托卵令嬢は父の子をねだる
落下しながら最後に見たのは、私に手を伸ばす美玲の顔だ。
驚きと悲しみに顔を歪ませる娘にすまなく思う。父が死んでも強く生きてほしい。そしてどうか幸せになってくれ。
──見つけた。
父と娘の今生の別れに無粋な声が割り込む。
急に視界が暗くなる。娘の顔が遠ざかる。ああ。見えなくなる。ああ。ああ。
妻に裏切られ、娘の目の前で殺されようという父親になんという仕打ちか。
──異世界の我が半身よ。そなたには我の体に入ってもらう。
大音声──の思念?──とともに、目の前に筋骨隆々な大男が現れた。大理石の彫像っぽい顔立ち。凹凸にこだわり抜いた筋肉。ヒゲは剃ってある。皮はかぶってる。全体としてギリシア・ローマ系といえよう。
男の出現と同時に大量の情報が流れこんできた。魔法? 〈門主〉? 死ぬ前の走馬灯にしてはガチャついてる。概要を人工知能に整理してほしい。A4用紙一枚くらいに。
──我と同じく妻を寝取られた魂の同志よ。頼みがある。
嫌な魂の同志だな! もういい。どんな頼みかは知らないが私はもう死ぬ。私の魂を忘却の河に流してくれ。
……ん? 待って。レテって何? 怖っ! 知らない言葉を自然に使ってるよ!
──やはり我が半身。意識の定着率が高い。我が魔術理論は正しかった。このまま発展することができれば異世界との……いや今は時間がない。
これから死ぬ人間に時間なんか関係ない。
思念を打ち切ろうとしたとき、流れてきた情報の中に見知った少女の顔をみつける。
美玲! 美玲じゃないか! 髪を金色に染めているし、瞳には碧のコンタクトをつけてるけど、その程度の変装ではお父さんは誤魔化せないぞ!
──失礼なことをいうな。それは我が娘のミレイだ。
やはり美玲じゃないか。よかった。異世界で幸せになったんだね。
──ミレイはもうすぐ死ぬ。
なんだって!
──〈門〉から魔物の群れが溢れた。裏切り者の我が妻の仕業だ。我と娘は〈門領〉を守るため戦いに向かったが我は妻の罠にかかり斃れた。ミレイひとりでは長くはもつまい。
妻に裏切られたのは私も一緒だ。それに娘もいるとなれば他人事ではない。
なんとかならないのか。
──我の体を使え。〈門主〉の力をふるって戦え。
他人事ではないが自分の身で戦うとなると……これまでの人生では魔法も暴力も遠い存在だったので……
──そなたの魂の記憶を閲覧したが学生時代はテロリストが学校を占拠したらどう戦うかとか、町にゾンビがうろつくようになったらどうやって生き延びるかをノートに書いて真剣に考えていたようではないか。これはその応用だと思え。
やめろ。消し去りたい青春の記憶を暴くのは。
──それに。
声、というか思念の調子が変わった。
──まだ理論段階であったが我の魔法を発展させれば、地球と接続する〈門〉を開くことも可能となろう。そなたの娘をこちらの世界に召喚させることができるやもしれぬ。
詳しく。リスクとペナルティ次第では前向きに善処したいので。もし猿の手案件だったら全力で断らせてもらうが。
──時間がない。選べ。このまま忘却の河を流れ魂にこびりついた業ごと浄化されて消えるか。それとも我の肉体を使うか。
くそっ。さてはおまえ、細かい文字でびっちり書いた使用許諾契約書をちゃんと読ませずサインさせる系のセールスマンだな。思念の裏に黒いものが見え隠れしてるぞ。
──まさに。その危険を踏まえた上で、選べ。
諾。
──すべてをしろしめす〈原初ノ門〉よご照覧あれ! ここに契約はなされた!
早まったかなぁ。でもこの選択肢、断っても消えない無限ループっぽかったものなぁ。
++++++++ 托卵令嬢視点 ++++++++
死蟲第二波の殲滅が完了。吾は肺と声帯に魔力を回す。
「よくやりましてよ〈信者〉の皆さん! これより六〇分の大休止といたしますわ! その間に輜重兵は弾の補充を! 衛生兵は負傷兵の手当を! 工兵は防壁と塹壕の補強を! 皆さん、大急ぎで軍糧つめこんで、しっかり働くのですよ!」
言い終えると同時に魔力が切れた。どっ、と汗が噴き出したのがわかる。
天幕まで優雅に歩いてみせるが膝はガクガク。あ、もうダメ転ぶ。吾の体が前に倒れながら垂れ布を通過すると同時に侍女が素早く遮音魔法をかけてくれたおかげで、床に顔から激突した音は外には漏れませんでしたわ。
「姫様を浴槽へ!」「魔力回復薬、追加投入!」「濃度限界です!」
「鼻血なんかほっときなさい!」「で、でも血がこんなに」「止血だけしとけば身体強化で勝手に治るわ!」
さすがお父様に鍛えられた戦闘侍女小隊ですわね。吾のつま先から頭のてっぺんまで高濃度の魔力回復薬につっこむとか乙女の柔肌に容赦なさすぎではありませんこと? うおー、魔力が全身に染みこんで皮膚がピリピリして痛いですわー。
「ミレイ様。返事はなさらないで聞いてください。悪いニュースと、もっと悪いニュースと、最悪に悪いニュースがあります」
「ゴボガボゴボ」
「返事するなって言ったろうが。悪いニュースは第三波の開始時間が早まりました。二時間後には死蟲が出現を始めます。もっと悪いニュースは第三波の総量が推定の倍近いです。そして最悪に悪いニュースは援軍は来ません。あの裏切り者の呪われし奥方様が遁走のついでに城からつながる橋を破壊しやがりました」
予想はしていましたがお父様を裏切ったあの最低の浮気女はここでお父様の領土をすべて破壊する魂胆ですのね。あの女の血が吾の体に流れていると思うと今から手首を切ってすべての血を魔力回復薬と交換してしまいたくなりますわ。
……ちょっとやってみようかしら?
「あ、悪いニュース追加します。第三波が倍になる想定で弾薬消費量を再計算しました。足りません。ピーク時まではなんとかなりますが、殲滅には足りません。かなりの撃ち漏らしがでます」
中止。そんなヒマはなくなりましたわ。
弾薬が足りないということは、殲滅には近接戦が必要になります。吾の魔力では〈信者〉を限界まで強化させても死蟲相手では足止めが精一杯でしょう。
仕方ありませんわね。優雅ではありませんが、吾が前線で戦わなくては。
「姫様」
侍女頭が浴槽に手を入れて私の頭を持ち上げ、顔を近づけて小声で囁いた。
「ここは〈門〉の確保を諦め撤退も視野にいれるべきかと」
「殿軍がいませんわよ」
「お許しいただけるのであれば、我ら戦闘侍女小隊が時間を稼ぎます」
「却下ですわ」
「ですが! このまま栄光ある天環神族の血を絶やすわけには──ッッ! 失礼しました!」
「謝ることはありませんわ。吾もまだ受け入れることができないでおりますもの。吾が“そう”であることに」
吾の頭を支える侍女頭の手に、自分の手を重ねる。
高濃度の魔力回復薬で満たされた浴槽に手を突っ込んだ侍女頭の手はすでに皮膚が爛れはじめている。対して吾の手は少し赤くなってヒリヒリする程度。
これこそ神族の血を継承する〈門主〉が完全上位種である証。たとえ忌々しい星核神族の血であったとしても。
「吾の身に天環神族の血は一滴も流れてません。ここを撤退したのち流亡の民を率いて新たな〈門〉を目指す資格はないのです」
「そんな……こと、は」
ない、といえないのが侍女頭の優しさですわね。
「ですが。希望はあります」
吾は指さす。魔物わきだす黒く濁った〈門〉の中に、一本だけ残った白く輝く柱を。
「お父様は戦っておられます。〈門〉の向こうで。吾はお父様の帰還までこの地を守ります」
「はっ。我らも姫様と共に」
「ありがとう。討伐は吾ひとりでなんとかなるのですが、お父様に会うなら戦いの後で湯浴みとオシャレをしませんとね」
「おまかせください。準備しております」
侍女頭の後ろで、侍女たちが得意顔で吾のドレスや装飾品を掲げてみせた。どれも染みひとつなく輝かんばかり。自分たちは泥と血にまみれたままのくせに。
やだもう、泣きそうになりますわね。
続く死蟲第三波との戦いは苛烈を極めましたわ。
第一波、第二波で学んだのでしょう。小集団ごとに、鈍重だが装甲の厚い個体を外側に、瞬発力があり鋭い爪を持つ個体を内側に入れて迫ってきます。
立ち向かう五〇〇人の〈信者〉は、吾の強化魔法で身体機能を強化させて戦います。投石兵は投石紐を振り回して重く固い砲丸をぶん投げ、重弩兵は手槍ほどの矢を放つ攻城弩を片手で装填して発射。死蟲を次々と屠っております。当然、矢弾はすごい勢いで減りますので手すきのものは総出で重い矢弾を担いでますわ。彼らも身体強化してあげたいのですが、今はその余裕がありません。
戦い方でおわかりいただけると思いますが、死蟲との戦いは遠戦のみです。近寄って戦うことはありません。
あいつら臭いので。
いえ、本当に死蟲は命に関わるほどに臭いのです。吾なら大丈夫ですが、〈信者〉では身体強化してさえ涙や鼻水が止まらなくなりますし、強化してなければ臭いだけで死にます。
なお、吾戦闘中はひたすら魔術紋が描かれた舞台の上で踊っています。
呪術的にさだめられたステップをただただ無心に踏む。己の中にある魔力を吸いあげ、強化術式に変換し、さらに魔術紋をとおして〈信者〉に流すことだけを考えて。
なので戦況はわからないのですけれども、吾だからわかることがあります。
──またひとり。減りましたわね。
魔術紋から〈信者〉につながった呪的回路が一本、また一本と途絶えていきます。第三波前は五〇三本。それが今は四八八本。
戦死したとは限りません。負傷して魔力を受け取ることができなくなっただけかも。ですがその場合でも、腕や足が切り飛ばされるなど重傷なのは間違いなく。
──あの女。絶対にブッ殺してさしあげますわ。それもただでは死なせませんことよ。手足を落として達磨にしたあと、この戦いで死んだ〈信者〉の名を刻んだ壺につめて魔力を搾れるだけ搾ってやりますわ。一年くらいは苦しんでもらわないと。
さらに一本減って四八七本になったところで、侍女が呼びかけてきました。
「姫様、小休止の時間です」
戦闘侍女が銅鑼を鳴らし、吾は身体強化魔法を中断します。天幕で隠す手間をかけることなく、駆け寄った侍女が倒れる吾を抱えて魔力回復薬の浴槽へドボン。扱いがほとんど即席の漬物ですわね。
「姫様。今のところ弾薬消費量は想定範囲内にとどまってます」
「ですが防壁と塹壕の破損は予測より高くなっております」
報告を受けながら、吾は己の魔力回復状態を確認します。
対魔物戦では初陣に近い吾ですが、今のところ魔力量には余裕があります。腹だたしいことに、これはあの女の血のおかげもあるのでしょう。星核神族は古来よりバカ魔力で有名でしたし。
だからこそ、イヤな予感が拭えません。
──あの女が、この状況を予測しそこねた? ありえませんわ!
吾を使ってお父様に致命の罠をかけるほど用意周到なあの裏切り者が、吾で防げる規模の暴走を仕掛けた? 自分が逃走する時間稼ぎだけならその可能性もありますが、城からつながる橋を破壊しているのです。
自分の娘ごとすべてを葬り去る計画を練ったはず。
吾は魔力回復薬の浴槽から顔だけを外に出す。
「お父様の槍斧を準備しておきなさい」
「お館様の? いつもの刺突剣ではなく?」
「使うのは刺突剣です。ですが、相手によっては槍斧が必要になるかもしれません」
チラと視線を侍女頭に向ける。彼女はすごく不満そうに、けれど否定はせず槍斧を準備するよう配下の侍女に命じた。
「念のためです。そうですよね姫様?」
「ええそうよ。念のための備えですわ」
それから吾は浴槽に二度浸かりました。
呪的回路は四〇四本まで減少したものの、死蟲第三波はほぼ駆逐。
あとは最後の最後に出てきたコイツを退治すれば、終わりです。
「姫様、こちらを」
侍女頭が吾に背中を向ける。彼女が背負っているのはお父様の槍斧。自分で吾に手渡さないのは侍女頭はすでに右腕を失い、左腕もちぎれかけているせい。
「魔物の包囲を突破したあなたの武勇は未来永劫称えられましてよ」
「光栄の……極……」
気を失って倒れる侍女頭の体を支える。よかった。消えかけですが生命はまだ途切れていませんわね。さすがは古強者戦闘侍女ですわ。
吾は柄のところで折れた愛用の刺突剣を地面に投げ、お父様の槍斧を握りました。超密物質製の武器で、これ一本で吾の体重の倍の重さです。慣性も重量相応なので振り回すには全身を釣り合い錘りとして使う必要がありますわ。
「さて──」
槍斧を構える吾の前には刺突剣が目玉に刺さった巨大なイモムシ型の死蟲。館ほどの大きさがある巨体は体節ごとに穴があいており、そこから緑色の粘液を垂れ流しています。爪とか牙のような攻撃手段はもってませんが、とにかく大きくて頑丈です。近接戦で倒すにはもっとも不向きな相手ですわね。こんなのが最後に出てくるとわかっていれば重弩兵用の矢弾を残しておきましたのに。
いえ、逆ですわね。
こいつは重弩兵用の矢弾が尽きているからこそ最後に〈門〉から送り出されたのでしょう。お父様の〈門領〉を汚染し尽くし、滅ぼすために。
「どこまで性格が悪いのでしょう、あの女はっ!」
罠でお父様を暗殺できればよし。
できなかった場合でも、お父様が戦えなくなることを見越して領地を魔物に襲わせる。
それすら妨害されそうなら、領地汚染に特化した死蟲を送り込む。
「させません。ここでコイツは討伐します。お父様が愛する領地を汚染させてたまるものですか」
──たとえ、刺し違えてでも。
うかつに口にすると本当になりそうなので吾は胸のうちで覚悟を決めました。そしてお父様の槍斧を振りかぶり、地面を蹴って巨大死蟲に挑みます。
++++++++ 父視点 ++++++++
〈門〉を抜けた先に美玲がいた。
髪の色も瞳の色も体格も違う気はするが、父親が娘を見誤るはずがない。この子は美玲だ。槍斧を手にした美玲は巨大なイモムシのような化物と戦い血だらけになっている。
美玲、お父さんだよ! ここから逃げよう!
「「愛しき娘よ。我が帰還までよく戦った! この父が誉めてつかわす!」」
なのに私の口から出たのは、まったく反対の言葉。しかも聞いたことのない音節を並べた言葉だった。くそっ。やはり肉体の使用許諾契約書はきちんと細則まで読んでおくべきだったか。
私を見る美玲の顔が歓喜に染まった。娘の輝かんばかりの笑顔をみれただけで、すべてを許してしまえるのは父親の性か。
「お父様! お帰りになると信じておりました!」
そのあと小声で「よかった、口にしてなくて。本当にそうなるとこでしたわ」とつぶやいたのも聞こえたが、こちらも似た音節の言葉だった。言葉の並びからは英語のようなSVO(主語・動詞・目的語)ではなく、日本語と同じSOV(主語・目的語・動詞)言語と推測できる。
やはりここは異世界だ。でも目の前の少女が自分の娘だと感じる思いに変わりはない。そこに理屈はなく、どうしようもなくそう感じてしまうのだ。
「「あとは任せよ」」
私はそういうと、槍斧を握っ──重っ! 金塊かよ! いや、金より重いなこれ! 原子核に陽子と中性子どれだけ詰め込んでるんだよ! 勝手に放射性崩壊とかはじめないだろうな!
重くはあるが手には馴染む。この体が使い込んだ愛用の武器なのだろう。
頭の中に槍斧の使い方が浮かぶ。あまりに多いので地球時代にゲームで遊んだときのようにリスト化してみる。スキル・消費コスト・時間・射程・威力など項目をつけてソートする。
敵は巨大イモムシ。死蟲の一種だ。魔物としては装甲も攻撃力も弱めだが、とにかくタフだ。中枢神経系をもたないから即死せず、汚物を撒き散らし続けることで土地を穢すことに特化している。
ならば。
最適のスキルの組み合わせを選択。
「「我が〈門領〉を侵したこと万死に値する! ぬうううんっ!」」
中央より尻尾側の体節に槍斧を突き刺し、梃子の要領でひっくり返す。異世界でもアルキメデスの原理は通用するようだ。ありがたい。古典力学が信用できない異世界だと打てる手が少なくなるからな。
ひっくり返った死蟲の腹の中央。赤い痣のような紋がある。その上から槍斧で深く貫く。
じたばたじたばた。
死蟲が暴れるのを強引に抑え込む。ここでは〈門主〉の力を使っている。先に言ったように古典力学はこの異世界でも通用する。質量は質量だし、運動量は質量かける速度だ。死蟲の巨体と質量がそれにふさわしい運動量を生じさせれば〈門主〉といえど抑え込むことはできない。質量が足りずふっ飛ばされるだろう。
では死蟲はどうやって巨体を動かすエネルギーを発生させているのか。これが地球であれば細胞のミトコンドリアがATP-ADP回路を通してエネルギーを発生させる。だがここは異世界で、しかも魔物と呼ばれる存在は細胞内にミトコンドリアもアデノシン三リン酸も持ち合わせていない。たぶん。なので酸素を細胞に回す手間もかけない。おそらく。かわりに門の向こうに満ちる魔力を赤い痣のところで受信してエネルギーに変換して体内にめぐらせている。
そこで私は魔物が魔力を受信する痣を槍斧で貫き、〈門主〉の力で魔力を散らして死蟲がエネルギーを生成できないようにし、動きを抑えているのだ。
さほどに待つこともなく、死蟲はぐったりと動かなくなる。魔力の補助がなければ自重を支えることも不可能な巨体が仇になったのだ。
魔力は体内での汚物生産にも使われている。この死蟲の死骸を片付ければ領内の汚染は最低限にとどまるだろう。
さて、魔物の討伐は終わったようだが──
「お父様っ!」
血だらけ痣だらけな上、露出度高めの衣装で私に抱きついてくる美玲。
どうしよう、コレ。今でも私はこの少女が自分の娘であると感じているが、同時にここが異世界であり、地球の美玲とは別人であることもわかっている。
何より問題なのは私は彼女が慕うお父様ではない、ということだ。
私の筋骨隆々な肉体はこの異世界のものだ。天環神族の〈門主〉である。〈門主〉の力はすさまじい。魔力を用いて肉体を強化し、同時に複数の魔法を操って戦うことができる。
異世界の記憶もある。魂の手綱を緩めて肉体と記憶に任せると先ほどのように娘を労い、戦いの前には見得を切ってしまう。
しかしそれでも私は私だ。彼女がお父様と呼ぶ我ではない。地球で生まれ地球で育ち、四〇年あまりを平和な日本で過ごした平凡な人間。そうしたいきさつを私をお父様と呼び抱きついてくる少女に正直に説明すべきではないか。それがどのようなトラブルを生み出すとしてもだ。秘密というものは一度でも隠せば明かすタイミングを失う。後からバレて相手の不信を招き、取り返しのつかない展開となった物語を私は地球時代に山のように知っている。盛り上がるよね正体バレ。でも自分でやりたくはない。
私は美玲の肩を抱き、引き剥がすと──
「「聞いてほしい、大事な話がある」」といった。
美玲はキョトンとした顔になるが、しだいに瞳を黒い影で染め──
「お父様の中にいるあなたは誰?」といった。
あ、ヤバい。選択肢ミスったかな。これロードはどうやるんだ。まさか死に戻りじゃないよな。あれ、途中からダルくなるんだよ。
++++++++ 托卵令嬢視点 ++++++++
戦の後片付けと警戒は〈信者〉と戦闘侍女たちに任せ、吾はお父様と負傷兵と共に城へ戻りました。
号泣する城の者たちがお父様にすがりつこうとするのを振り払い蹴飛ばし大広間に負傷者を並べ、お父様が広域無限治療で癒します。
侍女頭は欠損した手や潰れた眼球までは戻りませんでしたが命はとりとめました。治癒には本人の魔力をずいぶん前借りしましたから一ヶ月は昏睡状態でしょうね。あとで顔の包帯に落書きしてやりますわ。
治療を終わらせるとすぐ、吾とお父様は地下納骨堂へ移動します。
〈門主〉専用の場所へきたのは、もちろんお父様の状態異常を確認するためです。
「「ここは……先祖の死体を保管する空間か。それでこんなに寒く……氷点下一八〇度だって? もうちょっと下がったら酸素や窒素が液化する温度じゃないか。こんな低温、常人だと死んでしまうぞ」」
お父様がブツブツとつぶやいているのが聞こえます。
やはり今のお父様はこれまでのお父様ではありません。記憶と知識はあるようですが自分のものだと認識していませんわ。本人が主張するように異世界の住人が魂だけお父様の肉体に憑依したと考えるのが妥当でしょう。
元のお父様の魂がどうなっているかは不明ですわ。どこかで眠りについているのか。消えてしまったのか。元に戻ることがあるのか。あるいは──いえ。まだ決めつけるのは早いですわね。
それより今はできることをやりましょう。
今の吾にできることを。
できることを! 早く!
「お父様。検査しますのでこの台に仰向けに横になってください。手足は広げて」
「「わかった。これでいいか」」ごろり。
「手首と足首を、鎖で台につなぎますね。少し窮屈でしょうが我慢なさって」じゃらじゃら。
「「鎖がひんやり……しないな。台も空気も何もかも氷点下一八〇度だものな。身体強化って感覚の面では鈍感になってるんじゃないかと心配になる」」
「面白い意見ですわね。生まれながらにして氷点下だろうが溶岩の中だろうが平気な体をもつ〈門主〉にはない視点です。お父様の中にいるあなたが異世界由来の魂という説に信憑性がでてまいりましたわ」じゃらじゃらじゃら。
「「他にどんな説がありえるというんだ」」
「あなたの今の人格はお父様が作り出した妄想という説ですわ。地球など存在せず、あなたが自分の人生だと思っている記憶すべてがお父様の捏造というものです。では続いて肌に薬を塗り込みますね」ぬりぬり。
「「恐ろしいことをいう」」
「だってあなたの人生にも吾がいたのでしょう? 実在する吾をモデルにお父様が美玲という架空の娘を作り出したとすれば矛盾はありませんわ」ぬりぬりぬりぬり。
「「やめてくれ。私の美玲を妄想にしないでくれ」」
「ちょっと! 怒るならともかく、そんな情けない泣き顔をしないでくださいませ! お父様の顔でベソをかかれては吾……」じゅるじゅる。ぬりぬり。
「「私の存在が妄想だとしても美玲は実在する。そこは譲ることはできないぞ」」
「ええ。お父様は門を異世界を接続する魔法の研究に没頭されておりましたから。地球という異世界が実在し、あなたの娘の美玲もまた実在する可能性はあります。地球でのあなたは浮気した妻に殺されたのですよね?」ぬりぬり。
「「そうだ」」
「お父様も妻の裏切りで死にかけていました。そこで地球で死んだあなたの魂を転写して自分に重ね、死にかけた自分を一時的にあなたが憑依してると思い込む形で復活したと考えることもできるわけです」ぬりぬり。
「「なるほど。私としては不本意だが、その場合はコピーしただけの地球人の記憶が消えて君のお父様に戻る可能性があるんだな」」
「はい。吾はお父様を取り戻すべく、その可能性を捨てず追求したく思います。もちろん、だからといってあなたに危害を加えるつもりはありません。それにあなたの望みもかなえたく思いますわ。さて。あとは薬が浸透するまで、おしゃべりしながら待ちましょう」
「「私の願い……地球に残された美玲をこちらに召喚することか」」
「はい。地球や美玲さんが妄想ではなく実在するのであれば、門を接続することは理論的に可能です。ただし、そのためにはお父様の研究を進めることと大量の魔力が必要になります。正直に申し上げまして今のお父様の〈門領〉が産出する魔力では心もとないといわざるをえませんわ」
「「私の記憶によると今日防衛した門がひとつだけ、だったか?」」
「はい。この世界では国家を〈門領〉と呼びます。領内の門の数が〈門主〉の魔力となり、それが国力の目安となります」
「「地球では人口が国力の目安になるんだがここでは違うんだな」」
「〈門主〉と信者では生命体としての格が根本から違いますもの。信者はもちろん重要ですが脆弱です。魔物の襲撃があればあっという間に死んでしまいます。なので信者たちも力ある〈門主〉の治める〈門領〉に集まる傾向がありますのよ」
「「地球には“寄らば大樹の陰”という言葉が……うお。今“海象の群れは強い雄に合流する”というこっちの世界の言い回しに自動翻訳されそうになった。君の父上の魔法は便利だし、死ぬところを助けてもらった恩は感じているがちょっと怖いな」」
吾はお父様らしいと思ってしまう。異世界人に自分の肉体を使わせるにあたり、不便のないようにという心遣いが。いえ、心遣いというよりは凝り性というべきですわね。そういう学究肌で優しいお父様が吾は大好きですわ。
ですので──
「吾に自分の血が流れていないことが判明しても、お父様は吾を愛し守ってくれました。お父様の愛と恩に報いるため吾はすべてを捧げなくてはなりません。あなたも協力してくださいますか?」
「「もちろんだ。これからも魔物の群れが襲ってきたなら私が戦おう」」
「嬉しいお言葉です。あなたを……うーん、あなたがお父様ではないことはできるだけ隠しておきたいのですが、吾がお父様のことをあなた呼ばわりしていては周囲にバレてしまいますわね。普段から別の呼び方をしませんと」
「「別の呼び方というと父とかパパとかあるが……だが呼び名を変えること事態が疑惑を招かないかな」」
「はい。そこで吾考えたのですが、旦那様というのはどうかと」
「「旦那様? 脳の自動翻訳が正しければ、この世界でも親子関係では使うことのない、夫婦とか主従関係で使う単語のようだが?」」
「そうですわ」
吾は服の留め具を外して肌をさらすと、台の上に横たわる男の体に──お父様の、そして旦那様の体に覆いかぶさりましたわ。うわー。筋肉すげえ。
「「おっ、おおっ? ミレイ、いくらなんでもはしたないぞ。我はそなたをそのような娘に育てたつもりは──んんっ」」
「んっ、ちゅっ、んんっ……ふふっ。不意をつけばお父様の反応の方が優位にたちますのね。よいことを知りましたわ」
「「待て! 待ってくれ! 冗談ではなさそうだが、君の意図がわからん!」」
やはりですわ。これまでの反応で予想していましたが、お父様はある種の情報を遮蔽したまま体を使わせていますわね。
〈門主〉の種としての存続に関わる──子作りについての情報を。
「旦那様。この部屋の壁をご覧くださいな」
「「棚が並んでいるな。部屋の中よりさらに低温のマイナス二〇〇度……視線を向けただけで温度が認識できるとか、自動でズームするとか、つくづく〈門主〉は規格外だな。うん。棚には名前が書いてある」」
「〈門領〉の歴代当主の名です。棚の中に入っているのは凍結精子、そして卵子ですわ」
「「なるほど。ここが極低温なのはそれで納得が……なんて? ここは〈門主〉のための地下納骨堂では?」」
「納骨堂でもあります。形見の品も保管してあります。ですがもっとも重要なのは精子と卵子を凍結保管すること」
「「む、むむ……そこからの推測だが、もしかして〈門主〉はこの世界では絶滅危惧種なのでは?」」
「大正解ですわ」
吾は〈門主〉の置かれている状況について説明した。
そもそも〈門主〉は〈門主〉の腹からしか生まれない。なぜなら信者の腹を使って育った胎児は、ちょっとしたことで母体を蹴破って外に飛び出してしまうから。信者の子であれば、お母さんのお腹を蹴っても「あら元気な子ね」くらいですむが〈門主〉だと母子ともども死んでしまう。
「「スーパーマンの子孫存続問題かよ……」」
「さらに〈門主〉同士は子ができにくいのですわ」
「「体質的に不妊なのか? それとも精子側に問題が?」」
「男性が勃起しないのです。〈門主〉は常時肉体に身体強化をかけています。このマイナス一八〇度の部屋でも平気で過ごせるほどに。その副作用として勃起に必要な刺激が得られないのですわ」
「「触覚。それに嗅覚や聴覚もそうか。強い刺激が心身を損なわせないよう全自動で緩和してるんだな」」
「はい。そもそも勃起しない上に、自分の勃起を状態異常として自動で鎮めてしまうものですから射精するまで勃起状態を持続させるのが大変なのです」
「「生物として最強なせいで、種としての繁殖力は最低になってしまったわけか」」
歴史をふりかえると男性〈門主〉の中には厳しい修行を通して煩悩を高め勃起力を強めた〈性者〉と呼ばれる存在がたまに出てきます。〈性者〉は多くの妻をかかえ、たくさんの子を産ませて大勢力を築きますが、それは一代かぎりのボーナスみたいなもの。
最後の〈性者〉が亡くなられてからすでに三世紀。いくつもの〈門領〉が後継者不足で消滅の危機にあるのが現状です。
「子作りの重要性がおわかりいただけましたでしょうか、旦那様」
「「それでもダメだ。この体は君の父上のものだろう? 親子で婚姻とか出産とか、いくら〈門主〉でも許されざることだ」」
「あら。吾とお父様は血がつながっておりませんのよ。あの裏切り者の女は、お父様の子を宿さなかったのです」
「「え」」
「お父様は歴代〈門主〉の中でも特に勃起しにくい方でした。あの女は自分たちの一族に伝わる秘術でお父様と子を成したと偽り、この城に入り込んだのです。それが吾ですわ」
「「では君の父親は浮気相手の……いや、浮気とかこの世界で可能なのかな……」」
「あの女も浮気はしていたみたいですが、その相手は〈門主〉ではなかったみたいですわね。吾の父親は存在しません。あの女は自分の祖である星核神族の凍結精子で吾を生んだのです。吾と旦那様は血がつながっていません。結婚も可能なのですわ」
さらにいえば、血がつながっている場合は結婚しないまま子作りと出産することもあるのですが旦那様を混乱させることになりそうなので黙っていましょう。
「では薬も効果を発揮したようですので失礼いたしますわ」
よっこいせ。
吾は震える指で旦那様の服を脱がせます。
……脱がせようとします。
……なかなか脱がせませんわね、コレ!
「「あー、勃起したまま下帯を脱がすのは難しいと思う」」
「で、でもっ、早く脱がさないとっ! こういうのは時間がたつほど鮮度が落ちるって!」
「「なんの鮮度だ」」
〈門主〉の女性交流会では男性の男根を活きのいい間にいかに射精させるかがハズレのない話題なのですわ。
「「早く脱がしたいのであれば、ちょっと力を入れて向きを変えるのも手だぞ」」
「そんな恐ろしいことできませんわっ! 折れたらどうするのですっ!」
「「そう簡単に折れないって。手の鎖を外してくれたら私が自分でやるぞ」」
「いえ。このようなことで旦那様の手を煩わせては申し訳ありません」
「「旦那を鎖で縛るのは申し訳なくないのか……」」
手間取りましたが、苦労の甲斐あって折ることなく旦那様の逸物を剥き出しにすることができましたわ。
それにしても、コレってこんなに禍々しいものでしたかしら?
お父様のを見たときには柔らかく垂れ下がっていて……いえもちろん、勃起の理屈は女子交流会の学びで完璧に理解しております。海綿体と呼ばれる構造に血液が集まって大きくて固くなる理屈も存じておりますとも。で、でもこれ、やっぱり破裂するんじゃ……。
そうですわ。もうちょっと慎重に観察してみましょう。
薬の効果もあるせいか、一向に小さくなる気配はありませんものね。身体強化魔法は意識すれば感覚を強化する方にも使えます。死蟲相手にやると悪臭で死んでしまいますが、薬草の調合などでは便利な能力でもありましてよ。
ふんふん。匂いは……よくわかりませんわね。でもなんだかむわっとした感じがありますわ。それに何か湯気のようなものが表面から──たいへん! 先端から体液が漏れてます! 破裂の前兆ですわ!
「大丈夫ですか、旦那様! さっきから先端から透明な体液がビクビクと噴出してますわよっ! 出血ではなさそうですが、痛いところがありましたらおっしゃってくださらなくては!」
「「……もういい」」ブチ。
何かが切れたような音が聞こえたように感じた次の瞬間。
吾は旦那様に組み伏せられていました。え。男が上って。そんなマニアックな。
「「そりゃ絶滅危惧種になるくらいだ。〈門主〉の交合には困難があるんだろう。多少の性文化の違いなら受け入れるのもやぶさかではないが、さすがに私の我慢にも限界というものがある」」
「えーと……」
〈門主〉のセックスは、男は勃起状態が解除されないよう精神を集中させ、その間に女が素早く射精に導くものなのですが旦那様のいた地球という異世界では違うようです。
「では吾はどうすれば?」
「「何もするな」」
どぎゅん。
旦那様。お父様と同じ顔で、そんな凶暴な表情をされては困りますわ。反則ですわ。あなたと吾は子を授かるまでの一時的な肉体関係でなくてはなりませんのよ。
旦那様の手が吾の頬を撫でます。うひぃ。真剣な顔と手の優しさのギャップが大きすぎますわ。
「「美玲。いや、ミレイよ。そなたの献身に報いるため私はそなたの中に子種を贈ろう。初めての身にはつらいことも多いかもしれんが、できるだけ優しくするので許してくれ」」
「はひぃ」
そういって旦那様は私の上から体を重ねてきました。あ、やっぱりこの獣のようなアブノーマルな体位でやりますのね。この格好だと解剖される干潟牛蛙な気分にされてしまうのですが。優しくというのであれば吾が上にまたがる姿勢の方が安心できますのに。え、そこ舐めたりするんですのっ? きゃああーっ。
++++++++ ???視点 ++++++++
かくて運命は変転せり。
男の運命。
娘の運命。
〈門領〉の。
〈門主〉種の。
そしてひとつの世界の運命が。
ドミノが倒れるかのようにひとつの運命の変化が次の変化を引き起こしていく。
どこまで運命が変わるか今はまだ誰にも見通せない。




