#06「彼女と僕のラブストーリー」-1
「明日花! 逃げて!」
業火の中、母の叫ぶ声。
「どうか! 娘だけは!」
嘆願する、父の大きな声。
パチパチと炎の中で、何かがはぜる音。ドスンと、何かが燃え落ちる音。
幼い明日花は、首をすくめる。
――ああ、これは夢だ。いつもの夢。
父と母が死んだ時の記憶。悪夢。
「仕方無かったんだ! そうしなければ、今度は私たち家族が殺されていた!」
父の懺悔。
「そう、私たちが望んだワケじゃないの!」
母の弁明。
大きな男の人影。その足元にすがりつく父。
「親友のよしみだ。娘だけは見逃してくれ」
――親友?
もう片方の足に、しがみつく母。
「奥さんを殺してしまったのは、事故だったの!」
――奥さん? 殺す?
立ち上る炎……男がこちらを向いた。
――その顔は……。
石波良明日花は、視線を感じて目を覚ます。
隣の布団で眠っていたマリヤ・ドリナがジッと自分を見つめているのだった。
部屋のカーテンが開いたままだった。窓の外の満月が、向かい合う二人を照らす。
「……どうしたの? トイレに行くの?」
少し掠れた低い声で、明日花は聞く。
「マリヤは、トイレには行かない」
「……そう。じゃあ、眠れないの?」
「マリヤは、眠らない」
「え?」
明日花は布団から体を起こす。
「マリヤちゃん。体は大丈夫?」
心配となり、少女の額に手のひらをかざす。頭を触ったが、嫌がってはない。熱はないようだ。
劇的な環境の変化と、様々な事件。十一歳の多感な時期であるので、身を案じていた。
「体調は、極めて良好だ」
ニコリと白い歯を見せて笑う。
「明日も早いから、早く眠りましょう」
横になり、枕元の目覚まし時計を見る。
――午前二時三分。
丑三つ時だ。
嫌な夢だった。少し汗を掻いていた。普段は寝起きの悪い明日花だが、こうなると逆に寝付けない。
「明日花は寝ている時に、何事か喋っていたぞ。心配した」
今度はマリヤが布団から手を出して、彼女の頭に手をかざす。
「夢を見ていたの、嫌な夢」
「夢……」
「マリヤちゃんは、夢とかはないの?」
額の汗を拭いながら、唐突に尋ねる。
「マリヤは眠らないから、夢は見ない」
ハッキリと言い切った。
「そうじゃないの、将来の夢、希望、願い」
天井を見ながら明日花は尋ねる。
「…………」
少女は無言だった。
「マリヤちゃん?」
横を向く。
「そうだな。難しい質問だな」
だが、変わらずに笑顔だった。
「将来は、何を目指すの? マリヤちゃんの学力なら、学者さんや、お医者様でも何でも可能でしょ」
「将来?」
「そう、マリヤちゃんの未来」
「マリヤには、未来は無い」
再び、強い言葉。
「え……」
「明日花、顔が恐いぞ」
「え?」
「言った事は、全て本当の事なんだ」
少女は、明日花の左頬に右手を置いた。
「夢が無いなんて、悲しい事を言わないで。将来が無いなんて、どうしてそんな事を言うの……」
「明日花、泣くな」
「えっ」
マリヤの人差指が、彼女の頬を伝う大きな涙を拭う。
「怒らせてしまって、ゴメン。悲しませてしまったのは、謝る。でも、マリヤが成長することが無いのは、本当だ。マリヤが大人になることは、永久に無い。だから、マリヤには将来も夢も無い。永遠に、この姿を留め続ける――」
明日花には、一概には理解出来ない内容だった。
「えっ……と……」
食えない銀髪少女の、タチの悪いジョークだと思っていた。
「ああ、そうだな。望みは……あったな……」
斜め上に目線を向けてマリヤは言葉を漏らした。
「聞かせて」
明日花は低い声で、優しく問う。
「やっぱり、やめた。明日花は、また怒るから」
そう言って、布団を頭まで被る。
「怒らないよ……。聞かせて欲しい」
優しく布団をめくる。出てきたマリヤの小さな顔を、両手で柔らかく包み込む。見つめ合う二人。
「マリヤは死んでから、また――新たに生まれ変わりたい。もう、生き続けることに飽き飽きした――。生まれ変わったら、そう、亮輔と明日花の子供になりたい」
「…………」
今度、黙るのは明日花の番だった。
「怒っているのか?」
「ううん」
「呆れたのか?」
「違うよ」
「マリヤは、嘘は言ってない」
「うん、分かってるわ。私の理解の範疇を超えていたから……」
「ゴメン……」
「謝らなくていい……」
視線を動かし、窓の外を見る。綺麗な満月が二人を照らす。少し赤みがかった光だった。
「一つ聞いてイイ?」
「うん。何だ?」
「どうして、私と亮輔の子供になりたいと――思ったの?」
少し、間が開いた。
「……マリヤは、他人から愛された事など無い。父と母だった人物も、マリヤを遠ざけた。だから、マリヤは肉親の愛を知らない。でも、明日花と亮輔は優しく接してくれた。嬉しかった」
「それだけの、理由なの?」
不思議だ――そんな表情で銀髪の少女を見る。
「十分な理由だ。もう寝よう、明日は早い」
マリヤの瞼が重くなる。
なんだ、彼女も眠るんじゃないか――明日花は安心する。
◆◇◆
「おい、おーい! 起きろ。起きろー!」
「うーん?」
肩を揺すられて、明日花は目を開ける。目覚まし時計は、まだ鳴っていないはずだ。
「もー、今は何時なのー?」
どうにか目を見開くと、眼前には紙屋亮輔の顔があった。
「りょ、亮輔!」
「起きたか? 起きたんならさっさと仕度しろ」
既に制服に着替えていた彼が、わざわざ彼女を起こしに来たのだった。
「ジリリリリ……」
その時、目覚まし時計が盛大に音を立てる。
――午前七時零分。
「バン!」
――と激しく叩いて、ベルの音を止める亮輔。
「ま、マリヤちゃんは?」
上半身を起こして、部屋の中を見渡す。少女の寝床は、キチンと畳まれていた。
「マリヤなら、先に朝飯を食ってるぞ」
安心する。どこかに消えてしまったのかと思った。昨晩のことは、夢なのかと思っていた。
実存を疑いたくなるような、儚げな少女。
安心して、しばしボーっとする。
「おい! 明日花、また眠るな!」
肩を揺すられ、正気に戻る。
「アレ……亮輔、何でココにいるの……?」
「眠り姫を起こしに来た。キスでもするか?」
亮輔なりの冗談だった。
「……うん」
明日花はゆっくりとうなずき目を瞑り、唇を突き出す。
「おい、まだ寝ぼけてるのか?」
真顔の亮輔が、明日花の頭をポカリと軽く殴る。
「え? 私、何してた? あれ?」
「髪がボサボサだ。パジャマも乱れてるぞ。着替えが終わったら、チャンと顔も洗え、よだれの跡も残ってる」
身だしなみに厳しい亮輔は、思わず明日花に小言を述べていた。不合格の箇所を、指で指し示す。
「え? え?」
「キシシシ、明日花も朝から大胆だな。オッパイを見せつけて、彼氏を誘惑するのか? キシシ」
開いた部屋のドアから内部をのぞき込んでいたマリヤが、歯を見せ笑いながら言った。
「え!」
パジャマの胸のボタンが全て外され、前が開いてのぞいていた。ボタンを外した記憶はない。いたずら好きな、銀髪少女の仕業だ。
寝るときは下着を着用しない明日花の――豊かではない胸のポッチリが……。
「キャア!」
「バシーン!」
◆◇◆
――午前七時二十五分。
石波良家、リビング。
「イテテ……」
ピザにかぶりつく亮輔は、自分の頬をさする。
彼の顔の左側には、大きく赤く手形が付いていた。
「ゴ、ゴメンなさい」
隣に座る彼に両手を合わせ謝る、制服姿の明日花。
「ポテトとチキンは二度揚げしてるから、カリカリで美味しいよ――と、彩里が言ってたぞ」
明日花の目の前に座るマリヤは、昨晩の余り物のフライドポテトを右手で直接つかんで、小さな口に大量に放り込む。亮輔の妹の口調を、彼女なりの解釈で真似していた。
――全然、似ていないが。
「彩里ちゃんが、揚げ直したのね。で、その彩里ちゃんは?」
キョロキョロとリビングを見渡すが、彼女の姿は見当たらない。キッチンにはフライに使ったと見受けられるホーロー引きの鍋が残されていた。明日花自身、一度も使った事のない鍋だった。
「アイツは、先に学校に行くと言っていた。お昼は、学食か購買を利用しろとの言付けだ」
兄は、妹の言葉を伝える。
「大量のお弁当を作るだけの食材や調理器具は、ウチには揃ってないからね……」
残念そうに明日花は言う。
「マリヤは、学食を利用したいぞ!」
高い椅子に座り、スリッパを履いている足をバタバタと動かす。
「そうね、おうどんでも食べましょうか?」
「うどんは知ってる。白くて太いヌードルだ」
「そうね、正しいね。で、亮輔はどうするの?」
マリヤの頭を撫でた後に明日花が尋ねたが、彼は深く考え込んだままだ。
「どうした?」
マリヤも心配する。
「イヤ、彩里の様子がおかしかった……」
亮輔は、そう言ってフライドチキンにかぶりつく。続けざまに、ピザを一切れ平らげた。
「そう……」
明日花は彩里がどうおかしいのか、聞けないでいた。
――午前八時五分。
石波良家、玄関前。
「お、おはようございます」
隣の紙屋家の前には、豪大の勤務する警備会社の社員が大勢立っていた。思わず頭を下げる明日花だが、物々しさには驚いていた。
道路に立つ制服姿の人物たちが、一斉に明日花の方を向いたので、驚いたのもある。
「アレは、大丈夫なのか?」
マリヤは惨場を指差し尋ねる。夜が明けて明るくなり、現場の悲惨さがより伝わってくる。佐冬三鈴が亡くなった場所にはブルーシートが掛けられていた。
昨夜の内に応急で補修したのか、倒壊寸前の家屋を金属製の柱が何本も立ち、下から支えて持ち上げている。
「ああ……」
生返事をする亮輔。何かがおかしい――その時の彼は、感じていた。
昨日の事故の影響を鑑みても、不自然なほどの人員が割かれていた。
警備員の他に、大勢の制服警察官が目に付いた。
突っ込んだトラックは移動させられて、警察官の立ち会いで検証を始めている。
事故の原因を作った、学校近くの取り壊された屋敷。そこの解体業者の事情聴取が行われているのだろう。それは――理解する。
亮輔の自宅から、高校へと続く道のり。大勢の人物でひしめいていた。
その感想は、登校途中の生徒たちも同じだったらしい。事故現場だけでなく、大勢存在する警備員と警察官たちにも珍しそうに見物していた。
「物々し過ぎる……」
「え?」
坂道の途中で、言葉に出してしまった。彼は猛省する。警護対象に異変を察知されては、元も子もないのだ。
明日花の言葉を無視して、歩みを早める。
――美里警察署。
幹部は裏の事情を知っている。明日花の警護を、影ながらバックアップしてもらっている。だが、何かが変化した。
アレクサンドル・ドリナ。マリヤの弟と名乗った不思議な少年。
彼が来てから、状況は大きく変貌を遂げた。
その前哨戦が、綿奈部円香一派の裏切りだった。その背後には、アレクサンドルの副官、ナターリヤ・イワノワの存在がある。
亮輔は、力関係の変化を感じ取っていた。
「終わりの始まりさ……」
組織の司令、アレクサンドル・ドリナの言葉を思い出す。
亮輔は立ち止まり、振り返った。
学校は目の前だ。美里市の風景が良く見渡せる。
「どうしたの?」
明日花が聞く。
「ああ……何でもない」
目の前の彼女の、世界の全て……。
明日花は、この街に引っ越して来てから外の世界を知らない。
小学校と中学校の修学旅行は、乗り物に弱い明日花に、酔い止めの薬と称して高熱を発する薬物を飲ませた。
――悔恨。
そこまでして、彼女をこの街に留め置く理由は何なのだ。
――父親からの命令。
そして、思い出す。あの少年に見せられた映像。
地球にそっくりの場所。灰色の惑星の表面に一つだけ存在する、人間が、否、生物が唯一息づく街――美里市。
山間部をぬって走る高速道路。
あの夜見たのは、切断面から突如現れる自動車だった。亮輔にも原理が理解出来ないでいた。
異なる宇宙と、異次元を介して物理的に繋がっているのか?
一般道路も同様だ。山をつづら折りに走る道路も、異空間に繋がっている。
山腹をトンネルで貫いて走る新幹線からは、県外、市外の乗客を招き入れている。
電気・ガス・上下水のインフラも機能している。TV放映も普通に行われ、携帯電話・有線電話も外部と通話可能だった。
――誰かの願い。
この街は、何者かに生かされている。
――午前八時二十五分。
二年三組教室。
「おはよう、紙屋くん!」
「ああ、おはよう」
いつもの様にクラスメイトに声を掛けられて、条件反射的に返していた。しかし、昨日までと雰囲気が違う。
……佐冬浩一の姿が見当たらない。
隅々まで見渡す。昨夜、事故死した三鈴の兄だ。
――身内は休みだろう。昨日の今日、当然の事だ。
お通夜や、葬式に顔を出すか――亮輔は考えて、一つの光景を思い出す。
十年前、母親が死んだ。
――事故死だった。
幼稚園の制服姿の彩里が泣いていた。
――母の葬式のシーンが、頭の中に蘇る。その時、自分は何をしていたのか?
そして、その間ずっと不在だった父の行方。
その時、彼は何をしていたのか?
「マリヤちゃんは本当に、おトイレに行かないの?」
「そうだ」
明日花とマリヤは、大きな声で会話を続けながら自分の席に着く。もうすぐ、朝のホームルームが始まる。しかし、半数程度しか生徒は登校していない。
「昨日おトイレに案内したら、ついて来たじゃない」
「それは明日花が、『トイレに行くか』と聞いたからだ。マリヤは『行く』としか答えようが無い。断る理由が無い」
いったい何の話だ? ――首を傾げながら、自分の席に座る亮輔。
「だって、トイレで腰掛けていたじゃない」
「使用法を説明されたから、便器に座っただけだ。『もうイイか』――と、問うから『イイ』と答えただけだ」
「じゃあ、手洗い場で驚いてたのは?」
「トイレで手を洗ったのは、始めてだったからだ」
「そんなの聞かされて無いわ……」
「だから、トイレには行った事が無いと、最初に説明した」
良く解らないが、話が堂々巡りを始めているな――亮輔はうんざりして外を見た。
「キンコンカンコン♪ キンコーンカンコーン♪」
朝のホームルーム開始のチャイムが鳴る。
教室では、生徒たちが慌てて腰掛けた。だが、八割程度しか、席が埋まっていない。
やはりおかしい――亮輔はアゴに右手の親指の腹を当てて、見渡す。




