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#03「人に言えない僕のバイト」-1

 ――午前八時二十五分。

 県立美里ヶ丘高校、二年三組。


 教室では、朝のショートホームルームが行われていた。

 担任教師からの連絡事項が、黒板の箇条書き通りに告げられていく。教師の唾の届く範囲に座る石波良明日花は、避ける意味も含めて、首を右斜め後ろに向け、窓際の最後部の紙屋亮輔を見る。

 彼はブレザーの下に白いコルセットを着込んでいた。朝、登校途中に問いただすと、バイト中に転んで肋骨を亀裂骨折したと、右手を頭の後ろに当てて笑っていた。

 その時に、心配で顔を曇らせていた明日花だった。



 朝の登校風景。

 綿奈部円香一人が居ないだけで、明日花、亮輔、彩里の三人には殆ど会話がなかった。

 その円香の席を見る。亮輔の前。今は当然、空席となっている。


「あーそうだ、みんな知ってると思うが……」

 二年三組の担任教師、三波みなみ 藤二とうじが、ことさら大きな声を出して切り出す。先ほどまではボソボソと聞こえるか聞こえないかのような声だったが、途端に声を張る。彼の中での最重要事項だと生徒たちは理解する。


「諸君らのクラスメートの綿奈部円香くんが、ご両親の仕事の都合とやらで、急に引っ越すことになってしまった。先生も昨日の放課後に聞いたばかりでな、まあ、引っ越し先とか聞けてないわけだ。ぶっちゃけると……」

 担任の本音を含んだ率直な言葉を受け、クラスの全員が不満の声を漏らす。


 それほどにも、円香には人気があったのだ。

 明日花は再び窓際の亮輔を見る。関心が無い様に振る舞っているのか、外の風景を漫然と眺めていた。


 担任の教師が、引っ越し先を知らない? 亮輔も教えてくれなかった。何て不自然なの――明日花は違和感を覚えていた。


「で、唐突なのは重々承知しているがぁー、新しい同級生を紹介する。おぉーい、転校生ぃー!」

 教師は、多少演技過多気味に廊下の方向に呼びかける。生徒一同がそちらを向いた。亮輔一人を除いてだが……。


「ガラッ!」

 遠慮無く教室前方の扉が開いて、少女が入ってきた。

 朝からずっとうつむきがちだった明日花は、少し驚いて顔を上げた。教卓前、その少女は生徒たちに向き直る。明日花の席の、目の前に立っていた。



 転校生の事を少女と形容したが、とても幼い顔と体つきの子供だった。

 同級生? とても高校二年生には見えない――明日花は感じていた。


「えーとだ……」

「わたくし名前は、マリヤ・ドリナと申します。旧・ソビエト連邦のウクライナ国出身です。家族の仕事のため、美里市に引っ越してきました。年齢は十一歳です。この度、飛び級で高等学校への進級が認められました。いたらないわたくしですが、皆さんよろしくお願いします」

 無精髭だらけで、薄汚れた白衣をまとった教師が話し出す前に、銀髪の少女が遮って自己紹介を始めた。丁寧に語った後に頭を下げる。流暢な日本語だった。


 教室内には一瞬ざわめきが起きる。少女の容貌もあって、それに拍車を掛ける。腰までの銀色の長い髪の毛と、瞳の色は透明感を湛えた淡いブルーであって、宝石のように見える。

 目鼻立ちはクッキリとしているが、派手さはなく、小さな鼻と口が人形の様に思える。

 制服の黒いセーラー服姿により、非現実感がいっそう際立つ。十一歳という年齢よりも小さな体で、手足も細かった。

 教室内の生徒たちは少女に見とれて、静けさに包まれる。



「ま、そういう事だ。席は空いてるところに、適当に座ってろ」

 担任教師は肝心な説明を端折って、全てをすっ飛ばして進めてしまう。生徒たちもキョトンとした、呆れた表情を向けていた。

 明日花は少女――マリヤの行方を目で追う。ゆっくりと歩く度に、長い銀髪が揺れていた。


 当然、東欧の天使は亮輔の前に座る事となる。

 窓の外を見つめる彼は、円香の席に人が座り驚いていた。そして、その人物が外国人の幼い子供とあって、二度見て驚いていた。

 その様子が可笑しくって、明日花は微笑みを浮かべた。昨日から数えて何時間ぶりの笑顔だったろうか――考え始めた時。

「おい石波良、朝のショートホームルームが終わったら職員室に来てくれんかな、話がある」

「え、えぇ……」

 担任の三波に話しかけられ、明日花は教師に背を向けたまま生返事をする。



 一時限目が始まるまでの短い時間、亮輔は前の席に座ったマリヤの相手をさせられる事となる。

「お前、誰だ」

「マリヤ、マリヤ・ドリナ。転校生」

「マリア? ヤ?」

「マリ、ヤ」

 マリヤの方は、顔を真っ直ぐ前方に向けたまま話を続ける。

「へー」

 関心の少ない亮輔であった。再び窓の外を向く。

「石波良明日花の家に住まうことになった。オマエの父、豪大も承知している」

 少女は口調を変えて振り返った。右手を差し出す行動を親愛の印と受け止め、亮輔は仕方無く受ける。



「ま、マリヤちゃん……。私の家に住むって本当?」

 ショートホームルームの後に、姿を消していた明日花が早足で戻って来た。亮輔の前の席に息せき切って駆け付けて聞く。

「そうですよ。明日花お姉さん、よろしくお願いします。うふふふふ」

 今度は立ち上がり、ここでも右手を差し出して来た。ニッコリと明日花に微笑みかける。何故か赤面した五歳年上のお姉さんは、マリヤの小さな手を両手で優しく包み込むように握手をする。

 しかし、亮輔はしかと目撃をした。マリヤが小さく舌を出すのを……。

 銀髪の少女は、猫を被っているのだ。

 しかし、直ぐにボロを出す事となる。



 ――午後零時十分。

 昼休み。


「マリヤちゃん、お昼ご飯はどうするの? この学校は、規模は小さいけれど学食もあるし、購買でパンやジュースも買えるわよ。お弁当なら確か、彩里ちゃんがたくさん作ってると思うから……」

 担任に言われマリヤの世話や面倒を見ることとなった明日花が、彼女の席の前に立ち語る。

「学食とは?」

 座るマリヤは、顔を上げて尋ねる。初対面時のにこやかな表情とは違っていた。目の前の明日花を不思議そうに見る。


「一階の玄関近くにあるの……軽食を提供している学生用の食堂よ。うどんやラーメン、カレーライスぐらいしか無いけどね。日替わりの定食もあるのよ」

「購買とは?」

 矢継ぎ早に質問する。


「こ、購買は、学食の隣にある購買部の事。サンドイッチやホットドッグ、各種の菓子パンを売っているの。おにぎりも売ってるよ。飲み物は自動販売機があるから、そこで買う」

「うん……」

 うなずいたまま、次の行動を起こさない美少女だった。


「マリヤ……ちゃん?」

 彼女の端整な顔をのぞき込み、尋ねる明日花。

「おい! 明日花、行くぞ!」

 後ろの席の亮輔が立ち上がり、彼女を急かす。

「あ、でも亮輔。マリヤちゃんの案内を……」

 困っているとの表情を向ける。


「お前、妹の手作り弁当でも食べてくか?」

「弁当とは?」

 少女の頭をポンポンと遠慮無く叩く亮輔だった。少女は背の高い彼を見上げて同じ様な質問を繰り返す。

「お……、僕の妹が作って学校に持ってきている。今日はちらし寿司だ。量はあるから一人二人増えても大丈夫」

 亮輔は『俺』と切り出しそうになって『僕』と言い直す。人前だと『僕』と称して妙にかしこまる。それに口調は妹の彩里そっくりだった。兄と妹も似るモノなのか――明日花は少し笑ってしまった。



「菓子パンとは?」

 質問の内容が前後する。てっきり『ちらし寿司とは?』と聞かれると思っていた亮輔は、面食らった表情となる。

「菓子パンはね……」

 明日花が説明しようと話しかけると――。

「ちらし寿司がイイ。行こう!」

 マリヤは席から立ち上がり、亮輔の手を取って教室を出て行った。


「彩里が、お前の妹なのだな……」

 廊下から少女の大きな声が聞こえる。

 明日花は急いで二人を追いかけた。



 ――校庭。


「お兄ちゃん遅いよ!」

 妹は、既にいつもの場所のベンチにシートを敷き、お重を広げて待っていた。特別棟の建物の影から現れた兄の右手に、長い銀髪の美少女の手が握られている姿を認め、顔色が変わる――それを見逃さない明日花だった。二人の後ろをハラハラと見つめながら歩く。


「明日花さん、この子ダレ?」

 警戒心に満ちた彩里の表情に戸惑う。横目で自分の隣に座る少女を睨んでいる。

「て、転校生……。飛び級で高校への進学が認められて、私たちのクラスにやって来たの。ウクライナ出身の十一歳の女の子」

「マリヤ・ドリナだ。彩里の作ったちらし寿司ってコレ?」

 年上の同級生に対しては常に丁寧だった彼女も、下級生の彩里には途端にフレンドリー且つ、無礼に接するマリヤだった。行儀悪く指を差していた。


「彩里ちゃんのお料理は、いつも美味しいのよ。ちらし寿司を食べるのは初めて?」

 明日花は気を利かし、お重から箸で酢飯を皿に取り分ける。その上に丁寧に煮込こまれた具材を盛りつけて、錦糸卵を散らす。魚介の具も盛りつける。

「ハイ、マリヤちゃん……」

 朱塗りの箸を差し出して、寿司の乗った漆塗りの丸皿を手渡す。

「ちらし寿司……」

 目の高さに皿を持ち上げ、珍しそうに見つめる少女だった。

「エビや穴子は食べられる?」

 明日花は、彩里の用意した水筒からの温かいほうじ茶をカップに注ぎ、マリヤの座るベンチの上に置く。

「うん……」



 銀髪の少女は箸を上手に使い、ちらし寿司を一口食べる。

「甘酸っぱくて、冷たいご飯……」

 偽りのない感想を、お漏らしになった。

「それが寿司ってもんだろ……」

 マリヤの隣に座る亮輔は、彼専用に用意されたお重に顔を近づけて、黒い長い箸で大きな口に運んでいる。


「舌に合わなかった?」

 取り繕うのは明日花の役目だ。料理を作った当の本人は、横でソッポを向いて黙々と食している。

「いいえ、美味しいです。ニンジン・レンコン・ゴボウと、干し椎茸とが別々に煮込まれてそれぞれの味付けが違ってますね。椎茸に含まれるおダシが、とってもジューシーです。作った人の工夫と、愛情を感じますね」

 飛び切りの笑顔を彩里に向ける。


「え? わかっちゃう? 男共はヤッパリダメね。干し椎茸の戻し汁に、昆布の旨味を加えた相乗効果を狙ったの。おダシには、かつお節と煮干しも使ったのよ。お兄ちゃんもお父さんも、味に関係なくガツガツ食べるだけ」

 彩里に笑みが戻って明日花は安心する。


「妹の、料理にかける涙ぐましいまでの努力を知っているぜ! ゲホ、ゲホ……」

 お重を急いでかき込んでいた亮輔が言う。最後に少しむせる。

「嘘ばっか!」

 兄の背中をバシンと強く叩く彩里。一同は笑い出す。いつものお昼の風景……昨日まで円香の居た場所には、銀髪の碧眼少女が座る。

 こうやって、親友のことを忘れていってしまうのか――明日花は寂しくなる。



 いつもの風景を眺める。今日の天候は曇りだった。灰色の雲に隠れる遠くの稜線。

 明日花の世界は、箱庭の世界。


「ヒヤッ……」

 首筋に冷たさを感じ、空を見上げる。暗い雲が広がっていた。あっという間に雨が本降りとなる。

 四人は広げていた弁当を急ぎ片付けて、校舎に駆け込む。



「これが購買?」

 教室棟の一階、玄関の横にあるのが購買部の窓口だった。マリヤが指差す。今の時間は争奪戦が終わって、すっかり閑散としていた。

 その奧を進むと学生食堂がある。その場所は賑わい、生徒たちの歓声が漏れてきている。


「そう、購買部」

 明日花は答えて、階段の手すりに手を掛けた。

「……どうしたの? マリヤちゃん、教室に戻るよ」

 腰を下ろしアゴに両手を当てて、ガラスケース内に並ぶパン類を眺めるマリヤ。


「先行くぞ!」

 亮輔は、お重を包んだ風呂敷を肩に担いで催促してきた。その後ろを彩里が続く。

「まって……」

 明日花の言葉は届かない。二人はさっさと教室に戻る。ガラスケースをのぞき込み、テコでも動かないぞ――決意のマリヤ。


「パンが食べたいの?」

 明日花が聞くとマリヤはコクリとうなずいた。

「何をお求めなのかな……アラ、お嬢ちゃんは、本当にウチの高校生?」

 ラッシュが終わり、奧で一息を付いていたおばちゃんが店頭に出てくる。ガラスに貼り付く銀髪の美少女を目撃し、少し驚いていた。


「お勧めはなに?」

 ガラスに頬を付け、上目遣いにおばちゃんを見つめる。

 早く教室に戻りたいのに――おばちゃんに尋ねるマリヤをハラハラと見つめる明日花だった。

「全部お勧めと言いたいけど、人気があるのは売り切れちゃったねぇー」

 残念と言いたげに、腰に手を当てて上半身を反らす。

 カーリーヘヤーで、色黒の太めの体型。こんな黒人のゴスペル歌手がいたな――場違いな事を考えるマリヤの付き人だった。

 学校の皆は「購買のおばちゃん」と呼んではいるが、まだ三十歳台の前半の年齢だ。



「人気商品はなに?」

 まだ食い下がるか――流石に、呆れてしまっていた。

「人気なのは焼きそばパンに、コロッケパン。カツサンドにツナサンドも直ぐ売り切れるわね。あんパンにクリームパンも根強いね」


「ピロシキ?」

 マリヤは一つ売れ残った揚げパンを指差す。

「これはカレーパンね。冷たくても美味しいけど、そこのレンジでチンすると更に美味しくなるよ」

 おばちゃんは自販機の方向を指差す。

 そこの隣に、電子レンジが設置してある。

「じゃあそれと、これと、これと、これ」

 少女は欲望の赴くままに、次々と商品を指定する。



「マリヤちゃん……」

 そんなに食べられないよ――明日花は彼女の小さな体を見て、言い出しそうになる。既に昼食のちらし寿司をたっぷりと胃袋に運んでいるからだ。

「ハイよ、カレーパンにりんごジャムパン。ハムカツサンドにマカロニサラダパン」

 カレーパン以外を白いビニール袋に詰め、一つだけ茶色い紙袋に分けていた。

「これは、そこの電子レンジで温めるのよ。合計で、税込みの四百八十円」

「税?」


「買った金額に、一定の割合で上乗せさせられるの……」

 後ろの明日花が説明する。

「……四百八十円だよ」

 もう一度、購買のおばちゃんがマリヤに笑顔で催促する。しかし、動作を起こそうとはしない美少女だった。

「あ、私が払います。払います……」

 明日花は、スカートのポケットから小銭入れを取り出して、五百円玉をおばちゃんに手渡す。

「ハイお釣り……。またね、お嬢ちゃん」

 手を振っていた。振り返すマリヤ。



「明日花、どれを温めるの?」

 白い袋の中をのぞいている。

「マリヤちゃん。それ全部食べられるの?」

 明日花は心配になる。それに温めるのは、脇に挟んでいる茶色の紙袋の中に入っているじゃないか――彼女は頭を抱えそうになる。


「ううん」

 ブンブンと首を振り、しなやかな銀色の長い髪が揺れる。

「ハア……」

 溜息を吐いてしまった。不思議だと言わんばかりの目を向けられて、困惑する明日花だった。

 飛び級というだけあって学校の勉強は出来るのだろうが、一般常識というモノが全く備わっていない。

 そんな子が、自分の家に来るという――恐怖でしかなかった。


 幼児よりも手が掛かる。赤子と一緒だが、自分で勝手に動いて喋る分、始末に終えない。今後の、苦労は計り知れない――そう思っていた。

「自販機?」

 購買窓口の横に四台の自動販売機が並んでいた。たくさんの種類の飲料がある。

「そうね。そうね……」

 これ以上はゴメンだと、少女の手を強く引いて二年三組の自分たちの教室に戻る明日花だった。



 ――午後二時五十分。

 放課後。


「亮輔は、今日もバイト?」

「ああ、昨日は一時間遅刻したからな」

 カバンを肩に担いだ彼は、足早に教室を出ていった。


 明日花はその姿を見送って、胸に手をやった。亮輔のアルバイトの目的は円香への誕生日プレゼントでは無かった――安心する――と同時に暗い顔になる。


 親友が突然に姿を消して、それを喜ぶ自分。

 不謹慎で、不真面目で、不道徳だ。

 でも、自分の誕生日は直ぐそこに迫っていると思い直す。淡い期待――抱いて良いモノか……。



「明日花、帰ろう」

 マリヤが制服の左袖を掴んで引っ張る。

「あ、うん。マリヤちゃん。私の家に案内するよ」

 手ぶらの美少女に、空のお重が入った風呂敷と菓子パンの袋を手渡す。

 ――パンは夕飯にしよう。そう考える彼女だった。



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