第7話 アメニティのカミソリの質は……
真夜中のスーパー銭湯の男子更衣室は、ほどほどにあたたかく、ほどほどに全裸の男性たちが穏やかな様子で銭湯エリアに出たり入ったりしている。
そして、ここは脱衣所であるがゆえに湿度は結構あったりして、
「……あたたかいっつうか、蒸し暑くねえか?」
と思った絶妙なタイミングで首振り扇風機の涼しい風がやってくるのである。
扇風機の前……それは、後先を考えずに風呂で温まりすぎたオシマイの人間たちにとってのオアシスに当たる場所なのだ。
「うおお……涼しい……」
「──おい、早くその場所を代われ!」
扇風機の前で恍惚の顔を浮かべていた名もなき全裸を、別の全裸が突き飛ばして体ごと追い出した。
今、扇風機の前は大変な激戦区となっており、
名もなき全裸たちが涼風を求めて揉み合いの争いを起こしている。
「いつまで扇風機を独占してるんだ!
俺にも風くれ! 死ね!」
「はああ? お前が死ねや!」
「うおおお! 誰でもいいから死んでくれ!!!!」
と、大騒ぎする全裸たちなどどこ吹く風で、脱衣所の隅にある給水器を独占して、白目を剥きながら無料の水をガブガブ飲んでいる怖い全裸までいる。
……そんな、全裸だらけの人ごみの中を、洗いたての黒いスウェットを着た番場が歩く。
彼は両手いっぱいにフルーツ牛乳、菓子パン、自販機で売られていたパンツとスウェットなどを抱えていた。
通り過ぎた拍子に番場の肩が全裸の一人の肩にぶつかってしまい、ぶつかられた全裸はメンチを切りながら番場に向き直る。
「……てめーッ! 一体どこ見て歩い……ヒイッ!!!!」
ケンカ腰だったはずの全裸は、番場の顔を見た瞬間にへたりと座り込んでしまう。
「ば、番場だ……番場烈……!」
「デス高の番場!? マジかよ……」
「ズームパンチの番場か!
轟と組んで、高3の夏休みに四八全國超絶頂死闘武踏会をやりきった化け物だろ?
ンな物騒な奴が何でこんなところに」
「そりゃあ、近所だからだろ……」
客の中でも若い男性たちが、番場を見ながらヒソヒソと話し出す。
番場は彼らのリアクションをすべて無視して、部屋の隅のベンチでシュンとしている様子のケニー君とその隣でグッタリしている轟剛三郎のもとに戻った。
「──ほらよ、ケニー君。これはこの世界の初期装備的な服だ」
と、番場は腰タオル一丁のケニー君にパンツと圧縮されたスウェットをポイっと渡す。
それを受け止めて、呆然とした様子で番場を見上げるケニー君。
そんなケニー君に菓子パンやプロテインバーが追加で渡される。
「ええと、あの」
「ロクな食料のないオシマイの国から来たんだろ?
だったら、少しでも食べて元気をつけろ」
「……あ、りがとうございます……」
首をかしげつつ番場から菓子パン惣菜パンプロテインバーの山を受け取るケニー君。
その表情にさきほどまでのドーピングコックさんじみた狂気はなく、純朴で真面目そうな面差しを複雑そうにかしげている。
「私のような罪人に、ここまでしてくださって申し訳ないです」
「気にすんな気にすんな。ケニー君、周りを見てみろよ。
どいつもこいつも他の人間なんか気にしないでくつろいで過ごしてるだろ?
ケニー君も楽にしろよ」
「はい……ありがとうございます」
ケニー君はぼんやりした様子で男子更衣室を見回す。
そこでは相変わらず全裸たちが扇風機を巡って争い、
自動販売機の順番を巡って威嚇し合い、
給水機の周囲にカブトムシのように寄り集まって、無料の水を楽しんでいる……。
「……ここは、平和ですね。みんな楽しそうです」
ケニー君がポツリという。
「私の元居た世界ではみんな苦しんでいたのに、
私だけこんないい思いをしていいのでしょうか……」
「その良識があって、な~んで国王の父親ブチ殺して人類にトドメを刺しちまうかねえ~」
番場がケニー君の隣にどっかと座る。ケニー君はぼんやりした様子のままプロテインバーを開封し、少しかじった。
「それが、自分でもよくわからないのです。
私は両親や婚約者のアンジェリカ、国民の皆様を守るために立ち上がったはずでした。
でも、気が付いた時には人類を終わらせていたんです……」
「ヒエーッ。やべーなァ」
「……洗脳魔法みたいなモンをかけられていたのかもしれんのう。
魔族の女神さまとやらに」
と、轟剛三郎が口髭をなでながら推測する。
ケニー君は納得できない風に首を掻いた。
「魔族の女神さまのお力は宿縁同引の魔術だったはずですが……?
……でも、そうですね……そうだったのかもしれません……」
ケニー君はプロテインバーをさくっと食べ終えて、
ぼんやりした顔のままコロッケパンを開封する。
そうしてそれを口に含んだ瞬間……目を輝かせた。
パサパサのプロテインバーより、
油たっぷりの総菜パンのほうが若者的においしかったようだ。
コロッケパンをガツガツと食べきったあと、フレンチトーストにかじりつくと今度はあまりの甘さに驚いたようで、止められない様子でそのまま一気に食べきった。
あっという間に消える食料の山……。
少年がモリモリご飯を食べる様子を見て、轟と番場は達成感に包まれた気持ちでうなずき合った。
「はぁーっ。ケニー君見てるともう会えない息子を思い出すぜ……年齢は全然違うけど」
番場がケニー君を見ながら懐かしそうに目を細める。
「地主は大変じゃよな。親の意思で進められる変な結婚とか変な離婚とかで」
「その話はいいよ。
大体よぉ、世界を救うなんて勇者の仕事じゃねえかよぉ。
勇者の轟だけじゃなくて、国王であるケニー君の親父さんも頑張ってたんだろ?
そんじゃあケニー君が勝手にいろいろ考えて頑張る必要はなかったんじゃね?」
「何もせずにいることに、耐えられなかったんです……」
ケニー君が辛そうな表情で目を伏せる。
「……私の趣味は、冒険です。
様々な国を見て回っていたからわかる……。
あの世界は、強力な神々に振り回される不安定な時代があまりにも長く続きすぎました。
社会の底が抜けて、貧困と病苦がこびりついて、どの種族も教育機関を維持するどころではなく……全種族もれなく血の気の多いケンカ大好きな馬鹿の集まりになってしまったんです。
父上と大勇者様だって、アンジェリカどころか私にも何の説明もせず、いきなり大激怒して全神ぶっ殺しツアーを企画してしまうありさまで……」
「轟は年とっても変わんなかったんだなあ~。
デス高時代に四八全國超絶頂死闘武踏会を開催した時と暴れ方がおんなじだわ 」
「うるさいわい」
「それで、このままじゃだめだと思って、私にも何か、出来ることがあればと思って……」
と、ケニー君がとつとつと話している途中に、スパァン!!!! と大きな音が鳴って、大量の水しぶきがケニー君を襲った。
「……」
ちょっと濡れた状態で、目を白黒させるケニー君。
銭湯脱衣所付近名物……なぜか濡れたタオルで勢いをつけて背中をたたき、ついでに股間をたたいて気合を入れているっぽいオジーチャンの水しぶきを、モロに浴びてしまったのだ。
即座に番場がブチ切れて立ち上がろうとするが、それを轟が抑えて、ため息をつきながら立ち上がる。
「……ハア。長居しすぎたのう。そろそろ脱衣所から出るか……」
「あ、大勇者様。
ここを出る前に、ちゃんと浴場で体洗ってきていいですか。
体があったまったせいか、なんか全身がかゆくて……」
「この状況で大物じゃのうケニー君は。
でもそうか、ケニー君はあっちの世界の都市部だからあんまり風呂に入れんもんな。
入ってこい入ってこい。
……あ。そうだ、ケニー君。
そこのアメニティの髭剃りで髭を剃るといいぞい。
ツルツルの元気そうな顔で再会したほうがアンジェリカもよろこぶじゃろ」
☆☆☆
(ああ……。ケニー君……お父様……みんな大丈夫なのかしら……)
フリフリドレスを再装備したアンジェリカが男子更衣室の青い暖簾の前でソワソワしていると、
顔の下半分がめちゃめちゃ傷だらけになっているケニー君が暖簾をくぐって登場した。
「エッ敵襲!?!?!? ケニー君、いったいなんですのそのお顔は!?!?!?」
「ちょっとひどめの剃刀負けじゃ。何の心配もないぞい」
ケニー君に続いて出てきた轟剛三郎が娘をなだめる。
「何の心配もない、ですって……?」
と、アンジェリカは不可解な顔をする。
「そんな……でも……」
と、ケニー君の周りをぐるぐる回りながら、フリフリをユラユラさせてソワソワしている。
だが、彼女がソワソワしている理由が轟剛三郎には分からない。
「一体どうしたんじゃアンジェリカ」
「どうって……ケニー君は、その、大丈夫ですの……?」
「うん? 殴り合ってフルーツ牛乳を飲み交わして和解したからもう大丈夫じゃ」
「殴り合ってフルーツ牛乳を飲み交わして和解したから大丈夫じゃ!?!?
……ええとね、お父様、わたくし、死刑を宣告されておりますのよ」
「うむ」
「ケニー君から、死刑の、宣告を、受けておりますの。
……。
……お分かり?
死刑を宣告するって、普通の人はやらないとても重い行動ですのよ。
なにかとんでもない力によってケニー君は操られていたか……もしくはケニー君自身の心変わりがあったことは間違いないのです。
そのフルーツ牛乳とかいうやつは、わたくしの死刑を即撤回できるほど凄いものなのですの?」
「凄いものなんじゃよ。風呂上がりのフルーツ牛乳というのはこの世界の技術の結晶だじゃからな」
「飲んでみるかいアンジェリカちゃん。ほら」
番場が自分のエコバッグをゴソゴソしてアンジェリカにフルーツ牛乳を差し出した。
「……。……。……こっ! これはとてもおいしいものですわ!!!!!!」
「じゃろ~?」
「おいしいですけど、でも……!!」
アンジェリカはフルーツ牛乳のおいしさには即納得したが、ケニー君の今の様子は信じられない。
彼女は黄色い目を細めて、複雑そうな表情でケニー君を見た。
その視線に気づいてケニー君が恥ずかしそうに笑ったので、アンジェラはますます複雑な顔になって、口を思い切りへの字に曲げた。
(……お父様ってば、酒を飲み交わしたから分かり合えた、みたいな能天気なことをお考えなのかしら……魔法の力は、そのようなものではないというのに)
──アンジェリカは人間と教科書、どっちを信じるかと聞かれれば教科書を信じるタイプで、魔法の教科書的に考えるのならば、ケニー君はまだまだ全然危険だ。
(お父様は魔物相手には無双できるけど、対人の駆け引きは苦手なお方……。
多分、メニュー画面をオープンしてケニー君の状態を確認することさえやっておられないわ。
あの魔法、全部口に出して呪文を唱えるから人にバレて「失礼だ」「ジロジロ見るな」って怒られがちですものね……)
ほかならぬアンジェリカ自身が父親に「ジロジロ見るな」といったことを思い出す。
そんなふうにアンジェリカがぐるぐる考えている目の前で、轟剛三郎と番場は帰宅ルートについて相談している。
「んじゃあお前の車でお前んちにいって、お前んちの駐車場に車停めたらファミレスに戻るわ」
「ファミレス……? ああっ、そうか。
番場お前、ファミレスに自分の車で来てたのか!
メチャメチャ手間がかかるじゃねえか……車は俺が運転するよ。
ファミレスまで俺がお前を送るよ」
「いや轟、オメーは二度と車を運転するんじゃねえ。
20年運転してなかったヤツの運転技術を信じられるかよ。
少なくともペーパードライバー講習に行った後じゃないと運転は駄目だ」
「そりゃそうかもしれんが……でも、なんでそこまでやってくれんだよ……」
「高校時代の償い。かなあ……」
番場はバツが悪そうに轟から目をそらしつつ、首の後ろをボリボリ掻く。
「高校時代に荒んでいた俺は、オメーにかなり助けられた。
四八全國超絶頂死闘武踏会だって、オメーがどう思ってるかは知らねーけど俺は楽しかったんだぜ?
大事なダチだったのに、その後の人生ではお前を見捨てるような形になっちまった……」
「エエッそんな、ワシは気にしとらんぞ。
番場があまりにも後先考えずに遊び惚けてるから、
自分もなんか大丈夫なのかと思って一緒に遊んでいたら、
卒業後は番場だけ地主パワーで助かって、自分の人生は何も大丈夫じゃなかったことなんて……そんな、ぜんぜん、一切気にしておらんのに」
「すげー気にしてんじゃねえか!
いっとくけどその『周りに合わせて遊んでいたら周りは貴族だから助かったけど自分は平民だったので人生詰んだ』みたいなやつって、フツーは美大音大一流私大でしか起きねートラブルだからな? 不良校でソレをやったお前はおかしいんだぜ」
「うるさいわい」
「よしっ、んじゃとりあえず今日は帰るぜ!! みんな~駐車場行くぞ~~」
「うむ。番場とはいったん団地前でお別れじゃな。
そして、ワシらとケニー君はいったん家で休もう。1LDKの団地で皆で寝よう」
「……え? はあっ!?
みんなで寝るですって!?!?!?!」
ぼんやりしていたアンジェリカが、弾かれたように顔を上げる。
轟剛三郎はそんな娘の背中を笑いながらバンバンたたく。
「ワハハ! 心配するなわが娘よ。お父さんがいるからな!
ケニー君、ワシ、アンジェリカの順番に並べば問題ない。川の字の真ん中にワシが寝るから何も起こらないことを保証するぞい」
「そういうことではないのです!!!!」
アンジェリカは悲鳴を上げた。
アンジェリカは……死刑を宣告されているのである。
ケニー君自身か、はたまたケニー君を魔法で操っている奴の意思なのかは分からないが……アンジェリカの死を望むやつがあの日あの時のパーティー会場にいたことは間違いない。
表面上どう見えたところで、今のケニー君は身内として信用できる状態ではないのだ。
アンジェリカが今気にしているのは貞操の危機ではない。
自分と、父親の、死の危機なのである……!!




