Ⅰ 迷宮殺人の王の腕輪
少女の名前はユースティア。
友達は縮めて「スティ」と呼ぶ。
赤子だった彼女は教会ではなく下水に捨てられ、スラムの老人たちに育てられた。
その為、生活もスラム仕込みの危険な日常。
欲しければ盗む。
働くなんてもってのほか。
ポイントウォッチャーだって新品を店から盗んだ。──もちろん残高はいつも〝0〟。
不審がられないためのファッションでしかない。
そんな彼女が探偵保険なんて上層階級の代物に加入しているわけもないし、自分には関係ないと思っていた。
だから男に首を絞められ意識が遠のいていく瞬間、もう終わりだと諦めがつく。
遺体保存施設に送られ、被保険者の法定保存期間の3年が過ぎたら廃棄されるのだろう。
──なのに生き返った。
空気が美味い。
視力はもともと良かったはずだが、世界がキラキラしているような気がした。
目の前にはぼさぼさ頭の男。
歳は成人しているだろうが、若くも見えるし年寄りにも見える。
コートの下にださTシャツ(大きな文字で「たんてい」と書かれている)。
手足が長くて、なんかあれに似てる……虫の……ナナフシみたいだ。
と言っても顔は整っているので身なりさえちゃんとしていればモテそうではある。
生き返らせて早々にユースティアに向かって『恩はカラダで払ってもらうぞ』と言ってきたこの男は何者か。
(まあ、私の命なんてはした金にもならないだろうけど、一回そういうことしただけで生き返らせてくれるなら安い気がする)
そう思い、下着を脱いだ。
しかし相手には思いがけない行動だったようで目を丸めて、鼻血を大量噴射する。
「待て待て待て! 誰が脱げと言った!?」
「だってカラダで払えって、それってつまりセッ──」
男は着ていたコートをユースティアにかぶせた。
「労働や行動だ馬鹿者。なにかを盗んだから殺されたんだろ? 人殺しに落ちぶれても取り返したい代物。それをくれ」
「ハジメテより高い宝はないっておばばが言ってた」
「だったら大切に墓まで持って行け。──犯人はお前に仲間がいると考えて野次馬の中に紛れ込んでいた。しかしそれらしい人物は現れていない。──〝人〟はな」
男はズボンのポケットから缶詰を取り出して地面に置く。
まぐろ猫缶。
「こいつだけが、お前の死を悲しんでいたよ。顔馴染みなんだろ?」
路地裏の奥からグレーの身体に青い目をした猫。
ズダ袋のようなものを背負っている。
「ヌクミズっていう子。人間には嫌われてばっかだけど、猫とは波長が合うんだ」
男はヌクミズを抱きかかえ、背負っている袋を外す。
中身を確認する。
「黒いポイントウォッチャー──……。こんなものの為にお前は殺されたのか?」
「ただのポイントウォッチャーじゃない。依頼で美術館から盗んだの。──成功したのは良いけど、報酬にくれるって言ってた〝数年分の食料〟はなくて味わったのは首絞め。うげぇ」
「美術館って……もしかして、こいつは」
「数百の未解決事件を手掛け、ポイントを増やし続けてる〝ヨモツヘグイ〟のポイントウォッチャー。最初の事件でそいつが被害者の体内に置いていった代物」
もちろん、ヨモツヘグイはその人物の本名ではなく殺人鬼としてのニックネームである。
日本神話における「黄泉の国の食べ物を口にすると、現世に戻れなくなる」という話が由来だそうだ。
迷宮殺人の王、なんて呼ぶ者までいる。
ヨモツヘグイの殺人は多種多様だが、お気に入りは密室。
多くの探偵が挑んだが、未だに正体は掴めずにいる。
「報酬はこれでいい。さっさと行け。もう殺されるなよ」
「美術館に返さないの? 探偵なのに悪い人だね」
──〝カチッ〟。
「これは俺が持っているべき代物だ。あの外道を見つけ出す為には絶対に必要。……かちって。 ねえ、今鉄と鉄がしっかり固定された音した?」
ユースティアの腕に付けられた黒いポイントウォッチャー。
悪ガキみたく「にししっ」と笑う。
男はそれを見て世界の滅亡レベルの絶望顔で白くなってる。
灰がパラパラっと。
「ポイントウォッチャーを外すには持ち主の指紋認証が必要。つまりもう私とこれは一心同体。どう、もらってくれる? 探偵さん」
「なにを考えて……」
「探偵ほど稼げる職業はないからね。だから養ってよ。名前はユースティア。長いからスティって呼んで良いよ~」
返ってきたのは深いため息。
「……猫を飼うようなもんだと思うか。──俺はオルフェ・コクト。探偵保険会社を辞めて今は自由だ。だからこの通り、ポイントはない。悪かったな」
ポイント提示、46.221ポイント。
一カ月の生活費としても心もとない。
オルフェもお返しだと言わんばかりに悪い顔で微笑んだ。