#09「僕と彼女の黙示録」-1
――午後二時五十分。
美里タワー、二四○六号室。
「――誰も死んじゃ、ダメェエエエエエ!!!!!」
石波良明日花は、死にゆく紙屋亮輔を前にして叫んでいた。
「「願ったな」」
マリヤとアレクサンドルの姉弟が、手を繋いだままそろって言った。
「え?」
明日花は二人を見る。神々しいまでの表情。二人の中に眠る存在の言葉。
「……かっはっあ!」
その時。死にゆく定めであった亮輔が呼吸を始めた。ゆっくりと胸が上下して、青白かった顔に赤みがさしてくる。
「亮輔! よかったぁ! 亮輔……」
駆け寄り、彼の手を握る明日花。
「あ、明日花……無事か……」
「ぶ、無事か、じゃないよ! 心配したんだから! 亮輔は、死にそうになっていたのよ! 撃たれて瀕死の状態だった。それをマリヤちゃんたちが……。あ、そのマリヤちゃんは?」
室内を見渡す。赤い絨毯上に、ポツンと横たわる黒いセーラー服を認めた。
明日花と亮輔は急ぎ寄って、傍らに立つ。
「マ…………」
言葉を失い、その場に膝から崩れ落ちる明日花。首をうな垂れる。髪の毛が顔に掛かる。
「マリヤ、お前……」
亮輔は、セーラー服を着る小さな体を抱きかかえる。頭から、綺麗で長い銀髪がごっそりと抜け落ちた。
「ああ……ああ……あああ」
取り乱す明日花の顔がわななく。歯の根が合わず、ガチガチと音を立てる。両目から大量に涙が流れ出す。
「……すまない……明日花。驚かせた……怖がらせた……」
発せられたのは、老婆のしわがれた声だった。
「……ううん、マリヤちゃん。怖がってなんて、ないんだよ」
明日花は優しく、老婆の手を握る。皺だらけで骨と皮だけだった。マリヤの苦労の跡が見える手の皺を、明日花の柔らかな指の腹でなぞる。
「……ありがとう。でも……さよならだ」
「マリヤ……ちゃん?」
顔を見る。教科書の写真で見た、強制収容所の老婆の容貌。全体が皺だらけで、目は深く落ち込んで窪んでいる。ようやく見開かれた青い宝石……今は白く濁っていた。あの少年の目と一緒だった。
「……明日花、ありがとう。短い間だったが……楽しかった。一生分の思い出を……もらった。亮輔と幸せに……」
「おい! マリヤ! しっかりしろ! いつもみたいに、俺にイジワルな言葉を投げかけてみせろよ!」
亮輔も、マリヤの手を取り涙を流す。
彼女はそちらの方向へ、ゆっくりと首を動かす。
「……亮輔、すまない。明日花は、よい娘だ。一生、面倒を見てやれ」
「…………うん、わかってるさ」
号泣する亮輔。本当は泣き虫の彼。明日花が見ているにもかかわらず、大粒の涙を次々と流していく。
「……泣くな亮輔、明日花。オマエたちは、マリヤのために泣いてくれるのだな」
彼の頭に、弱々しく手を乗せる。
二人は涙を流しながら、何度も頷く。
「……さようなら亮輔。そして明日花……生まれ変わったら……また……」
明日花に向けて、皺だらけの顔で微笑んだ。
亮輔の頭に乗せた手が落ちた。
「明日花、見るんじゃない!」
ゆっくりとマリヤの遺骸を床に置き、立ち上がった亮輔は、明日花を抱きしめる。
百年以上生きた存在。
その間に刻まれていた苦難が、一気にマリヤ・ドリナに襲いかかる。
「ううん、大丈夫。見届けるの……マリヤちゃんの生涯」
あっという間に骨だけに変わる。そして、全てが消え去った。
明日花は床に残された、小さなセーラー服を取り上げて、愛おしげに抱きしめる。
「……マリヤ」
背後の高い位置から声がした、明日花は驚いて振り返る。
「……ボクの目が……お姉ちゃん……ありがとう……そして、さようなら」
長身の銀髪の女性、ナターリャ・イワノワの胸に抱き抱えられている。マリヤの双子の弟。
「目が、見えるようになったんですね」
明日花は、しわくちゃになった小さな老人に微笑みかける。瞳を見る。綺麗な青色の宝石だった。
そして、腹部を射貫かれて瀕死の状態だった副司令は回復していた。
白いシャツに開いた焦げ穴の下、皮膚は再生を終えて傷口が塞がっていた。
「……ああ、手術は成功していたんだ。マリヤは醜い老婆の姿だったが、始めて見たけど美しかった。」
「司令、ワタシの顔はどうですか? 始めて見るんでしょう」
ナターリャは優しく微笑みかける。
「ああ、相変わらずに大きな胸だ。胸が邪魔で、見えないや」
「そうですか」
ナターリャは、強く抱きしめて司令にキスをする。
長い長い――大人のキスだった――目撃した明日花は、顔を赤くする。
「キスは……初めてだな」
「そうですか……奇遇ですね。私も初めてです……」
アレクサンドルの顔に涙が掛かる。抱きしめられていた彼は顔を上げた。
「……キミは、想像の通りに醜いな。ストレートでしなやかな銀色の髪の毛に、日焼けに弱い、透き通るような白い肌。ちょこんと上を向いた小さくて可愛い鼻。化粧をしてないのに、ピンク色に艶やかに光る唇……全く、キミは醜い存在だよ、匂いで分かる。芳醇な花の香り……始めて嗅いだ匂いだな。これは、ラフレシアなのかい?」
「司令は、イジワルです……」
強く抱きしめる。
「……イタイ、イタイよ。そうだ、外の世界を見せてくれないかい? キミみたいに醜悪なんだろ」
「エエ」
窓際にゆっくりと進むナターリャ。散らばったガラス片を踏みしめながら、ゆっくりと歩く。
窓ガラスを失い、大きく開け放たれたバルコニーに出る。
眼前に広がる風景。風が渡る。二人の髪の毛が揺れる。
「……ああ、青い空、白い雲、緑の山々、飛ぶ小鳥たち、街に住まう人々……何て素晴らしくて、醜い世界なんだ……」
「司令、ずっとアナタにお仕えしていて、私は幸せでした。アナタの意思、父の遺志、ずっとずっと守っていきます」
副司令も顔を上げて、美里市の風景を目に焼き付ける。
「オイ! 司令さんよ、俺たちはどうすれば……」
眼を赤くし、泣きはらしていた亮輔は、涙を拭きながら踏み出して尋ねる。
「……彼氏クンは、マリヤの能力を授けられた。ナターリャにはボクの能力。不老不死の絶対再生能力で、チョットやソットの傷なんかは簡単に治る。でも、やがてキミたちは、ボクらを恨むことになるんだろうね。彼氏クン! チートな能力の影には、こんな裏が隠されているんだよ」
彼は弱々しく言って、右手を上げる。
「オイお前、大丈夫か?」
亮輔は心配して声を掛ける。
「……マリヤは、様々な人体実験を受けた。何度も何度も体中を切り刻まれて、薬物や細菌を投入された。その点、ボクはお気楽な方さ。爆殺が三回に、機関銃で蜂の巣にされたのが八回……」
「九回です」
ナターリャがすかさず修正を入れる。
「……そうだっけ、昔の話だからね。でもボクにも、もうじきお迎えが来る。その前に、彼氏クンには進むべき道筋を示そう」
小さくて痩せた手が、亮輔に伸びる。
「道筋とは、何だ?」
優しく手を取る亮輔。
「……明日花さんを守り抜くんだ。彼女は切り札――ジョーカーでワイルドカード――なのに、バカなヤツらはそれを理解していないんだな。彼氏クン、キミには超・超・超困難な任務の遂行も可能だよ。不老不死の能力を得たんだ。あ、そろそろ体に変化が起こった頃じゃナイ?」
亮輔に顔を向け、その後、彼を抱くナターリャを見つめる。
「痛みが消えた。それに――」
亮輔は、自分の右胸を押さえる。亀裂骨折していた胸の鈍痛が治まったのだ。
「――なんだ? 口の中に異物が……」
彼は自分の口中に指を入れ、ゴロゴロとした大きな物体を取り出す。銀色に鈍く光る固まり。
「これは銀歯よね、亮輔?」
後ろから明日花がのぞき込み、言った。
「……それは、虫歯に被せた金属冠だね。不老不死を得て、六十兆の全身の細胞が活性化され、欠損した部分も再生される。治療の為に削られた歯、そいつも復活するんだ。ナターリャにも変化はあるかい?」
「ええ、目が――」
そう言って司令をゆっくりと降ろし、両目のコンタクトレンズを外す。彼女は、人前に出る時以外は眼鏡を着用している。
「――ピアスの穴も閉じました」
副司令は右の耳たぶを押さえる。任務中はアクセサリを外しているのだ。
「……視力も元に戻る。眼球の水晶体の厚さが元に戻るんだ。開いた穴も塞がってしまう。これは、生まれたときからの先天的な異常には適用されないよ。だから、見えない目は見えないまま、聞こえない耳は聞こえないまま。手術しても元に戻る」
少年はゆっくりと部屋に戻り、ソファーに腰掛ける。クッションの上にガラス片が乗っていたので手で払っていた。動きは老人の緩慢さがあった。真っ直ぐに立っているだけでも、疲れるのだろう。
「傷も無くなっている」
亮輔は、まくっている袖からのぞく腕を見る。
「亮輔は、銃で撃たれていた。その時の怪我も無くなっているの」
明日花は亮輔に寄り添う。心配そうに彼の体を触っていた。
「……ああ、彼氏クン。キミへのプレゼントだ」
司令のアレクサンドル・ドリナは指をパチンと鳴らす真似をした。指の擦れる乾いた音がしただけだった。
「おっと……」
亮輔は天井から振ってきた物体を、慌てて両手で受ける。
「……ナターリャも……キミが『銀髪の殺人鬼』の異名を誇っていた頃を思い出すね。十年前、ジュニア・ハイスクール時代の通り名だったね」
副司令のナターリャ・イワノワも大きな物体を胸で受けた。
「これは……」
巨乳の彼女の、緑色の目が光る。アメリカ製のM60機関銃だ。7・62ミリNATO弾を使用した重機関銃。
「……M61徹甲弾を1000発用意した」
ドサリと大量の弾丸の装填された金属製のベルトが落ちてきた。楽々とソレを受け止める『銀髪の殺人鬼』は、ニヤリと笑う。鮫の口のように歯を見せて、残虐な表情を見せる。これが彼女の本性なのだ。
「私はこの武器で、このフロアを守りきります。来たる敵はミンチにし、ハンバーグにしてみせます。紙屋亮輔さん、ご両親は屋上に向かいました。屋上にはオスプレイに乗った兵員が降下しています。紙屋亮輔さんは、石波良明日花さんを守って学校に向かって下さい。学校は、約束の場所。ブラックホークは健在ですので、それをご使用下さい」
100発の弾丸の装填されたベルトを両肩に5本ずつ、たすき掛けに担ぐナターリャ。女ソルジャーの誕生だ。
「分かった!」
亮輔も二つの拳銃ホルスターを胸にセットする。ワルサーP99とベレッタM93Rだ。予備の弾倉も持つ。背中には、大ぶりなスペツナズナイフを装着する。
「……彼氏クン。美里市の郊外では陸上防衛軍の特殊レンジャー部隊が、極秘に訓練中だったんだ。不格好なティルトローター機を見てピンと来たよ。オスプレイは導入したばっかりで、兵員の輸送に使う予定だった。隠密活動中の部隊をわざわざ呼んだのは、第七師団・師団長の福永 浩一郎中将だね。伏兵を用意するとは生意気だね。そうそう、彼も『ジェイド』のメンバーさ」
「ええ……」
ナターリャは肯定後、ゆっくりと室外に出て行く。
タイトなスカートの裾は破られていて、大股で歩いて行く。
「明日花、屋上に向かうぞ! コレを持ってろ。護身用だ」
「う、うん。亮輔……」
渡されたのはスイス製のSIG・P220拳銃だった。明日花はソレを持ち、キョロキョロと部屋を見渡しながら、亮輔に続く。
使い方が分からない――明日花は不安な気持ちのままだった。




