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#05「彼女の不完全な世界」-3

  ◆◇◆


 ――午後四時五十分。

 紙屋家 自宅前。


「オーイ! このまま明日花の家に行けばよいのか?」

 銀髪の美少女マリヤ・ドリナは、白いビニール袋を前に抱えて、石波良家を指差した。彼女は重い荷物を持つ三人を置いて、既に目的地に到着していた。


「ハァ……待って! マリヤちゃん。彩里ちゃんの家から、クッキーを作る材料とか道具を持っていくから……」

 石波良明日花は、両手に重い荷物を持ち坂道を登り、息が上がっていた。


「ピザ! ピーザ!」

 マリヤは一人、陽気に叫び、坂道を少し下って明日花たちの目の前に戻って来た。

「マリヤちゃん。ピザを食べるのは、クッキーを焼き終わって試食をした後よ……」

 学校の調理実習での材料を買い込んだ紙屋彩里が、自宅の門を開けて階段を登る。

「マリヤさん。ピザは始めて?」

 彩里の同級生、佐冬三鈴が尋ねる。するとマリヤはブンブンと上下に首を振り、大きく肯定の動作をする。


 夕方のこの時間、紙屋家では大食いの家族たちのために夕食の準備を始めなければならない。だが、クッキーの試作に時間を取られると予想されるので、紙屋家、石波良家合同で宅配ピザの注文を決定したのだ。

 Lサイズのピザが何種も並ぶのを見るのは、壮観だろうな――明日花は、そんなことを思う。

「アレ? 家の鍵が見当たらない!」

 玄関ドアの前、大きな袋を二つ地面に直置きして、彩里が叫ぶ。

「制服スカートのポケットでは無いのか? いつも入れてるだろ」

 マリヤは、紙屋家玄関までの階段を四段ほど登って聞く。

「ううん。無いの……」

 首を振る。

「取り敢えず、この荷物は石波良さんの家に置いてきましょう」

 三鈴が提案し、一同は従った。



「アレ、イヤだ!」

 明日花の自宅の遥か先、坂道の頂点部分に停まっている大型のトラックを指差して、マリヤが言った。

 コチラに車体後部を見せ、ハザードランプを点灯したまま路上に駐車していた。

「アレは、高校の隣に古いお屋敷があったでしょ、その家が解体されて廃材が運び出されているの」

 明日花は自宅玄関の鍵を開けながら、言った。

 扉を開けて、買い込んだマリヤの身の回りの品を玄関すぐの廊下に置く。


「トトト……」

 マリヤは一人、先に上がり込みお菓子の入った袋をキッチンへと持っていく。軽快な足音が床に響く。

「もう……」

 明日花は脱ぎ散らかされた靴を揃える。これでは毎度、彼女のお母さん役だわ――そんなことを考えていた。

「明日花さん! 彩理ちゃんが、家の鍵を学校に忘れたとか……」

 三鈴が家の中に向かって、大きく声を掛けてくる。

「そうなの? 豪大さんも不在だし、亮輔はバイト中?」

 明日花は自分の携帯電話を取り出し、アドレス帳の紙屋亮輔の番号を見る。

 二人のどちらかが確保されれば、紙屋家に入れるのだった。

「あ!」


 玄関の外で三鈴が大きな声を出していた。

「どうしたの?」

 外をのぞく。

「車が! う、動いている!」

 明日花は三鈴の指差した方向を見た。廃材を満載した産業廃棄物の運搬トラックが坂道をゆっくりと下り始めている。サイドブレーキが緩んだのだろうか? ギヤもバックか、ニュートラルのままなのだろう。車止めもなく、真っ直ぐと下り始めている。

 過積載が原因と考えられる。

 後部がこちらを向いているので、運転手が乗っているのか分からない。



「彩理ちゃん!」

 明日花は叫ぶ。高校から続く下り道は、亮輔の家の前で緩やかにカーブしている。真っ直ぐに車が突っ込めば、紙屋家に飛び込む形になる。

「彩里ちゃん! 逃げて!」

 再び叫ぶ! 靴も履かずに家の外に飛び出していた。彩里の元に向かう。


「え?」

 肝心な彩里は荷物を両手に抱えたまま、自宅の門から出ようとしていた。

 車はいよいよ加速をし、勢いよく迫ってきた。

「彩里ちゃん! 危ない!」

 呆けて、車のテール部分を見つめていた彼女の場所まで駆けつけ、肩を揺する。


「二人共、危ない!」

 三鈴の声がした。

「ヒッ……」

 彩里を助けたいと思っていた。しかし、既に車は目前に迫っていた。明日花は恐怖で足がすくんでしまう。息をのむ。

 明日花と彩里……二人の少女は抱きしめ合う。



「ドサッ!」

 二人は、家の前の歩道に派手に倒れ込んだ。誰かに強い力で押されていたのだ。

 明日花は横目で見た。

 二人をすんでの所で押し出したのは、佐冬三鈴だった。彼女と目が合う。



 ――だが、


 三鈴が、ガードレールを突き破ったトラックの車体に巻き込まれるのを目撃する。


「お兄ちゃ……」

 最期の声を聞いた――気がした。


 ――しばし無音。


 その後に、激しい音が帰って来た。

 加速した重量のあるトラックが、三鈴を巻き込んだまま紙屋家に突っ込んだのだ。

 道路に面した階段部分を乗り越えて、建物の一階部分をなぎ倒していた。



 歩道に倒れていた二人は、大量の土ぼこりを被る。

「み、三鈴……?」

 明日花に抱きしめられていた彩里が、体を震わせながら言葉を絞り出す。


「二人とも逃げろ!」

 声がした。石波良家の家の前で、裸足のマリヤが叫ぶ。


「へ?」

 明日花は腰が抜けていた。

「こちらへ!」

 抱きかかえていたはずの彩里が、反対に明日花を強い力で持ち上げる。マリヤの元へと運んでいた。

「ドスン!」

 突っ込んだトラックが、衝撃の反作用で吐き出される。さっきまで二人の居た場所に戻って来た。

「ギギギ」

 家が大きく軋む音。

 一階部分の大きな柱が破壊されたのか、紙屋家は大きく傾く。倒壊寸前だ。



「どうした!」

 近所の家々から、多くの人々が飛び出して来た。

 遠くから緊急自動車のサイレンの音がした。赤い回転灯の明滅が見えて来る。消防車に救急車、パトカーも混じっている――かも知れない。

 日が傾いていた。

 見下ろす坂道を、赤い光を瞬かせながら彼女たちに近づいて来る。


「始まったか……」

 後ろで声がして、振り返る。

「マリヤ……ちゃん?」

 神々しいまでの表情を浮かべた銀髪の少女は、頬に涙が伝っていた。

「三鈴ちゃん! 三鈴ちゃん!」

 自宅の中に向けて、彩里の声が空しく響く。



   ◆◇◆


 ――午後五時十五分。

 美里タワー、二四○六号室。


「ブブブ」

「ピピピ」

 紙屋亮輔とナターリヤ・イワノワの携帯電話が、同時に着信を告げた。


「どうした? 明日花?」

「何があったのですか?」

 二人は同時に話し出す。


 それをニヤニヤと見つめるアレクサンドル・ドリナだった。小さく呟く。

「幕開けだね。終わりの始まりが……」


 少年を横目でチラリと見た亮輔。

「トラックが! 家が! 三鈴ちゃんが……」

「落ち着くんだ明日花。落ち着いて、冷静に話してくれ」

 電話の相手は取り乱していた。話の内容が全く見えてこない。


「分かりました。それは、緊急事態ですね。至急、対象周辺の警護の増援を手配します。追って指示するので、それまでお待ち下さい」

 先に電話を切ったナターリャは、銀髪の少年に向かう。

「司令、石波良明日花が自宅前で襲撃されました」


「何だって!」

 電話口を押さえて亮輔が叫ぶ。完全に考えの外であった。油断していた。

「亮輔! 亮輔!」

 明日花の声が漏れていた。彼女が無事なのは分かる。だが、動転している原因は? まさか――。


「彩里たちは無事なのか! お前は怪我をしてないのか!」

 電話に向けて、大声を出していた。

「彩里ちゃんとマリヤちゃんは大丈夫。私も少し、すりむいただけ……。でも、三鈴ちゃんが! 三鈴ちゃんが……救急車で運ばれていって……」

 それだけ言って、明日花は沈黙してしまった。


「先輩! おはようございます!」

 ――快活な妹の友人の顔が浮かんだ。


「妹をよろしくな!」

 ――級友、佐冬浩一の言葉が蘇る。



「護衛の少女の死亡が、搬送中の救急車両内で確認されました。運ばれた時には、頭部が潰され『社会死』の状態でした。蘇生措置も無しに、そのまま病院に送られ、監察医による検死が行われます」

 女性は冷酷に言い放つ。


「彼氏くん。今は早く帰って、彼女を慰めるんだ。より近づいて、より関係を深める。いいね、これは司令からの命令だよ」

 少年は亮輔の背中を強く押して、送り出した。



   ◆◇◆



 ――午後五時四十分。

 紙屋家 自宅前。


「家が……」

 惨状を見て言葉を無くす。詳細は聞かされてはいたが、想像を遥かに超えていた。

 赤い回転灯の明滅で、心臓が高鳴る。


「亮輔!」

 彼を見つけ、明日花が駆け寄ってきた。たくさんの緊急車両が集合している。亮輔の自宅周辺には警察の張った黄色いテープが見える。規制線が敷かれ、立ち入り禁止になっているのだ。

 

「ああ、明日花……お前は無事か? 彩里もマリヤも無事なんだな」

 亮輔の言葉に、彼女は涙を流しながらうなずく。

 右肘に絆創膏が貼ってある。


「でも、三鈴ちゃんが、三鈴ちゃんが……。私たちを庇って……全部、私のせい……」

「明日花は悪くない、悪くないんだ……」

 彼女を強く抱きしめる。初めての抱擁なのかも知れない。しかし、そんなことは構っていられない。

 亮輔に抱きすくめられて、明日花は顔を赤らめ黙ってしまった。


 ――明日花は、悪くないんだ! 悪いのは俺だ!


 心の中で叫ぶ。



「亮輔、私は大丈夫。それよりも、彩里ちゃんが心配なの……」

 妹は、明日花の家の玄関前、スーパーの白いビニール袋を抱えてコンクリート製の階段に腰掛けていた。肩を落として本当にしょ気返っている。

 傍らに立つマリヤは所在なく、ただただぽつねんと立ち尽くしていた。

「彩里……亮輔が来たぞ……」

 少女に言葉を掛けられ、肩を叩かれ顔を上げたが、直ぐに俯いてしまう。


「彩里! 怪我はないか!」

 亮輔の背後から大声が聞こえた。振り返るまでもなく声の主の正体が判る。

「お父さん!」

 ゆっくりと立ち上がり、父親まで歩いて行く彩里。荷物を持たされるマリヤが不満げな顔をする。


「わたしが家の鍵を忘れたから……。それで、三鈴ちゃんが……三鈴が……」

 父親の胸で泣きじゃくる彩里だった。

「わたしが悪いの! わたしが全部悪い……わぁーん」

 泣き叫ぶ娘の頭を、黙って撫で続ける豪大だった。



   ◆◇◆


 ――午後九時五分。

 石波良家、リビング。


 無言で椅子に腰掛ける四人の人物。

 テーブルの上にはLサイズのピザが三枚と、それぞれ山盛りのシーザーサラダ、フライドチキン、フライドポテトが並ぶ。

 この家に、こんなに人がいるのは何年ぶりだろうか――テレビ前のソファーに座る明日花は考える。


「さあ、食べよう。冷めたピザは不味いからな」

 亮輔、彩里の父親、紙屋豪大はサラミとトマトとベーコンの乗ったピザを一切れ取り上げ、大きな口に放り込む。チーズが伸びて豪大の下あごに貼り付いていた。

 今日は珍しく無精髭がそり上げられていた。だが、夕刻となり、新しく伸び始めていて青くなっている。

「冷めたピザは、食べられたもんじゃないからな」

 隣に座っている、豪大の口調を真似したマリヤ・ドリナが、コーンとチキンの乗ったマヨネーズソースのお子様用ピザに小さな口でかぶりつく。


「あ、コーラを持ってきます。お父さんは、ビールが無くてすみません」

 やっと食事が始まり、安心した石波良明日花は立ち上がってキッチンの冷蔵庫に向かった。

「明日花さん、気を使わなくてイイ。こちらが、お邪魔している身ですからな」

 優しく声を掛ける。



「ごめん……ごめんな彩里。お前が悲しむから、明日花は罪悪感を抱かなくてすむ。お前を心配して、自分を追い込まなくてすむんだ。おかしな言葉かもしれないが、感謝する」

 耳元に小声で囁いた兄の亮輔は、妹の肩に優しく手を乗せた。

「そんなの関係ないから!」

 だが、声を荒げ兄の手を払う彩里。

 マリヤは驚いて大きな目を見開き、その様子を見つめていた。


「どうしたの?」

 炭酸飲料のペットボトルを抱えた明日花が、心配そうに尋ねる。

「ごめん……なさい……」

 ピザを右手に持ったまま、うつむく彩里。再び涙を流し始める。これで、何度目だろうか――兄は見やる。


 会話も無く食事が続く。こういった時に道化役を期待したいマリヤだったが、変に気を使っているのか、隣の増設された椅子に座る明日花の顔色をうかがっていた。


「会社に向かう……」

 一人、先に食事を済ませた豪大が立ち上がり言った。

「今から?」

 向かいの席の彩里が聞く。

「ああ……何かとヤル事があるからな。こんな事が二度と起きないように……せねばならぬ!」

 最後は、語気を強めて言った。静かな怒りを発している。

 そして、椅子を引き立ち上がる。

 仕事場へと向かうための制服姿の父親を、見送りに彩里は玄関に立つ。



「気を付けてね」

 愛する男を見送る目だ――明日花は、彩里に女の情念を見た気がした。同時にうらやましいとも感じていた。

「ああ……」

 大きな革製編み上げ靴の紐を結ぶ豪大は、ぶっきらぼうに答えていた。靴底とつま先に鉄板の入れられた特殊な靴だ。

 亮輔が同じ立場なら、同じ様に答えていただろう――明日花は思う。


「お、親父……」

 彩里の後ろにいた、息子が呼びかける。

「心配するな。お前たちは、わしが必ず守る」

 振り返らずに玄関を開けて出ていった。



「明日花! 食べきれないぞ!」

 一人テーブルに残っていたマリヤが叫ぶ。三切れ目のピザに挑戦していたが、途中まで食べてお皿に投げ出していた。

「残りはラップにくるんで冷蔵庫に入れておきましょう。明日の朝にでも食べようね」

 明日花は銀髪少女の背中に、そっと手をのせる。


「冷めたピザは不味いぞ!」

 振り返ってマリヤが言った。その言葉を聞いて、亮輔は苦笑する。やっと見えた笑顔だ――明日花は少し安心した。

 胸に手を乗せる。

「その時は、電子レンジで温めるさ」

 彼はマリヤの頭をポンポンと叩いた。

「もー、ヤメろ!」

 彼の手を払う。


「マリヤちゃんは、頭を触られるのがイヤなの?」

 明日花はずっと聞きたかった事を尋ねる。

「警戒心からだ」

 そう言って、少女は黙ってしまう。横を向いた。

「亮輔も、女の子の頭を気安く触っちゃダメよ」

 優しく、釘を刺す。


「マリヤは、俺が嫌いなのか?」

 確信を聞く。

「ううん」

 横を向いたまま、首をブンブンと振る。そして口を開く。

「亮輔は、明日花の頭を撫でてやれ、喜ぶぞ!」

「な、何言ってるの! マリヤちゃん、もう!」

 明日花は顔を赤くして、床を激しく踏んで抗議する。その横で、騒動の張本人はペロリと舌を小さく出していた。


「そういうモノか?」

 彼は、真顔で尋ねる。

「そういうモンだ。なぁ、彩里?」

 マリヤに聞かれ、ソファーに腰掛けていた妹は顔を上げた。


「うん。好きな人に触られるのなら、イヤじゃない」

 そう言って、テレビを見る。

 付けっぱなしのテレビからは、ニュース番組が流されていた。見覚えのある風景だわ――明日花は思う。


「……って、これ私たちの家の前!」

 驚いて指差した。

「ドレドレ?」

 マリヤも興味深く見る。撮影隊のライトに照らし出され映るのは、半壊した紙屋家と、その隣に立つ石波良家だった。

「出てみよう!」

 玄関方向を指差す銀髪の天使。変わらずに無邪気な笑顔を明日花に向ける。

「やめろ!」

「やめなさい!」

 亮輔と明日花が同時に突っ込んだ。



 ――午後十時三十五分。

 石波良家、明日花の部屋。


「これで乾いたわ……」

 ドライヤーのスイッチを切り、明日花は言った。

「おお……ふわふわのサラサラだ」

 マリヤは喜び、自分の長い銀色の髪の毛を手で何度もすくっていた。昨日は、完全に乾かす前に逃げられてしまっていた。


「明日花、寝るぞ! 明日も早い。また、くすぐって起こさねばならぬからな」

 二つ並んで敷かれた布団。少女はそう言って掛け布団を被って眠りに就く。

「もう……」

 それだけを言って、布団に潜り込んだ明日花は、枕元のリモコンで天井の照明を消す。淡い緑色の光だけが残る。

 しばし、それを見つめる明日花とマリヤだった。


「亮輔は、寝たかな?」

「まだでしょ」

 彼は、昨日と同じくリビングで寝る。

「彩里は、心配だな……」

「そうね……」

 彼女は、昨日マリヤの寝た部屋で就寝する。

 答える明日花の声は眠そうだった。


 今日は色々あった。色々とありすぎた――明日花は考えようとして、そのまま眠りに落ちていった。


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