第02話 代わりに嫁に行きなさい
久々に、日が出ているときに屋敷に呼ばれた。それも応接間だ。
ここに入るのはもう十年ぶりくらいだろうか。学校を辞める際に、先生が両親を説得にきたとき以来だと思う。
入ってみれば、ミラベルもいた。何かそわそわした様子の両親が二人掛けのソファーに座っていて、テーブルを挟んでミラベルが反対側の、きっと特注だろう椅子に柔らかく腰かけている。
私はミラベルから少し離れた隣に、背筋を伸ばして立った。これが私たち家族が四人集まったときの定位置だ。
隣に並ぶたびに思う。十七歳になった異母妹は、初めて出会ったときよりもいっそう美しくなった。
アメジストのような瞳は成長してなお輝きを保って、くるくるの金髪はより艶やかに、絹のように柔らかく伸びている。それでいて体はよく育って、全体的な印象は細いのにふくよかで、大人の女性らしい柔らかさと芯の強さ、瑞々しさが同居している。
戸籍上は私と何も変わらないはずなのに、もう根本的に私とは“身分”が違うと言っていい。
顔も、体も、服も、教養も、すべてが貧相な私とは比べ物にならない。
この子と並んで見れば、きっと私の方が痩せぎすの子供に見えるだろう。
父はそんなミラベルに、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「ミラベルに縁談が来たよ」
「まあ!」
彼女はいったん、両手の指を合わせて嬉しそうな様子を見せる。
「だが、その相手というのが、ロウデン卿でね」
父は苦しそうに言った。
その家名と、誰のことを指すのかは、私でも知っている。
アルヴェンダール=ロウデン。
先の戦争で手柄を上げ、若くして英雄の一人として名が広まった御仁だ。
しかし、ほどなくしてそのあまりに恐ろしい人格も言い広められた。
曰く、仲間であろうと容赦せず、失態を咎め、場合によっては殺してしまう。家族だろうと手にかける。彼の実績から妻になろうとした女はいくらでもいたが、その全員がロウデン卿によって“傷物”にされ、もう社交界にすら出られなくなっただとか。
その恐ろしさを表した二つ名は、“銀狼卿”。
「え、いやよお父様。あのロウデン卿の妻に? 私が?」
「条件はいいんだ。なんと結納金はいらないし、それどころか戦果の報奨金から多額の援助ももらえるらしい。ロウデン卿は師団長だから、騎士団にも顔が効くようになる」
「はぁ? お父様、わかってるの? 私が傷物にされちゃうのよ? 嫌よ! 嫌! 家のためとかしーらない!」
ミラベルは駄々っ子みたいに顔を振る。
父はそれも可愛らしい、とも言いたげに、ほほ笑んで答える。
「まあ待てミラベル。まさか私の天使を銀狼に差し出そうなんざ思わんさ」
「……もう。あー安心した。そんなのとっとと断っちゃってよね。私はもっと素敵な人のお嫁さんになるんだから」
「そうまさかそんなことはしない。だから──」
父は私の方を見た。
これもまた、何年ぶりだろう。お父様が私に目をくれるなんて。
「──代わりに、おまえを嫁に出す」
「……え?」
いきなりそう言われて、私は固まってしまった。
私が?
嫁?
何を言われたか咀嚼しきれなくて、答えあぐねていると、沈黙を守っていた継母が急に立ち上がって、私の胸倉を掴んだ。
そして、打った。
「何か文句があるの?」
「い、いえ!」
私はすぐに膝を折って、頭を地面に着けた。
「め、滅相もございません。お父様とお母様のおっしゃることに従います。ありがとうございます」
わざとらしいくらい、頭を地面に擦り付ける。
それでようやく溜飲が下がったのか、継母は父の隣に座り直す。
父は満足そうに、ゆっくり口を開いた。
「もう命はないと思え。離縁されたら援助がもらえん。何があろうと、少なくとも一年はおまえの旦那様に尽くしなさい」
「はい。仰せの通りに」
「ロウデン卿には、少し話の前後を許してもらうことになる。だが、おまえにはあの魔法があるからな。折を見て使ってみせろ。騎士団員なら無碍にはせんだろう」
「はい。最善を尽くします」
「良かったな。おまえのような女にも、唯一の取柄があって」
「はい。わたくしは幸せ者にございます。ありがとうございます」
念入りに、念入りに礼を言う。
ちゃんと全身で感謝を表現しないと、今度は足蹴にされてしまう。
それはお父様とお母様に余計な時間をかけさせてしまうから、良くない。
「そんな話なら、お姉さまをとっとと追い出せばよかったじゃない。時間のむだー!」
呼び出されたのに少し放っておかれたことが不満だったのか、ミラベルは大きな声を上げた。
それを聞いて、すまんすまん、と父は満面の笑みを浮かべ、私のときとは打って変わって、猫撫で声に切り替えた。
「それがな、ミラベル。この話をしたのは、今社交界で、ある方が嫁探しを始めたという噂が出回ってるからなんだ」
「……え?」
「剣聖、エルリック=レイヴンシェイド公爵だ。おまえも見たことがあるだろう?」
なるほど、これが本題か、と合点がいく。
私はやはり、ミラベルのために生かされて、死ぬのだ。
「え、ええ!? もしかして」
「ああ! あと一歩のところまで来ている! ロウデン卿と繋がりを作って、資金援助を結納金に回せば、もしかすると、もしかするかもしれないんだ!」
「ええーーーーーーー!!!!!!」
「これから忙しくなるぞ! たくさん社交界に出て、ミラベルの価値をみんなに知らしめよう!」
盛り上がる私以外の三人を横目で見ながら、少しだけ、物思いに耽った。
銀狼卿。
命はないと思え、と父が言うなら、きっと噂は本当なのだろう。
でもまあ、それでいいかと思えた。
こんな私でもちゃんと家の役に立って、その上で、この人生を終わらせられるなら。
それ以上に楽になれることなんて、ない。




