表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

敵国へ嫁がされた身代わり王女は運命の赤い糸を紡ぐ〜皇子様の嫁探しをさせられているけどそれ以外は用済みのようです〜

作者: 小蔦あおい



 大陸南西部に浮かぶ小さな島――ルパ王国の王女・オーレリアが敵国のハルディオ帝国へ嫁ぐことが決まったのは十五歳の時だった。


 ことの発端となったのはオーレリアの父であるルパ王に原因がある。

 野心家な彼はハルディオ帝国が海洋進出をして王国周辺の漁業資源や安全を脅かし実権を握ろうとしていると主張し、無謀にも大陸の半分以上を統治する帝国に戦を仕掛けた。

 小さな島を統治するだけのルパ王国は当然のことながら半月も経たずして敗戦した。


 これまでルパ王国がハルディオ帝国から侵攻を受けなかったのは小さな島国で大した資源がなかったからと、ルパ王族が神から恵みを与えられているとされていたからだった。

 神の恵みは王族にのみ備わる不思議な力のことで怪我の治療や雨降らしなど、その力は多岐にわたって存在する。ルパ王族の逆鱗に触れればどんな大国も一夜にして滅びると言われるほどその力は古くから恐れられていた。

 ところが蓋を開けてみれば軍事力の差は歴然としていて、ルパ王国の方が一夜にしてハルディオ帝国に追い詰められてしまった。圧倒的な国力の差を見せつけられたルパ王は神の恵みだけではどうにもならないと血相を変えて白旗を揚げたのだった。


 勝利を収めたハルディオ帝国は和平条約締結の際にルパ王に対し、属国にしない代わりに神の恵みを持つ王女との婚姻を要求してきた――いわゆる、政略結婚である。

 折良く、ルパ王国には妙齢となる王女・コーレリアがいた。


 ルパ王族特有の鮮やかな橙色の髪に緑色と青色が交じった碧色の瞳を持ち、白くて滑らかな肌とバラ色の頬、ぽってりとした唇は魅力的。全体的に華やかな容姿をしたコーレリアは王国一の美姫だと絶賛されていた。

 神の恵みも持ち合わせているコーレリアは完璧な存在だ。狒々爺(ひひじじい)と噂される皇帝もさぞや満足することだろう。


 しかしそんな皇帝の元へコーレリアを嫁がせるのは非常に惜しい。

 ルパ王はコーレリアを溺愛していたし、彼女は風を操る神の恵みを持っていた。海洋産業を主軸としている王国にとっては失いたくない力の一つだった。

 その上コーレリアは大公家のギルバートと想い合っていたため、皇帝との結婚を徹底的に拒絶した。


「嫌よ! 嫌!! どうしてわたくしがお父様の尻拭いのために年寄り皇帝の元へ嫁がなくてはならないの? そんなの絶対に嫌! ギルバート様以外との結婚なんてあり得ないんだからあ!!」

「コーレリア、頼むから一度落ち着きなさい」

「落ちつけですって? 私の人生が台なしになろうとしているのに落ち着けるわけないでしょお!!」

 顔を真っ赤にして泣き叫ぶコーレリアを目の当たりにしてルパ王は頭を抱えた。

 コーレリアは美しい容姿をしている反面、時にルパ王ですら手に負えないほどの癇癪持ちなのだ。

 ルパ王が困り果てていると二人の様子を眺めていた王妃がくすりと笑った。

「陛下もコーレリアも悲嘆する必要ありません。帝国が要求してきたのは神の恵みを持つ王女です。その二つを有していれば誰でもいいということ。何もコーレリアが指名されたわけではありませんわ」

 王妃の言葉を受けて二人はハッとした。


 そうだ。神の恵みの力を持つ妙齢の王女は何もコーレリアだけではない。

 名案だとばかりにルパ王もコーレリアも口端を吊り上げる。


「なるほど。何の役にも立たない神の恵みを持つアレを帝国へ嫁がせれば厄介払いもできて一石二鳥というわけだな」

 早速ルパ王は侍従長を呼ぶと、もう一人の王女を帝国へ嫁がせるよう手配した。


 ルパ王国には、コーレリアとは別にもう一人王女が存在する。

 ――それこそが王女とは名ばかりの忘れ去られた存在、オーレリアだった。




 ◇


 一ヶ月に及ぶ航海と十数日の馬車移動を経て、オーレリアはハルディオ帝国の皇帝が暮らす宮殿に到着した。

 宮殿に足を踏み入れるとその足で謁見の間に通される。

 敗戦国の王女なので長旅で疲れていようと気遣いなど不要だと判断されたようだ。これがコーレリアだったら酷い待遇だと激怒していただろう。

(それとも帝国側は私が名ばかりの王女であることに気づいたのかしら? だから厚遇する必要もないと判断されたのかも……)


 もしそうならいらない王女を寄越したと皇帝の逆鱗に触れて今度こそ王国は滅亡に追い込まれるかもしれない。

 たちまちオーレリアの心臓の鼓動が速くなり、胸の上に手を置く。

(やっぱり何の役にも立たない私なんかじゃなくて、高貴で美しいコーレリア様が来るべきだったんだわ……)

 今更ながら自分の力不足を嘆き、ここに来たことを後悔した。


 オーレリアはコーレリアの三つ下の妹だが『義理の』という文字が前につく。オーレリアの母は平民出身でただのメイドだった。

 オーレリアは母親譲りの濃紺がかった黒髪をしていて、瞳の色はルパ王と同じ水色をしているものの灰色掛かっている。

 地味で目立たない容姿なので通常なら家族から疎まれるだけで済んだだろう。しかし現状はそれだけに留まらず、王妃やコーレリアから虐めを受ける日々を過ごしていた。

 その原因はオーレリアが持つ神の恵みのせいだ。この力のせいで王妃とコーレリアから嘘つきの役立たず呼ばわりされて酷い扱いをされるようになった。

 ルパ王も二人に同調して助けてはくれず、周りの家臣や使用人たちからも「王家の恥」や「紛いもの」と蔑まれた。


 こうして物心ついた頃から虐げられてきたオーレリアは帝国へ嫁ぐことが決まるや否や、それまで放置されてきた王女教育を徹底的に叩き込まれた。

 短期間での詰め込みは大変で、当然ながらすべてを身につけることはできなかった。






「帝国の太陽にご挨拶申し上げます。ルパ王国より参りましたオーレリアでございます」

 謁見の間ではなく執務室に通されたオーレリアは挨拶をする。

 最初の挨拶だけは粗相のないようにと教師から口を酸っぱくして言われていたので慎重に行った。スカートの裾を摘み、顔を伏せて淀みなく挨拶を終えることができたオーレリアはほっと胸をなで下ろす。


(大陸の半分以上を統治する皇帝陛下はどんな方なのかしら?)

 部屋に通された際、オーレリアは緊張してしまって皇帝を直視することができなかったし、彼もこちらに背を向けていた。今だって畏れ多くてその容姿を確認することは憚られる。


『ハルディオ帝国の皇帝は六十を過ぎた狒々爺よ。せいぜいその枯れ枝のような痩せっぽちの身体が気に入られるよう祈っておいてあげるわ!』

 頭にコーレリアの意地悪な声が響く。

 キュッと唇を引き結んでいると前方から声が降ってきた。


「――……いつまでそうしているんだ。顔を上げなさい」

 発せられた声は想像に反してうら若い男性のものだった。

 オーレリアはハッとしてゆっくりと顔を上げる。

 すると、目の前には白い服に金色の刺繍が入った華美な服装の青年が立っていた。癖のない真っ直ぐな黄金色の髪に太陽のような赤い瞳を持つ青年は彫りが深く整っていて、非の打ち所がないほど美しい容姿をしていた。


 前情報で得た皇帝とは随分差があると思ったオーレリアは、ぱちぱちと瞬きをしてからこてんと首を傾げる。

「……あなた様は?」

「私は第一皇子のトラヴィス・ユンス・ハルディオです」


 第一皇子のトラヴィスは物語から出てきた皇子様のようなきらきらしい雰囲気に包まれていた。

 オーレリアは教師から教わったハルディオ皇族の内容を頭の隅で思い出す。

 皇帝には三人の皇子と三人の皇女がいて、トラヴィスが生まれるまで皇女ばかりが続いた。三人の皇女は臣下に嫁いでおり、もうこの宮殿では暮らしていない。

 待望の皇子であるトラヴィスは現在二十歳で、オーレリアよりも五つ上。帝国の皇子の中で最も人気があり、老若男女問わず親しまれている。


 ――つまり彼は義理の息子になる相手だ。

 合点がいったオーレリアはすぐに頭を下げた。


「はじめましてトラヴィス様。皇帝陛下との謁見だと思っていましたので不躾な態度を取ってしまいました。どうかご無礼をお許しください」

「気にしてないから謝らないで。長旅で疲れているだろうからまずは父との謁見よりも年の近い私との方が気兼ねなく話せると思ってこの場を設けたんだ」

 トラヴィスは窓辺に設けた席へオーレリアを案内する。テーブルにはお茶とお菓子が用意されていて、一人掛けのソファは寛げるようにふかふかのクッションが背もたれに置かれていた。

 オーレリアは驚いた。まさか気遣ってくれる人が帝国にいるなんて思いもしなかったからだ。ルパ王国のお城では誰一人として気遣ってくれる人はいなかったし、寧ろオーレリアが近くを通っても無視されるだけだ。


 目を見開いて呆然と佇んでいると、トラヴィスが苦笑しながら頬を掻く。

「まあ半分は建前だから。本当のことを伝えると陛下は現在、床に伏せっていて面会謝絶中なんだ。今は私が皇帝代理をしている」

「陛下はご病気なのですか?」

「うん。数年前に患った病気が一ヶ月前に再発してしまってね。今は薬の副作用で一日のほとんどを眠って過ごしている。いつ容態が急変してもおかしくないから、家族以外会うことは医師から禁じられているんだ」

「そう、ですか」

 話を聞いたオーレリアは落胆した。

 まさか自分の夫になる人と顔合わせすることができないなんて。

 ルパ王国もハルディオ帝国も結婚式で教会が用意した誓約書にサインをし、神官の前で愛の誓いを立てなければ夫婦とは認められない。

 皇帝が重病では結婚式をして側妃になるのは当分先になるだろう。

 今のオーレリアは敗戦国からやって来た王女というだけのなんとも中途半端な立場にあった。


 役立たずだと罵られ、王妃とコーレリアから虐められるだけの日々を送ってきたオーレリアにとって皇帝のもとに嫁ぐことは自分に新たな価値を見いだせる絶好の機会であると信じていた。

 どんなに年の離れた相手であろうと、好色家で既に何人もの奥さんがいようと誠心誠意仕えると心に決めていた。

 ところがそれも叶わず、ここでも役立たずの烙印を押されたような気分になった。

(誓約書にサインして愛の誓いを立てなければ陛下の側妃にはなれないし、家族でもないから会うことも許されないわね)


 俯いてスカートの裾を握り締めていると、トラヴィスが気遣わしげに声を掛けてくる。

「とにかくソファに腰を掛けて」

 言われた通り素直に腰を下ろすと、部屋の隅で控えていた青年がカップにお茶を注いでくれる。

 トラヴィスはオーレリアの前のソファに座るとお茶を一口飲んだ。

「疲れているみたいだから前置きは抜きにして今後のことを話すね。ルパ王国のあなたは神から恵みが与えられている。……私はあなたの力を是非とも借りたいと思っているんだ」

 トラヴィスの言葉を受けてオーレリアは目を見張った。まさかハルディオ帝国の皇子に神の恵みを求められるだなんて想像もしていなかったからだ。

 反応が遅れたオーレリアは消え入るような声で反論した。

「私の神の恵みはなんの役にも立ちません」

 だって王妃とコーレリアから何度も『役立たず』や『紛いもの』だと言い続けられてきたのだから……。




 オーレリアは四歳の時に神の恵みが発現した。発現したかどうかは王国の神殿に伝わる巨大水晶へ触れてみて、それが光るかどうかで判断する。同時に頭の中にどんな神の恵みが宿ったのか神託を受ける。

 オーレリアは四歳の誕生日に水晶へ触れてみると目映い光を放った。そして下った神託は『運命の相手が見える』という変わったものだった。

 左手の親指と人差し指でわっかを作り、そこから対象者を覗き込むと左手の小指に結ばれている赤い糸が見える。その赤い糸に意識を集中させると、オーレリアの頭の中に運命の相手の名前が浮かび上がるのだ。


 神の恵みが宿ったと分かってオーレリアは大いに喜んだ。

 ――きっとこれで王族の一員に、家族の一員になれる!

 そう信じて疑わなかったオーレリアは宿った力のことをすぐにルパ王へ話した。

 すると隣で話を聞いていた王妃から「妹の運命の相手を見てみなさい」と言われた。

 王妃の妹は彼女とかなり歳が離れていたので社交界デビューしたばかり。これから素敵な殿方を見つけて結婚しなくてはいけない。


 オーレリアは王妃の妹をお城に呼んでもらい運命の相手が誰なのか確認した。

 そうして頭の中に浮かび上がった人物の名前を口にする。

『運命の相手は、ジョージ・サッチャー子爵です』

 その名前を口にした途端、王妃も妹も激昂した。

『サッチャー子爵ですって!? あんな脂がのったつるっぱげデブの中年男が私の運命の相手だなんてあり得ない!!』

『おまえ、わたくしが嫌いだからって妹に嫌がらせをしているの? 嘘を吐いているならただじゃおかないわよ!!』

『う、嘘なんて吐いてません。本当のことを伝えただけで……』


 しかしどんなに真実だと主張してもそれを証明する方法はない。結局オーレリアは王妃から酷い折檻を受ける羽目になった。

 そして王妃の妹はサッチャー子爵ではなく美丈夫で有名なホルマン伯爵家の次男と結ばれた。王妃からは「おまえの神の恵みなんてちっとも当てにならない。役立たずの力ね!!」と散々罵られた。毎日罵声を浴びせられていると、コーレリアやお城で仕える者たちからも白い目で見られ、蔑まれるようになった。

 王妃が発する言葉は呪いのようにオーレリアの心を蝕んでいき、オーレリア自身も自分の力は何の役にも立たないと思うようになった。




(一度だけ何かの儀式でコーレリア様の代わりに出席した時、私の力に興味を持った人の運命の相手を確認したことがあったけど……誰かに運命の相手を教えたのはそれだけ)

 以降は王妃が怖くて神の恵みを使ったとしても誰にも教えていない。

 この力が日の目を見る日は来ないだろう。

 そもそも運命の相手と結婚するかどうかは本人たちの意志に左右される部分だって大きい。オーレリアが運命の相手を確認して名前を伝えたところでそれ以上できることはない。

 王妃の妹のように運命の相手を知っても納得がいかなくて別の誰かとくっつくことだってある。


 暗い表情でいるとトラヴィスが持っていたカップをソーサーの上にカチリと置いた。

「あなたの神の恵みは大いに役立つと私は考えている。オーレリア王女は運命の赤い糸で結ばれた相手が見えるんだよね?」

「はい。そうです、けど……」

「なんて素晴らしい力なんだ!」

 歓喜の声を上げるトラヴィスにオーレリアは目を瞬くと小首を傾げる。

 素晴らしい力? 運命の相手が見えて教えるだけの力が?

 腑に落ちなくて視線を向けると、トラヴィスは頷いて事情を説明してくれた。


 皇帝代理となった折りにトラヴィスは皇帝から弟たちの結婚相手を見つけて欲しいと頼まれた。というのも二人の弟たちは姉弟の中でも非常に癖が強いらしく、きちんと結婚して生涯添い遂げられる伴侶を得られるかどうかが皇帝にとって大きな悩みの種になっている。


「あなたには是非とも弟たちの運命の相手を見つけて欲しいんだ。弟たちは皇子という身分なのにちっとも相手が見つからなくて。……あと二人と話しても女の子に興味がないのか恋バナの『こ』の字も出てこないんだ!!」

「は、はあ……」

 皇帝と自分との結婚の前にまさか義理の息子たちの結婚をどうにかして欲しいと頼まれるとは予想外だ。

(陛下は既婚者で何人もの奥さんがいらっしゃるみたいだから今更結婚に焦る必要もないものね。……私の方は初婚だけど)

 オーレリアは自分のことを顧みてもらえていないことに少しだけもやもやとしてしまったものの、事情が事情だけに仕方がないと自分に言い聞かせた。


 するとトラヴィスが困ったように微笑む。

「別に無理強いをしているわけじゃないから、そんなに思い詰めないで欲しい。気が乗らないのなら断ってくれて構わない」

「そういうわけでは……」

「だけどこれだけは言わせて欲しい。あなたの神の恵みは本当に素晴らしい力だと私は思っている。だってその力は誰も傷つけない、誰かを幸せにするための力だから」

 オーレリアは目を見開いてトラヴィスを見つめた。

(誰も傷つけない、誰かを幸せにする力?)

 初めてそんな風に言われて息を呑む。ルパ王国のお城では役立たずと罵られ、紛いものだとまで言われていた力なのに。

 トラヴィスの捉え方はまるで違う。そしてトラヴィスが本心からそう話してくれていることも赤い瞳を見ればすぐに分かった。だって、そこには王妃やコーレリアの様な侮蔑の色はどこにもなかったから。


 これまで自分の神の恵みを卑下して思い悩んでいたオーレリアは、トラヴィスに背中を押してもらったことで肩の力を緩めることができたような気がした。

 ふうっと息を吐いてから胸の上に両手を重ねる。

「ありがとうございます。そんな風に言われるのは初めてで……とても嬉しいです」

 オーレリアは目を伏せるとトラヴィスの言葉を噛みしめる。

 もしもこの力が誰かの役に立つのなら、それを証明してみたいという思いが胸の奥底からこぽこぽと湧いてくる。

 ――神の恵みを使って誰かを幸せにしたい。

 オーレリアは灰色掛かった水色の瞳にトラヴィスを映すと、背筋を伸ばして眉を上げた。

「是非、私に協力させてください」

 こうしてオーレリアとトラヴィスによる皇子たちの(運命の相手)探しが始まった。




 ◇


 ハルディオ帝国の皇族は恋愛重視の結婚が多いらしく、余程のことがない限り政略結婚や見合い結婚という形を取らない。

 皇帝に限っては世継ぎ問題の観点から一夫多妻制が取られているらしいが、他の者は基本的に本妻しか娶らないらしい。

 ルパ王国の教師から教わった皇族のしきたりを思い出していたオーレリアは、与えられた部屋で唸っていた。

(陛下じゃないけど、皇子が三人いて誰も相手がいないというのは先行きが不安になるわね)

 トラヴィスは皇帝代理を務めていて多忙を極めているので一旦目を瞑るとして……。問題は残り二人の皇子だ。彼らの近侍や護衛から話を聞く限り女性の影はなさそうだった。

 オーレリアだって義理の息子たちの未来が明るくないのは心配だ。できることなら良縁を結んであげたい。


 とにかく、まずは第二皇子から進めていかなくては。

「第二皇子がどんな人物なのかや、運命の相手がいるかどうか確かめないと」

 部屋に籠もっていても仕方がないのでオーレリアは行動に移すべく部屋を出た。



 ハルディオ帝国の二番目の皇子はクラウス・ハルディオという。トラヴィスの一つ下で現在十九歳だ。

 オーレリアはトラヴィスの近侍・フレディにクラウスがいるところまで案内してもらう。着いた場所は修練場だった。

 フレディに「一番奥にいる方がクラウス様です」と教えてもらうと、素振りをしている青年に目を凝らす。物語に出てくる皇子様のような容姿のトラヴィスとは違い、クラウスはがっしりとした体躯をしていて眉は太く、凜々しい顔立ちをしていた。

 軍部統括部に所属していて、近衛第一騎士団の団長を務めている。風貌にぴったりな肩書きだった。


 皇子で団長も務めているし、鍛え抜かれた身体は引き締まっていて、見るからに頼もしい。いろんな要素を兼ね備えたハイスペックなクラウスに令嬢たちが秋波を送らないわけがない。彼が舞踏会に姿を現せばたちまち黄色い声が上がりそうなものなのだが。

 はて、とオーレリアは顎に手を当てて考え込む。

「年齢に問題はなく、容姿も好みが別れるにせよ整っていて凜々しい。クラウス様の何が問題なのかしら?」

 思ったことを率直に口にすると、後ろで控えていたトラヴィスの近侍であるフレディが淡々と事情を説明してくれた。


 クラウスは朴訥な性格らしく、仕事以外では基本的に物静からしい。

 したがっていくら令嬢が積極的に働きかけても彼のせいで話は弾むどころか盛り下がって終わってしまうのだ。

 最終的にどこの令嬢も反応の薄いクラウスに寄りつかなくなってしまった。

 話を聞いたオーレリアは指でわっかを作るとクラウスの左手の小指を覗き込む。その小指にはしっかりと赤い糸が結ばれていた。

 さらに赤い糸に意識を集中させていくと、頭の中にある人物の名前が浮かび上がる。


「フレディ様、アニー・ゴードンというのはどういう方ですか?」

「ゴードン伯爵家のご令嬢ですね。クラウス様と同い年でこれまで病気がちな先代伯爵夫人の面倒をみるため社交界デビュー以来、シーズンには姿を見せておりません」

「そのゴードン伯爵令嬢がクラウス様の運命の相手のようです。どうにかして二人を引き合わせることはできないでしょうか?」

「承知しました。お任せください」

 フレディはよくできた近侍でオーレリアの話を聞くやその足でトラヴィスの元へ向かい、戻ってくる頃にはお茶会の開催日時や会場、招待状まで手配済みという周到さをみせた。しかも久しぶりに社交界へ顔を出すアニーに配慮して彼女の親しい友人(婚約済み)を中心に招待しているのだから抜かりない。

 数日のうちに招待状を出した全員から返事が返ってきて、アニーの招待状カードには出席という文字が書かれていた。

 かくしてクラウスとアニーのためのお茶会が開かれることとなり、オーレリアは成り行きを見守ることにした。



 お茶会は離宮にあるこぢんまりとした庭で開催された。それほど広くはないので少人数でのお茶会にはもってこいの会場だった。

 クラウスは存外素直で真面目な性格らしく、皇族であるにもかかわらず会場に一番乗りしていた。訪れた招待客(ゲスト)一人一人に挨拶をしていき、遂に会場にやってきたアニーと対面する。

 オーレリアはトラヴィスと一緒に樹木の陰から二人の様子を窺っていた。正直なところ、運命の相手同士が顔を合わせてその後どう発展するかは想像もつかない。


「ごきげんよう、ゴードン伯爵令嬢」

「クラウス殿下、ごきげんよう。今日は気候も良くて絶好のお茶会日和ですね」

「……そうですね」

「……はい」

「……」

「……」


 ものの数秒で会話終了。

 賑やかな会場であるはずなのに二人の間だけ沈黙が広がっていく。

(ええと。これで終わり……なの?)

 不安を覚えたオーレリアがトラヴィスを一瞥すると彼は顔を手で覆って空を仰いでいた。

 どうやらクラウスはいつも通りの対応をしているらしい。

 どんよりと暗い表情を浮かべるトラヴィスを慰めるべく、オーレリアは左手の親指と人差し指でわっかを作り赤い糸を確認する。二人の小指には互いに繋がる赤い糸が確かに結ばれている。けれどただそれだけで特に何も起こらない。


 このままでは何も起きないまま終わってしまう。

(王妃様が仰っていたように私の神の恵みはやっぱり何の役にも立たない紛いものの力なんじゃ……)

 結局証明されたのはオーレリアの神の恵みが無能であるということだけ。

 トラヴィスの期待に応えることができず申し訳ない気持ちでいっぱいになる。耐えるように唇を噛みしめていると、不意に二人の赤い糸が輝き始めた。

 その光は互いの小指から相手の小指へと進んでいき、やがて真ん中当たりに光が到達すると溶け合うように交わっていく。



 「あの」と二人が同時に声を発したのはその直後だった。

 二人は困った様に微笑むとやがてアニーの方が口を開く。

「クラウス殿下、なんでしょうか?」

「……」

 クラウスは無言のままアニーに近づくと、やにわに彼女の足下に落ちているあるものを拾い上げた。それはアニーの手のひらに収まるサイズの猫のぬいぐるみだった。

 たちまちアニーの顔が赤く染まる。彼女は視線を彷徨わせた後、観念したように肩を竦めると説明し始めた。


 アニーはぬいぐるみを編むことが趣味らしく、先代伯爵夫人が療養している屋敷で過ごしている間は、夫人にせがまれてずっとぬいぐるみを編んでいた。

「久々の社交界は不安で……。いつもぬいぐるみに囲まれて過ごしていましたので緊張しないようこの子に一緒に来てもらったんです。その、幼稚なものを持ち込んで申しわけござ……」

「か、可愛い」

「へっ?」

「あ、えっと。僕はこんな風貌ですが小さくて可愛いものが…………大好きなんです」

「そうなんですか!?」

 クラウスはこくんと頷くと猫のぬいぐるみをアニーの前に差し出し、もう一方の手で上着のポケットからハンカチを取り出す。それには犬の刺繍が刺されていた。


 アニーは刺繍を眺めて頬を緩めると「可愛い!」と感嘆の声を上げる。

「もしかしてこれはクラウス殿下が作ったのですか?」

 アニーが尋ねると躊躇いがちにクラウスが頷く。

「……落差がありすぎるので誰にも話していませんが裁縫が好きなんです。誰かと話さなくていいし、無心で刺していられる。その時間が僕にとっては至福です」

 その話を聞いてアニーはうんうんと何度も頷く。彼女も人と会話するのが苦手なようで、ぬいぐるみを編んでいる時が一番幸せを感じるのだという。

「もしよろしければ私の猫さんと殿下の犬さんを交換してくださいませんか? 刺繍の犬さんが飼っているうちの犬にそっくりなんです」

「もちろん。丁度あなたが作った猫さんを欲しいなと思っていたところです」


 先程まで気まずかった空気が一転して、二人は会話を弾ませていく。

 雰囲気が良くなっていくにつれて二人を結ぶ赤い糸の色が濃くなると、同時に弛緩していた糸が弦のようにピンと張られていく。最終的に赤い糸は黄金の光を放ち始めた。

 オーレリアは赤い糸の変化を目の当たりにして二人が確実に結ばれる運命にあると悟った。

 その後も二人はお茶会がお開きになるまでずっとお互いについていろいろな質問をして親交を深めていった。



 お茶会が開かれてから半年後、クラウスとアニーの結婚が決まった。

 短い交際期間を経ての結婚だったが、二人の仲睦まじい様子は誰の目から見てもお似合いで幸せそうだった。






「嗚呼、やはりオーレリア王女の神の恵みは素晴らしいね」

 クラウスの結婚が決まり感無量の表情を浮かべるトラヴィスはオーレリアの神の恵みを絶賛する。

「まさかクラウスにあんな趣味があったなんて全然知らなかったよ」

「人は見かけによらないものですね」

 周りに抱かれている印象のせいで裁縫が趣味だと言い出せなかったのか、朴訥な性格上主張しなかったのかはクラウス本人に訊いてみなければ分からない。

 しかし家族にも黙っていたことを考えると答えは前者な気がする。


「クラウス様は周りの反応が怖かったのかもしれません。私もクラウス様と同じ状況なら周りが持つ印象と乖離しないよう本当の自分を隠すと思います」

「私はどんなオーレリア王女でも受け入れられる自信がある。だから私にはありのままのあなたを教えて欲しいな。どんな花が好きかや、何をしている時に幸せを感じるのかいろいろ知りたい」

 オーレリアは戸惑いつつも天井の方へ視線をやりながら答える。


「そうですね。花はブーゲンビリアが好きです。……何をしている時に幸せを感じるかは……ごめんなさい。分かりません」

 今までそんなことを考えたこともなかったので答えが見つからない。

「因みに私の最近の幸せを感じる時間はオーレリア王女と二人きりで話している時かな」

 トラヴィスは爽やかな笑みを浮かべて言った。

「へっ!?」

 たちまちオーレリアの胸は高鳴った。

 恋していなくてもきらきらしい容姿のトラヴィスにそんなことを言われたら、誰だって胸がドキドキしてしまう。

(トラヴィス様と話しているとたまに自分が特別扱いされていると勘違いしてしまうわ。向こうだって私が義母になることを知っているだろうだから他意はないはず。……多分、生粋の人たらしなのね)

 ちょっとだけ体温が上がった気がしたオーレリアは自分に向かってぱたぱたと手で扇いで風を送る。

 これ以上変な空気に呑み込まれないためにもオーレリアは咳払いをした。


「と、ところで陛下の反応はどうでしたか?」

 上擦った声で尋ねるとトラヴィスが含み笑いをしてから答えてくれる。

「クラウスの結婚の知らせを受けて陛下はとても喜んでおられたよ。オーレリア王女に感謝していた」

「陛下がお喜びなら私も嬉しいです。吉報を受けて少しでも体調が良くなればいいのですが」

 未だ家族以外は面会謝絶中でオーレリアは皇帝と顔を合わせられない。面会できないのは残念だが、未来の夫が喜んでくれているのなら妻冥利に尽きる。


 笑みを浮かべているとトラヴィスは改まった様子でオーレリアに身体を向ける。

「私が言った通り、あなたの力は誰も傷つけないものだ。この調子で末の弟の相手を確認してもらいたい」

「トラヴィス様、そのことなんですが実は話しておきたいことがあります……」

 オーレリアは眉尻を下げると運命の相手について話していなかった内容を打ち明ける。



 まずはじめに、運命の赤い糸は誰もが皆平等に持っているわけではない。

 小指に赤い糸がついていない場合もあって、それは二通り存在する。

 一つは単純に運命の相手がいない場合だ。これは今世で巡り会うことができないことを指し、結婚はできたとしても破綻する確率が高く、基本的に生涯独身を貫く人がほとんど。

 そしてもう一つは――。

「……運命の相手や本人が成人していない場合は小指の赤い糸が見えません」

 ルパ王国もハルディオ帝国も男女の成人は十八歳。その歳にならないと運命の相手を見ることはできない。


 オーレリアが次に運命の相手を確認しなくてはいけないのは、最年少のパーシヴァル・ハルディオ第三皇子。

 来月誕生日を迎えて十八歳にはなるが、今はまだ成人していない。よってオーレリアがパーシヴァルに会って運命の相手を確認したところで小指に赤い糸は存在しないのだ。

 そしてパーシヴァルが成人したとしても相手が年下という可能性だってある。

 もしかしなくとも、これは長期戦になるかもしれない。


 そのことを説明するとトラヴィスは神妙な表情で頷いてくれた。

「なるほどそういうことなんだね。パーシヴァルは帝都の学園で寮生活を送っていて、今は宮殿にいないから。誕生日を迎えた次の休みに帰ってくるよう言っておくよ。その時に運命の相手の確認してもらえるとありがたい」

「分かりました」

 オーレリアは肯うとトラヴィスを見つめる。

 物語から出てきた皇子様のようなきらきらしい雰囲気を纏う彼に熱い視線を送る令嬢は少なくない。一体、トラヴィスの運命の相手は誰だろう。


「パーシヴァル様を待っている間に、トラヴィス様の運命の相手を確認しましょうか?」

 オーレリアが何となく提案するとトラヴィスは面映ゆい表情を浮かべて側頭部に手を当てる。

「私に運命の相手がいるのだとしても、まだ結婚は無理かなあ」

「念のためですよ」

「だって、私が心に決めているのは……だけだから……」

 聞き取れないほど小さな声でトラヴィスが呟いたのでオーレリアの耳にはそれが届いていない。

「では確認させていただきます」

 オーレリアはそう言いながら親指と人差し指でわっかを作ってトラヴィスの左手の小指を確認する。

「ん……?」

 トラヴィスの小指に赤い糸はついていなかった。

 困惑した表情を浮かべているとトラヴィスは赤い糸が小指にないことを察したようだ。目を眇めて「私の結婚相手は帝国かもしれないな」と冗談を飛ばして場を和ませてくれる。


(トラヴィス様は気さくな方だし、将来皇帝となる方。運命の相手がいないなんて絶対におかしいわ)

 ハルディオ帝国の皇帝は一夫多妻制が認められており、世継ぎのために複数人の高貴な女性を後宮へ迎え入れるのが慣わしとなっている。その中に一人もトラヴィスと心を通わせられる相手がいないというのは、なんとも悲しい気持ちになる。

(トラヴィス様には運命の相手がいらっしゃらない……本当に?)

 まだ運命の相手が成人していなくて、小指に繋がる赤い糸が見えていないだけじゃないだろうか。

 腑に落ちないオーレリアは首を捻るばかりだった。




 ◇


 一ヶ月後、十八歳となったパーシヴァルが休日を使って宮殿に戻ってきた。

 オーレリアは側近と共に庭園を散歩しているパーシヴァルを発見すると遠巻きからその様子を眺めていた。容姿についてはフレディから前情報を得ていたのですぐに分かった。


 パーシヴァルは癖のあるふわふわな金色の髪をしていて、身体つきはトラヴィスやクラウスと比べて小柄だ。朱色の瞳は大きく、全体的にあどけなさが残る、可愛らしい容姿をしている。

 オーレリアはパーシヴァルの左手の小指に「どうか赤い糸がついていますように」と祈りながら指でわっかを作って覗き込む。と、そこには薄らとだが赤い糸がついていた。

 まだ成人したばかりで赤い糸が薄いのだろうか。とはいえ頼りないそれにオーレリアは心配になった。


 パーシヴァルが小鳥のさえずりに反応してよそ見をしながら歩いていると、生け垣の間からすっと人影が現れてその人の肩と彼の肩がぶつかった。

 オーレリアは服装からほんの一瞬、ぶつかった相手が騎士だと思った。しかし、目を細めて凝視するとそれは騎士服に身を包んだ令嬢だった。

 上背があるその令嬢は凜とした顔立ちで切れ長の涼しげな目をしていて、髪は邪魔にならないよう高い位置で結んでいる。

 パーシヴァルはぶつかった肩を押さえながら令嬢に向かって口を開いた。


「よそ見をしていて肩がぶつかってしまった。すま……なんだ、おまえか。謝って損したじゃないか」

「ちょっと! 損て何よ、損て!! レディに対して失礼じゃないの?」

「レディ? おまえがか?」

 胡乱げな表情を浮かべて令嬢の頭のてっぺんから足のつま先までを観察するパーシヴァル。

 その行動に令嬢はムッとすると腕を組んで目を眇めた。

「皇子だからって威張り散らして。二人のお兄さんは紳士的なのに恥ずかしくないわけ?」

「威張ってなんかない。おまえが突っかかってくるんだろ?」

「はあ? 何よそれ!? どうせまた幸せを呼ぶとかいう彩鳥を探してよそ見してたんでしょ!? そんなの見つかるわけないじゃないの!」

「何だって?」


 オーレリアが二人の喧嘩に狼狽していると「始まった」と言いながらトラヴィスが隣に現れる。

「トラヴィス様、あのご令嬢はどなたなんですか? あと、二人の喧嘩を止めなくていいのですか?」

 というのも、パーシヴァルの側近も、周りを行き交う人たちも誰一人として二人の喧嘩を止めようとしない。一触即発して殴り合いの喧嘩に発展……なんてことはないだろうが、見ていてはらはらしてしまう。

 オーレリアが慌てふためく一方で鷹揚に構えるトラヴィスは腰に手を当てながら答えた。

「あの子はイメルダ・ベルガ。ベルガ公爵のところの令嬢だ。パーシヴァルとは見ての通りの間柄かな」

 詳しい説明を聞けば二人は幼馴染みであり、犬猿の仲なのだという。昔は仲が良かったはずなのに周りが気づいた時には、二人とも顔を合わせればいがみ合う関係になっていたらしい。


「二人の仲が悪くなるきっかけが何かあったんじゃないですか? それまでは良好な関係だったんでしょう?」

「うーん……。そうなんだけど、私やクラウス、側近たちもさっぱりで。ただ、宮殿裏の森にある泉へ行ってから関係が悪化したことだけは覚えている。昔は将来結婚しようなんて言い合うほどだったのに……」

 オーレリアはトラヴィスの話を聞きながらパーシヴァルの運命の相手が誰なのか確認するために、再び指でわっかを作ると彼の赤い糸へ意識を集中させる。と、名前を確認する前にパーシヴァルの赤い糸がイメルダの小指に繋がっていることに気づいた。



 オーレリアは目を擦るともう一度わっかを作って覗き込む。やはり、パーシヴァルとイメルダは運命の赤い糸で結ばれていた。

 嫌よ嫌よも好きのうち――ということだろうか。

 しかし二人を結ぶ赤い糸はクラウスの時とは違って蜘蛛の糸のように細くて頼りない。

(これは私の推測だけど、このままの状態が続けば二人の赤い糸が切れて運命の相手じゃなくなってしまう。なんとかしなくちゃ……)


 そこでふと、オーレリアは『彩鳥』という言葉を思い出した。

 パーシヴァルやイメルダが言う彩鳥がオーレリアの知っている鳥を示すものならこの問題をなんとかできるかもしれない。

 オーレリアはトラヴィスに声を掛けると、自身の口元に手を寄せてから彼に耳打ちする。

 話を聞いたトラヴィスは小さく頷くと早速フレディを呼んで手はずを整えてくれた。




 少し時間が経って三ヶ月後。

 パーシヴァルは宮殿裏の森にある泉へと足を運んでいた。学園を無事に卒業した彼は皇帝代理のトラヴィスの補佐として日々奮闘している。

「トラヴィス兄上に泉の水質調査をしたいから先に向かって欲しいって言われて来てみたけど、他の文官や専門家はいないみたいだな。何人か待機していると思ったんだけど」

 パーシヴァルが首を捻りながら泉を眺めていると、背後から足音がする。

 振り返ると、やって来たのはイメルダだった。


 イメルダはパーシヴァルの存在に気づくと、足を止めて頬を引き攣らせる。

「ど、どうしてあなたがここに?」

「それはこっちの台詞だけど? 俺がここにいたら都合でも悪いのか?」

 渋面を作るパーシヴァルは我先にとイメルダへ先制攻撃を仕掛ける。

 するとイメルダは頭を振って「そうじゃないわ」と答えた。ばつの悪い顔をして躊躇いがちに言葉を紡ぐ。

「もうここには二度と来ないと思っていたんだもの。だって殿下は……」

 そこまで言って、イメルダは気まずくなって口を噤んだ。

 パーシヴァルは口を引き結ぶと顔を背ける。互いに視線を地面に落としていると、イメルダが躊躇いがちに沈黙を破った。


「……殿下はあの時のこと、まだ気にしてる?」

「……あの時のことって?」

「ほら、十歳の時のことよ。部屋で鳥図鑑を二人で見ていて、虹色の羽が美しい彩鳥を一度でいいから見てみたいと私が言い出したあの日。殿下と私は宮殿を抜け出してこの森で彩鳥がいないか探してて……その最中に野犬に襲われた」

 イメルダは一旦言葉を区切ると顔を伏せる。それから再び顔を上げると悲痛な声で言った。


「私、怖かった。殿下が野犬に噛まれるんじゃないかって。噛まれたせいで病気になって死んでしまうかもしれないって。そう思ったら目の前が真っ赤になって……気づいたら野犬をぶん殴って倒してた。だけどそれ以来、殿下に避けられるようになって気まずくて……。怖がらせてしまったならごめんなさい。仲が良かった令嬢が実はゴリラ女だったなんて、幻滅したよね」

 イメルダはこれ以上は耐えられないというように、くるりと背中を向けてしまう。そのまま勢いに乗って走り出そうとするとパーシヴァルに腕を掴まれた。


「イメルダ、待って。幻滅なんてしてない。俺が幻滅したのはイメルダじゃなくて俺自身なんだ!」

「そんなの嘘」

 信じられないといった様子でイメルダは頭を横に振る。

 パーシヴァルはイメルダの腕を掴む手に力を込めた。

「嘘じゃない。あの時は俺がイメルダを守らなくちゃいけなかったのに、逆に守られた。男としてこんなに情けないことってないよ。それなのに、イメルダはあの日を境に剣を習い始めて」

「それは私が殿下を守れるよう強くなりたかったから」

「俺だってイメルダを守りたいよ。だから剣の練習だって頑張った。けど、才能が開花したイメルダとの差は開いていく一方で。悔しくて情けなくて、イメルダに会っても素直になれなくなってしまったんだ」

 パーシヴァルはイメルダの腕から手を離すと回り込むようにして彼女の前に立つ。そして朱色の瞳に強い光を宿し、真っ直ぐ眼差しを向ける。

「イメルダをゴリラ女だなんて思ったことは一度もない。俺にとって、君はとてもかっこいい素敵な女の子だ」

「殿下……」


 するとどこからともなく美しい鳥の声が森に響く。羽ばたく音が聞こえて二人が身体を向けてみると、木の上で彩鳥が羽を休めていた。

 それを目の当たりにしたイメルダが途端に喜色の声を上げる。

「殿下、見て! 幸せを呼ぶ彩鳥よ!」

「ほ、本当だ」

 パーシヴァルの方も彩鳥を見て喜びから破顔する。

 二人は互いに笑顔を向けるも、すぐに気まずげに視線を泳がせる。暫くしてからパーシヴァルが視線をイメルダに戻し、口を開いた。


「なあ、イメルダ。お互いにいがみ合うのはもうやめないか? 腹を割って話したんだ。俺は前みたいにイメルダと他愛もない話がしたい」

 するとイメルダが泣き出しそうな表情で首を縦に振る。

「私も。あの頃みたいに殿下と鳥の話がしたい」

 二人はどちらからともなく互いの指と指を絡めて手を繋ぐと笑いあう。



(上手くいったみたいで良かった……!)

 茂みに隠れて成り行きを見守っていたオーレリアは二人の運命の赤い糸を確認して安堵する。

 彩鳥は虹色の羽を持つ鳥でルパ王国周辺に生息している。王国では虹色鳥という呼び名で親しまれているため、帝国とは呼び名が異なっていた。

 彩鳥は水が澄んでいる綺麗な場所に巣を作って繁殖期を迎える。大陸での生息はあまり確認されていないが、時折その姿を目撃されることがあった。


 オーレリアは二人が宮殿裏の森にある泉へ足を運んでから仲が悪くなったことと、彩鳥の話をしていたことから仲直りのきっかけが彩鳥にあると考えた。

 そしてその予想は的中していた。


 二人はお互い素直になれなくて本当の気持ちが伝えられず、こじれにこじれてしまっていた。

 運命の赤い糸で結ばれているとはいっても、互いに素直になれずいがみ合ってばかりいると運命の相手を引き寄せる赤い糸が細くなり最後は途切れてしまうようだ。

 今の二人を結ぶ赤い糸は以前とは違いしっかりとしていて、クラウスとアニーの時のように黄金色の光を放ちながら輝いている。


 仲直りした二人は二年後、無事に結婚した。




 ◇


 オーレリアが皇子たちの嫁探しに奮闘している間、皇帝の面会謝絶も医師によって何度か解除されることがあった。だが、相手はハルディオ帝国の皇帝だ。宰相を含む臣下たちが連日のように嘆願書をひっさげて見舞いへ行くため、オーレリアが面会する時間は回ってこなかった。

 結局、帝国へ嫁ぎに来てから既に三年が経ってしまっているがオーレリアはまだ皇帝と結婚どころか面会すらできていない。


 そして二人の皇子の嫁を見つけ出したオーレリアの噂は、帝国中に知れ渡り評判となった。これまでいくら叩いても何も出てこない、女の影すらなかった二人の皇子を見事に結婚をさせたのだ。

 周りの貴族たちはオーレリアの神の恵みに興味津々かつ、自分の運命の相手を確認して欲しいという者まで現れ始めた。

 もちろん、そのすべてをトラヴィスが突っぱねていたので、オーレリアのあずかり知らぬことだった。






「私はいつになったら陛下と結婚できるのかしら……」

 義理の息子となる二人の皇子の結婚が決まった。三人中二人の縁を結んだのだから皇帝も胸のつかえが下りているはずだ。

 そろそろ自分の結婚についてどうなっているのか皇帝代理であるトラヴィスへ相談してもいいだろうか。

(このままずっと中途半端な状態でいるのは嫌だわ。……ひょっとしたら私がここに来た本来の目的を皆が忘れているかもしれない。やっぱり、一度訊いてみないと)

 部屋の窓の縁に両肘をついて頬に当て、外の景色を眺めていたオーレリアは決心すると部屋を出てトラヴィスがいる執務室へと向かう。

 長い廊下を歩いて角を曲がり、庭園を横切った先に彼の執務室がある。


 オーレリアが足早に廊下を歩いていると、庭園でトラヴィスの姿を発見した。

「トラヴィスさ……」

 声を掛けようとしたオーレリアだったが途中で口を噤むと、さっと建物の柱の陰に隠れる。

 そのまま声を掛けても良かったのかもしれないができなかった。何故ならトラヴィスの隣には自分と同い年くらいの令嬢が柔和な微笑みを浮かべて立っていたから。


 その光景を目の当たりにした瞬間、オーレリアは胸がざわつくのを感じた。自分ではない他の女の子がトラヴィスの隣に立っているのを初めて目撃したからだろうか。

 神経を逆撫でするようなざわつきに不快感を露わにする。が、どうしてそう感じるのかよく分からない。

(……自分の感情を分析する前にトラヴィス様を確認しなくちゃ!)

 気を取り直すとオーレリアはすぐにトラヴィスの左手の小指を凝視する。すると、そこには以前までなかった赤い糸が結ばれていた。

「運命の相手が遂に現れたんだわ! ……トラヴィス様の相手は誰?」

 トラヴィスの赤い糸へ意識を向けていると、彼の隣に立つ令嬢の甲高い笑い声が聞こえてくる。オーレリアは視線を移動させてその令嬢の左手の小指を確認する。と、そこにも運命の赤い糸がついていた。そしてその赤い糸が伸びる先には――トラヴィスがいる。



 手を下ろして呆然としていると不意に第三者の声が聞こえてきた。

「殿下、ビクトリア様。こちらにいらしたのですね。準備が整ったので案内します」

 トラヴィスの陰から現れたのは近侍のフレディだ。

 フレディは二人をガラス温室がある方へと連れて行く。


 オーレリアは茫洋とした瞳で三人の後ろ姿を眺めながらぽつりと呟いた。

「トラヴィス様の運命の相手は……あの令嬢なのね」

 その途端、胸にじくじくとした痛みが走った。

 オーレリアは自分の胸の上に拳を置いて、気持ちを落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。しかし、杭が深く突き刺さったみたいに、胸の痛みは消えなかった。



 結局その日の夜はあまり寝付けず朝を迎えてしまった。

 着替えを済ませたオーレリアが口元を手で覆って欠伸をしていると、トラヴィスがフレディを伴って訪ねてくる。こんなに朝早くからどうしたのかオーレリアが尋ねると、トラヴィスが思いがけない言葉を口にした。

「今から陛下のところへ案内する」

「……陛下のところ?」

 遂にこの日が来た。これで漸く滞っていた皇帝との結婚話が進められる。

 待望の瞬間のはずなのに、嬉しいはずなのに、オーレリアの頭に浮かんだ最初の言葉は「嫌」だった。

 皇帝と面会ができる。やっと人生が動き出したというのに、どうしてそんな風に思ってしまったのだろう。

 物思いに耽りながら歩いていると、前を歩くトラヴィスが立ち止まって身体をこちらに向けてきた。

「数日前からこの廊下は改修工事に入ってる。足下が悪いから気をつけて」

 注意を促すトラヴィスはオーレリアが転んでしまわないようにと手を差し伸べてくれる。


 オーレリアはお礼を言うとその手に自身の手を重ねた。しっとりとした手に伝わってくるトラヴィスの温もり。初めて手を繋いだことに気がついたオーレリアの頬はカアッと熱くなった。

 トラヴィスはいつだってオーレリアに優しく接してくれて温かい言葉を掛けてくれる。それまで暮らしてきたルパ王国では役立たずや紛いものだと罵られ周りからはいないもの扱いされてきた。

 唯一存在を認識していたのは気まぐれに虐めてくる王妃とコーレリアの二人だけ。

 けれどトラヴィスは違う。彼はオーレリアを傷つけないし、蔑まない。一人の人間として大切に扱ってくれる。

(優しいトラヴィス様がこれからも隣にいてくれたら……いいえ、彼の隣にいられるのが私だったらどんなにいいか)

 心の底から強く願うオーレリアは、心の中であっと声を上げた。


(そっかあ。私、トラヴィス様のことが好き。…………ずっと前から好きだったのね)

 眠れないほど悩んでいた胸の痛みの答えがあまりにも簡単にすとんと落ちてくる。それと同時に絶望がオーレリアの心を襲った。

 皇帝の側妃となるオーレリアにとってトラヴィスは義理の息子となる相手だ。オーレリアが恋心を抱いていい相手ではない。

 だから今まで自分の気持ちに気がつかなかった。――否、気づかないふりをしていたのかもしれない。


(……今更そんなことに気づいてどうするの。私は陛下の側妃になるし、トラヴィス様には運命の相手――ビクトリア様がいらっしゃるのよ。彼の幸せを願うなら、運命の赤い糸が見えたことを伝えて祝福しなくちゃ。……そうしなくちゃ、いけないのに)

 オーレリアは口を引き結んだ。言わなくてはいけないのに言いたくない。

 だって運命の相手であるビクトリアのことを話せばトラヴィスとはもうこうして会えなくなる。そして彼の心はビクトリアへと向かうだろう。

 いや、昨日の様子からしてトラヴィスの好意は既にビクトリアへ向いているかもしれない。



「オーレリア王女、どうして泣いているんだい?」

「……え?」

 トラヴィスに指摘されて初めてオーレリアは頬が濡れていることに気がついた。

 慌てて涙を拭い、何でもないと説明する。しかし尚もトラヴィスが心配そうに眉根を寄せて眺めてくる。

 運命の相手がいることを言うか言わないか迷っていたオーレリアだったが、トラヴィスの表情を見て後ろめたさを感じた。初めてオーレリアの神の恵みを認めてくれたトラヴィスに偽りを語って不幸にしたくない。

(私の神の恵みは誰も傷つけない、誰かを幸せにする力だって言ってくれたから……)

 オーレリアは決心すると重たい口を開いた。


「実は昨日、トラヴィス様に運命の相手が現れました」

 トラヴィスはオーレリアの告白を受けて目を見張った。そしてすぐに背中をくるりと向けてしまう。

「……そうか。それなら尚更陛下と会ってしまおう」

 トラヴィスはオーレリアの手を引いて再び歩き始める。

 運命の相手の名前を聞く前に、皇帝代理としてオーレリアと皇帝を先に引き合わせる責務を果たしたいようだ。

(一刻も早く私を側妃にしたいわよね……)

 これがトラヴィスの仕事だと頭では理解できても胸が苦しくて息が詰まりそうになる。

 オーレリアは俯くと重たい足取りで再び歩き始めた。



 皇帝が療養しているのは宮殿の隣にある小宮殿の一室だった。トラヴィスから先に一人で挨拶するよう促されて、オーレリアはベッドに横たわる皇帝のところまで歩いて行くと深々と頭を下げて挨拶をした。

「帝国の太陽にご挨拶を申し上げます。オーレリアにございます」

 ベッドボードとの間に背もたれのクッションを敷き、上体を起こしている皇帝は思ったほど顔色は悪くなかった。

 初めて皇帝の顔を見たオーレリアは、クラウスは皇帝似だったんだというどうでもいい感想を心の中で述べる。狒々爺だという話をコーレリアから聞かされていたけれど、皇帝は好々爺(こうこうや)という言葉の方がしっくりくる。とはいえ、厳かな空気を纏っているので一瞬たりとも気を抜くことはできない。


「こちらに呼び寄せておきながら長い間会うことができなかったことは詫びよう。漸く王女と会うことができて、余は非常に嬉しく思う」

「私も陛下とお会いできて光栄にございます」

 オーレリアはお腹にグッと力を込めて息を吸い込むと言葉を紡いだ。

「陛下、三年もの間お会いできなくて大変心配しておりました。私は家族の一員ではないので面会することも許されず、側妃としてお仕えすることもできなくて。……もどかしい日々を過ごしておりました」

 側妃という言葉を口にしてしまった以上はもう後戻りはできない。

 オーレリアは皇帝に挨拶をし終える間際まで側妃になることに抵抗感を覚えていた。しかしこのまま有耶無耶にしてしまっていては一向に前に進めない。


 三人の皇子に運命の相手が見つかった。

 皇族からすればオーレリアは用済みだ。

 いつまでも中途半端な立場でいればルパ王国の時のように存在すら忘れ去られてしまうかもしれない。ならば足場を固めるためにも側妃になることが最善の策だといえる。

 側妃として皇帝に仕えながら、トラヴィスを支えられるならそちらの方が断然幸せに違いない。

 そう結論づけてオーレリアは覚悟を決めたのだ。

 真摯な眼差しを向けていると、皇帝が目を剥いた。


「待て。話がまったく見えぬ。一体どういうことだね?」

 皇帝の困惑の色を含む声にオーレリアは小首を傾げる。

「私が帝国に連れて来られた本来の目的は陛下の側妃になることですよね?」

 皇子たちの嫁探しに目的がすり替わっていたが当初の目的はルパ王国とハルディオ帝国の和平のための政略結婚だったはずだ。

 すると皇帝が素っ頓狂な声を上げた。

「な、何がどうなっているのだ? 余は其方を娶る気なんて毛頭ないぞ」

「え? そんな……なら私が嫁ぐ話は何だったんですか?」

「どうやら行き違いがあったようですね」

 そう言って話に割って入ってきたのは後ろで待機していたトラヴィスだった。

「トラヴィスよ、王女は何か誤解しているらしい。きちんとこちらの要求を話すのだ」

 トラヴィスは頷くとオーレリアに改めて説明する。


 ルパ王国との戦争に勝利したハルディオ帝国は和平条約の際に賠償金の請求に加えてあることを申し出ていた。それはルパ王族に宿る神の恵みを借りること。とりわけ必要だったのはオーレリアの力だった。

「知っての通り、うちは三人も皇子がいて誰も結婚相手がいなかったから臣下から常々問題視されていたんだ。陛下の御前でこんなことを申し上げるのは憚られるけど、いつ容態が悪化してもおかしくない。だから皇帝代理として私から『素晴らしい神の恵みを持つ王女に結婚相手を見つける手助けをして欲しい』という文をルパ王へ送ったんだ」



 トラヴィスがどうしてオーレリアの神の恵みを知っているかというと、それは十二年前まで遡る。

 当時、ルパ王国では海の女神に祈りを捧げるという十年に一度の儀式が開催されていて隣国のハルディオ帝国も招待されていた。トラヴィスは三人の皇女と共に帝国の代表として参加していた。

 そして丁度、一番上の皇女は儀式の数日前に婚約が破談となり、それはそれは意気消沈していた。

 もう自分には運命の相手なんて見つからないし一生独り身だと嘆いていると突然黒髪の少女が現れて、この人が運命の相手だから心配しないでと教えてくれた。

 隣で話を聞いていた二番目と三番目の皇女は自分たちの運命の相手も見て欲しいと少女に頼み、相手の名前を教えてもらった。そして帝国に戻った三人の皇女は教えてもらった運命の相手に接触して親交を深め、遂には幸せを掴むまでに至った。

 彼女たちは今でも夫に溺愛されて幸せに暮らしている。

 そして三人の皇女と一緒にいたトラヴィスはその少女――オーレリアの凄さをその目にしっかりと焼き付けていた。だからトラヴィスは彼女の力がどれほど素晴らしいかを知っていたのだ。



 話を聞き終えたオーレリアは昔、高熱を出したコーレリアの代わりに何かの儀式に出席させられたことを思い出した。

(一度だけ綺麗なお姉さんたちの運命の相手を確認して名前を教えたことがあったけど……あれはハルディオ帝国の皇女たちだったのね)

 オーレリアが納得しているとトラヴィスは苦笑して肩を竦める。

「……文の言い回しがまずかったのか、ルパ王は王女を帝国へ嫁がせろと勘違いしてしまったようだね」

 オーレリアはルパ王の酷い勘違いが恥ずかしくなって、居たたまれない気持ちになった。すぐにルパ王族の一人として頭を下げて謝罪する。

 するとトラヴィスは首を横に振った。

「行き違いはあったようだけど、結果としてあなたは帝国へ来て弟たちの運命の相手を見つけ出してくれた。心から感謝しているよ」

 トラヴィスが萎縮してしまっているオーレリアに助け船を出していると、皇帝が唸った。

「それにしてもなんとも無礼な話だ。余が息子たちよりも年下の娘を娶るわけがないだろう。そして一夫多妻制の制度が設けられてはいるがハルディオ皇帝の妻は代々一人だけだぞ!」

「陛下、お怒りを静めてください」

 控えていたフレディが身体に障っては大変だというように諫める。

「余は別に怒ってはおらぬ。ただ呆れているだけだ」

 皇帝は溜め息を吐くと背もたれ代わりのクッションに身体を埋めた。


 オーレリアは皇帝が落ち着くのを見計らって、小さく手を挙げると躊躇いがちに尋ねた。

「では……私はこれからどうすればいいでしょうか?」

 側妃として嫁ぎに来たオーレリアにはもう帰る場所がない。そして三人の皇子の嫁探しも終わって用済みになってしまった。これまでのように宮殿では暮らしていけない。

 一人で生計を立てていけるか不安もあるし、それよりまずは帝国で暮らしていくために永住権はもらえるだろうか。

 様々な思考が頭を駆け巡って不安を覚えていると、突然トラヴィスに腕を掴まれた。

「陛下、行き違いもあったので隣の部屋でオーレリアと二人きりで話をしてきてもよろしいですか?」

「ん? ああ、そうだな。二人で話してくるといい」

 皇帝がその願いを聞き入れると、トラヴィスはオーレリアを連れて一旦場所を移動する。



 隣の部屋に移されて扉が閉まった途端、オーレリアはトラヴィスに両肩を掴まれてそのまま引き寄せられる。

 突然の抱擁にオーレリアの胸は嫌でもときめいてしまった。心臓の鼓動は速くなり、身体の中を激しい熱が駆け巡る。しかし、すぐにその熱はサーッと引いていった。

(トラヴィス様はビクトリア様と運命の赤い糸で繋がっている。私が介入して二人の運命を滅茶苦茶にするわけにはいかないわ)


 部屋に誰かが入ってくることはないだろうが、もしこの状況を見られたら勘違いされてしまう。一刻も早く離れなければとオーレリアはもがいた。

 しかし、もがけばもがくほどトラヴィスの腕はさらに強くなっていく。

 オーレリアは叫んだ。


「おやめください! 私はあなたの運命の相手じゃないんです!! こんなことをしたって不毛に終わるだけです」

「……どうして不毛に終わると言えるんだ?」

 頭上から擦れた声が降ってきて、オーレリアは顔を上げる。

 するとそこには今まで一度も見たことのない切ない表情を浮かべるトラヴィスがじっとこちらを見つめていた。

(どうしてトラヴィス様がそんな顔をするの?)

 息ができないくらい胸が苦しくて辛いのはオーレリアの方だというのに。

 オーレリアは奥歯を噛みしめると、震える唇から声を絞り出した。

「だって、だって……トラヴィス様の運命の相手はビクトリア様だからです。私じゃありません!!」

「ビクトリアは私の運命の相手じゃないよ」

「どうしてそんなことが言い切れるんですか? トラヴィス様は神の恵みで運命の相手を確かめられないのに!」

 だから離して、というようにオーレリアがトラヴィスの胸を押しのけようとすると、トラヴィスがぴったりとくっつくように抱き寄せてくる。


「それなら心配ない。ビクトリアは従姉妹で、幼い見た目だけど私と同い年だよ。だからもし彼女が私の運命の相手なら以前確認してもらった時に赤い糸がついていたはずだ。それと彼女には婚約者がいる。……相手はフレディだ」

「フレディ様?」

 驚嘆したオーレリアは二の句が継げない。

 オーレリアは昨日の状況を思い出した。

 あの時、フレディはトラヴィスの陰に隠れていた。フレディとビクトリアの赤い糸の間にトラヴィスが立っていたことで、トラヴィスとビクトリアが運命の赤い糸で結ばれているように錯覚してしまっていたようだ。

 オーレリアが黙り込んでいるとトラヴィスが先に言葉を紡いだ。

「不安がるようなことは何もないんだ。私はずっとあなたが十八歳の誕生日を迎えて成人するのを待っていた。それと、昨日は会えなかったから言えなかったけど、誕生日おめでとう」

「あっ……」

 そこでオーレリアは昨日が自分の誕生日だったということを思い出した。今まで誕生日を祝ってもらったことなんてなかったのですっかりその存在を忘れていた。


 トラヴィスの運命の赤い糸を確認した昨日はオーレリアの十八歳を迎えた誕生日。

 オーレリアが十八歳になったからトラヴィスの小指に赤い糸が出現したのだとしたら……。

 偶然かもしれないのに、ただの自惚れかもしれないのに、その相手が自分なのではという微かな希望をオーレリアは抱いてしまう。

 トラヴィスは腕の力を緩めるとオーレリアから離れる。

「もう一度、私の小指の赤い糸が誰に繋がっているのかきちんと確認して欲しい」

 懇願されたオーレリアは、恐る恐る左手の親指と人差し指でわっかを作って覗き込み、トラヴィスの左手の小指についた赤い糸に意識を集中させる。

 心臓の音がドクン、ドクンとやけに煩く聞こえるのを感じながら頭の中に浮かび上がる名前を今か今かと待ちわびる。


 頭の中に名前が浮かび上がった瞬間、オーレリアはあっと声を上げた。

「トラヴィス様の運命の相手は…………私、私ですっ」

 今までちっとも気にしていなかったけれど、オーレリアの左手小指の赤い糸はトラヴィスの小指の赤い糸へと繋がっていた。しかもそれは黄金の光を帯びた強固な糸だ。

 嬉しくてオーレリアの視界がぐにゃりと歪む。まさかトラヴィスの運命の相手が自分だったなんて思いもしなかった。

 トラヴィスはオーレリアの涙を指の腹で拭ってやりながら頭をぽんぽんと優しく叩く。

「これで安心できたかい? これでも随分と分かりやすくオーレリアに好意を示してきたつもりだったけど……気づかなかったのは側妃になると思っていたから? それとも私の表現の仕方が悪かったから? 後者ならもう少し積極的になってみてもいいのかもしれないね」

 にっこりと笑みを浮かべるトラヴィスはオーレリアの手を取るとその甲にキスを落とす。


「オーレリア王女、私はあなたが好きだよ。運命の相手だろうとなかろうと、私はあなたと添い遂げたいってずっと思っていた。そして私の妻は生涯あなただけだ」

 そう言ってトラヴィスはオーレリアの前に跪くと懐から黒くて四角い箱を取り出す。箱の蓋が開かれると中にはオーレリアの瞳と同じ色のアクアマリンの指輪があった。楕円形のアクアマリンの周りにダイアモンドが装飾されて花の形になっている。

「皇帝代理とはいえ、誰かを娶るとなると父上の許可がいるし顔合わせをしなくてはいけない。神殿の神官長とも相談したら今日が最も好ましい日で、だから面会謝絶が解除されても会わせなかったんだ」

「そう、だったんですね」

 オーレリアは皇帝との面会が先延ばしにされていた理由が分かってすっきりした。ぞんざいに扱われているわけではなかったということがはっきりしたからかもしれない。

 胸がすくのを感じているとトラヴィスが再び声を掛けてくる。


「――オーレリア王女に改めて訊きたい。どうか、私の妻になってくれないだろうか」

 真摯な眼差しを受けてオーレリアは目を細める。

「もちろんです。私もトラヴィス様と一生を添い遂げたいです」

 返事を聞いたトラヴィスは破顔すると立ち上がり、再びオーレリアを抱き寄せて今度は頬にキスを落とす。

 オーレリアは声にならない悲鳴を上げた。

「し、神官の前で結婚を誓ってサインするまではキスできない決まりでしょう?」

「ああ、そうだね。それが決まりなのは知ってるよ。だけどそれって裏を返せば唇以外ならどこでもいいってことだよ」

 トラヴィスはにこにこと笑いながら今度は額にキスを落とす。

「も、もうトラヴィス様!」

 ――こんなことされたら私の心臓がもちませんっ!

 そう叫びたいのに喉はいつの間にか渇いていて、大声が出せない。

「これからは存分に甘やかしながら愛を囁くから。じゃないとオーレリアは私の気持ちに気づいてくれないみたいだし。――……覚悟しておいてね」

「……っ!!」

 甘い言葉を囁くトラヴィスに対して、男性に免疫がないオーレリアの限界はすぐに達してしまった。全身が茹でだこのように真っ赤だ。下手したら頭から湯気が立ち上っているかもしれない。

「……お、お手柔らかにお願いします」

「さあて、どうしようかな?」

 くすくすと笑うトラヴィスの赤い瞳には今まで以上にオーレリアを慈しむ色が浮かんでいた。






 後に分かることだが、王妃の妹は自ら選んで結婚したホルマン伯爵と関係がうまくいかず僅か数年で破綻していて家庭内別居が続いていた。

 コーレリアの方はというと、想い合っていたギルバートと結婚してうまくいっているかと思いきや、彼には平民の恋人がいた挙げ句、国王という最大の権力が手に入るとコーレリアのことは一切顧みなかったという。


 ――そしてハルディオ帝国の皇妃となったオーレリアはというと、夫であるトラヴィスだけでなく帝国民たちからも愛され親しまれる存在になり、幸福を招く伝説の聖女として後世に語り継がれるのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] クラウスはともかくパーシヴァルの方は公爵令嬢の幼馴染が居るので「女の影すらなかった」というのはあれ?となってしまいました。 [一言] 人を傷付けない能力で活躍する主人公が魅力的で読後感…
[気になる点] 王妃の妹が赤い糸の通りに子爵と結婚してたら幸せになれたのかな? でもあの性格じゃ難しいでしょうね(^^; [一言] 面白かったです
[良い点] とっても面白かったです!短編とは思えないほどしっかりとした充足感ある内容でした。 オーレリア可愛いしトラヴィスしっかり素敵です。 [気になる点] ルパ王無能すぎ…!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ