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#04「彼女と神のシステム」-1

 ――午後九時十分。

 石波良家、リビング。


 夜の庭先からは、気の早い虫の声が聞こえていた。まだ弱々しい音で、それを打ち消す程の大きな会話が聞こえてくる。


「マリヤ、美味しかったか?」

「亮輔、美味しかったぞ」

「何が美味しかった?」

「ポテトチップス!」

「それは料理じゃないだろ」

「亮輔、全部買った品物だぞ」

「そりゃそうだが……」


 食卓での二人のやり取りを聞きながら、キッチンで洗い物をする石波良明日花は、微笑んでいた。

 これが幸せなのかも知れない――噛みしめる。亮輔なら良いパパになれそうだ。ちょっと……いや、大きく変わっっているマリヤを上手く手なずけている。

 こんな子供が欲しいかも……ハンドタオルで手を拭きながら、食卓に顔を出す。



「おお、ご苦労さん」

 父親の形見の紺色のパジャマを着る紙屋亮輔。クリーニングに出していた品で、パリッと糊が利いている。彼にピッタリの大きさだった。

「おー、ごー苦労さん!」

 亮輔を真似して声を掛ける。

 明日花のお古を着るマリヤ・ドリナ。小学校低学年の頃に着ていた、灰色のスウェットの上下だ。胸にはウサギのキャラクターが大きくプリントされている。手足の長い彼女には、つんつるてんの寝間着だった。

「マリヤちゃん、二階の部屋にお布団敷いたから」

「うん!」

 笑顔で返事する。


「亮輔はどうする? 両親の使っていた布団があるから、リビングで寝る?」

「あぁ……」

「でも、リビングは広すぎるから、父と母の使ってた寝室にする?」

「あぁ……」

 テレビを漫然と見ていた彼が答える。ニュース番組が流されていた。

 美里市内を走る高速道路での大規模な事故の発生を伝えていた。トンネル内で火災が起こり、二人が死亡し、十五名が負傷した。夕刻から上下線が全面通行止めになっているとの報道だ。

「明日花の部屋で、二人一緒に寝るがよい!」

「あぁ……、ああ!?」

 適当に相槌を打っていた亮輔は驚いてマリヤを見る。



「子供は寝る時間」

 高い椅子から飛び降りてマリヤが言った。リビングの壁に掲げられた時計を見上げている。

「これからは、大人の時間……」

 亮輔と明日花の両方の顔を見て、二階への階段を走って行った。二人きりとなり、気まずい空気が流れる。


「わ、私はお風呂に入って来るから……」

 そう言って、自分の発した言葉の意味を考える。これは新婚の妻が、初夜を前にして体に磨きを掛ける行為ではないのか――頬を赤らめていた。


「そ、そうじゃないの……、いつもこのぐらいの時間に入るから」

「わ、わかってるよ! 俺は適当に布団を敷いて寝るから……心配すんな!」

 二人共、顔を赤くしていた。

 亮輔はリビングの板の間に置かれた、畳まれた布団を見つめる。



 ――午後九時二十分。

 石波良家浴室。


「な、何を期待してるんだろ……」

 明日花は浴槽に顔を半分沈め、ブクブクと息を吐き出す。

「バン!」

 勢いよくドアが開いた。亮輔が入ってきたのかと思った。心臓が止まるかと思った。


「マリヤちゃん!」

 顔を上げ叫ぶ。何一つ隠さない銀髪の少女が浴室に乱入してきたのだ。

「入る」

 ニヤニヤと薄笑いを浮かべて、狭い湯船に無理矢理侵入してきた。見事なまでに子供の体型だった。手、胸、腰、足、全てが細い。ただ、肌は抜けるように白い。

 お湯が溢れる。洗面器が浮かび、排水口の方に移動する。


「さっきは入らないって言ったじゃない! もう、お眠むの時間じゃないの?」

 亮輔が一番風呂を頂いた時、「一緒に入る」と駄々をこねた我がまま少女。自分と入るかと聞くと「いやだ」と拒否した気まぐれ子猫。


「日本のお風呂を味あわないでどうする」

「そうね。マリヤちゃんが正しいね」

 湯に浸かった長い銀髪を、指ですくう明日花だった。もう――あきらめた。腹を立てた方が負けなのだ。

「髪の毛を洗ってあげる。私のシャンプーでいいわね?」

「うん」

 そう言って勢いよく湯船から出る少女。

 風呂イスに座る彼女の後ろに膝立ちになる。髪の毛を乾かすのが大変そうだな――そう感じていた。


「あはは、くすぐったい」

 シャンプーをマリヤの頭で泡立てる。両手の指を立てて、丁寧に頭皮を洗っていく。他人に頭を触られるのは慣れていないのか、首をすくめていた。

「綺麗な髪の毛ね。ずっと伸ばしているの?」

 髪の先を洗面器に移動し、丹念に洗浄する。

「うん?」

 泡だらけの顔で、首を捻る銀髪少女。

「今まで、手入れはどうしてたの? お母さんに洗ってもらってたの?」

 洗面器で湯船のお湯をすくい、少女の頭からゆっくりと流す。

「ぷわはぁー。母は昔に死んだ」

 犬のように首を振って、水滴を浴室中に飛ばしている。明日花の顔にも掛かる。

「そう……」

 次の言葉が出なかった。



   ◆◇◆


「亮輔、寝た?」

 時刻は十時半を過ぎていた。やはり、マリヤの髪の毛を乾かすのに手こずった。

 洗面所で苦闘する明日花を、笑う銀髪少女だった。


 明かりの消えた暗いリビング。敷かれた布団の方向に声を掛ける。

「あぁ……」

 返事はもうろうとしている。明日花は口の前に人差指を当てて、起こさないように二階への階段を登っていく。

「亮輔、寝た……」

 そう言った少女の方も、明日花に背中を押されて階段を登る時には、十分に眠たげだった。



 ――午前一時四十五分。

 石波良家、リビング。


「コトリ」

 物音がして、瞬時に紙屋亮輔は目を覚ます。枕元に置いたワルサーP99を右手に持った。綿奈部円香の愛用していた拳銃。彼女の形見。亮輔がこの手で殺した――彼が好きだった少女。


「亮輔……」

 廊下の僅かな照明の光に照らし出されるシルエット。小さな女の子だった。

「マリヤか……どうしたんだ? オシッコか? トイレなら風呂の隣だ」

 答えない。

 立ち上がり、リモコンでリビングの明かりを点灯する。拳銃は枕の下に隠していた。


 蛍光灯が明滅する僅かな時間、亮輔は姿を消す。同時にマリヤも姿を消していた。



   ◆◇◆


「ここは……」

 亮輔は周囲を見渡す。真っ暗で何も無い空間。

「ここは、ワタシの世界……」

 真後ろから声がして振り返る。

 マリヤがいた。しかし様子が違っている。

「お前、マリヤなのか?」

 十一歳の少女の容貌は消えていた。

 悲しげに睫毛を瞬かせる女は、物憂げな表情を亮輔に向けた。

「ワタシは、マリヤであって、マリヤではない」

 声が聞こえた。目の前の女は口を動かしてないのに……。例えるなら、頭の中で声が響く――そんな感覚だ。


「紙屋亮輔……オマエに、この世界のことわりを見せる。ただし、ダレにも喋るな。石波良明日花もだ。マリヤ・ドリナにも同様だ」

「マリヤって……お前」

「だから、ワタシはマリヤではない」

 少女が指をパチンと鳴らし、場面が切り替わる。



 全球に星と星雲とが輝いていた。足元に見えるのは……。

「地球?」

 亮輔が写真などで見慣れた、母なる星などではなかった。

 海も無く、灰色の大地が広がる。もちろん白い雲も存在しない。大地にも緑の自然の形跡は無かった。

 人類が文明を築いた痕跡が、一切無いのだ。

 一ヶ所だけ明るい場所がある。亮輔が意識すると自動的に近づいて行く。

 それは見慣れた場所だった。

 都市の夜景。深夜も息づく大都市。瞬く灯りたち。


 ――美里市。


 彼らが住まう街。

「これが現在の地球の正体だ」

 隣に立つ……、否、宇宙空間に浮かぶマリヤの姿をした少女が指差す。

「何だこれは? 誰かが俺に幻を見せてるのか?」

「幻と聞かれれば、肯定する。今のオマエは、布団の中で眠っている状況だ。脳内にワタシからのイメージを注入している」

 マリヤでは無いと名乗った少女は、亮輔の前頭葉の言語中枢に直接語っている。

「この世界の理?」

「そうだ」

 足元の美里市の夜景がアップする。それとも亮輔たちが近づいているのか――それさえ判別出来ない浮遊した感覚だった。


 美里市中心部。高校のある丘が見え、少し下った位置に夜行の貨物列車が移動するのが確認出来た。見覚えのある家。屋根を突き抜けて、明日花の寝顔が見えていた。


「彼女が死ねば、世界が滅びる……そう、聞かされておるのだな?」

 亮輔と少女は明日花の枕元に立つ。実に幸せそうな笑顔だった。そういえば照明もないのに彼女の顔がくっきりと見える。夜間撮影の特種なカメラで覗き見しているようだ。

「そうだ。違うのか?」

 横を向き尋ねる。

「今から百年前の話、美里市に住まう男の物語……」

 同じ場所、時間だけが目まぐるしく移動する。



   ◆◇◆


「ここは?」

 地上に降り立つ亮輔は、美里ヶ丘高校の制服を着ていた。小さな手を握る隣の銀髪の少女も同じく制服を着用している。

 こんな事はあり得ないのだ。今の亮輔は、パジャマ姿で明日花の家で眠る。

「百年前の美里市」

 見慣れた山々が見える。当然、山嶺は百年程度では形は変わらない。

 遠くを蒸気機関の長い列車が走る。貨物の操車場のある場所は、今は美里モールが建っている。


 丘の上に二人は立っていた。足元には今の中学校の場所にあった、旧・美里ヶ丘高校の木造校舎が見える。

 戦前までは確か、女学校だったと聞く。



 その建物に近づく。

 校舎二階の西の端、音楽室。ピアノに向き合う男。

 窓は全て開け放たれていて、木々からは蝉の声が聞こえる。

 うるさすぎる、必死な夏の主張だった。


 茶色いコーデュロイのジャケットを着込んだ男は、眉間に皺を寄せながら譜面に音符を記入していく。

 ジャケットの袖で額の汗を拭っていた。肘に当てられた革が飴色に変色している。相当に使われ、着込まれた服装だ。下のシャツの襟元は開かれて、無精髭が生えた痩せこけた姿だった。

 男は両手で鍵盤を叩く。

 あまりもの不快な音に、亮輔の顔が歪む。



「先生ェ!」

 元気よく叫び、教室に一人の女生徒が入ってきた。毛足の長い床の絨毯に苦労しながらも、グランドピアノの元へと辿り着く。

 黒い半袖のセーラー服姿。制服は同じだ――亮輔は思う。美里ヶ丘高校の女子制服は古くさいとの周囲からの評判だったが、百年前からの伝統があるのだ。


「何だ? 石伊いしい?」

 教師は万年筆を置き、女生徒に向き直る。女生徒の名は石伊いしい 翠子みどりこといった。亮輔の頭に、なだれ込む情報。


「石波良先生、今日も作曲作業ですか?」

 石波良と呼ばれた男。音楽教師は明日花の曾祖父にあたるのだ。


「こんな、不協和音だらけの美しくない作業は、とても作曲とは呼べない」

 木製のピアノ椅子に座るのは、極めて神経質そうな顔の男だった。女生徒を迷惑そうに見上げる。


「うふふ」

 翠子は上品に笑い、自分で椅子を用意し教師の右隣に座る。長いスカートの裾を頻りに気にしていた。こちらの女性は、どことなく明日花を思わせる――柔らかで上品な雰囲気があった。

「父に話しました。先生との事」

 石波良いしはら 卓彌たくやの右眉が上がる。だが、彼は答えない。

「父に殴られました。勘当すると言われました」


 本当なのか? そんな表情を女生徒に向ける。

「先生の子供を身籠もっています。私は、春を待たずに学校を辞めます」

 重大な告白だった。

 教師は絶句する。



 責任を取る――その言葉を言い出しそうになって、飲み込む。この学校の教職に就くのには、石伊翠子の父親に尽力して貰った。

 恩人に、どの面下げて会えるのか。

「一緒に逃げましょう……」

 翠子は、震える男の右手に左手を重ねる。

「もうすぐ夏休みだ。この作業が終わったら、東京へ行こう」

 卓彌は言葉を絞り出し、二人はごく自然にキスをする。

「私の願いは……先生に有名になってもらう事」

 首の角度を変えて、もう一度キスを味わう。


「この二人が、石波良明日花の曾祖父と曾祖母だ」

 マリヤの姿の少女の声だった。



 場面が変わる。

 古いレコードがプレイヤーの上に乗る。黒いレーベル。盤面の文字は白抜きであり、右から左へと曲名が書かれている。ゆっくりと円運動を始めて、針が置かれる。

 プチプチとしたノイズの後に、亮輔が聞いた不快な音が延々と再生される。


「何だ、この音は!」

 やはり我慢出来ない。両耳を塞ぐ彼は、隣に立つ銀髪の少女に抗議をする。

「高名な作曲家、石波良卓彌の数ある作品の中で、難解を極める……いや、気が違ったとまで称された問題作品。ピアノソナタ曲の『願い』だ」


 安楽椅子に座る老婆。その前に立つ少女の姿を認め、亮輔は驚く。小さい頃の明日花そっくりだった。

「おばあちゃま、この曲……」

「そうよ、今日己きょうこちゃん。この曲の名前の通りに、おばあちゃんはおじいちゃんと結婚することが出来た」

 優しく孫の頭を撫でる白髪の老婆。

 今日己……明日花の母親の名前だ。亮輔は全てを知る。


「教授、この曲は……」

 老婆の後ろに立つ、一人の男性。

「紙屋君。譜面を見せてくれ……」

 紙屋と呼ばれ、亮輔は振り返った。この部屋は……見渡す。古い洋館だった。美里ヶ丘の頂点の場所に昔あったという、紙屋家のお屋敷だ。


「教授、譜面は無いのですよ。レコードさえも、石波良先生の奥様が所有されている一点のみです」

「録音は大丈夫なのだな」

「ハイ!」

 プレイヤーのそばでは、オープンリールの録音デッキが動いていた。磁気テープの巻かれたリールがゆっくりと回転している。


「この録音機を作った会社では、この先は『デジタル』が主流だと説かれていた。数学者のわたしも、『0』と『1』の二進数で全ての音楽や映像が表現できると考えている。録音や再生にも最適なのだ、一切の劣化がない! この曲は、それを現しているのだ!!」

 教授と呼ばれた男が力説する。禿げ上がった短髪の頭頂部をペチンペチンと右手のひらで叩いていた。興奮をしているらしい。

「未来への展望が、開けるのですね!」


 紙屋青年が目を輝かす。

 父の豪大から聞かされた話。紙屋家は、亮輔から数えて四代前に美里市に移り住んだ後、事業を興して大成功したという。

 美里市中心部の土地家屋を多く所有していた。

 しかし、亮輔の祖父の代、全ての財産は処分されて一つの機関が作られた。それが、亮輔、豪大の所属する組織である。



「これが、何なんだ?」

 部屋の隅に立ち全てを見渡す亮輔が、銀髪の少女に尋ねる。部屋の壁には数多くの写真が飾られていた。その多くに収まっているのが石波良卓彌であった。

「最初の終わり……。終わりの始まり……。神の言葉……」

 マリヤの姿をした少女は、もったいぶった言い方をした後、安楽椅子の老婆を指差した。


「主人は、頭の中で鳴り響いていた音を全て譜面に起こしたら、音がピタリとやんだと申しましたの……」

 皺だらけの手で、傍らの孫娘の頭を優しく撫でる。

「これぞ、神のメッセージ!」

 上気した顔で部屋の中を歩き回る青年、紙屋かみや 源太げんたは、三宅川みやがわ さとし教授の肩に力強く手を乗せた。


「そうだ、紙屋君。この発見は世界を変える! いや、世界の成り立ちを根本から揺らがせるのだよ!」

 再び自分の禿頭をペチペチと叩く。

「おばあちゃま?」

 孫は祖母の顔を見る。彼女は窓の外から見える山々を眺めながら、涙をこぼしていた。


「彼らが突き止めたのは、世界の真理だった」

 場面が転換する。宇宙空間に漂う亮輔たち……見慣れた景色が足元にあった。少女の声は変わらずに凜としている。


 ――地球。


 先ほどとは違っていた。亮輔が写真などでよく知る姿だった。


 青い星。

 その名の通り、球体の七割を占める海が太陽光に煌めいている。

 白い雲が浮かび、その下に影を作る。

 CG? 良くできたミニチュア模型にも見える。


 ユーラシア大陸の東の端、弓状の列島に近づく。暗い影に覆われていた。

 その場所に陽光が降り注ぐ。夜が明けたのだ。


 美里市のあるべき場所――そこには大型のクレーターが形作られていた。ポッカリと大きな黒い穴が穿たれている。大都市が消失していた。



「何だ、これは?」

「これが、本当の地球の姿……」

「本当? さっき見せられた地球は、何なんだ?」

「亮輔たちの住まう美里市は、切り捨てられて違う宇宙に送られた……」

 言葉の意味を理解出来ず、呆けた顔を少女に向ける。


「悪かった、説明をしよう。さっき見せた彼らは、ピアノの演奏が神から送られた暗号だと解釈した。それらは二進法で表現されるアルファベットだった」

「暗号?」

「そうだ。メッセージを解読すると、とある文章が読み取れた。その中で、重要な事柄は『人は誰しも、一つの願いをかなえられる』という点だったのだ」

「願いをかなえる?」

 暗い穴に向けて電車が走る。真っ直ぐに黒い空間に吸い込まれていく。


「仕組みは今でも、よくは分かっていない。人は一生のうちに、一回だけ願いをかなえる事が出来る。その願いには個人差があるが、おおよそは幼い頃に使われてしまい、本人は自覚無く一生を終える」

 亮輔は眼下の黒い穴を観察する。先ほど吸い込まれていた電車が、やがて穴の反対方向から排出されてきた。高速道路を走る車も、次々と穴の縁に吸い込まれ、反対の縁から吐き出される。



「大抵の願いは、『駄菓子屋のクジが当たりますように』とか、『じゃんけんで勝ってオニになりませんように』とか、『割った花瓶がお母さんに見つかりませんように』など、極めて限定的で他者への影響が少ない望みなのだ。それに、物理法則を無視した願いも排除される。エネルギー保存の法則やニュートン力学、エントロピー増大の法則、エトセトラ、エトセトラ……。『駄菓子屋のクジで高級自動車が当たりますように』、『じゃんけんで永久に勝ち続けますように』、『割れた花瓶が元に戻りますように』……それらは神の領域、奇跡の範疇だ。そして生命を軽々に扱うことも出来ない、死んだ人間を生き返らすことは勿論出来ない――普通の人間にはな」

「普通? じゃあ違う人間がいるのか?」

 亮輔は少女を見る。


「そう、普通でない人間が確かに存在する」

「それが、明日花なのか?」

「そうだ、これも理屈は解明されていない。先ほど言ったな、壊れた物は元には戻らないと。死んだ人間は生き返らないと。だが、その逆は可能だ。願えば、破壊の限りを尽くすことも可能だし、人を殺すことも出来る。理論上、人類の破滅を願えば――かなえられる事になる」

 少女は眉間に皺を寄せて、厳しい顔となる。美少女の容貌は消え、口調からか老婆にも見える。


「明日花が死ねば、世界が滅びる――俺の聞いた、その話の出所はいったい何処なんだ?」

 亮輔の問いに目を瞑る。


「それは、事実であり……事実でない」

 苦しそうに答えていた。何かを隠している――亮輔は瞬時に悟る。

「何が事実で、何が事実でないんだ?」

 彼は少女を追い詰める。彼らの組織の存在理由の根幹に関わる問題なのだ。

「明日花が――あの少女が、望めば人類が滅びる――それは事実だ。だが、死んだ場合に必ずしもそうなるとは断言出来ない。死にゆく瞬間に、人類を悲観してしまえば滅亡もあり得る。死を感じさせない瞬間に殺してしまえば、破滅を防ぐことが出来るかも知れぬ……」


 亮輔は綿奈部円香の言葉を思い出す。

「死んだ場合には能力が誰かに引き継がれるだけなの」

 言葉の意味……。



「明日花が死ねば、能力が引き継がれるのは本当なのだな?」

「あぁ!」

 少女は自暴自棄気味に、吐き捨てるように言った。まだ何かを隠している――亮輔は追い詰めることを決心する。

「明日花に能力が芽生えたのはいつなんだ? 十年前、小学二年生の時に隣に引っ越してきたときには能力が備わっていたと聞いた」


 父、豪大に聞かされた事実だ。

「明日花の前の能力者は……亮輔、オマエの母親だった」

「え? 母さんが?」

 驚いた顔を向ける。

 思い当たるフシがある。母親が死んだのは十年前。明日花の両親が死んだのも、同じく十年前だ。その時に何かが確実にあった。

 母、美里亜みりあの面影……妹の彩里の顔に酷似していた。美人の母。

 その母親が能力者だったとは……。



 少女は、苦しそうに絞り出す。

「オマエの母親を殺したのが……明日花の両親だ」

「何だって!?」

 大きな声を出す。

「その、明日花の両親を殺したのが豪大だ……」

「え……」

 今度絶句するのは、亮輔の方だった。



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