1 メイド残機ゼロ
気楽にどうぞー
アリス・リリスは自分が置かれている状況を理解できなかった。
金髪慧眼で類まれなる美貌を持ち、街を歩けば誰もが振り返るであろうその姿も今は鬼のような形相をしている。彼女は整えられた巻き髪をくしゃくしゃにしてソファに倒れ込んだ。
机には大量の退職届の封筒が置かれてあった。
朝、彼女が目を覚まして屋敷のエントランスの机にそれが大量に並べられてあったのだ。
アリスは眩暈に襲われたが何とか気を取り直して封筒を開封して中身を確認する。
『もう無理です』
『ついていけません』
『労働時間が長い』
『通勤が厳しい』
『お嬢様がわがままでストレスになる』
心もない言葉がそこにはいくつも羅列されてあった。
彼女が住む屋敷は山間部にあり、周りに住宅が一切ない秘境地となっている。その殆どは森に囲まれお化け屋敷と言っても過言ではない。
そんな立地なせいもあり屋敷から最寄りのコンビニに行くのも片道徒歩で1時間以上もかかり、車を使って通勤するのも傾斜の激しい砂利道を我慢しなくてはならない。
なぜそんな立地に彼女が住んでいるのかというと、それは本人もあまりよく分かっていない。ただ彼女は配信活動をしており知名度もそれなりにあった。若干18歳にして資産が1億に達成したのもあって、奮発して日本に屋敷を建てたのだ。
山奥に。
目立つ屋敷というのもあって家バレを恐れていた。わざわざ私財を投げて電線や通信設備まで準備し、大量のメイドを雇って悠々自適な快適ライフを満喫しようと画策していたがそれも今日で終わる。
「はー、最悪―。これから生配信あるっていうのに一気にやる気なくなったわー。誰かー、食事用意してー」
声を出すがそれに反応する者はいない。メイドは皆やめたのだ。
「あーもう! じゃあウーバーでいいわ!」
金ならある。だから問題はない。アリスはスマホを取り出して出前を取ろうとする。しかしこんな山奥まで配達に来れる所は皆無だった。彼女はやけくそになってスマホをソファに投げつけた。
「ああぁぁぁ! なんでよ! なんでこうなるのよ!」
彼女は元々頭がそこまでよくなかった。だからこの屋敷で働くメイド達がいかに重労働かもよく分かっていない。ただでさえ無駄に広い屋敷を朝から晩まで走り回らせて酷使していたのである。
「そうだわ。今の状況を配信したら慰め投げ銭してくれるんじゃないかしら?」
にやりと悪だくみするが慌てて首を振った。
「ダメよ。そもそもメイドを雇っていて、それが全員辞めたなんて言えば家を特定されるかもしれない」
そもそも日本にはメイドという概念はなく家政婦のイメージが強い。それこそメイドはコスプレやそういう類の認識の方が強いだろう。実際メイドと家政婦に大きな違いはないが、それでも彼女はメイドという存在に拘っていた。
「まずい。まずいわ! このままだと配信にも影響でるし収入がなくなるかもしれない! 早く新しいメイドを雇わないと!」
環境を変えるという選択肢はないようである。彼女は頭が悪い。中学を卒業してからずっと配信活動ばかりしていたからである。故に学校にもほとんど通っていない。
アリスは手当たり次第で登録しているサイトに求人募集を呼びかけた。
「よし、これで何人かは応募するでしょ。来たら即採用すればいいし。はぁ、安心したら気が抜けたわ。とりあえずカップ麺でも食べよー」
楽観的になった彼女はルンルンとスキップをしながら厨房へ行くのだった。
己の浅はかさを知るにはしばしの時間が必要だろう。
※1日経過※
「はあぁぁぁぁぁぁ!? なんで誰も応募してないのよ!?」
翌朝。彼女は登録していた求人サイトを見て回ったが連絡が1つもなかったのである。
「嘘よ、嘘。絶対ありえないし」
何度も確認をしてスマホの画面に顔を近づけるがそれは何の意味もなかった。
彼女はスマホをソファに叩きつけた。
「どうするのよ、本当! このままじゃ私が死ぬわ!」
お金はあるが彼女は家事が一切できなかった。する必要もなかった。
面倒な用事は全部メイドがしてくれてたし、お金を払えば雑用でも何でもしてくれた。
故にアリスは金さえあれば何でも思い通りになると勝手に考えていた。
それは甘い考えだと今更気付く。
「はぁ、マジでやばいわ。どうしよう」
気分が沈んだ彼女は屋敷を出た。木漏れ日が差し込み、手で光を遮った。
目の前には巨大な湖が広がっており、照り返しで湖面が輝いている。そんな美しい景色とは裏腹に彼女の心は醜く荒んでいた。
「ご飯でも食べに行こうかしら。でも面倒だわー」
彼女は運転免許を持っておらず当然ながら歩いて行かなくてはならない。往復すればそれだけで半日は消費する。おまけにそれだけ歩く体力が彼女にはなかった。
「これ本当にやばくない?」
いよいよ焦り出したようである。そんな彼女だが不意に屋敷前の郵便ポストが目に入った。ポストに大きな封筒がはさまっていたからだ。郵便物が届くのはかなり珍しかった。立地が立地なので通販しても配達業者に配送を拒否され最寄りのコンビニまで行かなくてはならない。郵便物は極稀に届くがそれも1年に数回レベルだった。
アリスはポストに挟まっている封筒を取った。帳面には大きくギルド協会の文字が書かれており、重要書類とも記載されている。ギルド協会とは今日で発展が目まぐるしい派遣斡旋会社である。従来の斡旋とは異なりその手続きのスピードが評価されていた。
例えば職を失って次の会社に就職するもある程度の日数が必要となるが、ギルド協会に頼めば無数にある会社から即採用の可能性のある所を紹介してくれる。特に昨今ではダンジョンなるものが各地に登場したのも大きかった。
アリスはギルド協会にも登録してあったのを思い出した。この屋敷で働きに来たのも殆どはギルド協会から斡旋された人ばかりだ。
彼女はその場で封筒を破り捨て中身を確認する。
書類には応募してくる人の名前と写真、簡単な経歴が書かれている。
「ふーん。ま、誰でもいいけど。いつ来るのかしら?」
ギルド協会からの斡旋となれば明日か早ければ今日の夕方には連絡が来るかもしれない。
彼女は他の書類も確認して、投稿日を見て手が止まる。
「は? これって3日も前じゃない!」
山奥故に郵便物が届くのも遅かった。昨今ではデジタル化が主流でわざわざ郵便で送るのも珍しく、おまけにポストが屋敷の門の外にあるので以前のメイドも気付いていなかったようだ。そもそも郵便物も来ないものと思っていたのかもしれない。
「どうしよう! じゃあもう……」
「ほー。本当にこんな所にあるとはのう」
森の方から声がして振り返る。獣道を歩く一人の影があった。
枝を杖代わりして年寄りのように歩いている。見た目は少女。栗色の髪はナチュラルボブ、瞳はルビーのように赤く、身だしなみは何故か和服。おまけにサンダルだ。
こんな山奥をそんな恰好で歩いて来るという事実にアリスは驚きを隠せなかった。
だがそれよりも目の前の少女の頭に獣の耳が生えており、お尻の方にはふんわりとした大きな尻尾があった。
それでアリスは生粋のコスプレマニアが来たと思った。
「ようやく人がおったのじゃ。ここがアリス・リリスの屋敷で間違いないかのう?」
見た目少女なのになぜか口調はじじくさい。明らかに胡散臭かった。
アリスは若干目を細める。
「そうよ。私がこの屋敷の主、アリスよ」
「ほうほう。主様じゃったか。わざわざ出迎えてくれたのかのう。パジャマで」
彼女に言われてアリスは寝巻のままだったのに気付いて顔を真っ赤にした。
「す、すぐに着替えてくるわ!」
「ゆっくりでよいぞ~」
※
アリスは着替えをすませて、応募にきた少女を屋敷に招いた。そして面接をするべく客室へと案内する。少女はアリスに感謝して我先とソファに腰かけた。
「暑かったのじゃー。のう、少し喉が渇いたのじゃ。水を一杯くれぬか?」
今の季節は春先で猛暑というほどではない。しかし長い山道を歩いてきたというのはアリスの目から見ても分かる。しかも和服でサンダルは余計に歩きにくいだろう。
「あなた、今から面接って分かってる?」
言うなれば面接官に水をおねだりしているのだ。
「そうなのじゃが喉が渇いてのう。うまく話せないかもしれぬのじゃ」
この時点でアリスは嫌な予感がするがこのまま帰すわけにもいかないので諦めてコップに水を入れて戻ってきた。
それを渡すと少女は一気飲みして一瞬で空にした。
「おかわり」
「舐めてんの?」
アリスがつい本音が出て怒りをあらわにする。これからメイドに応募するものが人をメイドのように扱うのである。そしたら少女は片手で合掌してウィンクした。
「すまぬすまぬ。許しておくれ」
「はぁ、もういいわ。早速始めます。ええと、名前は栗狐さん?」
「栗狐でよいぞ~」
面接とは思えないくらいフランクに話しかけてきて、アリスも相手にするのが面倒になり淡々と進めようと思った。
「今回は応募してくれてありがとうございます」
「いやはや。そんなに堅苦しくしなくてもよいぞ。お主と儂の仲ではないか」
アリスは右手で拳を握るも何とか怒りを抑えて愛想笑いで誤魔化した。
「じゃあ遠慮なく。今回はメイドの応募をしてくれたのよね?」
「確かそうじゃったな。珍しい仕事と思い興味があったのじゃ」
「はぁ。どういう仕事か分かってる?」
「ふむ。メイド服を着てなんやかんやするのであろう」
間違ってはいないが漠然とし過ぎである。普段ならばこの時点で彼女を不採用にしていたが今回は特例だったので話を続けた。
「おもに屋敷の清掃や料理をしてもらうわ。経験はある?」
「あるぞ。ルンバの充電は毎日するし、カップ麺も自分でお湯を沸かすのじゃ」
「うん……」
アリスは不安要素しかないと思った。メイドになれる要素皆無である。
「えっと、どうしてメイドになろうと思ったの?」
本人にやる気があるならまだ可能性はある。これから成長すれば問題ない。
アリスはそう考えようと思った。
「面白そうじゃったからな。ここも儂の家からもまぁまぁ近かったし暇つぶしに応募してみたのじゃ」
ゲームセットである。アリスは壊れた機械人形のようにその場にフリーズしてしまった。
せっかくの頼みの綱がこれである。
「随分とお疲れのようじゃな。屋敷で住まうというのも大変じゃろう」
栗狐は気を使ったつもりで発言するが、その原因が自分にあるとは全く気付いていない。
アリスは何とか気を取り戻して我に返った。
「で。気になったんだけどその耳と尻尾は何?」
「おぉ、これか。かわいいじゃろう? 儂はこう見えて化け狐じゃて。完璧な人間じゃろう?」
「は? 化け狐?」
現状を理解できないアリスに対して栗狐はどや顔を見せる。現在、日本で妖怪の類の報告は出回っていない。つまり彼女の言い分に対しての信憑性はほぼない。
「はぁ。じゃあ証拠でも見せてくれる?」
「よかろう。ドロン」
そしたら目の前の栗色の少女は見事なまでにアリスと瓜二つの姿になった。耳と尻尾は相変わらず残っているが顔立ちは全く同じだ。服装はそのままで、身長も微妙に違う為今は変化とはっきり分かるが、服装も揃えれば一見では見分けがつかないだろう。
「え、まじ?」
「マジじゃ」
栗狐は元の姿に戻って一息吐いた。アリスは一瞬ドッキリか何かを疑った。巧妙な編集とさえも思った。だが今は配信中ではなくリアルだ。疑いようもなく真実である。
この時アリスは考える。これは使えるのではないかと。
家事全般は全く無理でも配信でうまく使えば再生数を増やす足掛かりになる。そうなれば更に人気になってお金持ちになる。そうすればこんな辺鄙な山暮らしともおさらばだ。
何よりも今は圧倒的にメイドが不足している。
「よし。栗狐、あなたを採用するわ!」
「案外あっさり決まったのう。さてはお主、もふもふに弱いな?」
「そんなわけないでしょ!」
にやにやしながら栗狐が言う。己の非を一切理解してないのも化け狐故か。
ともあれこうして危機的状況だった屋敷に新たなメイドが加わるのだった。
さてはて、これからどうなるのか。