワンツー・フィニッシュを飾ることだろう。いや、美里市でもトップクラスだ。


 それに比べて自分は……。

 髪の毛を一束摘んで見る。少しだけ茶色く染めてある。黒髪の重い印象を変えるための、少しだけの冒険だった。

 もちろん校則違反だ。その時に、銀縁の眼鏡をコンタクトに替えた。亮輔はその事をしきりに指摘して来たが、髪の毛の色の違いには最後まで気が付いてくれなかった。

 ソバカスだらけの顔を赤くする。コンプレックスでいたたまれない――明日花の偽らざる気持ちだった。



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