#06「彼女と僕のラブストーリー」-3
◆◇◆
時間は少し戻る。
――午前八時五十分。
県立美里ヶ丘高校、正面玄関。
「親父!」
生徒用下駄箱の横で、来客用のスリッパに履き替えるアレクサンドル・ドリナ。それを献身的に手伝うナターリャ・イワノワ。前屈みになって、大きな胸が垂れ下がっていた。
視線をそらした亮輔は、その二人の傍らに立つ、父親の紙屋豪大に呼びかける。
「何だ、亮輔! 何故、任務を忘れる。持ち場を離れる!」
鋭い眼光で睨みつけられ、叱責されていた。任務とは、石波良明日花の身辺警護の事だ。彼女に、つかず離れずの位置が亮輔の持ち場だ。
「二年三組のクラスには、警護担当が五名いる。おまけにマリヤも、明日花にベッタリとくっついている。彼女は、特殊な存在なんだろ!」
銀髪の少年を見て怒鳴るように言った。
「あはは、普段のマリヤには何の力もないよ。まあ、拳銃の弾除けぐらいにはなるかな……」
アレクサンドルは、光のない瞳を亮輔に向ける。ペタペタと大きめのスリッパを引きずって、二三歩近づいた。
「司令、急ぎましょう。もうすぐ約束のお時間です」
傍らの副司令、グレースーツ姿のナターリャが盲目の少年の小さな手を取って即す。タイトなスカートに包まれた大きなお尻が、歩く度に揺れている。
「待て、話がある!」
亮輔は二人の後ろから叫ぶ。
「昨日のことは知っているよな。明日花が襲われた。それにより、身辺警護担当の女の子が死んだ……明日花も酷く落ち込んだんだ。彼女の精神が不安定になるのは、もっとも避けたい事象のはずだ。何をしているんだ、最高司令官さんよ! そして、親父! ハッキリ言ってアンタたちの失態だろ! 俺がその場に居たら、防げていた。それで、親友を亡くして彩里は……」
振り返って父親を見る。そうだ、その彩里だ。
「彩里! お前はどうしてここにいる! 朝早く学校に向かったはずじゃないのか? それとも、三鈴ちゃんの家に行ったのか? 何故、コイツらと一緒に行動する。どうしてだ?」
豪大の後ろに、ひっそりと立っている妹に声を掛ける。呼びかけても、背中を向けたままだった。
「亮輔。アナタは、司令に副司令、そして父親に対して極めて不遜で無礼な口を利くのですね」
黒いセーラー服の少女は、ゆっくりと振り返る。短めのスカートが、可憐に揺れていた。
そして、兄を哀れむような目で見る彩里だった。
「あ、彩里……お前……」
「亮輔、誰に対して『お前』と呼ぶのですか?」
妹の体全体から、異様な気配を感じた。それによって湧き上がるのは、恐怖に繋がる黒い感情だ。亮輔は制服の下で総毛立ち、自分の肩を抱く。覚えのある遠い感覚。
娘とはいえ、似てくるものなのか――懐かしいが、封印したい記憶。
「か、母さん……母さんなのか?」
ゆっくりと崩れ落ちて、膝を付く。
「アナタ。息子の躾けを、誤りましたね」
豪大に向けて叱責する。声は確かに彩里そのものだった。しかし口調は、亮輔がもっとも恐れていた存在……。
豪大は答えず、横を向く。
「彩里を……自分の実の娘をどうしたんだ! 母さん!」
力をふるい言葉を出す。呼びかける声が少し震えていた。
「母に意見するのですか? 彩里は極めて有能で優秀ですが、心根が弱すぎます。それを優しいとも表現しますが、母は認めません!」
一喝されて、首をすくめる。幼い亮輔に格闘技全般を教え込んだのは、母の美里亜だった。
体中に傷を作っても、遠慮のない母親。
家族への愛など、子供に一つも注いだ事のない冷酷な人。
むしろ父親の豪大から、人の道を教えられた。寡黙だが、息子と娘をしっかりと育てていてくれた。
「か、母さん。いったいどうなってるんだ? 説明してくれ! 彩里を、どこにやった!」
「それが、人にものを聞く態度ですか――亮輔! 姿勢を正しなさい!」
「くっ……」
更に責め立てられて、床に両手を突く。ピカピカに磨かれているプラスチック製の床材に、自分の顔がぼんやりと写っていた。その上にボタボタと落ちる大量の汗――勝てない。絶対に勝てない相手なのだ。
「母さん、せめて体を彩里に返して下さい。お願いです」
床に額を付ける。そこは固くて冷たかった。
「あの子は、母の背中の影に逃げ込みました。あの子なりに悩んでいたのですよ。望まない任務を強要されて、母の仇の石波良夫妻の娘を守らなければならないという――矛盾」
「仇? 明日花の両親が……ですか?」
顔を上げ、苦しそうに聞く。しかし、始めて耳にする話だった。
「美里亜! もう、いいだろ」
右手をかざして、豪大が遮った。
「これから、その明日花さんの命運が決まるわ。アナタ、それに司令と副司令も校長室に向かいましょう。一分の遅刻だわ。市長さんも来られているのよね。警察署長も……」
彩里――の姿の母親が、玄関に掲げられている時計を見上げた。
――午前九時一分。
「ミシッ!」
「パリン!」
「ビシッ!」
校舎全体から軋む音がした。続いて玄関の大きなガラスにヒビが入り、何カ所かで落ちて割れる音。そして、校舎一階の壁に亀裂が入る。
「何だ?」
亮輔は、玄関奧の吹き抜けの中庭からのぞく空を見上げた。
「司令、こちらへ」
「美里亜、こっちだ!」
ナターリャと豪大が、それぞれのパートナーの手を無理矢理と引っ張り、玄関を正面から見て、右隣にある学生食堂へと逃げ込んだ。
「親父!」
「お前は、明日花さんの元に……」
豪大の声が途中で途切れる。大きな縦揺れがこの場所を、否、美里市全域を襲っていた。
「キャア」
珍しく慌てふためいた副司令のナターリャ・イワノワが、アレクサンドル・ドリナを抱きしめたまま、食堂のテーブル下に逃げ込んだ。
「アハハ! 始まったわ!」
天井を見上げてクルリと回った、黒いセーラー服姿の少女。
「美里亜! 危ない!」
豪大は、少女の体を抱えて食堂のキッチンに飛び込む。
途端、床が回転する。
亮輔は玄関の床に這いつくばったまま、ドミノ倒しのように倒れていく下駄箱の群れを見る。生徒たちの靴や上履きがバラバラと落ちて行き、コロコロと転がっている。
「ドシャッ!」
その時、学生食堂の天井が崩れ落ちる。モウモウとした暗い灰色の煙が玄関にまで押し寄せてきた。
「親父……」
呆然と見つめた時だった。
「ゴキ!!」
大きな破壊音と共に、振動が襲ってきた。学生食堂とは反対の方向、玄関からの短い渡り廊下の先、教室棟とは違う学校の建物、特別棟。
そこの一階部分が押しつぶされていた。破断された場所が丸見えになっていた。鉄筋コンクリートの建物の鉄骨部分が、折れ曲がり剥き出しになっている。
「亮輔! 無事か?」
警備会社の青色の制服を真っ白にして、セーラー服の少女を抱えた豪大が出てくる。
言った後に、盛大に咳き込んでいた。ホコリを肺の奧にまで吸い込んでいたのだ。
「いや全く、ヤル事が派手だね」
銀髪長身の女性に、お姫様抱っこされていたアレクサンドルが言う。こちらは、学食の中で一番頑丈な大テーブルの下に逃げ込んでいたのだった。
彼は、優しく玄関の床に降ろされる。
「司令、これでは面会が不可能かと思われます」
副官の言葉を聞き、少年はニヤリと笑う。
「どういった状況かい? 目の見えないボクにも、詳しく説明してくれないかな」
「校長室、職員室のある建物の一階部分が完全に潰されています。面会予定の校長や、市長、警察署長も安否不明です。恐らくは、誰一人生きてはいないでしょうね」
冷静に、冷酷に状況を伝達する。
「ワォ! すごいや! 美里市の政治と治安とを司るトップ三人が、一気にお亡くなりになったんだね。ボクも仕事がヤリ易くなったというもんだ。あ、少年。今回のこの地震は、ボクが仕組んだんじゃないからね――最初に断っておくよ」
アレクサンドルは亮輔の居る方向に、当たりを付けてそう言った。
「亮輔! 明日花さんの安否を確認するんだ!」
仕事着のホコリを払いながら、豪大が言う。
「もうやってる! だが、携帯電話が繋がらない!」
彼の携帯電話を持つ手が震えていた。圏外だ――綿奈部円香の時と同じく、ジャミングされたのか?
「基地局が破壊されたのか? 電気が通じてないのか? クソッ!」
苛立ち、言葉を吐き捨てる。
「亮輔、別の可能性も考えられますよ。携帯電話会社の通話システムそのものが、失われてしまったのです。あなたも見たのでしょう。この世界の本当の姿を……」
「直接の目視で、対象の現状況を確認する!」
彩里の姿の母に言われ、亮輔は一人、階段に向けて走り出す。
「ナターリャ、ボクたちはこれからどうしようか?」
頭の後ろに両手を回し、背後の背の高い女性に向け聞く。
「しばらくは、この付近で待機です。いえ、車に戻った方がよろしいかと……。紙屋夫妻も同行願います」
「わかったわ」
銀髪の女性に言われ、紙屋美里亜は同意する。特殊な改造の施された、警備会社所有の要人輸送車両。その中が、今は一番安全だと判断したのだ。
「本部! 本部! 緊急事態だ!」
紙屋豪大は、警備会社制服の肩口に取り付けられた無線機のスピーカーマイクを取り外し、それに向け大声で叫ぶ。
「た、隊長! ご無事ですか!」
無線機から、女性の甲高い声が聞こえて来た。
「私と司令、副司令は無事だ。だが、市長、署長、校長の三人が揃って行方不明だ。市役所、警察署に派遣してある組織のメンバーで、この事態に対処するようにと通達しろ。市民の安全確保が最優先だ。電気・ガス・上下水道と、情報のインフラの復旧を急げ。各民間会社と連絡を密にするんだ。高度な判断は、私と司令とで下す。ところで、そちらの状況はどうなのだ」
「ハイ、隊長! 地下にある構造物は無事ですが、地上部分の施設は多くが被災しました。その片付けに、多くの人員が割かれています。そして、この美里モールでは非常用の発電機を使って、現在、各設備を稼働中です。しかし燃料も、もって半日分しかありません!」
最後の方は、悲鳴にも似た声だった。
「そうか、電気の復旧を第一にさせよう。電力会社と協力して、美里ダムの発電機からの電力を市内の変電所に経由させ、重要施設へと供給させるんだ。病院や警察署、消防署を先鞭として、住民サービスの場の復旧を急がせる。後は、治安維持にも配慮せよ」
そこまで言って無線を切る。
「アナタ、車の内部で指揮を執ったら? ここは、ホコリっぽいわ」
彩里の顔をした美里亜が、澄ました顔で夫に言う。
黒いセーラー服の汚れを払う。




