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逆風ダイヤモンド  作者: 七色雨
序章
3/10

3話 泥


 ぐちゃぐちゃのグラウンドを走ったせいで服はベチャベチャ、ヘッドスライディングしたときよりかは幾分かマシ程度。親が見たら気絶しかねない。


 なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないのか、八つ当たり気味の怒りを声に乗せた。


「おい!」


 かなりの距離があったのにもかかわらず、そいつはすぐ反応しこちらを振り返った。


「おおー! ようやく来てくれたか伊佐ー!」


 全力の笑顔で飛び跳ねながら手を振ってくる。この土砂降りでもまだ懲りてねぇのかあの坊主!


「来てくれたじゃねぇ! 天気すらわかんねぇのか!?」

「何だよただの雨だろ? こんぐらい試合中にもあるって」


 泥まみれの体操服を勲章かのように誇らしげに見せびらかしてくる。腕も足も寒さに震えているというのにどこにそんな気が湧くのか。疑問はすぐに怒りに変わる。


「あるわけねぇだろうが! こんな雨なら中断する……」


 そこまで言いかけて止まった。何か胸の奥で引っかかっている物が言葉をせき止めた。そいつは勢いをいきなり失った俺に怪訝な顔をしたがすぐに能天気な顔に戻る。

 

「ていうか来てくれたってことは野球部に入るってことか!?」

「違う。俺はただ……心配で来ただけだ」


 耳触りのいい言い訳をしたがそんな浅ましさはすぐに見抜かれて怪訝な顔をされる。


「絶対違うじゃん。本当はオレのことが気になっちゃったんだろ?」

「……は?」

「俺がなんでお前にこだわってるのか、それが気になったんだろー? 恥ずかしがんなって!」


 たしかに気にはなっていた事だけどそんな話、この状況ですることじゃない。


「昔……つっても中3の時だけどよ、全国大会でお前と一回だけ戦ったんだよ」

「……覚えてねぇよ」

「やっぱ覚えてない? 島根代表だったんだけどなー」


 嘘をついた。うっすらとは覚えている。全国大会1試合目ということもあり全員やる気で……21点差の上に完全試合までして完膚なきまで叩き潰した記憶がある。


「ていうか今考えるとよく俺野球嫌いにならなかったよなー。あんな人が見てる中ボコボコにされるってよ」

「……」

「でもあの時な、めちゃくちゃ変な気持ちになったんだよ」


 いい記憶であるはずがないのにそいつは楽しかった思い出を振り返るかのように話す。その振る舞いが自分の常識と違いすぎて、一瞬羨ましくさえ思ってしまった。


「すげー悔しかったし、勝ちたかったし。でもさ伊佐と一緒に野球やりたいってそん時にすげー思ったんだよ」

「は……?」

「自分でも本当に変だなって思ったけどよ、アイツと一緒なら全国1位だって狙えんじゃねぇかなって本気(マジ)で思ったんだなこれが」


 全く理解できない流れに取り残されそうになる。ボコボコにしてきたチームのキャプテンと一緒に野球をやりたくなった? 一種のストックホルム症候群か何かか?

 そんな疑問も取り残してそいつは俺の胸を手の甲で軽く叩く。


「ていうかこっちこそ聞きたいんだけど、なんで野球やめたなんて嘘言うんだよ」

「聞きたいって……お前が勝手に喋ったんだろ」

「そんなことよりさ、俺をぶっ倒した時の顔めちゃくちゃ輝いてたし、辞めるとは思えねーよ」


 自分の言いたいことは言うくせに相手の言いたいことはすぐに切り捨てる。その態度には言い返す言葉も思いついていなくとも抗議せざるを得なかった。


「勝手な事を言うなよ……」

「勝手なことじゃない。なぁ、なんで辞めたなんて言うんだよ。お前野球大好きだろ?」

「だから俺は……」


 違う。別にコイツの態度なんてどうでもいい。質問の内容が気に食わないんだ。自分が必死に守り抜いた何かを無神経にほじくり返されるのが我慢ならないのだ。

 でも万が一、その守るという行為自体が無駄であるなら一体俺はどうすればいい? 問いかける先の見つからない問いが喉の奥でつっかえる。


「だからってなんだよ。俺があの時憧れた伊佐は何があっても『負け』なかっただろ」


 『負け』。なんてことないはずの一言が胸の奥に深く突き刺さる。心の奥の奥に栓をして塞いでいたものが少しずつ表出し始めるのが右手の震えからよくわかった。


「……」


 雨はさらに強くなり、気づくと白い霧が辺りに立ち込めていた。それはだんだんと濃くなって背を向けていた校舎も、目の前にいたはずのアイツさえも見えなくした。

 霧に攫われてどっかに連れ去られたのか、そんなバカな錯覚をしそうになる。


 くだらない短絡的思考を引き剥がすために霧が薄い方に歩き出す。この白い霧から抜け出せれば少しは冷静になれる、そう考えて歩いていた。


「は……?」


 でも霧が晴れた先にあった光景は学校のグラウンドじゃなくて、広い球場で中学生たちが試合をしている姿。9回の裏ツーアウト満塁、点差は1対4。


 この光景の意味を理解したとき、俺は蓋をしていた記憶が完全に蘇ったことを悟った。

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