#03「人に言えない僕のバイト」-2
◆◇◆
――午後三時十分。
「あ、先輩! さようなら!」
彩里の同級生、佐冬三鈴が明日花とマリヤを走って追い越しながらそう言った。
雨はやんでいた。しかし、低くて暗い雲が空に広がる。
「三鈴ちゃん! 下り坂で走ると危ないよ……」
悠長に言ってる間に、後輩は遥か先を進んでいた。高校から駅へと向かう道。
所々にある外灯が、点灯を始めている。
「電車が!」
それだけを口にして、坂道を勢い付けて駆け降りていった。
見る見ると小さくなる背中を見つめる。明日花たちの高校と線路を挟んだ反対側には、中高一貫のミッション系の大きな女子学校がある。そこの生徒たちの帰宅ラッシュと重なるため、電車が混まないようにと急いでいるのだ。
電車通学も大変だな――明日花が考えている間に、自宅へと到着する。徒歩五分の通学時間は、何ものにも変えがたい幸せだ。噛みしめる。
「ここよ」
明日花が指差すと、マリヤは珍しそうにして家の全景を眺めていた。
家の造りは隣の紙屋家と大差無い。小さな門扉を開けて、コンクリートの無味乾燥の階段を登る。玄関の鍵を開けて客人を招き入れる。
他人がこの家に上がり込むのは、どの位ぶりだろうか――明日花は考えて、途中でやめた。
最後に入ったのは昨年末の亮輔が最後だった。誰にも侵させない明日花の領域。料理や掃除だとか言う彩里の提案を、ことごとく断り続けている。
何故か譲れない明日花の小さな自尊心だった。家事は全くダメだが、そこまでは紙屋家には頼ってはいけないのだ――という心の叫び。
「小さくて可愛い家」
玄関先から内部を見渡し、マリヤがこぼす。失礼な言い草だとは思うが、言い返せない。これでも、両親が残した明日花への唯一の財産。
亮輔と結婚したら、この家に二人で住むんだ――誰にも言えない自分の願い。
靴を脱ぎ、勝手に上がり込むマリヤだった。
「あ、待って……」
「明日花! これは台所で良いの……かな?」
キッチンから声が聞こえた。
「そうよ、パンは冷蔵庫に入れておいて! お重は洗うから、流しの横に……」
ゆっくりと靴を脱ぎ、マリヤの脱ぎ散らかした小さな革靴を手にとって眺め、玄関に揃える。
本当に子供なんだな――実感する。
「今から、お部屋に案内するから!」
呼びかけるが返事がない。
ダイニングキッチンへと向かう。
椅子に座り、ジャムパンを食べようとしていたので取り上げる。高い椅子に座り、足をプラプラさせていた彼女は不満そうに口を尖らせる。
「ぶー」
「行くよ」
「行く? どこへ?」
「マリヤちゃんの新しいお部屋」
そう言うと、素直に従うマリヤだった。明日花は、テーブルの上に投げ出されていたパンと風呂敷包みとを片付ける。
幅の狭い階段を登って二階に出る。廊下の奥が自分の部屋だが、手前の扉の開いた部屋に案内する。何もない部屋。畳んだ洗濯物――バスタオルだけが置かれている。
窓の外。小さなベランダには明日花の下着が干してあった。慌てて取り込む。
雨に降られたが、軒下なので濡れてはいなかった。
「マリヤちゃん、荷物は?」
「荷物とは何?」
「マリヤちゃんの持ち物」
「無い」
「マリヤちゃんの身の回りの品は無いの?」
「身の回り?」
「マリヤちゃんのお洋服とか、下着とか」
「無い」
「引っ越しするときに、送ったりしなかったの?」
「無い」
家具も置かれて居ない六畳の和室の端と端。二人の間で禅問答のような会話が交わされる。
「え?」
驚いた顔をマリヤに向けた。
そういえば学校から帰るときも、彼女の手持ちの品は無かった。授業中は明日花のノートと筆記用具を貸し与えていたが、ノートを取ることもしなかった。
教科書も持っていないので隣の女子と机をくっつけてはいたが、黒板も見ずに窓の外だけを眺めていた少女。
後ろの席の亮輔は注意さえしない。席替えを担任教師に提案しよう。マリヤの隣、亮輔の席の近く――明日花は自分の不遜な考えに気が付き頭を振る。顔が赤くなっていた。
「明日花、良い眺め」
いつのまにか勝手にベランダに出ていたマリヤが、外を指差す。
「晴れていると、もっともっと遠くまで見渡せるのよ」
横に並ぶ。
山の麓では、暗い雲が広がっている。下校時は一旦止んだ雨だったが、夕刻には一雨来そうだと感じていた。窓からの風が少しヒンヤリとしている。湿気を含んでいるのが判る。明日花のクセの強い髪の毛が、少し縮れてきている。
自分の髪の毛を摘んで見る。
「アレは、なに?」
指差した先に、高層のタワーマンションが見えた。円香の住んでいた場所……。
「美里タワーよ」
「じゃあ、隣は?」
「美里モール。亮輔がバイトしている場所」
「亮輔?」
「マリヤちゃんの後ろの席の男の子。お昼、一緒に食べたでしょ」
「ああ、明日花の好きな男」
何でもないように、ポツリと言った。小さな女の子に自分の気持ちが見透かされている!
明日花は驚愕の表情でマリヤを見つめる。
「何、言ってるの! 亮輔は違うわ、タダのご近所さん。タダの幼馴染み……」
顔を益々赤くして、取り繕う言葉を探す。
「好きなんだろ」
疑問系ではなく、断定の言葉だった。
「それはそうだけど……あくまでも友人として……」
これ以上は言い訳が見つからない。
「亮輔に会いたい!」
「えぇー!」
マリヤの突然の申し出に、驚きの言葉が漏れていた。




