#07「蒼ざめた彼女」-1
――午前九時四十五分。
県立美里ヶ丘高校、体育館。
一発の銃声の後、壁に貼り付く大量の血液と脳漿。
「ドシャリ!」
左側頭部の大部分を失ったマリヤ・ドリナは、受け身も取れずにそのまま真後ろに倒れる。
「! ! !」
一部始終を目撃した石波良明日花は、声にならない悲鳴を上げていた。
これは白日夢だ。よくある幻覚だ。
手で顔を押さえ、目をきつく瞑る。
ここ最近は、特に酷くなっていた。目を開けば、いつもの様に悪態を吐いてくる生意気な少女の顔があるはずだ。
ゆっくりと、目を開く。
同時に血の匂いと火薬の匂いとが、漂って来た。
――紛れもない現実だった。
目にしたのは、拳銃を手にした迷彩服の男が、横たわるマリヤの脇腹を蹴り上げる場面だった。少女から、反応は全く返って来ない。
――許せなかった。
猛烈に、怒りの感情が湧いた。
自分がどんな顔をしていたのか分からない。気が付いたら少女の血だらけの体の上に被さっていた。
「何をするんですか! いったいマリヤちゃんが、何をしたというんですか!」
涙声で、大声で叫んでいた。
「石波良明日花だな……。我々に同行願いたい」
迷彩服の中年男性が、彼女に拳銃を向ける。
「な、な、な、何が起こったの?」
目を点にした、県立美里ヶ丘高校生徒会長、小祝碧が周囲を見渡す。
「おいちゃん……何か、様子が変です」
隣の副会長、大凹真岡は真剣な表情となり、隣の相棒の脇腹を小突く。
「な、なんで防衛軍が、あの生意気外人娘を射殺するの? ねえ? 何が起こっているの?」
呆けた顔を、隣に向ける。
「あまり、大声を立てない。刺激すると、害意がこちらに向く」
副会長は、幼馴染みの会長を小さな声で叱っていた。聞き分けの無い子供を躾けるように……。
「待て!」
体育館に声が響く。この声は……。
「亮輔!」
明日花は、声の方向に顔を上げ叫ぶ。彼は無事だった――でも、安心出来うる状況などではないと理解している。
「明日花! 無事か?」
「私はいいの! マリヤちゃんが……マリヤちゃんが! どうしてこんな事を……取り返しの付かない事を!」
目の前に立つ戦闘服姿の男たちに、抗議の意味で大きな声を出す。大きく手振りをして、惨状の不条理さを訴える。
「落ち着け、石波良明日花」
直ぐ近くで声がした。周囲をキョロキョロと見渡す。
「?」
「マリヤ・ドリナは無事だ」
「!?」
予測もしない下からの声。覆い被さっていた少女の顔を見た。死んだと思えた彼女の右目が開かれる。血だらけの顔でニヤリと笑っていた。しかし、頭の左半分は失われたままだ。
「マリヤ……ちゃん?」
驚いて、彼女の身体から離れる。
途端、周囲が真っ暗になる。
「今のワタシは、マリヤでは無い。マリヤの体の中に、生き続ける存在。心配ない、マリヤはワタシと同じく不老不死の存在だ」
「不老不死?」
「そうだ、マリヤ・ドリナは歳を取らない。眠ることも無い。本来は、食事も必要が無い。誰かに望まれて……いや、大勢の誰かの希望がマリヤの存在を作り上げた」
「じゃあ、マリヤちゃんの言ってた事は、本当だったのね……」
優しく彼女の頭を撫でる。既に、剥き出しの脳の左半分が再生を終えていた。
「少し、話がある。オマエ、石波良明日花の秘密だ」
「私の秘密?」
そう言って周囲を見渡した。真っ暗で、何も無い空間。先ほどまで、体育館で大勢がひしめき合っていた。その人々が居ない。亮輔も居なくなっていた。
◆◇◆
――午前九時五十八分。
県立美里ヶ丘高校、体育館。
「き、消えたァ!?」
小祝会長の素っ頓狂な声が響く。語尾が裏返っていた。
「か、会長! これはどういったトリック……」
普段はおっとりしている大凹副会長も、珍しく慌てていた。
目の前で石波良明日花とマリヤ・ドリナが忽然と姿を消したのだ。
「師団長、目標の二人をロストしました」
防衛軍の兵員の一人が、福永中将に敬礼をしながら報告する。
「そんなことは、見れば分かる! 言われなくても理解している!」
苛立ちながら体育館の床を蹴り、唾を吐き捨てる。
「し、神聖な学校の施設に何てことするの! ふがが……」
「お、おいちゃん……」
プリプリと怒りを露わにして、防衛軍の幹部将校に食って掛かる会長を、後ろから羽交い締めにして、口を塞ぐ副会長。
「ふがが、ふがががが……」
今度は息が出来るようにと、鼻を塞がない工夫する。口を覆われた方は、口汚い言葉で罵っていることが分かる。
「明日花……マリヤ……」
「仕方無い! その男を拘束しろ!」
扉の外から、一連の様子を驚愕の表情で見ていた紙屋亮輔。その彼を指差す福永中将。
いつの間にか体育館周辺を、防衛軍の兵士が数多く囲んでいた。皆が完全武装である。
小銃を、無抵抗の生徒たちに向ける。
「くっ……」
四人の兵士から89式5・56ミリ小銃で狙われ、観念した亮輔は両手を上げる。
「武装を解除せよ!」
命令を受けた二人の兵員が、亮輔の制服の下から多くの武器を取り上げる。
「な、何アイツ! 学校にまでモデルガンを持ち込んでいるの?」
小祝が確認出来ただけでも、ワルサーP99とベレッタM93Rの二丁の拳銃と、四本の予備弾倉があった。それにスペツナズナイフと、二本の特殊警棒が床に並ぶ。
ミリタリーオタクでサバゲーが趣味の小祝は、全てを判別出来た。
「本物でしょうか?」
「そんなワケ……」
大凹の言葉を否定しようとするが、兵士たちが慎重に扱う様を見て、実銃であると確信する。
「ゴクリ……」
音を立てて唾を飲む、小祝生徒会長。
体育館内の不穏な空気を感じて、一緒に言葉を飲み込んでいた。
小祝のつぶらな瞳に映る、数々の異様な光景。
体育館の壁に貼り付いたマリヤの血は、黒く変色を始めていた。
生徒たちの顔を見る。女生徒は酷く怯えて、隣り合う者同士で抱き合っていた。仕方の無いことだろう。何の非もない少女が、目の前で問答無用で射殺されたのだ。
扉近くで、床に這いつくばり頭を押さえつけられている紙屋亮輔。
背中に両手を回させられて、手首を縛り上げられていた。
彼は、この高校でも人気の高い男子だ。下級生の女子が、携帯電話のカメラで盗み撮りして、キャイキャイ騒いでいる姿を何度も目撃していた。そんな彼が、哀れで惨めな格好にされている。
扉の外に視線を移す。
戦車、装甲車が並び、輸送トラックから次々と降り立つ武装兵員たち。
グラウンドの表面は、太陽が強く照りつけてギラギラと輝いていた。体育館の中はいっそう暑くなって来たと感じる。
真夏のような気温が、皆を襲う。男子生徒の多くは制服のブレザーを脱いで、首元のネクタイを緩める。汗でシャツが濡れて、肌に貼り付いていた。
小祝碧も喉の渇きを覚える。
「あ、あのう、チョッといいですか……?」
遠慮がちに小さな手を挙げて、師団長に発言の許可を求める。
「何だね!」
振り返り、ヘルメットを少し上げて聞いてきた。苛立つ彼の額から、汗が滝のように流れていた。厳しい訓練を積んでいるベテラン兵士なのだろうが、憔悴しきった表情にも見えた。
白髪の交じった無精髭、厳つい顔が自分の方を向いたので、ビクッと肩を上げる生徒会長だった。
「せ、生徒たちに水の支給を許可できませんか? 体育館のステージ下に緊急用に備蓄されたペットボトルのミネラルウォーターがあります。それに、トイレに行きたい人たちにも許可を……。負傷している生徒には治療を……」
生徒会長としての責務を感じて、恐怖を振り払い発言する。
いつもの高飛車で生意気な雰囲気は消えていた。
小祝は体育館ステージ横の高い位置の時計を見上げる。
――午前十時二分。
今日は、長い一日になりそうだ。上げていた右手の甲で、額の汗を拭う。
「よろしい、多少は行動の自由を認めよう。校舎内に立ち入るのも許可する。だが、学校の敷地外への移動は認めない」
福永中将は言い切って、大股で体育館の外に出る。
胸のポケットから、タバコを取りだして、オイルライターで火を付けた。
「モカちゃん。各、クラス委員に指示を出して……」
副会長に言伝して、ユラユラとステージまで歩く。段差を背にして、体を預ける。酷く疲れてしまった。
キビキビとよく働く、幼馴染みの背中を見る。
何でアタシ、こんな場所にいるんだろ。異常だよね――そんなことを思いながら、高い天井を見る。
「ドサッ」
大きな音を聞いた。
「キャア」
「生徒会長が倒れたぞ!」
「おいちゃん! しっかり!」
――生徒会長は、アタシだ。それに「おいちゃん」と呼ぶな。ああ、木の床はまだ冷たくて気持ち良いな――小祝碧は走り回る生徒たちの足元を見ながら、意識を失った。




