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第10話 おしゃれをしましょう


 ロウデン別邸に、ペンフィールド家からの手紙が届いた。

 手紙の開封は旦那様しか行わないルールだ。私は夕方に旦那様がお帰りになって、手紙の内容を聞かせてくださるまで待った。


 旦那様は手紙を開け、私の方を一瞥してから、手紙を読み始める。

 私が緊張しているということを、わかってくださったみたいだった。


「ミラベル=ペンフィールドの嫁入りが決まったそうだ。相手はエルリック=レイヴンシェイド。騎士団の第四師団長だ」


 眉間に皺を寄せ、旦那様は続ける。


「結婚式の招待状もある。来月か。早いな」


 ──招待状!


 お父様とお母様、そしてミラベルの三人が、私を結婚式に招待したということだ。

 そのとき私の脳裏には、大きな戸惑いと、そしてもう一つ、飛躍に飛躍が重なって、ある気持ちが湧き上がってしまった。


「行かないことは難しいだろう。シーナは花嫁の実姉だし、エルリックと俺は騎士学校時代からの旧知の仲だ。これに欠席すれば面倒な憶測を呼ぶ」

「は、はい!」

「予定は……空いているな。特に準備はないが、マイラから作法を教わっておけ」


 後ろで控えていたマイラさんが、それを聞いて進み出た。


「坊ちゃま。シーナ様は寝間着と侍女服しか持っておられませんよ」

「……は?」


 旦那様は困惑して、ちょっと間抜けな反応をした。


「嫁入り道具はないのか?」

「シーナ様は身一つでここに来られました。気づきませんでしたか」

「ぐっ……それならそうと、なぜ今まで言わなかった!」

「少し前の坊ちゃまに、『着飾りたい』などと言えると思いますか」

「ぐっ……」


 私はそれで初めて、自分はほとんど服を持っていないことを思い出した。


 ──そういえば、嫁入り道具も形見も継母に燃やされたんだった。


 服に興味を失ったのはそのときなのだろうか。初めから興味などなかった気がする。よく思い出してみると、燃やされる前の嫁入り道具を使って、何かやりくりをしていたとき、ドレスを着て、鏡を確認した……ということもあったかもしれない。


 今となっては、もう覚えていない。


 でも、そうか。

 結婚式には、服装があるのか。


「わかった。次の休みに仕立て屋に行くぞ」


 そういうことになった。



***



 仕立て屋に入るなり、マイラさんは旦那様を入口近くの椅子に座らせ、


「坊ちゃまはここで待っていてください。ここから先は女の園です」


と言った。


 それから私はぐいぐいと手を引かれて、店の奥の衣装室に連れていかれる。服と服、ドレスとドレスがぎゅうぎゅうに敷き詰められたハンガーラックの森を抜けて、壁の布がどんどん暗い赤になっていき、まるで布の洞窟を歩いているみたいだった。

 いつの間にか私は、大きな鏡の前の豪華な椅子にお姫様みたいに座らせられて、マイラさんと、中年の女性店員三人に囲まれていた。


「ほら奥様、お手を」


 店員さんがそう言うので、掌を上に向けて差し出した。

 すぐにその手はくるんと下に向けられて、甲を上に、さ、さ、さ、さと四種類の色の、クリームのようなものが塗られる。


「まずは下地から決めていきましょうね」 


 下地?


「お化粧、を、するんですか?」

「そうですよ、シーナ様。ここは一からやってくれます。ちゃんとおしゃれをしましょう」


 マイラさんが代わりに答える。


「その四つのうち、好みのものを選びます」

「でも、わたくし、わからなくて」

「貴族の奥方は肌の色に近くて、かつ白いものを選びます。けれどシーナ様は元々すごくお肌が白いですから、それ以上白くすると不健康に見えるかもしれません。赤味が要るかと思います」


 そう言われて、クリームの色を見る。

 どれも、肌と質感が違い過ぎて、これで肌を塗り固めるイメージが湧かない。


「……ごめんなさい。わかりません」


 マイラさんは店員さんたちと目を合わせた。

 

「シーナ様。シーナ様はご自身のお顔、お体がどんなか、ご存じですか」

「え?」

「とりあえず、おっしゃってみてください。ご自身の、見た目について」


 私は、えっと。


 鏡を見る。

 私は自分の見た目に見慣れていなかった。

 これは清潔であればいいもので、ただ、水面と鏡に映るだけのものだった。


「髪は……黒いです。長くて、後ろで結んでいて。背は、妹と母より、低くて。きっと高くないんだと思います。顔、は──」


 実家にいたときを思い出した。

 そう、継母はミラベルと私を比べて、よく、こう言った。


「──肌が汚く、鼻が潰れていて、目が細くて離れている、醜い娘」


 そういうことをふと言ってしまって、はっと我に返る。


「ごめんなさい、マイラさん。こんなことを言われても」

「それは、誰が言っていたんですか?」

「え、えっと、それは……」

「シーナ様はぜんっ! ぜん! 醜い女なんかじゃございません。それどころか、とても良い素材をお持ちです。っていうかね! 今までお化粧せずに済んでいたのは、素のシーナ様がお綺麗だからです!」


 私が言い淀んで黙りそうになったのを、マイラさんは引き取ってくれた。


「おしゃれは、自分について知ることでもあるんです。自分の良いところをたくさん知って、お化粧でちょっと背伸びをしたり、どうしても難しいところは誤魔化したり、最悪、もう、作っちゃう! そういう感じのものです」


 とりあえず、今日は店員さんに任せることになった。

 私はただぼーっと座って、されるがまま、正面の鏡で起きる変化を見つめるのみだった。


 ──鼻は、低くはないですよ。キリっとした美人ほど尖っていないというだけです。そういうときは、そうですね、奥様の肌の色の白さを活かして、印象の柔らかい美人を目指しましょう。


 ──目は……実は大きいですね。でも、瞼が閉じ気味ですから、もうちょっと開くようにしましょう。


 ──髪は正直、傷んでいますから、結いましょう。


 ──頬から顎にかけての線がとても綺麗です。でも、良くも悪くも口紅の印象が強くなりますから、塗り方は慎重に決めましょう。


 ──お肌は正直、痩せすぎですから、不健康ですね。荒れてはいないので、ご飯をしっかり食べれば、ふっくら血色が良く見えるようになるはずです。でも今日は誤魔化して赤を強めに入れちゃいましょう。


 店員さんたちはそう言って、鏡の中に映っている人の顔に、次々と手を加えていく。


 化粧が乗って顔が変わっていく様は、とても自分とは思えないけれど。

 粉を叩き、筆でなぞり、紅を塗る輪郭は、疑いようもなく私のものだった。


 ふと、私の周りを行き来していた手が急に消えて、店員さんの一人が鏡の前に立ちはだかるようにした。


 それから、部屋の横にかけられ、アルファベットの順番に並んでいるドレスの山から、青と白の系統のドレスが選ばれて、四、五着ほど、隣のハンガーラックにかけられる。

 マイラさんと店員さんたちがそれらを私の肩だとか、腰だとかに当てていく。四人は侃侃諤諤の議論をして、でも何かもったいぶるかのように鏡に私の全貌は映らないようにしつつ、一つのドレスが決まったようだ。

 着付けに難しい部分はどこにもなかった。というか、すぐさっと入ってしまって、どれもぶかぶかだったので、仕立てるときには注意がいる、という話に留めるしかなかった。


「できましたよ」


 マイラさんがそう言って、店員さんたちは鏡の前からさっと避ける。


 それで、着飾った私の全貌が、急に鏡に映った。


「どうです、シーナ様。シーナ様はお綺麗でしょう」


 その鏡に映っていた私のような誰かは、確かに街で見かければ、どこかのご令嬢に見えるのだろうと思った。


「……えっと」


 でも、鏡ではなく、下に目線を落として自分の手を見ると、鏡に映っているその人とは、全然違う。

 きっとこの手の持ち主は、綺麗だとかそういうことが、根本的に似合わない人間なんだと思ってしまった。


 私は困ってしまって、縋るようにマイラさんを見た。

 彼女はいたずらっぽく笑った。


「じゃあ、綺麗かどうか、教えてくれる人に見せに行きましょうか」


 マイラさんに手を引かれる。店員さんたちが、スカートの裾を擦らないように、横と後ろから持ち上げる。さっき通った布の洞窟を早歩きで戻り、掠ったりもして、ぐんぐんあの人のところに進んでいく。


 私は途中で、ドレスがズレないように押さえ始めた。

 それで、ズレないようにだなんて、さっきまで困惑するだけだった見目を、急に気にした自分になんだか恥ずかしくなる。


 手を引かれ、スカートの裾を持った手に押されるがまま階段を下りて、まるで躍り出るかのように、旦那様の前に来てしまった。


 私は旦那様の目に、急に釘付けにされたようだった。

 陽光を反射する銀髪の、奥にあるその目は、きっと不安で揺らいでいる私を認めて、優しく綻んだ。


「綺麗だな。シーナは」


 私は、旦那様のお顔の方が、よっぽど綺麗だと思った。


 旦那様がいつまでも目を逸らさないから、落ち着かなくなって、自分から奥の部屋に戻る。

 ドレスを脱いだら、すぐに化粧を落としてもらった。



***



「なあ、シーナ」


 帰りの馬車の中で、旦那様は静かに切り出した。


「すまなかった。ドレスのことなど、何も気づいてやれなくて」

「い、いえ!」

「そもそもおまえは、嫁入り道具すらなしでうちに来ていたのだな」


 石畳が粗いところに来たのか、馬車が揺れた。

 旦那様は揺れが収まるまで待って、付け加えるように言った。


「……ペンフィールドでおまえは、どのような扱いを受けていた?」


 息が止まった。

 それは、明らかにおかしな女であった私に、ずっと旦那様が聞かないでいてくれたこと。


「言えんか?」

「いえ」

「それは、知られたくはないことか?」


 すぐに応えようとした。でも、言葉が喉に詰まって出なかった。


 私はミラベルの結婚式に招待された。それは、旦那様の下に来る前なら絶対にありえなかったことだ。ミラベルが望む人の妻になれたのなら、家には何の問題もなくなる。私は共に暮らしてなどいないのだから、かけた迷惑だってないし、むしろ妹の幸せな結婚の一助になったはずだ。


 ──もしも、お父様とお母様、ミラベルが、わたくしを認めてくれたということなら。


 淡い期待感と苦しい過去が、どうしても、返答を決めることを邪魔する。


 旦那様はそれ以上、何も聞かないでいてくれた。

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