第2話 元勇者とおさななじみ
あの世界はとっくに詰んでいて、勇者は人類を救うことができなかった。
ついさっきまで異世界召喚された勇者だった父親は、だから、本当は、もう何もしたくないくらいに疲れている。
そんな時でも、フォローをしなければいけない人間がいるのならば、カラ元気でもなんでも出して元気なフリをするしかない……。
今の彼は、そういう状況だった。
(今はとにかく、ギリギリ安全なこの世界で娘を休ませる。
弱り切って「ひんし」になっているわが娘を、少しでも立ち直らせなければ……)
彼がそんなことを考えていると、胸元にしまっていたスマホがブーッ、ブーッと音を立てて震えた。
取り出してみれば、チャットアプリにいくつか通知が来ていた。
職場からの無断欠勤をとがめる通知と、友人からの通知……。
(轟……? ああ……そうか。これワシの名前か。
轟剛三郎。
そういえばワシは、そんな名前じゃったなあ……)
勇者もとい轟剛三郎は、なんともいえない不思議な気持ちでスマホの画面をじっと見る。
この二十年はずっと「勇者様」と呼ばれてきたので、すっかり忘れていた我が名だった。
「ねえお父様、その光る板は一体なんですの?」
「んー、これはな、スマートフォンじゃ。
この世界の人間は、この板を使って連絡をしあったり、買い物をしたり、婚活をしたり、ファミレスのクーポンを使ったりするんじゃよ……アアッ、山盛りポテトのクーポンあった!! ッシャ!! シャシャシャ!!!!」
山盛りポテトをしこたま楽しんだ後に、轟剛三郎とアンジェリカの二人は、窓際のボックスシートとおさらばした。
そうして出入り口にある無人の会計レジへと向かったのだが……。
「オオッ、懐かしいな」
父親は売店のお菓子とおもちゃ売り場のコーナーに目をとめた。
オレンジ色の照明に照らされて、飴、ガム、はたらくくるまのおもちゃやお店屋さんごっこをするためのレジっぽいおもちゃなどがキラキラと輝いている。
アンジェリカも「お土産屋さん……?」とつぶやきながら、不思議そうに陳列棚の前で足を止めた。
(……あったなあこんなのが。
ワシは子どもの頃買ってもらえなかったんじゃよな……)
轟剛三郎にとってはもはや遠い記憶だが、親の前でギャン泣きしようが脳をフル回転させて交渉しようがダメだった幼少期を思い出す。
「買えるものではない」という事実が記憶に叩き込まれているので、轟はもうこの棚ごときで買い物意欲が刺激されることはない。
……そして多分、自分の親がここでおみやげを買わなかったのは教育的に正解だったのだろう……と、自分が親になった今なら納得できていた。
ファミレスで飲み食いするたびにおみやげを買うのが習慣になってしまうと、結構な出費になるだろうし、ダメな浪費癖もつきそうだ。
いいか悪いかで考えたら、絶対によくない。
そんなことを考えながら、轟剛三郎は重々しい様子で口を開く。
「……アンジェリカよ……買いたいのなら、一つ何か選ぶといい……」
「ええっ……。……よろしいのですか!? 結構な出費になるのでは?」
「うむ。しかしぶっちゃけ今の我々は、帰る場所も失っていつ死ぬかもわからん身の上じゃ……これくらいはな。これくらいは。アアッでも次また買えるかどうかはわからんぞ」
「それは、もちろんでございますわ!
ええっと……どれにしようかしら……丸くてきれいだから、これがいいですわ!」
アンジェリカは目を輝かせながら、濃青のあみあみで袋詰めになっている水色のガムボールセットを選んだ。
(ソーダ味か。口に合うといいが……)
無人レジでお会計を終えて、ガムのあみあみをビリビリ破って中身を出す娘を見て、父親は髭の下の口元をほころばせる。
本当は、これからどうしたらいいのかわからず、正解の道なんかどこにも見えず、先行きも不安でしかなかった彼は、実はちょっぴり色々嫌になっていた。
……のだが、子どもの笑顔を見てほんの少しその気持ちが慰められた。
わが子の笑顔は、彼にとって人生の小さな小さな救済なのだ。
(こういう親が結構いるから、ファミレスからおみやげの棚が消えることは永遠にないのかもしれんな……)
という轟剛三郎の考えは、セルフレジがお釣りのお札と小銭を吐き出したことによって終了した。
「ン……? ウオオオオ! 大勝利じゃ! おつりが奇跡的に2000円以上残ったぞ!!
クーポン使えてよかったぞい。これでスパ銭に行けるのう~」
「スパセン……。
お父様、こちらの世界に来てから不思議なことばかりおっしゃってますわ。
……。……ところでこれはいったい何なのですか? 甘いですわね!」
「ワシが教える前に食べとるじゃないか。
それはな、ガムじゃ。噛むものじゃよ。
ガムは味がしなくなったら吐き出して、ちり紙につつんで捨てるんじゃよ」
「もう飲んでしまいましたわ」
「飲んじゃったか~~早いのう〜〜〜〜」
父親は「翻訳魔法の力でもガムの意味の解説とかまではしてくれないんじゃなあ~」などと言いながら、タイツの首元をびよんと伸ばして、ベリベリ財布とスマホを胸にしまい込んだ。
「お父様、もぐ、その収納方法、もぐもぐ……どうにかなりませんの……?」
「どうにもならん。ポケットがないからな。
そしてアンジェリカよ、ガムを噛みながらしゃべるのはやめなさい。
いくら無職といえどもお行儀が悪いぞ。ほれティッシュじゃ」
「ちり紙も胸元にしまっていますの? ヤバいですわ、やりすぎですわ。
お行儀の話なんて、荷物で胸をでこぼこにしている変な人に言われたくありませんわ……」
教育のための自制心が足りない父親と、人が止める間もなくうっかりミスをする娘……。
人並みに不完全でどこにでもいそうな父と娘は、ファミレスならではの重たいドアをあけ、国道沿いの薄暗い駐車場に出た。
☆☆☆
親子が駐車場の軽自動車に乗り込もうとしたタイミングで、若い男の大声が響いた。
「──おいオメー、轟じゃねえか!!!!」
声の主は父子から少し離れたところにいて、驚きに目を見開いている。
どうやらファミレスに入る途中だった様子だ。
コッテコテのアイパーに白いロンT、黒いシャカパンという、令和とは思えない格好をしている若い男がそこにいた。
「ば、番場……!!」
轟剛三郎は若い男を見て、顔を引きつらせてそういった。
アイパーにシャカパン、名前まで昭和の不良男のような名前の彼の名は……番場烈。
正真正銘、ちゃんと、令和の若者だ。
轟剛三郎が二の句をつぐまえに、アンジェリカが素早く父親と番場の間に立ちふさがった。
ソーダ味のあみあみガムボールはいつのまにかドレスのふりふりの中にしまわれている。
……妃候補というものは、他に誰もいないような場合には王を護衛する役目も負っているので、こういう時には体が先に動いてしまうようだった。
「……メニュー画面、オープン……。
魔法補助魔法……ハイ・シールド!」
アンジェリカの言葉と共に、ドア一枚分の大きさを持つ半透明の黄金の盾が、バキバキと音を立てて親子の前に展開される。補助魔法、ハイ・シールドによってうまれた盾だ。
番場はしりもちをついてそれを見上げていた。
……ちなみに、アンジェリカの叫んだ魔法補助魔法というのは誤字ではない。
かの世界の人間たちは、まず「メニュー画面」を開いて自分自身にしか見えないテキストウインドウを出し、そこから「魔法」を選択して、さらに「補助魔法」を選択して補助魔法の欄に記載されている「ハイ・シールド」を選択→実行することで魔法を発動させている。魔法は声に出さないと発動しない。
なので、詠唱するべき呪文は「メニュー画面魔法補助魔法ハイ・シールド」で、合っている。
レトロゲームをやったことのある人なら「……え? そっちの方法で魔法を使っているんですか!?」とピンときつつも首をかしげるような原始的な方法で、異世界の彼らは魔法を使っているのだ……。
「……オオッ、さすがアンジェリカ。
ひんしの身でありながら、その速度で魔法を使いこなすとはのう」
「まだまだ未熟者ですわっ!
お父様みたいに他人のステータス画面なんか見えないし、メニュー画面をオープンしてプロパティを開いて言語設定を希望国語から日本語に変えて、この世界では異物であるはずの私に日本語を理解させて喋らせることもできるような、そんな滅茶苦茶なことはできませんもの!」
……父も結構すごかった。
今、轟剛三郎の周囲の人間は、ご都合魔法のちからパワーのせいで誰もかれもが強制的に日本語を理解して喋ることができるようになってしまっている。
もし、日本語をしゃべれないインバウンドの方などが今この領域に入ってしまったら、大混乱間違いなしだ。
割ととんでもないことになっているのである……。
「それでお父様……この男性は知り合いですの? 殺してもよろしいのですか!?」
アンジェリカは黄色い目を細めて、番場のことを全身で警戒している。
「オイ轟よお! おめえそのお嬢さんは一体どこのどいつだよ!?」
番場は番場で尻もちから立ち直り、アンジェリカのことを警戒していた。
「それにこの壁は一体何なんだよ? 魔法か? 大道芸か?」
「同時にいろいろ質問するのマジでやめてくれんかのう~~~~」
轟剛三郎は天を仰ぎながらうめき声をあげた。
天を仰ぐ恰好のまま、絞り出すような声を出す。
「……とりあえず、アンジェリカ」
「はい」
「ハイ・シールドをしまいなさい。近所の人に見られると面倒だ」
「はい」
アンジェリカが例の呪文をゴニョゴニョつぶやいて最後に「停止」と付け加えると、ハイ・シールドなる半透明の黄金の盾はすうっと消えた。
「うむ、えらいぞアンジェリカ。
……で、番場」
「おう」
轟剛三郎が番場に向き直ると、番場が真剣な顔でうなずいた。
「……。……いや、あの……。
……ワシ、じゃない、俺……ジジイになってるはずだろ……なんで俺だって分かるんだよ……」
「そんなのオメー……たりめーだろうが!
ダチの顔を見間違えるかよ!」
番場はそう言って、シャカパンのポケットからスマホを出したかと思うと、チャットアプリの通話ボタンらしきものを開始した。
そのとたんに轟剛三郎の胸元のスマホがタイツ越しに光り、ブーッ、ブーッ、と振動する。
「……」
「ほらみろ、轟剛三郎に電話をかけたらこうなったぜ。つまり、やっぱりオメーは轟剛三郎なんだ」
「……」
「おい黙り込むんじゃねえ!
一体何だってんだよ。
俺ァ親御さんを亡くして死にそうになってるオメーを見かねて、4日前にこの店で飯をおごったばかりだぜ?
それがなんで……いきなりジジイになってやがんだ?
オメーは俺と同じ年だったはずだよな?」
「4日前……そうか、今はそんな時期だったか……」
「なんだよそのリアクション……轟、やっぱりお前変だぜ」
番場はそう言ったかと思うと、轟剛三郎の肩を強くたたいた。
「事情を話せ! おごってやるからファミレスに付き合えよ!」
「ええ? その申し出はありがたいんじゃが、ワシらは今さっき食べてもう帰るところで……」
「んじゃサイドメニューをおごってやる!
最近は食べきれなかったら持ち帰りできるサービスもあるんだ。そうすりゃいい。
だってお前ら、なんつうか……ガリガリじゃねえか」
番場はそう言って、気遣うような目を轟剛三郎とアンジェリカに向けた。
「お前も、そこのお嬢さんも。ただごとじゃねえ感じになってる。何かとんでもねえことに巻きこまれたんだろ?」
「……それは、そうなんだが……」
轟剛三郎は番場に肩をたたかれた格好のまま、しばらくのあいだ駐車場に立ち尽くした。呆然とした様子で空を見上げる。
……何度も書くが、彼は疲れ切っている。
異世界の人類滅亡の現場から、命からがら娘を連れて逃げ出してきたばかりなのだ。
番場の誘いに乗ればいいのか、断ればいいのか、何が正しいのかわからなくて停止する轟剛三郎。
アンジェリカは心配そうにそんな父親を見上げたり、番場を見たり、あみあみ入りのソーダ味ガムを嚙んだりと忙しそうにしている。
番場は静かに剛三郎の様子を見守った。
そのまましばらくの時間が経過する。
「……」
彼はしばらくパチンコ屋のビームライトに照らされる雲を見ていたが、やがて番場に向き直り、肩をすくめてため息をついた。
「……わかったよ。降参だ。
そういえばバンバは昔から勘がよかったもんなあ。
伝わる気は全然しないが、事情を話すよ……」
☆☆☆
「──……あら。今度は窓際席じゃありませんのね。残念ですわ」
「窓際席はみーんな座りたがるからすぐに一杯になるんだよお嬢ちゃん。
えーと、タブレットでメニューを入力しないとな。
……っていうか轟オメーよお、この場所まで車で来たのか?」
「ん? ああ……」
「浦島太郎みてーな見た目になってるくせに、免許証ちゃんと持ってんのか?
免許証もねえのに車運転して、オマワリに見つかったらヤベーぞ」
「そこは大丈夫だ。
財布にちゃんと免許証はあるし、勇者になる前は中古車買い取り業者だったからドライブテクニックも問題ないしな」
「車って恐ろしい乗り物ですのね。
あまりにもグラグラ曲がったり、壁を掠ったり、ほかの車から警笛を鳴らされたりするので、わたくし恐ろしくて気を失ってしまいましたわ」
「……轟、免許証見せてみろ。
……。……おいコレ若いころの顔写真じゃねえか!
ダメだダメだお前は金輪際車を運転するな!!
確かに免許証は有効期限内だけども……こんなややこしそうな話、警察に説明できるかーーっ!!」




