4 そのメイドは喋らない
朝。
アリスと栗狐はダイニングルームで仲良く朝食(カップ麺)を食べていた。正確には食べているのは栗狐だけでアリスは机に突っ伏している。
「どうした? そんなに昨日の配信が不満じゃったか?」
栗狐が心配してる素振りもなく聞く。昨夜の配信はあれからも再生数を伸ばし大成功を収めていた。SNSでも栗狐の存在が公になり切り抜き動画も各地で拡散されて知名度をあげていた。アリスの普段にはない姿も拡散されてファンを歓喜させていた。
汚名も返上して不安要素などなさそうに思えたが……。
「うん。配信はいいのよ。あんなに伸びると思ってなかったから栗狐には感謝してる」
「ならば何故そんなに落ち込んでおる。早く食べなくては麺が伸びるぞ」
そうするとアリスは机をバンと叩いて立ち上がった。栗狐はそんな物音に動じずスープをすすっている。
「これよ、これ! いつまでこの生活が続くわけ!?」
彼女は目の前に置かれたカップ麺を指さして文句を言う。栗狐が来る前からも食べていたのでアリスは既に1日以上カップ麺しか口にしていない。年頃の乙女には少々辛い生活でもある。
「と、言われてものう。儂は料理ができぬのじゃ。できぬことをしろと言われても困るのう」
「栗狐はどこかで住んでるんでしょ? 普段は何食べてたのよ?」
「近くに行きつけの蕎麦屋があってな。ほぼ毎食そこで食べておる。それかカップ蕎麦かきまぐれに外食じゃな」
アリスはそんなに蕎麦ばかり食べて飽きないのかと思ったが口にはしなかった。栗狐はカップ麺を食べ終えると手を合わせてご馳走様と言って片付け始める。
「ああぁぁぁ! もうカップ麺ばかり嫌だわぁぁぁ!」
今まではメイドが美味しいご馳走を振る舞ってくれただけに余計にその落差で気がおかしくなっている。これには栗狐も少々気の毒に思ったが、彼女だけではどうしようもない。
「仕方あるまい。今日は山を降りて来よう」
「え? 出ていくの?」
「アリス嬢の為に買い出しをしてくるのじゃ。料理はできぬができ和えの物を買ってくれば問題なかろう」
「えーそうなったら帰って来るの遅くなるだろうしなぁ」
それだけで半日は潰れるだろう。そうなっては屋敷の掃除は誰がするのであろうか。
しかしそんな問題が些細に思うくらいにアリスはカップ麺に辟易としていたのでグッと堪えた。
「分かった。買い出しをお願いするわ」
すると栗狐がお手をして掌を突き出してくる。その意味をアリスが理解するのに数秒かかるもすぐにお金だと気付いてクレジットカードを投げ渡すのだった。
「それでは行ってくるのじゃ」
「はいはい。なるべく早く帰って来てね」
「まるで夫婦のやり取りじゃのう」
栗狐がにやにや言うのでアリスはイラッとして蹴飛ばして追い出すのだった。
※2時間後※
「栗狐帰って来ないわねー。早くても昼過ぎかなぁ」
アリスはエントランスのテーブルで突っ伏して倒れていた。1人で退屈だという思いを我慢しつつどうやって過ごすかを考える。普通は配信をするのだが前回の栗狐とのコラボの受けが想像以上によかったので次も同じようにしたいという思いがあった。
「ゲームでもしようかな。いやゲームするなら配信でした方が稼げるし、うーん」
アリスは守銭奴ではないが効率を考える癖があった。どうすればウケるか、どうやったら再生数が伸びるか。そのせいか自分1人でする本当の趣味というのを持っていない。
だからこうして退屈に苦しんでいるのである。
うんうんと腕を組んで唸っていると不意にフロントに響き渡る鐘の音が鳴り響いた。
リリーンと耳の奥に反芻し来客が来たのを意味する。だがこんな山奥の屋敷に来客はほぼ来ない。
「栗狐が帰って来た!」
アリスは退屈で死にそうだった気持ちが急に明るくなって玄関へと飛び出た。
「こんなに早く帰って来るなんて気が利くじゃない! さすがは私のメイ……」
玄関を威勢よく開けて喋る彼女の語気が徐々に弱くなっていく。というのも目の前には見覚えのある茶髪のメイドではなくセミショートの黒髪の如何にも清楚そうな女の子が立っていたからである。
黒色ベースの制服を身にまとい革製の手提げ鞄を持っていて、仄かに甘い香りを漂わせている。リンゴのような真っ赤な瞳はどこか儚げだ。彼女はペコリと90度の丁寧なお辞儀をするのでアリスも釣られてお辞儀をしてしまう。
一瞬パニックになったアリスだが咄嗟に思い出す。
「あなた栗狐ね! 例の変化の術でからかってるんでしょ!」
栗狐の性格ならばこういう悪戯をやりかねないと思って口にした。しかし目の前の彼女は首を横に傾げて疑問符を浮かべている。人違いだ。
「あ……ごめんなさい。えっと、もしかして私の家に用事ですか?」
すると女の子は鞄から画用紙と大きなマジックを取り出した。アリスは何をするのかと目を丸くして見つめていると、彼女は画用紙に面接に来ましたと大きく書いてアリスに見せた。
「面接?」
女の子は画用紙をめくって再び書くと
『ここのお屋敷でメイドを募集していると拝見いたしました』
それを見てアリスが慌ててスマホを取り出すと求人に応募している人がきているのに気付いた。栗狐とのドタバタで確認できていなかったのだ。
『急にお邪魔して申し訳ありません。求人には即日面接可能とあったので現地に伺わせて頂きました』
メイド不足から咄嗟に書いたのをアリスは完全に忘れていた。だが彼女の気持ちがすぐに切り替わる。
「歓迎するわ! 早速中に入って頂戴!」
女の子は優しく微笑みながら軽くお辞儀をする。アリスは栗狐と面接した時と同様に彼女を客室へと案内した。その間も彼女は足音1つ立てずにドアを閉める際もゆっくりと閉め、腰を下ろす際も優雅だった。
アリスは直感する。これはとんでもない逸材が来たと。
女の子は鞄から履歴書を取り出してアリスに渡した。アリスはそれをまじまじと眺めて行く。
「ええと。名前は黒雪さんね。えっ、医大卒!?」
アリスはソファから落ちそうになるくらい驚いた。まさか医者の卵というエリートがメイドになろうとしているとは予想もできなかっただろう。
黒雪はニコニコしたまま何も喋ろうとしなかった。
「あの。こういうの私が言うのもアレですけどここで働くより医者として生きた方がいいと思いますよ?」
黒雪にどんな事情があるかは分からないが、この屋敷で時間を過ごしていれば彼女のキャリアにも傷が付く。それを危惧してアリスは恐る恐る言った。
黒雪は画用紙を取り出して
『ダメですか?』
と書いた。
「ダメじゃないけど……。あと気になったんですけど、黒雪さんもしかして声出せない?」
アリスは彼女が持つ画用紙を指さした。屋敷に到着してから未だに彼女の声を聞いていない。ずっと画用紙に文字を書いて喋っている。
すると黒雪は顔を赤くして首を横に振った。そして画用紙に
『あがり症なんです……』
と書く。
『小さい頃から人前で話すのが苦手でそれを克服したいと思っています』
医大に入れるほど頭はいいが医者を目指すならばコミュニケーションは必須だ。
アリスはようやく彼女が志望した理由を理解して納得した。
「なるほどね。私として黒雪さんみたいな人は助かります。確認ですけど家事全般はできますか?」
『人並程度には』
それを見てアリスは心の中でガッツポーズをした。
「よし採用よ! 今日からよろしくお願いします、黒雪さん!」
『ありがとうございます!』
言葉を話せないという点はあるがメイドという性質上、そこまで会話も必要ないだろうとアリスは考える。何より栗狐と比べれば天と地ほどの差があったのだ。
「それじゃあ早速メイド服に着替えて働いてもらっていい?」
『その前に1ついいですか?』
「いいわ。何かな?」
すると黒雪は画用紙とマジックを差し出して頭を下げて来た。画用紙の右上には小さく
『サインください!』
と書かれている。それを見てアリスが「あー」と声に出た。
「そういえば黒雪ってリスナー知ってるわ。あなた、あの黒雪ね?」
すると黒雪は顔を赤くして照れて俯いてしまう。アリスはにやにやしながらサインを描いて彼女に返したら黒雪は嬉しそうに目を輝かせてそれを抱きしめていた。
今までのは全て建前で本音はアリスと一緒に居られる仕事というのに惹かれたのかもしれない。
それから黒雪はアリスに案内されてメイド服に着替えて更衣室から出て来た。その姿はまさに清楚メイドそのもので妙にキラキラしている。アリスは思わずスマホを取り出してその姿を撮ろうとすると黒雪はすさまじい速さで壁の後ろに隠れて首を横に振った。
「1枚だけだから! お願い!」
それでも黒雪は無理と言わんばかりに顔を真っ赤にして首を振り続ける。そこまで拒絶されては仕方ないのでアリスは渋々スマホをしまった。中々の重症である。
「それじゃあいい時間出しお昼の用意をお願いしていいかしら? 材料は好きに使っていいから。厨房に案内するわ」
黒雪はコクンと頷いてアリスの後ろに続いた。30mほど間隔をあけて。
「えっと。別にそこまで気をつかわなくてもいいわよ?」
すると黒雪はまたしても首を振って
『私みたいな人間がアリス様のお傍に居るなんて恐れ多いです。遠くから見守っているだけで幸せです!』
画用紙を高らかに掲げて見せて来る。これまた癖の強い新人が来たなとアリスは苦笑するのだった。
それから暫くして黒雪が昼食を運んで来た。遠く離れていても分かるほどの香ばしい匂いだ。そしてテーブルに並べられたのはレストランで出されるような洋食のフルコースでどれも彩りも見た目も抜群だった。これにはさすがのアリスも驚いた。
「えっ、やば。めちゃくちゃ料理できるじゃない!」
黒雪は恥ずかしそうに照れてトレーで顔を隠していた。人並程度というのは謙遜も謙遜である。アリスは早速ナイフとフォークを手にしてソースがたっぷりかかったソテーを一口に切って食べた。その瞬間にアリスは感動のあまりに涙が溢れた。
その様子に黒雪はあたふたして慌てるもアリスが言う。
「ごめんなさい。あまりに美味しくて嬉しくて泣いちゃったわ」
このレベルの料理を振る舞えたのは前のメイドにもいなかった。何よりカップ麺生活で辟易としていた胃袋が一瞬で満たされたのである。
「黒雪。あなた最高よ」
その言葉に黒雪は静かにお辞儀をした。その物静かな所作はある意味メイドとして正しくもある。
そんな優雅な昼食を堪能してる時、扉がバーンと開かれた。奥の方には栗狐が仁王立ちして立っていたのである。両手には大量の袋を抱えている。
「何やら声がすると思ったらアリス嬢! もう儂に愛想を尽かしたというのか! あれだけ儂に責任を求めておきながら横暴なのじゃ!」
アリスはうるさいのが帰って来たと思って苦い顔をする。
「あれは栗狐。2日前に入って来た新人で何もできないから色々教えてあげて」
黒雪は困惑した顔でペコリと頭を下げた。
「儂はアリス嬢がお腹を空かせてると思ってダッシュで帰って来たのじゃぞ!? なのにそのご馳走は何なのじゃ!」
「優秀なコックが来てくれたの」
「じゃあ儂の買い出しは何だったのじゃ!」
「まぁ食材も追加できたし問題ないわ」
「よくない! 儂はアリス嬢とお蕎麦を食べようと思ってたのじゃ~!」
袋をひっくり返してそれはもう大量の蕎麦や油揚げ、フルーツが転がってくる。
完全に自分が食べたい物ばかりである。
アリスは溜息を吐きながら黒雪の方を見た。
「こういう奴だからお願いするわ」
「待て、アリス嬢。儂はメイドリーダーなのじゃ。その指示はおかしいぞ?」
と何故か誇らしげにマスターキーを自慢している。
「帰りにみたらし団子も売ってたから買って来たのじゃ」
栗狐は遠慮も知らずに机に腰を下ろしてみたらし団子の箱を開封している。
『それじゃあ温かい飲み物淹れてきます』
「ありがとう。黒雪もせっかくだから一緒に食べましょ」
こうして新たなメイドも増えて屋敷も一層賑やか(?)になっていくのだった。