第6話 飢えると正常な判断なんかできなくなりますからね
時間はほんの少しだけさかのぼり、アンジェリカがジェットバスにもまれながら悶々と考え事をしていた頃。
轟剛三郎は露天風呂につかりながら頭を抱えていた。
「ハア……アンジェリカ、となりの女湯でちゃんと休めてるじゃろうか……」
「さすがに休めてるだろ。つかいくら何でも気にしすぎじゃね?」
番場がサウナと水風呂をキメて露天風呂に戻ってきて、轟剛三郎の近くに座る。
男湯の露天風呂は、湯槽も床タイルも滑りにくい黒御影石で出来ていて、しっとりと落ち着いた空間だった。
床タイル沿いにたくさんの観葉植物が植えこまれていて、それが床に設置されたライトで照らされて複雑な影を作っているので、他人の裸はさほど気にならない。
大きな湯口からは、熱くて透明なお湯がとぽとぽと流れ続けている。
黒い湯槽にゆらめく透明なお湯の波が、間接照明の光を反射して金色に輝いていた。それに気づいた番場が目を細めて水面を見つめている。
「轟よぉ、心配ばっかしてんなよ。
せっかく金払ったんだからこの空間を堪能しなきゃ損だぜ? サウナ行って来いよ」
と、番場が促すが、轟剛三郎がサウナに行く気配はない。
ホカホカの真っ白な湯煙がパチ屋ライトグレーの曇り空にむかって立ちのぼっているそんなくつろぎスペースなのに、轟剛三郎は憂鬱そうだった。
「いやそれが、気にしている理由は『自分の娘だから』以外にもちゃんとあるんじゃよ。
……。……まあ、番場になら話してもいいか。
実はな、アンジェリカはだな。人類の女神様の……」
と、轟剛三郎がなにやら重要っぽい話をし始めたタイミングで、急に周囲の全裸男性たちがザワザワとはげしくうろたえ、騒ぎ出した。
「……うん? なんじゃなんじゃ?」
周囲を見回す轟剛三郎と番場烈。
全裸男性たちの「変態だ」「撮影か?」などといった声が飛び交う中、
轟と番場の両名が、全裸男性たちの視線の先、騒ぎの元であるサウナ室入り口前あたりに目を向けると……。
そこには、全身白タイツの物凄い美男子が立っていた。
カリッカリに日焼けした肌、白っぽい金髪、涼しげな水色の瞳……。
「なんと……!」
目を見開く轟剛三郎。
相手の涼しげな瞳とは対照的に、こっちは中年らしく普通に充血もしている。
轟剛三郎は髭の下にある口をぶるぶると開いたあとに、その口で「う」の形を作った。
「ウ……。
……。
……。……ウ、ウワアアアーッ!!
ケニー君!! いったいなんで この場所に!!!!」
「すげぇぞ轟、五七五になってるぜ!」
「言うとる場合か!! ケニー君じゃぞケニー君! 異世界の! やべーやつ!! 一体どうやってこんなところに……」
と、轟剛三郎が言いさした、その時だった。
ケニー君と轟剛三郎の目が合って、その瞬間にバリッと周囲の空気が揺れた。
それと同時に、周囲の景色がまるで退色した古写真のように色を失う。
「な、なんじゃあ!?」
慌てた様子で周囲を見回す轟剛三郎。
隣にいる番場も、客たちも、空の雲や植栽の葉さえも……色彩を失って、ピクリとも動かなくなった。
「──空竜族の時間停止術か!!」
轟剛三郎は歯噛みした。
(無詠唱で魔法を……!
やはりコイツ、ワシと同じく神の力を得たんだな!?
ずいぶん前に見失ってしまっていた空竜族の神の力……まさかケニー君が持っていたとは!)
ほかに誰も動くものがいなくなった世界の中、ケニー君と轟剛三郎だけは動くことができている。
二人とも神の力を奪った人間だからなのか……。
早口言葉で魔法を使う異世界の人間同士の、攻撃魔法と防御魔法の応酬が始まった。
メニュー画面魔法攻撃魔法サンダーボルト、メニュー画面魔法補助魔法エクストラシールド、メニュー画面魔法攻撃魔法フレイムアロー、メニュー画面魔法補助魔法マジックリフレクション……。
色のない世界の中、赤や青や黄色の光が走って、弾かれて、跳ね返って、爆ぜる。
神の力を使って戦う二人の力は互角だった。
「轟剛三郎……人間の身でありながら、魚霊族、炎妖族、森精族、空竜族の神々を葬った大罪人め。貴様の命、この私がもらい受ける!」
「はあ~!?
神殺しはお前さんの父親である国王陛下に命令されてやったことなんじゃが~!? つうかなんでお前さん、なんで『ここ』に来れたんじゃ!!」
「魔族の女神さまがお持ちの、宿縁導引の魔法の力だ……この魔法を使えば、探し人がどこにいてもその場所にたどり着くことができる。貴様の逃げ場はないぞ轟剛三郎!!」
「シュクエンドウイン!? そんな力をもってたのか……まだ倒してないから知らんかった~!」
早口言葉で魔法を唱える合間に会話ができる、物凄い二人である。
ケニー君が放つ雷の槍を無詠唱ハイシールドで弾きながら、轟剛三郎はセンター和敬の頭をがしがしと掻く。
「……うーむ。まあええわい。そのシュなんとかはよう分からんが、空竜族の時間停止術は攻略済みじゃ、ハッッッッ!!!!」
と、轟剛三郎が気合を入れたとたんに、周囲の世界に色が戻った。
神の技が破られて、動揺した様子を見せるケニー君。
轟剛三郎は勝ち誇った笑みを浮かべ、体中に滝のような汗を流しながら、荒い息をついた。
「ハア……ハア……。
どうじゃ……ケニー君……これが、炎妖……ウウッ」
神の力を使いすぎてバテバテになった轟剛三郎は、説明セリフを最後まで言い切ることなく露天風呂に沈んでいった。
「ウワーッ轟! どうしたんだよ!!」
時間停止状態がパッと解除された番場烈が、慌てた様子で轟を風呂から引き上げる。
「大丈夫かよ轟! なんか明らかに痩せてるし老けてるぜ!?」
「ケッ、ケニー君に時間停止魔法を使われて……対抗するために炎妖族の破神魔法を使って時間停止魔法を破ったんじゃ……人間が神の力を奪って使うと結構反動があるんじゃよ……」
「やっぱ神殺しってロクなことにならねえんじゃねえか!
本当に大丈夫なのか? このシワシワの顔ってもとに戻るのか!?」
「経験上、もう、戻らない……」
「戻らねえのかよ~!!」
というやりとりをしている番場と轟剛三郎をよそに、
男湯は困惑と動揺の空気に包まれていた。
神の力をかなり使ったケニー君もバテバテになっている。
……ちなみに、ケニー君はかなりのイケメンだ。
神の力を使った後で、金髪の角刈りに、全身白タイツ&マントといういでたちでも、なお、ケニー君はイケメンなのだ。
そんな規格外のイケメンが、宿縁導引とかいう魔法の力でまるでCGで編集した動画みたいにパッと露天エリアのサウナ室の扉前に現れたものだから、スーパー銭湯(男湯)の空気は完全に固まってしまっていた。
人々による「エッこれ撮影?」「みんなが全裸でいるこんな場所で……撮影を、しているんですか!?!?」という心の声が聞こえてきそうな雰囲気だった。
フリーズしていた周囲の人々は、しかし、今この時になってようやく我に返りはじめる。
そこらかしこから全裸男性たちによる怒号が沸き上がりはじめた。
「──……お、おい! なにやってんだ! 風呂では服を脱げ!」
「外国人の兄ちゃんか?
だがそんなことは関係ねえ、風呂では服を脱げ!」
「そうだそうだ! 服を着たまま入るのはルール違反だぞ! 死ね!」
「死ね! もしくは脱げ!!」
「体を洗え!!!!!!」
場内に沸き上がる「脱げ」「もしくは死ね」の大合唱。男湯ならではの元気の良さだ。
「カメラはどこだ? 破壊してやる!」という声も聞こえる始末だった。
……完全に、撮影だと思われている……。
バテバテになっているケニー君は他の客に白タイツを思い切り引っ張られ、引っ張られまくり、脱がされそびれてタイツがバチンと肌に戻ったりして結構痛そうな目にあっていた。
「痛い! やめろッ!!」
ケニー君は自分の服を脱がそうとする客たちを慌てて振り払った後、轟剛三郎に目を戻した。
筋肉を膨張させ、腰を落として戦闘態勢に入る。
ただでさえ太い首がさらにモリモリ太くなり、ぶっとい血管が浮いていた。某B級妖怪の弟か、ドーピング系のスープを飲んだコックさんみたいなことになっている。さすがにこれには逃げ惑う客。
「ヌッ、イカンイカンイカン! ケニー君の見た目がヤバいことになっとる!
なんだかよくわかんないが無力化せねば!!」
轟剛三郎(全裸)は慌てて混乱から立ち直り、露天風呂からバシャンと立ち上がりケニー君に立ち向かった。
「──神の力は今ちょっとバテていて品切れじゃが……人間としてのワシの必殺技を食らえ!!!!」
轟剛三郎の右手が素早くチョキのポーズを作り、迷いなくケニー君の左右の眼球を狙いに行く。
……が、もちろんこの卑劣な技は、
ケニー君の鍛え上げた前腕によって叩き落された。
体ごと持っていかれ、バシャンと露天風呂にひっくり返る轟剛三郎。
どこからともなく「ジジイなにやってんだ!」「公衆浴場に頭から入るんじゃないよ!」という怒号が飛んでくる。それはもう完全にその通りなのだが、今は命がけの戦いの最中ですので……。
「がぼがぼがぼ……」
水中に沈んだ轟剛三郎はもちろんすぐに立ち直って、慌てふためきつつもビショビショの頭を振った。
「クッ、轟が駄目な時でも俺はケンカから逃げたことは一度もないぜ! 食らえ俺の浴びせ蹴り!!」
と、番場烈(全裸)が立ち上がり、ひるむことなくケニー君にとびかかる。
が、コレも普通に払い飛ばされて、番場はバシャアアンと露天風呂に突き返されてしまった。
オーディエンスから沸き上がる落胆の声。
慎重な人はとっくに男湯から逃げており、今ここに残っているのはこのバトルをショーかプロレスかなにかと勘違いしている人ばかりなのだ……。
なにはともあれ、番場はかなり勇気があるが、やはり異能を使う異世界人相手の戦闘は厳しいようだ。
(あそこまでやられて受け身が取れるだけ大したものじゃが……)
と、轟剛三郎はため息を一つついたあと、ケニー君をにらんでけん制しながら番場に向かってこう言った。
「……番場よ。さっきのアンジェリカの話なんじゃが」
「えぇっ!? さっきの話、今すんのかよ!?」
「今するんじゃ。
ワシが死んだら真相を知るものが誰もいなくなってしまうからな。
……アンジェリカはワシと妻との間にできた大事な子ども……そして妻というのは、人類の女神様なんじゃ」
「エッ! 神、もう死んでるんじゃねえか!!」
驚く番場……だけでなく、ケニー君まで驚きに目を見開いて固まっている。
どうやら彼にとっても初耳らしい……。
「そうなんじゃよ。神は死んだ……。
で、妻なき今、アンジェリカが次の人類の神となる資格のある唯一の存在となってしまっているんじゃよな。
マアあの世界の人類は壊滅状態なので、神なんていてもいなくてもいいのかもしれんが、アンジェリカには自分の将来を自分で決めて欲しくてのう。
で、とにかくまずは神になる道も選べるくらいには元気になってほしいんじゃ。アンジェリカが元気になるかどうかに世界の命運もちょっとだけかかっていたりするんじゃ」
「えええ……結構複雑な話じゃねえか……アンジェリカちゃんはその話知ってんの?」
「いや、全然知らせとらん」
「いいのかそれぇ?」
「ほら、番場がさ、実は実家が大地主で毎月謎の役員報酬で三十万貰えるから働かなくていいって知った時に、調子に乗りまくって月々二十万円分くらい漫画やゲームを買いまくって大暴れしていた時があったじゃろ?
アンジェリカが自分の権力を知ってあの時の番場みたいに暴れたりすると困るのう~~って思ったんで、母親の正体もずっと伏せていたんじゃ……」
「ううーん……そうこうしている間に人類が滅んで、その三十万も消えた状態、って感じなのか? 今のアンジェリカちゃんは。
んじゃ今日まで言わなくてよかったのかもしんねえなあ~」
よくわからないなりにマアマア驚き、マアマア納得している番場烈。
そんな番場と轟剛三郎の目の前で、ケニー君だけは信じられない様子で目を見開いている。
「アンジェリカが……人類の女神の子どもだと……!?」
水色の目を見開き、混乱した様子で頭を抱えている。
「……なんてことだ……。
よりにもよってあのおっちょこちょいで考えなしでほっとけなくて、妖精みたいに頼りないあのアンジェリカが、人類最後の希望だなんて……!」
「その評価は完全に正しいんじゃが、あの、そんな、この世の終わりみたいに絶望しなくてもよくないか?」
「轟よお、今のは明らかに恋のフィルターがかかった人物評価だったぜ?
全裸徘徊の罪を知ってなおこの評価なのはだいぶ甘々だと思うんだ」
「本当に魔族の女神様の言っていた通りじゃないか!
あの世界はもうとっくに終わっていたのか……。
……。
……ならば、大勇者ゴウザブロウ。貴様の命、やはりいまここでこの私がもらい受ける!」
ケニー君が混乱状態からなんとか立ち直り、決意を秘めた目で轟剛三郎をみすえる。
「魔族の女神様から聞いているぞ。
貴様はあの世界の神々から奪った力を蓄えて、その口髭の下に隠しているとな!」
「エエッ、轟、そうなのか?」
「そうなんじゃよ番場。ホレ、髭の内側のほう」
轟剛三郎が口髭の表の部分をどかして見せると、裏の髭にいくつもの可愛いビーズがキラッキラに輝いているのが見えた。
「ワシの神の力コレクションじゃ」
「色とりどりのちっちゃいビーズじゃねえか! 神の力ってそんななのか……」
「そんななんじゃよ~」
「大勇者ゴウザブロウ!
貴様を殺し……貴様の口髭を全部引きちぎり……。
そして私のものにして、私が救ってみせる!
滅亡に瀕したあの世界を!!!!」
「オイオイオイ、テメーの父親殺して人類全体ににトドメを刺した奴がなんか言ってるぜえ~?」
「でも世界を滅ぼすヤツって大体あのマインドでやっとらんか? ケニー君はケニー君で頑張っておるんじゃ。あんまり追い詰めたらかわいそうじゃよ」
などと轟剛三郎と番場烈が話し合っている目の前で、ケニー君の体はどんどん大きくなっていった。
すさまじい筋肉、すさまじい血管だ。
ここまでヤバくなると、さすがに男湯から逃げ出す人も増えてくる。
ケニー君は体を大きくしすぎたせいで意識を保つのも厳しくなってくるようで、目線は怪しくなり、うわごとのように何かをつぶやいていた。
「セカイヲ……スクウ……ワタシガ、セカイヲ……」
「ケニー君、完全に人間をやめておるのう。
ワシ自身の魔法やチョキはあんまり通用しないみたいじゃし、どうするかな……」
「なあなあ轟、ケニー君のあの首の血管って、アレ大丈夫な奴なのか?
少し前に親父がなった頸静脈怒張とかいうのに似てんだけど」
「ひょっとしたらヤベーのかもしれんなあ。
体をあそこまで強化すると心臓にめっちゃ負担がかかってそうだし……なんか今のケニー君、自分の名前と誕生日も言えなさそうだしのう!!」
話している二人の目の前にケニー君のでっかいパンチが飛んできた。轟剛三郎は即座に防御魔法エクストラシールドを展開してそれを防ぐ。
「とにかく、これ以上暴れられると他のお客様のご迷惑じゃ! 神の力を大盤振る舞いしてやる!!」
と、轟剛三郎が右手を振り上げると、光り輝く植物性の蔦が瞬時にケニー君のこぶしに絡みついて、ケニー君の動きを止める。ケニー君の制圧に成功した一方で、轟剛三郎は床タイルの上に膝をついた。
「大丈夫か轟! ウワアアーッもっとシワシワになってるじゃねえか!!」
「森精族の神の力じゃ……神の力を使う場合、呪文の詠唱はいらない……森精族の神の力を使うと、邪魔者をすべて蔦でがんじがらめにして動きを止めることができ……ごふっ」
「黒い血出てるぜ!?」
「人間が神の力を使うと、それなりの反動が来るんじゃ……ええい、ケニー君の大暴れが収まる気配がないな、追加でケニー君にメニュー画面オープン魔法回復魔法デラックスヒーリング! ……よし、ケニー君の人外じみた量の筋肉と首の血管が消えていつものケニー君に……がぼっ」
「今度は赤い血が出てるぜ!!」
「反動、反動がな……いろいろあるんじゃ……。
……ケニー君の筋肉の膨張は、おさまったな……。
……なあ番場、脱衣所でフルーツ牛乳を買ってきてくれんか……栄養不足なのは、ケニー君も同じこと……フルーツ牛乳があれば、きっとケニー君も正気に戻る……戻ったら、彼の、話を、聞きたい……」
……少しして、客に呼ばれた係員が更衣室に顔を出したが、部屋の隅にあるベンチにくたびれた大人二人と泣きながらフルーツ牛乳を飲んでいる全裸の少年がいただけで、大乱闘の証拠は何も見つけられなかった……。




