#07「蒼ざめた彼女」-4
◆◇◆
――午前十一時五十分。
美里ヶ丘高校、体育館。
「アレ……電気が復旧したのね……」
意識を取り戻した生徒会長の小祝碧は、寝かされたまま体育館の天井を見上げる。照明が点灯していた。延長コードに繋がれた大型扇風機から風が送られている。とても、心地が良かった。
「お、おいちゃん! 気が付いたの」
副会長の大凹真岡の顔が覗いた。
「か、顔が近い!!」
小さな手で、小学校時代からの相棒の細長い顔をどける。その時、彼女に膝枕をされていたと気が付く。
「状況は?」
ゆっくりと体を起こし、体育館の中を見渡す。その時に、額から水に濡された布が落ちた。拾い上げるとそれは、真岡の愛用する可愛いキャラのプリントされたハンカチだった。
碧はハンカチを大事に胸に抱く。
「おいちゃんが気を失った後、一時間もしないウチに電気が復旧したの。現在は、体育館に設置されているエアコンを稼働中。でも、広いから冷房効果が薄いので扇風機を持ってきさせたの。気分が悪くなっても動ける生徒は、校舎のエアコンのある教室に移動させた」
「賢明な判断です、副会長」
そう言って高い位置にある真岡の頭頂部に小さな手を乗せた。
「よいしょっと……」
気合いを入れる意味で、声を出して立ち上がる。扇風機の横にあったミネラルウォーターのボトルを取り上げた。
まだ、頭がフラフラして足元が覚束ない。ユラユラと歩いて、体育館の壁に辿り着く。マリヤが射殺された時の血の跡を触る。
黒ずんでいた血痕は、サラサラと砂のように崩れて消えてしまった。
ペットボトルの蓋を開けて、中味をグビグビと飲み尽くす。
「あの二人は、どこかに行ってしまったのよね。モカ」
振り返り、副会長に聞く。
「そうです。おいちゃん」
すっかりと、あだ名で呼び合う昔のスタイルに戻ってしまった。
体育館の中も、生徒の姿は減っていた。校舎棟の教室にはエアコンが設置してある。涼しげな教室で今頃は……。
「グゥー……」
碧のお腹が鳴った。生徒たちも昼食をとっているのだろう。
「お昼にしましょうか? 会長の分のお弁当も教室にあります」
真岡の言葉を聞き、会長の碧は顔を赤くする。
「そうね……」
会長が言った時だった。
体育館の床に、丸い黒い影が見えた。それが徐々に大きくなる。
「あ! 石波良明日花!」
碧は大声を発し、明日花とマリヤの二人を指差す。
「マ、マ、マ……」
頭の半分を失った銀髪少女が、にこやかに立っていて恐怖する。小祝碧の、黒のパンストをはいている膝がガクガクと震えていた。
中味が空の、ペットボトルを取り落とす。
「マリヤは生きているぞ」
意地悪そうな笑顔を生徒会長に向ける。
「ガラッ!」
体育館の扉が勢いよく開いた。
「失礼するよ」
入ってきたのは福永 浩一郎中将であった。警護として三人の兵士を連れている。
「マリヤちゃん、後ろに下がって!」
明日花は銀髪少女の前に立ち、両手を広げマリヤに危害が及ぶのを防ごうとした。
「オマエが、石波良明日花だったな」
「そうです!」
尋ねられ、毅然とした態度で答える。
「こうなったら、直接の談判だ。命令には無かったが、命には替えられない。我々を元の場所に戻してもらいたいのだ」
中将は低い声で言い、拳銃を明日花に向ける。
「そ、そんなことを言われましても……」
実際、困っていた。元に帰れるのなら、とっくに元の地球に帰りたいと考えている。
「オマエが願えば、我々の滞在する美里市は、本来存在する宇宙へと戻ると聞かされた」
拳銃の安全装置を解除し、撃鉄を親指で起こす。
「願う……って、具体的にどうすれば良いのか分からないんです」
正直に話す。両手を胸の前に持ってきて、訴える。
「そうか」
諦めたのか? 拳銃の銃口は他を向く。
「え?」
狙う先は、副会長の大凹真岡だった。本人が驚く。
「バン!」
目の前で大きな音がして、生徒会長の小祝碧は身をすくめた。
「何で……」
言葉を残し、腹部を手で押さえ大凹真岡はゆっくりと体育館の床に崩れる。
「モカ! モカァ!」
「ど、どうして!」
碧と明日花の声が同時に響く。
「我々の願いを聞き届けて頂きたい。いや、いや! これは命令だ。俺たちを、元居た世界に戻せ!」
福永中将は、今度は明日花に拳銃を向ける。
「どうしてこんな事をするんですか! 関係ない人を巻き込んで」
明日花が叫ぶ。
「オマエが拒めば、無関係な人々が死ぬ」
引きつった笑いを浮かべる中将。
「モカ、モカ! アンタ、しっかりするのよ!」
生徒会長の声が、体育館に空しく響く。
「……お、おいちゃん。ちょっとヤバイかも」
青ざめた顔の副会長はそう言い、口の端から一筋血を流す。
「モカ! 待ってて、救急車を……」
「外部への連絡は不可だ!」
今度は、拳銃の先が小祝碧に向く。
「し、師団長! 射殺対象者以外の無抵抗な市民への発砲は、我々には聞かされていません。例え、命令違反で、軍規違反であっても我々は拒みます!」
部下の一人が、上司である師団長に小銃の狙いを定める。
「き、キサマ!」
「カチッ」
部下に向け、拳銃の引き金を引いたが、発砲されなかった。
――午後零時零分。
「師団長! あなたを拘束します!」
「何だと!」
上司と部下、双方が発砲を試みるも弾丸は射出されなかった。
「クソッ、クソ野郎がぁ!」
口汚く部下を罵り、拳銃を相手に投げつけた。しかしよけられて、体育館の床を回転しながら滑る。倒れている副会長の傍らで停まった。
「銃……」
意識が薄れゆく相棒。その右手を握っていた会長の小祝は、P220を手に取る。
「福永浩一郎! 抵抗してないで床に両手を付け! 四つん這いになるんだ!」
三人から、銃剣付きの小銃を向けられ観念する。
「武装を解除せよ」
副官だった人物が、元の上官の頭を床に押しつける。福永の胸にあったナイフを取り上げて、光る刃先を見つめる。
「なにやってんの! 人が、モカが、い、今にも死にそうになってんのよ!」
小祝碧の叫声が、広い空間全体に響く。
体育館内の全員が、そちらに向く。
「そうです! その人を拘束するより、怪我人を! 重傷者の治療を!」
明日花も大きな声を発していた。武装した男たちに向け、精一杯の主張をする。
「分かった、衛生兵を向かわせる。簡易の手術施設を搭載した車両がある。その子を、そちらに搬送しよう」
新しい責任者が、ヘルメットを脱いで二人の少女に頭を下げる。
頭頂部がU字型に禿げ上がった中年男性だ。だが、温和そうな目尻の皺を見て明日花は安心する。約束は守ってくれそうだ。
――午後零時十五分。
「モカ……」
左腕に赤十字の腕章をした二人の兵士が、担架に乗せて大凹真岡を外へと運び出す。
小祝は付き添いを申し出たが、医師を兼ねている上等兵に断られてしまった。
ただ、相棒を見送ってつぶやくだけだった。
「会長さん。今は、副会長の手術の成功を祈りましょう」
明日花は、小祝の小さな肩に右手を乗せる。
「クソッ! そんな事をしている暇はないぞキサマら! 早く、その石波良明日花に命令して、我々を元の世界に戻させるんだ! 取り返しの付かない事態が迫っているぞ!」
後ろ手に手錠させられた、元の師団長が叫ぶ。三人の兵士に周囲を囲まれていた。
「ね、石波良さん。あの男は何を言ってるの? この事態は、アナタの所為なの?」
ゆっくりと振り返った会長の小祝碧。彼女は大事そうに、胸に拳銃を抱えていた。
「か、会長さん!?」
明日花は驚いて、体を半歩引く。
「明日花……」
隣にいたマリヤは、会長の前に立つ。
「色々なことがありすぎて、頭が混乱している。アナタを生徒会に誘うようにとアタシに進言したのは、モカなの。モカは何かを知ってるわ……アナタを引き込めば、自分たちの陣営に有利になるって……」
「陣営?」
「明日花、耳を貸すな」
小祝の前に、両手を上げて立ちふさがるマリヤ。
「会長さん。この異常な出来事が私の責任なら、そうかも知れません。時々夢を見るんです。目を覚ましているから、白日夢? 事態は段々と酷くなっているんです。これが、私の見ている夢ならば、早く醒めて欲しいと願っているの。マリヤちゃんが撃たれてしまった。副会長さんも……。ねぇ! どうすればいいの! こんな狂った世界は、間違ってる! こんな世界なんて、壊れて……」
「やめろ! 明日花! やめるんだ!」
体育館の入口。紙屋亮輔が現れて叫ぶ。明日花の言葉をさえぎっていた。
「……りょ、亮輔? どうしたの? その姿……」
制服のグレーのブレザーに大量の血が付いていた。彼の顔にも血しぶきが認められる。そして彼が右手に持つ、血の滴る日本刀――。
「ああ、驚かせてすまない。脱出するのに手間取った。大丈夫だ、俺は怪我をしていない」
真っ赤になっている上着を脱いで、床に捨てる。
「変よ、みんな変! これは夢よ、夢なのよ! ねえ亮輔、その血はどうしたの? その刀はなんなの? まるで人でも……殺してきたのかしら!」
最後の方は、大声で叫ぶ明日花。亮輔の異様な姿に恐怖する彼女。
自分の肩を抱き、固まる。
「明日花、落ち着け」
「そうだ、落ち着くんだ明日花」
マリヤと亮輔とが一緒に呼びかけるが、彼女は聞く耳を持たない。
――その時。
爆音を聞いた。暴風がグラウンドで巻き起こり、体育館の中に砂埃と共に入って来る。
「ヘリ!?」
亮輔が振り返り叫ぶ。
体育館内の防衛軍兵士たちが、一斉にその方向の扉に向かう。
「防衛軍のブラックホーク……。魔女、紙屋 美里亜が現れたのか!」
銀髪の少女は、長い髪の毛をたなびかせて校庭を指差す。マリヤ・ドリナの顔は険しくなっていた。
迷彩柄のヘリは、グラウンド上で混乱する兵士たちを尻目に、悠々と着陸する。機体に入っている「陸上防衛軍」の白い文字と赤い丸が目に映える。
「ヘリによる増援は、聞いて無いぞ!」
現在の責任者、大平 久太大佐は無線機に向けて叫ぶ。パイロットとの交信を試みるが、応答はない。
「親父、彩里……」
二人の人物が相次いで降り立った。亮輔は、体育館からグラウンドに向けてゆっくりと歩き出した。
剥き出しの日本刀を右肩に担ぐ。
「え? 彩里ちゃん?」
少し落ち着きを取り戻した明日花もそちらを向く。
「うむ……」
マリヤは口を横一文字に結んで、覚悟を見せる。
「亮輔……」
グラウンド上。陸上用のトラックの部分で、彼と父親が対峙する。
明日花は心配そうに二人を見つめる。胸の前で両手を重ねる。決して父子の感動の再会では無さそうだ。
「親父、何を考えてる!」
日本刀を中段で構える亮輔。
「フン! お前には関係が無い。用があるのは、明日花さんだけだ!」
紙屋豪大は、胸のホルスターから二本の特殊警棒を取りだし、手首のスナップを効かして長く伸ばす。左右の手にそれぞれを持ち、構える。二刀流だ。
「…………」
二人の様子を、両腕を抱えて無言で見つめる紙屋彩里……否、紙屋美里亜だった。少し離れた場所に立つ。
明日花は、氷のように冷たい目――印象を持つ。
「親父、明日花に何の用だ?」
父親に切っ先を向ける。
「亮輔、わしを誰だと思ってる? 剣道七段の腕前に加えて――」
警棒をクロスして腰を落とす。特殊な構えをとる豪大。
「――警備会社主催の特殊警棒術の格闘大会で、五年連続優勝して殿堂入りしたんだ。わしの実力を知っておるだろう」
ニヤリと不敵に笑う。無精髭が更に伸びていた。
「いいのか? コチラは正真正銘の真剣だ。自分の父親を怪我させたくない」
「何を、生意気を言う小僧! 身の程を知れ!」
瞬間、二人の間合いが縮まった。
「く……」
そう発して、地面に崩れ落ちたのは亮輔の方だった。
父親は息子の太刀筋を冷静に読み、左手の警棒で受けて、右警棒のグリップ部で後頭部を攻撃していた。瞬時に、二人の体の位置が入れ替わっている。
明日花が瞬きをする、僅かの間の決着だった。
「亮輔!」
駆け寄ろうとする彼女の腕を掴むマリヤ。
「やめておけ、逆らえない」
ゆっくりと彩里が歩いてきた。二人の少女の眼前で立ち止まる。
ヘリのホバリングが続いているので、彩里の短い黒スカートがひらひらと揺らめく。
「明日花さん、我々に同行を願いたいのです。マリヤ・ドリナ、アナタもだ」
「彩里ちゃん?」
毅然過ぎる態度に驚きの表情を向ける。
「コチラの女は、彩里ではない。母親の美里亜だ」
マリヤの言葉。
――母親?
明日花には、アルバムで見ただけの顔写真の記憶が蘇る。
「同行を願いたい!」
再びきつく言われ、従う明日花。「フッ」――と諦めの笑みを浮かべる。
「亮輔……」
グラウンドにうつぶせで気絶している、明日花の大好きな人。
「魔女よ、マリヤは喉が渇いた。紅茶を所望する」
長い銀髪を押さえる青い眼の少女。彩里顔の美里亜の横に並び、ヘリの方を向いて話す。
「善処します」
美里亜は、二人の少女をヘリに乗せる。ブラックホークは、車輪を地面から5センチほど浮かせて中空で停止していた。
パイロットの武藤 夏織の、神業的操縦術技術であった。
「発進してくれ!」
最後に乗り込んだ豪大は、周囲を確認した後、扉を閉めて操縦士に伝えた。
◆◇◆
――午後零時三十分。
美里市上空、500メートル。
「美里市の周囲は、2000メートル級の山塊が覆っています。この高度だと、全景は見渡せませんが――」
後ろ向きに座る美里亜が、窓の外を手で示す。豪大は副操縦席に座っていた。
「――アナタも見せられたのでしょう、そちらの大天使様に……」
美里亜は、向かいに座る明日花を笑顔で見てからマリヤに視線を移す。魔女と呼ばれた事に対する、意趣返しだった。
「ええ、この街全体が他の星に送られてしまった。この世界は、私たちのいる宇宙とは違うのですね」
「そうです。死に際の私がそう願いました。ハイ、紅茶です。私の趣味をよくご存じで……マリヤさん」
赤いチェック柄の古い水筒……内部がガラスで出来ている魔法瓶タイプの古風な保温容器。それを取りだした。可愛い水筒――明日花は思っていた。
「マリヤがお前に会ったのは、十年前か? その時は、デンマーク製の陶磁器のティーセットで迎えられた」
「出会ったのは十二年前です。彩里は良くできた娘なの。こんな古い品も、捨てずに取っておいてくれた。夫との思い出の品なのよ、二人であの山にピクニックに出かけた」
美里亜は、遠景の山を指差した。
そして水筒の蓋を開け、スチール製の軍用のカップに中味を注ぐ。明日花の方に向いて微笑んで、差し出す。
良い香り――明日花は紅茶の匂いを嗅いで、少し気分が落ち着いた。少しだけの日常を取り戻す。亮輔の部屋を訪問した時に、彩里が入れてくれた紅茶。その時と同じ香りだった。猫舌であるので、息で冷ましてゆっくりと飲み出す。
そして、上目遣いに美里亜の顔を見る。彼女の方は、懐かしそうに水筒の縁を指で撫でていた。
「紅茶の趣味も、変わらないな」
マリヤも勧められ、一口含んでいた。西洋人特有の、大きな鼻腔内で香りを堪能している。
「ロシアンティーの方がよろしかったかしら? 上等なコケモモのジャムは用意してないのでね」
美里亜はカップを兼ねた蓋に、中味の琥珀色の液体を自分で入れていた。白い湯気が立つ。タップリと注ぎ込む。
「お、美味しいよ、彩里ちゃん」
目の前の人物に、思わず笑顔を向けていた。明日花にとっては、目の前の黒いセーラー服の少女は、あくまでも彩里なのだ。いつものごとく、味の感想を返していた。
「よかったわ」
笑顔をもらい、顔を赤くする明日花だった。
「マリヤに、何の用事なのだ?」
窓の外を眺めている銀髪の少女は、そのままの姿勢で尋ねる。
「アナタには目撃者になって欲しい。全てを目撃して、後世に伝えて欲しい。最悪、この中で生き残ることが出来るのは、アナタだけかも知れない」
「え?」
驚くのは明日花だった。
――自分の死。
考えた事が無かったわけではない。
最近に、身近に起こった数々の事件。佐冬三鈴の事故死。目の前で撃たれたマリヤ、大凹真岡。そして、数々の白日夢。
多くの惨状を目撃をしたが、どれもが現実だとは思えなかった。
「どこに向かうのだ?」
「面会してもらいたい人物がいます」
市内をグルリと回って、美里タワーのヘリポートが眼下に見える。無駄に遊覧飛行をしていた。時間稼ぎのためだと知る。
マリヤと美里亜との顔を交互に見る明日花。
面会? ――不安でしょうがない。
「亮輔……」
学校の方向を見てつぶやく。彼を、置いてけぼりにしてしまっていた。




