第08話 飯を作れ。あと、ついてこい
病院での療養生活の前後で、ロウデン別邸の暮らしは大きく変わった。
アルヴェンダール様が入院する前、私たちが共にする食事は朝食だけだった。アルヴェンダール様は夕食を済ませてからお帰りになるし、そもそも帰ってこない日だって多かったからだ。
しかし、退院後については、私たちは三食すべてを共にするようになった。
平日の、仕事があるときにもだ。アルヴェンダール様は昼時には帰ってきて、手早く食事を済ませ、颯爽と騎士団本部に戻られる。夕飯だって、もう絶対に外では食べずに、日が沈むちょうどの頃にお帰りになる。
そしてたまに、私を伴って出勤する日もあった。
別段何か仕事があるわけではないので、アルヴェンダール様の執務室の端っこで座っているか、お茶汲みをすることにしている。
なぜアルヴェンダール様がそのように生活を変えたかを考えたけれど、心当たりは一つしかない。
──詳細はいつか話す、とおっしゃっていた、命の魔法に関すること。
さすがの私も、あの魔法が特別な意味を持つことに気づき始めていた。
というより、ペンフィールドの家にいたときに、疑問すら抱かなかったことの方が不自然だったと、今となっては思う。このロウデン別邸に来てから、私はいくらか自由にものを考えられるようになっていた。
アルヴェンダール様が頻繁に家に帰り、私を伴うことがあるのも、おそらく、命の魔法に関する何かしらの意図があってのことなのだろう。
つまり私は、アルヴェンダール様に守ってもらっているのだ。
それはとても不思議な気分だった。お母さまが死んでから、誰かに守ってもらったことなんてなかったから。
守ってくださる理由を聞けなくて、それはきっと、家族愛のようなものから遠いだろう、という確信は少し寂しい。けれどこの生活のおかげで私たちは一緒にいることが格段に多くなって、確かに距離も縮まっていた。
食事だってもう、私が主だって用意しているのだ。
アルヴェンダール様はそれで何も言わないどころか、退院後二週間くらい経ったときにぼそりと、
「……美味い」
と言ってくださった。
私はそれに、かしこまりすぎないくらいに、頭を下げて答えた。
ここに来てから、もっとも嬉しいことの一つだ。
◇◇◇
「ロウデン師団長、おられますか!」
羽ペンを置き、頭を押さえ、息を吐いてから、「入れ」と返す。
退院してから、仕事の能率が悪い。
いや、むしろ体調は良く、作業の速度自体は上がっているのだ。
しかし、ある一つのことが俺の脳裏を過って離れないせいで、どうにも集中できている実感がない。
「失礼いたします!」
執務室に入ってきた部下は一度、部屋の隅の丸椅子に目を遣った。
「今日は奥様は……いらっしゃいませんね」
「……ああ、いないが」
部下の声は少し震えていて、動きが固い。
俺はそれで、彼が極度に緊張していることを察した。
「その……まさにその奥様のことで、謹んで申し上げたいことが」
「何!?」
直感する。
──まさか、命の魔法の話が漏れたか!?
王都病院特別病棟の騎士団員には強烈な守秘義務が課せられている。そのおかげで俺の氷狼の血については敵軍に漏れていない。
それが、まさか。
「どこだ!? いったいどこでそれを──」
「そのっ! ロウデン師団長に愛する奥様ができたということは! 部下一同! たいへん嬉しく思い! しかしながら! 無粋とは存じ上げますが! 私が代表して申し上げます!」
……へ?
「新婚なわけですから! 仕方ないのですが! あまりにもずっと奥様を伴われておりますし!」
「おいちょっと待て」
「最近は本当に頻繁に! 昼食のたびにご帰宅なさるので! その、もうちょっと! 節度をと!」
「待て待て待て待て。待てと言ったろう」
とりあえず、そんなことを執務室で叫ばれては困るので、もう本当に困るので、制止した。
「俺はそんなに、妻に会いたがっているように見えるか」
「……違うのですか?」
部下はきょとんとしている。
「あ、ああ! 違う」
「も、申し訳ございません! てっきり愛する奥様と一緒にいたいものかと」
「あれは事情あってのことだ。そんなふざけた真似を、ましてや騎士団本部でするわけなかろう」
ここ最近にあの娘を伴っていたのは警護のためだ。命の魔法の使い手はそれだけで狙われかねないほどの希少な存在だ。
また、頻繁に家に帰るのは、自分が病み上がりであるということを自覚してのことだ。前回の入院で、俺は自身が病人であり、氷狼の血が病巣であることに自覚的になった。しばらく出征の予定もないのだから、少なくとも数カ月は慣れた食事と余裕のある生活で体力を回復した方が、後の事を考えても良い。
「まあ、正直に意見を言ってくれたのは良い。非戦闘員を職場に連れてくるにしては、俺も説明がなさすぎた」
「と、とんでもございません! 我々こそ無礼な勘違いをしてしまい、たいへん失礼いたしました!」
部下は恐縮し、直ちに執務室を出て行く。
一人になり、俺は大きなため息をついた。
──まったく。黙っていれば、信じられない誤解をされるものだ。
そんな馬鹿みたいに色ボケる己など、想像もつかなかった。




