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第07話 ちょっとは笑ってみろ

 その夜は、私もマイラさんも特別病棟の、壊れていない部屋に泊まった。

 健全に眠り、点滴と輸血を受け入れたアルヴェンダール様は、思ったよりも早く危険な状態を脱した。頑健な騎士本来の回復力というものはこういうものです、と主治医の先生は言っていた。私たちを安心させるためでもあると思う。


 翌日の昼頃に、面会が許可された。

 一日ぶりにあったアルヴェンダール様は、昨晩と違って格子付きのベッドに閉じ込められてもいないし、点滴も輸血も終わって、いくらか健やかに見えた。


 彼の中で何があったのかは、私には計り知ることはできない。


 でもその横顔からは、憑き物が落ちたように見えた。


「おまえ、あの魔法が何かわかっているのか?」


 アルヴェンダール様は私にそう尋ねた。


「命の魔法、です」

「そうではない。あの魔法を保持しているということがどういうことか、だ」

「? 父には、聞かれない限りは使えることは言うなと」

「……それも織り込み済みの縁談だった、ということか」


 形の良い顎に手を当てて、アルヴェンダール様は続ける。


「あの魔法は禁止だ。俺の許可がない限り誰にも使うな。そしてこれからは聞かれても絶対に口外するな」

「はい。わかりました」

「それと、これからは絶対に一人で出歩くな。そのうち警護も遣る。詳細はいつか話す」


 私は一も二もなく頷いた。


 しばらく経って、今度はマイラさんが切り出した。


「坊ちゃま。オーレム先生が、坊ちゃまが療食を食べぬと困っておられました」


 そう、私たちは面会にあたって、主治医の先生からの頼まれごとがあった。

 報告の通り、今もサイドテーブルに置いてある療食は手つかずだ。


「……俺は、どこで誰が作ったかも知れぬ物は食わん」

「坊ちゃま。療食は、この病院で、免許を持った調理師が、詳らかにされた食材を用いて作るものです」

「うるさい。そんなことは知っている」

「ならお食べになってください」

「嫌だ」

「また我儘を……」


 アルヴェンダール様はそっぽを向くかのようにむすっとして、ぼそっと言った。


「おまえたちが作るなら、いい」



***



 退院まで、私とマイラさんは住み込みでアルヴェンダール様の療食を作ることになった。騎士団の師団長ともなれば、病院でそういう指定をすることもできるそうだ。


 私は最初、料理はマイラさんにすべて任せるつもりだった。ロウデンの別邸では未だにアルヴェンダール様の食事を作ったことがないから。直接食事を作る以外の、買い出しだとか、配膳だとか、そういうことを手伝うべきなのかな、と考えていた。


 しかしいざ病院の台所を借りて、調理台と距離を取ろうとしたときに、マイラさんは次のように言った。


「シーナ様。坊ちゃまは『おまえたち』と言いましたよ」

「でも」

「あれは、シーナ様に作ってほしい、ということです」


 ……そうなのだろうか。


 それで、私も参加して療食を作った。マイラさんの指示で、最初の配膳も私がした。


 本当に食べてくれるか不安で不安で仕方なかったけれど、アルヴェンダール様はそれを何も聞かずに口にした。


 お腹が空いていたのか、心なしか、けっこう旺盛に食べてくれたような気がして、嬉しかった。


 二度目以降の食事は、三食とも私たちと共にすることになった。

 あるときに「おまえたちは食べたのか」と聞かれたことがきっかけだった。

 それで「いいえ」と答えると「おまえたちも何か食え」と言われて、自然とそのようになって、いつの間にかアルヴェンダール様の強い希望で、そうするべきだということになっていた。


 基本はいつもの朝食と同じで穏やかな、無言の食事だった。何か込み入った話をすることなく、たまにぽつりぽつりとマイラさんとアルヴェンダール様が執務の確認をするだけで、私から何かを話す機会はしばらくこなかった。


 けれど、ある朝に、アルヴェンダール様はこう言った。


「おまえの顔は辛気臭くてかなわん」


 それは間違いなく、私に向かって言っていた。

 食卓に久々に緊張が走る。


「申し訳ございません、アルヴェンダール様。わたくし、何か粗相を」


 私は食器を置いて、床に膝をつこうとする。


「違う! そうじゃない! やめろ!」

「坊ちゃま。言い方が悪すぎます」


 マイラさんは深く、深くため息をついた。


「シーナ様。坊ちゃまは、笑顔を見せてくれ、と言っています」

「え……?」


 アルヴェンダール様の方を見る。

 相変わらずむすっとしているが、否定はしない。


「ちょっとは、笑ってみろ。そこまで無表情でいられては、俺も息が詰まる」


 マイラさんの言う通りだったようだ。


「笑う……ですか」


 そう言われて、とても困ってしまった。

 継母には笑うなと教育されていた。それだけじゃなくて、何か表情を変えるたびに、おまえにそんな権利はないと打たれる日々だった。

 だから私は、極力頬を動かさないように、声を上げないように、自分で自分を訓練したのだ。


 マイラさんは真正面から、アルヴェンダール様は少し伏し目がちに、けれどもしっかりと私の顔を見ている。


「……ごめんなさい。わたくし、その、笑うのが、苦手で」

「大丈夫ですよ、シーナ様。私も坊ちゃまもそれは存じております」

「あ、えっと、でも」

「ちょっと口の端を上げてみましょう。それだけで、少し表情が和らぎますから」


 そう言われて、動かそうとする。


 でも無理だ。力の入れ方がわからない。動くのは顎と舌だけで、口角だけを上げようとしても口が開いてしまう。


 焦った。笑わねばならない。一刻も早く。

 口角を上げようという気持ちが先行した。アルヴェンダール様がそれを望んでおられる。


 だから私は、両手を使って、自分の頬を押し上げた。


「こう……ですか?」


 その途端、マイラさんとアルヴェンダール様は、顔を伏せて笑った。


「ぐっ……」

「ああ坊ちゃま。今笑うと肺に、あ、いや……でもこれは、ふふっ……」


 きっと私はおかしなことをしたのだろう、とわかった。

 でもさすがに、笑い過ぎではなかろうか。


「がほっ! がほっ!」

「ああ! 坊ちゃま! 坊ちゃま!」


 笑ううちにアルヴェンダール様は気管に食事が入りかけたらしく、本当にせき込み始めた。それでも二人は笑っている。笑うたび、アルヴェンダール様はまたむせて、マイラさんは「ああ坊ちゃま!」と心配そうに言う。


「ふふっ……」


 逆に私にも、二人の様子が、ちょっとだけ、おもしろおかしく見えた。


「そう! それです!」


 そのとき、振り向いたマイラさんが、目を輝かせて私の顔を見た。


「それですよ、シーナ様。自然な笑顔とは、そういうものです」


 自分の頬に触れる。


 ──ほんとだ。上がってる。


 そうか、笑顔とは、こういうものだったか。

 指示を遂行すべく、その顔の感覚のまま、もう一度口角を上げて、私はアルヴェンダール様の顔を見つめた。


 これで、できているだろうか。

 

 するとアルヴェンダール様はベッドの上でぽかんと固まって、それからまた、顔を伏せた。


 今度はどうも、笑われたわけではないようだった。

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