第24話 俺のことを許してくれ
氷狼の姿で、王都を駆ける。
匂いを追うにも限界があるはずで、連れ去られた先がレイヴンシェイド領かペンフィールド領か、他の場所かもわからない。
それなのに俺には、シーナの居場所がわかった。
ただの直感に近しいものだ。けれど不思議に匂いの裏付けが取れて、俺は迷うことなく駆けていけた。
そうして辿り着いたのが、ペンフィールドの屋敷。
不自然な数の守衛がいる。レイヴンシェイド家の紋章らしき隊服も見える。
俺は迷うことなく門を破壊し、敷地のど真ん中に降り立った。
瞬時に氷狼の姿から人間の姿に身を替える。魔法を使うならこちらの方がいい。ここから先は対人戦になる。
臨戦態勢になる一方で、俺は別のことで強く違和感を覚えた。
──空気がとんでもなく、不快だ。
氷狼の血の影響か、嫌に過敏に反応した。淀んでいる。まるでこの世の醜悪を煮詰めたかのよう。呼吸をしているだけで、憎しみが煽られるような気さえする。
──ここがシーナを蝕んだ、諸悪の根源か。
屋敷を見据えると、そこから二人分の、臨戦態勢の魔力がやってきた。
ガーウィン=ペンフィールドとロウェナ=ペンフィールド。
ガーウィンの腕には炎の魔力が集まり、ロウェナは背後に風の魔力を蓄えている。
「これは穏やかではないですなぁ、ロウデン卿。どうされたのですか、急に」
「白々しい。シーナを返せ」
「……はて、そんな娘、うちにいましたかな?」
瞬時に生成した氷塊を、この醜悪な夫婦に射出する。
しかしそれは、ロウェナの風によって強められたガーウィンの炎と相殺された。
……そういえば、ペンフィールド伯爵家は魔力に優れているし、ロウェナの実家のグレイモンド家も、一部では有名な魔法の一族なのだったか。
噂に違わぬ程度ではある。あの氷塊を相殺するなど並みではない。
ただ、それだけだ。
「落ち着いてくださいな、ロウデン卿。きっと、誤解があります」
平然とガーウィンはそう言ってくる。
会話をするつもりがあるのか、ならば目的は時間稼ぎか。
彼は抜け目なく手で指示を出し、部下に命じて俺を包囲してきた。
「……なあ、シーナ。俺がこれからすることを、おまえは許してくれるか?」
夜空に呟いてから、手をかざした。
さっきの五十倍の量の氷塊が瞬時に生成される。
「なっ……!」
ペンフィールド夫妻とその部下たちはただ呆気に取られ、対応すらしていない。
なんて温いんだろうか。戦場帰りにとってこれでは、肩慣らしにもならない。
両手を振って、交差させる。
氷は竜巻のように回り、対象物をひたすらに殴打し、ガーウィンも、その部下も蹂躙する。外壁も床も抉り、木ごとなぎ倒し、すべて破壊する。多少の炎などすぐに消し飛ばした。
氷の嵐が落ち着いたころには、どいつもこいつも既に倒れ伏していた。
遠くの方にガーウィンが転がっていた。手足が不自然な方向に曲がっている。動いているのかいないのかはよく見えない。興味もない。
ロウェナの方は、たまたま俺の近くで倒れていた。
まだ息がある。俺は彼女の髪を引っ掴んで、無理やり持ち上げて、聞いた。
「おい、シーナはどこだ」
ロウェナは俺の質問を鼻で笑って返した。
答える気はないようだ。
耳と鼻を済ませると、屋敷の中央部の深いところにシーナの気配がある気がした。これなら無理に聞かなくともいいかもしれない。
「……おまえたちはなぜそこまでして、シーナを虐げる?」
そして最後に、ロウェナに尋ねた。
彼女はその質問には、歪んだ笑みで応えた。
「あの女の娘だもの。殺してやりたいくらいに憎いに決まってるわ」
ああ、なんて不快なんだろう。
多少調べがついていたこととはいえ、ここまで手遅れの状態だったとは。
「……親への逆恨みを子で晴らそうなど、まったくもって意味不明だ。おまえたちはただ愚かで、不快で、歪んでいるだけのゴミ屑だよ」
俺はロウェナをそのまま脇に捨てた。
もうこんなやつらと一瞬たりとも言葉を交わしたくない。話しているだけで腸が煮えくり返る。
息を吸う。その度に不快な気分が支配する。
屋敷に駆けていくと同時に、また氷塊を浮かべた。
シーナの気配がする場所だけには注意して、ひたすら屋敷に氷をぶつけていく。そうすれば容易く、この不快な建物は崩れていった。
壊して、壊して、全部消えてしまえばいいと思った。
シーナを虐げてきた過去なんて。
こんなにも歪んで、狂った屋敷なんて。
***
薄暗くておぞましい礼拝堂の中、私が手で結んだ印から、緑色の光が瞬く。
「『水はめぐりて、命を養ふ』」
漂うその緑光が、私の命の光であるのだと、ようやく思い当たった。
「『雨と成りては天より降り』」
なんでずっとわからなかったのだろう。考えもしなかった。
この魔法を使うと死ぬだなんて、頭ではわかっていても、私はなんにも知らなかった。
「『川と成りては地を潤し、海となりては、また、空へ、と──」
詠唱が途中で途切れる。
緑の光は保たれたままだけれど、不安定に揺らいでいる。
心臓が拍動している。涙が止まらない。
「あんた! 何止めてんのよ! 早く唱えなさいよ!」
ミラベルが私を打つ。
痛くて、逆らえなくて、それで、みんな、可哀想で。
膝を突いて、私は続きを唱える。
「ま、『また空へと、還りゆく』」
詠唱のたびに死が近づく。
これで楽になれると思うのに、苦しくて仕方ない。
ようやくわかった。
私は、死ぬのが怖かった。
浮かんだ命の光は、曲がりなりにも私が育んだ記憶の結晶だった。
「『斯くして我、常世の道に身を委ね』」
光の中に、旦那様の顔と言葉が浮かぶようだった。
──くだらん娘だ。
ああ、最初はそうだった。
本当は、ちょっと怖かった。
でも、すぐに優しい人だとわかって、もう放心してしまって。
きっと、そのときからずっと、私は。
「『穢れを、祓ひ、罪を解き』」
──おまえの顔は辛気臭くてかなわん。
最初は意味をちゃんと受け取れなかった。
旦那様は少し言葉が違うことがある。けれど本心はとてもお優しくて、人を助けて慮りたいのに、うまくいかないことに悩んでいたりする。
そういうところが、ちょっと可愛いだなんて、実は、思ってた。
「『静かなる、光の、裡に、帰りなん』」
──それはおまえが、甘いと感じたんだ。
旦那様は気付いてくれた。私についての、私の知らない事も、全部。
全部、旦那様が教えてくれた。
緑の光が瞬く。
涙が止まらなかった。まともに詠唱ができているかわからない。
心臓の拍動が強くなる。体がどんどん熱くなって、制御が効かなくなる。
唱え終わってしまったら、私はエルリックさんを治して、それで、死んでしまって。
二度と、旦那様に、会えなくなる。
「『これの、命、清き、御前に──」
それで、私はついに詠唱をやめて、魔力の集中を解いてしまった。
「……は?」
ミラベルは腹の底から苛立った声を出した。
「あんた、ふざけてんの!?」
また、打ってくる。今度は蹴りも。
今までよりも、ずっとずっと強く。私に詠唱を続けさせるためじゃなくて、まるで鬱憤を晴らすためかのようだった。
「あんたのそういうところが、一番嫌いなのよ! のこのこついてきたのはあんたでしょ!? さっさと死になさいよ!」
「わ、た、わたく、し。やっぱり、死にたく、ありません。だから!」
声を振り絞った。
「命の魔法は、使いません」
ミラベルはまた私を打つ。そのまま髪を掴んで、思いっきり頭を床に叩きつけてくる。
割れるように痛い。きっと血が出ている。
「ああ、お似合いだわお姉様。不細工な顔に、汚れた血。本当に、醜いったらありゃしない、お似合いの化け物の顔」
意識が朦朧とする。
ミラベルの言葉も反響する。
醜いと聞こえた。それは私がいつも言われていたことだった。
「……でもね、でもね。ミラベル。旦那様がね、言ってくれたんです」
けれど、それは、違うって思った。
「──おまえは本当に、綺麗だな、って」
だって旦那様が、そう言ってくれたから。
力を振り絞って膝で立つ。
そうしたとしてもどうにもならないってわかっていたけれど、私はミラベルを見据えた。
すると彼女の暴行が、ふと止まった。
「ああそう。あんた、そうなんだ。結局使えない愚図なのね。さっさと死ぬこともできないんだ」
諦めてくれたのかもしれない、と淡い希望を抱いた。
でもミラベルは私を静かに見下ろすばかりで、その目には、未だに余裕があるようですらあった。
「……でも残念。保険があるのよ。治癒の強度は下がるみたいなんだけど」
彼女は扉の前に歩んだ。
そして、床に刻まれていた魔法陣の、基礎の部分でしゃがんで、掌を下に押し付けた。
「これはお母様の魔法陣よ。あんたの母親の死体を分析して作ったらしいわ」
魔法陣が怪しく光る。
その瞬間に、私の体に、言い知れぬ麻痺のような痺れが走った。
「あっ、がっ、はっ……」
「私はその死体を見たことがある。笑ったわよあんなの。あの女には退化した生物術式が刻まれてた。つまり命の魔法は、元々備えていた体の機能を活性化させたあとに反転させてるだけだったの」
ミラベルが手を置いた場所を起点に、魔法陣に沿って、命の魔法と同じ緑色の光が走る。
私の体はますます痺れる。勝手に手足と背中が縮こまって、自分の意思では開かなくなる。
「さっさとエルリック様のために死になさい」
そしてミラベルは、魔法を発動した。
「『反転:精魂吸収』」
私の全身を感じたことがないほどの激痛が襲った。
首筋から勝手に命の光が吸い出されて、空中にまとまり、浮遊するようになる。
その光は、エルリックさんの方に向かっている。
──嫌だ。
耐えねばならないと思った。なんとしてもあの光を引き戻さないと。
──生きたい。
胸に手を当てて、うずくまる。自分の胸がぐっと近くなる。鼓動している。
どこに力を入れるのかもわからない。
──旦那様と一緒に、生きていたい。
そして胸の鼓動が、熱が、自分だけのものではないとわかる。
その熱の源は、懐に入れた、ロウデン家の首飾りだった。
ロウデン家の妻が代々と受け継いできたその小袋の中身は、氷狼の一部だと聞かされている。
これはきっと、氷狼の血だ。
温かい。
温かい、氷狼の、体温。
そのとき、大きな地響きが鳴った。
床ごと魔法陣にヒビが入る。浮遊していた緑の光は、私の体の痛みと一緒に霧散する。
「なに!? なんなの!?」
ミラベルが困惑して叫んだ。
首飾りの熱がいっそう増していた。
床のヒビは壁まで広がって、めきめきと天井まで届く。
扉がガタガタと鳴る。ひゅうひゅうと冷たい風が吹いている。
耐えられなくなった扉が開くと同時に、礼拝堂の壁が崩れ、天井が吹雪で吹き飛んだ。
扉があった場所から、冷たい氷が這うように伸びてくる。
──ああ、私はこの氷を、知っている。
現れたのは、想い続けた、優しい、あの人。
旦那様が、来てくれた。




