第5話 激アツの街、激アツの風呂、オシマイの国
「──おい烈! いつまで店を開けておくつもりだ!!」
そんな怒声とともに、バーバーバンバの店内にスウェット姿のアイパーの初老が「二人」出てきた。
彼らは髪型だけでなく小太りな背格好まで似ている。
バーバーバンバの店主と、その妻である。
「うわあーーっ!!
おじさんみたいなおばさんとおばさんみたいなおじさんじゃ!!!!
いつ見てもどっちがどっちか区別がつかん!!!!」
悲鳴を上げる轟剛三郎。
轟剛三郎はこのバーバーバンバに子どものころから入り浸っているので、この初老の店主達(?)とも顔なじみではある。
顔なじみではある。の、だが……しかし、今の轟剛三郎はかなり見た目が老けているので、向こうからは一体誰だかわからないようだった。
「いつ見ても、だと……?
貴様のような全身白タイツのトンチキな知り合いはいなァい!
アイパーにもしないジジイと小娘の二人組め……さっさと店から出ていけ! 」
おじさん(おばさん?)はプリプリ怒りながら箒を振り回し、
アイパーじゃないヤツは早く出て行けとばかりに店の中を片付け始めた。
「ほら、さっさと出ていけ出ていけ!
この床屋は……閉場しています!「営業しています!!!!」
「なんでそこで夫婦の見解が違うんじゃよ~~!!」
性別のあいまいな初老たちの箒でぽこぽこ叩かれながら、悲鳴を上げる轟剛三郎。
番場はそんな轟剛三郎の手を引いて、ついでにアンジェリカから漫画を取り上げた。
「早く逃げよう!
化け物二人はほっといて、もうスパ銭に行こうぜ!
どうせこの場所にもう用はねーんだし……おわっ、アンジェリカちゃん!
漫画はもういいだろ!? 漫画は店においてってくれ!!
……。
……。……ダメダメダメ!
その悪役貴族、ママヒロインが好きすぎるを持ってっちゃダメだめだよ!
いくら面白くてもその悪役貴族、ママヒロインが好きすぎるを店外に持ってっちゃダメだからな!!!!」
☆☆☆
一行は軽自動車に乗り込んで、国道に滑り出す。
運転席にいるのは番場で、轟剛三郎は助手席におさまっていた。
アンジェリカは後部座席に座り、漫画を取り上げられたのですねた顔で窓の外の景色を見ている。
この太い道路沿いには洒落た高層ビルなど一切なく、建物は一階建てや二、三階建てのものがメインだ。
古道具屋のハーダーオフや絶滅危惧種の古本&中古ゲーム屋、個室ビデオ屋の解決倶楽部、漫画喫茶、釣具屋、焼肉キング君、かつれつ屋、ドラスト、スーパー、スーパー(※2件目)、ホームセンターなどもあり、かなり激アツな街並みが広がっている。
(……綺麗だわ。本当に。お父様は違うとおっしゃっていたけれど、やっぱりまるで魔法石みたいな光……)
アンジェリカはすねた顔をやめて、不思議な気持ちで車窓の景色に見入っていた。
運転席の番場と助手席に座る轟剛三郎がとりとめもない話をしている。
「轟よお~、オメーが行きたいスパ銭って、あそこだろ? 国道沿いの方」
「そうじゃ。そっちじゃ」
「あの店本当にスゲーよな!
施設が豪華で大量の水を使っていて維持費もバカになんねぇハズなのに、たった1000円で入れてくださるなんてよお……」
「1000円は平民には大金じゃがな」
「まあなー。この辺はそんなに金稼ぐ手段もねーしなー」
そんな話を聞き流しているうちに、アンジェリカはふっと目を閉じる。
「──ついたぞアンジェリカ」
父親にそういわれて、アンジェリカははっと夢から覚めたように顔を上げた。周囲を見ると……駐車場だ。いつのまにか寝てしまっていたらしい。
(髪を切ったからかしら……頭がすごく軽くて、動きやすいわ)
寝ぼけ眼をこすりながら車から出る。
デカいミニバンにビビりながらおっかなびっくり駐車場エリアを通り過ぎると、明るくて清潔な店内に入ることができた。
「ここは……不思議な場所ですわね……」
アンジェリカはそう言って周囲を見回し、スパ銭のエントランスホールを観察する。そんな彼女に父親はずいっとスマホを見せてきた。
「アンジェリカ。これからお前には一人で風呂に入ってもらう」
「えっ」
「入り方をネットの動画で説明するから、スマホを見なさい」
「お風呂……? お風呂って、こんなしっかりした建物でですか?
魔物だらけの山の中を分け入って、なわばりに侵入されて威嚇しているサルの群れに囲まれながら入る、あのお風呂ではなく?」
アンジェリカは首をかしげながらも券売機近くのソファに座って、イヤホンをして、公衆浴場の入り方動画を見始めた。
その後ろでは番場が「……アンジェリカちゃんは、お姫様みたいなモンだったんだよな? なのに知ってる風呂がそれって、今まで一体どんな生活をしていたんだよ……」と絶句していた。
「ンンー、ワシは敵の領土に攻め入って戦うのが仕事だったからあんまり詳しくないんじゃが、なんか、都市暮らしの人たちは風呂がなくて大変そうじゃったなぁ」
「大変そうじゃったなぁって、オメー……」
「学習完了しましたわ。スーパー銭湯、任せてくださいませ」
動画を見終えたアンジェリカがさっそうと立ち上がった。
……そんなこんなでネットの銭湯の入り方講座動画の力ですべてを理解したアンジェリカは、父親たちと別れて、女子更衣室に入り、手早くフリフリだらけの服を脱いでロッカーに押し込んだ。
ロッカーのカギをしめて、そのカギ付きがくっついたゴム製の腕輪を華麗に装着して、フェイスタオルを縦に持って体の前部分を隠して、風呂を出るとき用のタオルを入れたカゴをもって……そうして、生まれて初めてスーパー銭湯の女性用入浴エリアに足を踏み入れたのだった。
(うわあ~……!)
アンジェリカは目を見開いた。
大浴場の天井はかなり高くて、水のザブザブという音や、洗面器が床に置かれるカーンという音が反響している。
(なんて穏やかな空気……これが、サルと闘わなくていい公衆浴場……!)
アンジェリカは目をキラキラさせて少し笑った後、ふいに真顔になった。
感動しすぎて感動メーターが振り切れて、ちょっと呆然としてしまったのだ。
──彼女が元居た異世界に、公衆浴場はなかった。
……いや、大昔にはアンジェリカのいた世界にも公衆浴場はあったらしい。
そういう文章を、彼女は城の奥深くにある古代図書館の本を読みまくったときに発見している。
古代には庶民に対する教育も盛んで、風呂で体を清潔にすることの大切さ、菌・ウイルスの怖さなんかも知られていたようだった。
……しかし、長年続く敵の侵攻よって人口は大激減して、都市や社会制度、インフラを復旧するための教育システムも敵に破壊されてしまい、もともとあった浴場や上下水道は永遠に使えなくなってしまったようだ。
上下水道を失ってしまった人類は、公衆浴場を楽しむどころではなく、生活水準が大幅に落ちた。
それで、お風呂は各ご家庭で、魔法で水を作ってお湯を沸かしてタライにお湯を張って体をぬぐったり沐浴をしたりするという、結構原始的な入浴法が行われた時代もあったらしい。
……しかし、庶民の魔力はそんなに多くないし、限りある魔力は料理や労働にも使わなければならない。
少なすぎるお湯をチマチマ節約して雑に体を洗っていたら、股間とかを洗った汚れた水でも体を拭くことになるので、逆に全身に汚れが塗り広げられることになってしまって、変な病気が大発生、その結果「水危険論」「水で体を洗うと毛穴から病気の元が入ってくる」などというトンデモ話が説得力をもって流行りまくってしまった。
だれも止める者がいない庶民の謎の大流行が何百年も続くと、それはいつのまにかゆるがぬ「常識」となる。
常識が確立してしまうと、いつのまにやら「風呂で貴重な都市の水を無駄遣いするよりも魂の美しさのほうが大切」「風呂に入らない人間は心が綺麗」などといった、すでにある常識を正当化するための謎の倫理観までうまれてしまって、貴族たちまで風呂を嫌がるようになってしまうありさまだった。
もちろん、風呂に入らなければ人間どんどん体は臭くなるし、頭皮もギチギチに脂ぎってしまう。
だから嫌々風呂に入りはするのだが……それもあくまでごくたまに、最低限で、少々の悪臭はとりあえず魔法香木からとれた香水でごまかす文化が定着したのだ……。
……。
……というのが、アンジェリカが希望の国の城の書庫に立てこもって、あらゆる本と歴史的資料の情報を突き合わせて組み立てた「わたくしたちの世界の風呂に関する歴史」だ。
しかし本当のところはどうなのか、それはアンジェリカ自身にも分からない。
それでも、清潔な水を沸かして作ったお風呂は病気の元なんかじゃないということをアンジェリカは確信している。
なぜならば、彼女が古代の入浴美容術に関する本を読みまくって、本を参考にして事前に体を洗い流した後に清潔なお風呂に毎日入ってみた時には、頭の回転も体調も絶好調だったからだ。
この成功に気をよくしたアンジェリカが、本の力を過信して、今度は貴族夫人の間でひそかに流行っていた全裸徘徊月光浴美容術に手を出して試してみた結果どうなったのかは、皆様ご存じのとおりですが……。
(──ああいけない。黒歴史を思い出してぼーっとしてしまったわ。
せっかく堂々と入ることの出来るお風呂にきたんだもの、楽しまなきゃ!!)
風呂大嫌いな人間が多いかの世界でもアンジェリカは異色の風呂好きだった。
父親もまた大の風呂好きで、たまの休暇には家族みんなで、サルの群れを威嚇し返しながら野生の温泉を楽しんでいたからだ。
サルは怖いが、お湯の力で汚れと疲れと悩みが一気に溶けていく感覚がたまらない……とアンジェリカは思っている。
(いつも家族で入っていた野趣あふれる露天風呂もいいですけれど……ここは黒大理石が敷き詰められていて、とってもラグジュアリーな公衆浴場ですわね!)
アンジェリカは心の中で大興奮しているのをおすまし顔でごまかして、事前にレクチャーされた通りに洗い場の椅子をシャワーで流して、体を洗い、ついでに髪も洗ってみた。
(ふふ。このあとドライヤーで髪を乾かすのが楽しみですわ。
ん? このボトルは……フェイスソープ……? うわっ、泡が出てきましたわ!
顔を洗うためだけの石鹸があるなんて、ここはとても複雑なシステムのある国ですのね。
ええと……全身を洗い終えたらお風呂に入るんでしたっけ?
タオルの入ったかごは、ここに置けばよろしいのね……タオルだけじゃなく色々入れている人もいるみたいだわ。置きっぱなしにしても盗まれないなんて、すごいですわねえ)
まあ盗まれるときには盗まれるのだが、アンジェリカが知る由もない。
とにかく楽しみにしていたお風呂だった。
動画講座で学んだとおりに、フェイスタオルをよく洗って絞って長方形に折りたたんで頭の上に置く。
(まずはどれに入ろうかしら……)
試しに電気風呂に入ってみたら予想以上にビリビリしていたので慌てて出て、次にあつ湯に入ってみたら本当に熱かったので即座に出て……いくつか風呂を試してみた結果、ジェットバスがかなりよかったのでそこにしばらく入り浸った。
(極楽ですわ~~~~っ!!!!)
貴族の娘としての仮面をかなぐり捨てて、極楽を楽しむアンジェリカ・フォン・トロイエンバウム。
極楽を漂っているうちに、血流がよくなって脳が元気になったのか、ふと真面目な貴族令嬢の顔に戻っていろいろな考え事を始めた。
(イザベラ……ケニーのニュー婚約者だというあの女、無詠唱で魔法を使えるということは、間違いなく人間ではないわよね?)
(無詠唱魔法は神だけが使える力だもの。
でも、魚霊族の神も炎妖族の神も森精族や空竜族の神も、お父様がブチ殺してしまったから今はこの世にいらっしゃらない……。
となると残る神は人類の神と、魔族の神だけだわ。
イザベラの正体はこのどちらかなのかしら?)
(お父様は、私を元気にするためにこの時間この場所に私を連れてやってきたのよね……?
でも、わたくしの記憶する限り、あんな常識破りの魔法は人間用のどんな魔法教本にも書いてなかったわ)
(唯一近いと思えるのは、人類の女神さまの異世界転移の魔法の力……だけれど……本によればあれは人類の女神さまにしか使えないはず)
(時間を移動する力だって……どう考えても普通の人間には無理だわ。
そんな常識破りの力があるなんて聞いたことも読んだこともない。
他種族の神様からそういう力を奪ったってこと?)
(……ああ、結局何もわからないわ。
お父様……行方不明になっている間に、いったい何をしでかしたというの……)
ジェットバスにもまれたまま、シリアス顔で色々考えるアンジェリカ。
……ちなみに、女湯に入る人たちの多くはフェイスタオルを縦にして持って、体を隠す形で移動するので、そんなにバンバン裸が見える環境ではない。
もちろん全裸で悠々《ゆうゆう》と闊歩するオバチャンオバーチャンもいますが……。
(……ケニー君……)
裸で歩いているオバーチャンをぼんやり見ながら、アンジェリカはいつのまにかケニー君のことを思い出していた。
(ケニー君……ずっと一緒に頑張っていく相手だと思っていましたのに……。
いったいどうして婚約破棄なんて……)
──ケニー君は本当にさわやかで快活な体育系だった。
そして、だからこそアンジェリカはケニー君が好きではなかった。
体育系がオタクを忌み嫌うように、オタクもまた体育系を嫌がるからだ。
婚約が決まった時だって、全然うれしくなかった。
「──君はよく、本を読んでいるね」
婚約が決まって数日たったある日。
ケニー君は城の物置で隠れるように本を読んでいたアンジェリカを発見して、話しかけてきた。
……読書は決して尊敬される趣味ではない。
仕事のためにマナーの本やマニュアルを読むくらいははいいが、あれもこれもと乱読するのは、食料の生産にも敵の撃退にも役に立たない、軽蔑すべき趣味だと思われていた。
学問や学者を「頭がいい人がやるもの」と無邪気に尊敬して、読書を趣味にすることを「いい心がけだね」と喜ぶような習慣は、上下水道が滅びたときに、高等魔法学園と一緒に消えてしまったのだ。
学者たちが必死に学んだ学問は、敵の侵攻を防いではくれなかった。
人々が人生がよりよくなると信じてたくさん読んだ本は、新種の病原菌から人々を守ってくれなかった。
本なんてものは全部何の価値もないもので、物語なんて読めば読むほど時間の無駄、何の意味もない。退廃的な趣味だと思われている……。
敵の侵攻におびえ続け、日々の食料にも困っているかの国の人々は、本や学問といったものを心底憎み、軽蔑してるのだ。
「私は、読書の良さはよくわからないのだけれど」
ケニー君はアンジェリカがいやそうな顔をするのにも構わず隣に座る。
「でもきっと、知らないものを知りたくて読んでいるのだよね?
そうじゃないか?」
「それはまあ……はい」
アンジェリカは読んでいた本を閉じて、大事そうに抱きしめながらそう言った。アンジェリカにとって本はどんなに軽蔑されても譲れない宝物だった。
ケニー君がぱっと笑って、「よかった」とアンジェリカに言う。
「そういうことならば、君は私と同じじゃないか!
私も未知のものが知りたくて、王族なのにお忍びで酸の海に行ったり毒の沼に行ったりするのがやめられないんだ。皆からはすごく嫌がられるし怒られるけど、でも、世界の色んなことがわかるから楽しくてやめられない。
……君と僕は、きっと、そういうところは同じだよね。
人としての在り方は違っても、私たちは同じ道を目指せるはずだ。
政略結婚を嘆くことなく、お互いに誠意を尽くして、この国を守るいい国王と妃になろう」
ケニー君がそう言って差し出してきた手を、アンジェリカは驚きに目を見開きながら握り返した。
自分には理解できない他人の価値観を受け止めて、それでも前向きに生きて行こうとするケニー君の度量の大きさに感激したのだ。
(あの方は、心の在り方が王族なのですわ……。
あんなに大きな心でまっすぐ絶望的な世界に立ち向かおうとしていらっしゃったのに、いったいどうしてあんなことを……)
と、過去を思い出して涙ぐむアンジェリカの目の前で、全裸のオバーチャンが重そうなドアを開けて外に出た。
(あら? 裸でドアの外に?)
アンジェリカはきょとんとした顔で目を瞬く。
そしてどうやら外にもお風呂があるらしいと気が付いて、見知らぬオバーチャンを追う形で外に出た。
外にも広がるラグジュアリー公衆浴場空間……。
(露天風呂ですわ! これも入らなきゃ! ……ううっ、ケニー君に婚約破棄されたのは本当にしんどいですけれども、寒い外気で体が熱くなりすぎないの、最高ですわね……)
うっとりした気持ちで露天風呂に入っていると、隣のエリアから父親の話声らしきものが聞こえた。
「……まあ……」
アンジェリカは思わず顔を顰める。
結構大きな声だったのだ。
(お父様……公共の場で大声でしゃべるなんてマナー違反ですわよ……)
アンジェリカがうんざりした顔でため息をついた拍子に、父親の「ウワーッケニー君!!」「なぜここに!!!!」という悲鳴が聞こえた。アンジェリカが「えっ!?」と驚くまもなく、今度は父親や番場の怒号と、誰かが水の上で激しく元気よく暴れまわっているような音が聞こえてくる。
(……。
……。
……。……ええっ、ケニー君?)
アンジェリカはしばし固まった後、ぎょっとした顔で立ち上がって声のした方向を見る。
異世界の人間で、今頃は魔界でイザベラとよろしくやっていたはずのケニー君が、いったいどうして、どうやってスーパー銭湯に?
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。




