透明な箱のそばで
愛が足りなかった。
それで空気が薄すぎて苦しくて命を繋ぐように人を求めた。
愛が足りなかったとは自覚できないまま恋をした。恋と呼ぶだろうと思い込んでいた。
自覚できたのは子供を2人産んで離婚してからだった。
余裕ができたからそういうことも感じれるようになったのだと思うよと、教えてもらった。
愛と聞くと焦燥と思いつく。
足元から何かが崩れてしまうような、生死に関わるような。
普段から豚肉の正体を見たりはしない。死を直接に連想するものを人は汚いと嫌うらしい。死に似ているものに抜け落ちた髪の毛だとか排泄物だとかが当てはまるらしい。生死について常に頭に置いておくのは心に毒だ。
それを本音を伏せて逃げているようにも見える親に見る。愛に飢えていた事実は恐ろしい真実で蓋がされていないといけないものに見える。
私の心の中にある透明な箱には『愛されたかった女の子』がいた。この子の声を閉ざしてしまった人もまた私だ。賢い私は、そんなことを言って周りを困らせても傷つくのはあなただけ。と蓋を強固に閉めた。長い人生を過呼吸症状で苦しめたのも透明な箱だろう。勿体無くて遊んでもらえなかったお人形みたい。それほど賢い方の私は私の心を大切に守りたかった。壊れてしまわない様に。喉奥の苦しみもここにヒントが隠されている。
ずっと自分を騙してきた。苦しい辛い死にたいと言いながら。病院に薬をもらいに泣きながら。
自分を騙す必要はない。それが必要な辛い現実はとっくに終わった。終わってしまった。
人形の様な子供を育てて退屈しなかったのだろうか。仕事がスムーズに進んで楽だっただろうか。仕事が過酷過ぎて『人形みたいなうちの娘』は目に入っていなかったのだろうか。
苦しい時に親だけが苦しくて子供は気楽でいいわね、という事はあり得ない。
それだけでもわかって欲しかった。
子供には子供の気持ちがある。親の立場には親の気持ちがある。無理をして親をやってると、自分が子供の時どんな気持ちで親を待っていたか?なんて思い出せなくなる。
私は覚えている。気にして欲しかった。(と、試しに書いてみる)愛されたかった。望まれて生まれてきたんだと実感したかった。親を苦しめるお荷物ではなく、黙って引っ込んでろ!では無く。
愛されていたからこの世にいたんだと思いたかった。父がオーケーを出さなかったら私は生まれてきただろうか?
父はオーケーを出した。3人目を産む事を母は不安視していた。そもそもうちの母に「子供を産みたい。作りたい。」という意思があったかも怪しく思う。結婚とはそういうものだから‥とは思っていそうだった。
子供を産みたい。なぜかははっきりしない。でも欲しかった。私の願望は叶えられた。そしてわかった。自分の心を愛し直したかった事に。うちには良いお医者さんがふたりもいるので治療は順調と言える。
子供に会いたい。小さな赤ちゃんに、
ひさしぶりと友達が声をかけてくれた。私の小さな娘にそう言っていた。産後の不安定が抜けない心と頭で「ひさしぶり」がふわふわする。心地よくて不思議で、友達にどういう意味?と聞き返すほどではなかった。
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